名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
2019年

年末のご挨拶 、管理人 前田和男

今年も年末となりました。今年も皆様のご協力により御投稿を頂き無事ホームページを維持することが出来ました。2020年もよろしくお願い致します。今年は、義兄が病で逝去され悲しい年でしたので、新年のご挨拶はご遠慮させて頂きました。

ギャラリー前田(http://gallery-maeda.com)は只今、急にプログラムがおかしくなりました。実はD38のホームページもプログラムのPHPは古いもの(Ver5.6)使っています。ギャラリー前田も同じでしたが、セキュリティーおよび速度の点でバージョンアップの勧めが有りましたが、完全移行までに試行錯誤することがあるとの助言があったので、とりあえず、私の個人ホームページを先行させました。というわけで、水彩画の方のホームページは正月中に勉強して正常にしたうえでD38の方に取り掛かります。

以上 よろしく 2019/12/31 前田

原因が判り、復旧しました。   2020/01/01      前田

2019年美術・博物館・遺跡巡りのまとめ 、山本 雅晴

 今年も特定のジャンルや場所を決めずにあちこちの美術館や世界遺産・社寺を120件ほど巡った。国内の美術展は百花繚乱で西洋美術の内容のある展覧会も多かった。2月下旬に南フランスに行き、ニースのマティス美術館やヴァンスのロザリオ礼拝堂、カーニュ・シュル・メールのルノワール美術館、エクサンプロヴァンスのセザンヌのアトリエなど今まで行っていない美術館や展示品を見ることができた。また、10月下旬に念願の「シルクロード」を訪れることができ玄奘三蔵の辿った風景の一部や平山郁夫の描いた場所を多少とも理解できたのは収穫だった。 今年見た美術館・博物館・世界遺産・寺社などを抜粋して簡単にレヴューします。

 

Ⅰ、2019年の美術館めぐりのまとめ

1、南フランスの美術館と早春のフェスティバル:旅行記としてまとめたので詳細は省略。

1)マティス美術館(ニース)とマティス関係の美術作品について:今年はマティス生誕150年になるので小生なりにまとめようと思い伝記や作品の調査を行なっているが未完成で来年以降に継続となった。今年見たマティス作品は国内外で約50点。

2)ルノワール美術館と庭園:ルノワールが晩年の十数年リュウマチと戦いながら絵を描き続けたカーニュ・シュル・メールの樹齢数百年のオリーブの茂る小高い丘にある邸宅・アトリエが美術館となっている。各部屋にルノワールと友人の絵・彫刻・工芸品が展示され自由に鑑賞できた。スッキリ晴れ渡った早春の庭は時間を忘れてしまいそうな居心地の良いところだった。

好々爺のルノワールのもとには南仏にアトリエを構えるマティスがボナールと度々訪れたらしい。かの気難しいセザンヌとも交友があった。

3)エクサンプロヴァンス:松の木とアーモンドの花咲くレ・ローヴの丘のセザンヌのアトリエを初めて訪れ数多の作品に使用されたりんごなどの果物やビン・壷・石膏像のある部屋を見た。また、見晴らしの良い丘からは小さいサント・ヴィクトワール山もくっきりと見えた。

短時間の休憩時間に彼の地の「グラネ美術館」本館を初めて訪れた。セザンヌの小品が10点ほど展示されていた。偉大なる画家セザンヌの故郷にしては寂しい展示であった。

 

2、国内の西洋画・彫刻などの展覧会

1)国立西洋美術館:本年開館60周年の記念の年である。振り返ってみれば、大学に入学した開館の1959年の夏休みに従兄弟に案内してもらって訪れていた。それ以来約80回くらい訪れている。このメモリアル・イヤーの展示会があった。

① 林忠正(1853~1906)の功績紹介展(2019-2-19~5-19):西洋で日本美術を商った初めての日本人で、1878年のパリ万博の通訳として渡仏し、ジャポニズムの隆盛に大きな役割を果たした。浮世絵や工芸品を扱う商社を経営・紹介する一方、松方幸次郎に先立つ25年前に西洋美術を収集し西洋美術館建設を夢見ていた。しかし、その構想は林の帰国と早すぎる死によって実現しなかった。これらの経緯を資料と作品を基に紹介している。日本における西洋絵画館の歴史を知る上には時宜を得た展示会であった。

松方コレクション展(2019-6-11~9-23):「松方幸次郎のコレクションの形成と散逸」について徹底的に調査し、それをカタログレゾネとして昨年出版された。この内容を拾い読みしたが、今まで不審に思っていたいくつかの疑問が解けた。その一つは松方コレクションの形成時にマティス作品がたくさん出回っていたのに国立西洋美術館に一点もないことだった。実際には6点収集していたがコレクションをナチスの略奪から逃れるためパリから寒村に移動させる必要があった。その費用を捻出のため売却した。6点のコレクションのすべてはまだ分かっていないが、そのうちの1点がバーゼル美術館の所有で今回展示されていた。

モネ作品はモネのジヴェルニーの住居兼アトリエまで行って直接購入している。一時は30点近く収集したが国内外で散逸の憂き目にあい、現在の国立西洋美術館にはその約1/3しか残っていない。また、ロダン彫刻の購入も綿密かつ大胆で松方の人柄を表しているように思われた。まだまだ興味が尽きないが割愛する。

2)クリムトとウィーン・モダーン展

① 東京都美術館:「クリムトとウィーンと日本1900年」(2019-4-23~7-10) 老若男女問わず何故かクリムト人気は大変なもの! 26年前の夏にウィーンのオーストリア美術館で初めてクリムト作品を見に行ったときは人影もまばらだった。今回は何点かの目玉作品と宣伝効果もあり大盛況だった。分離派会館の「ベートーベン・フリーズ」の精巧な原寸大複製(2.2×34.5m) 壁画が展示されていた。東京都美術館での展示方法もうまく、見栄えのするカタログも好評であった。

② 国立新美術館:「ウィーン・モダン~クリムト・シーレ世紀末への道」(2019-4-24~8-5)

18世紀半ばからの啓蒙主義時代から19世紀末・20世紀初頭のクリムト・シーレに至る社会情勢の変化、絵画・彫刻・工芸や文学・音楽・建築・ファッションなど相互的かつ総合的に展示・解説してあり理解しやすかった。

③ 目黒区美術館:「世紀末ウィーンのグラフィック」(2019-4-13~6-9) 上の2つの展示会との三部作で地味であまり入場者は多くなかったが、企画者の苦労と努力のにじみ出た展覧会で好感が持てた。

3)印象に残った美術展

① 新・北斎展:森アーツセンターギャラリー(2019-1-17~3-24)

著名な浮世絵研究者で北斎作品のコレクターだった故永田生慈氏の北斎とその弟子の作品約1000点が島根県立美術館に寄贈され、そこでの一連の展覧会に先立って開催された。北斎の初期から晩年までの貴重な作品が展示されていた。

② ギュスターヴ・モロー展:パナソニック汐留ミュージアム (2019-4-6~6-23)

     パリのギュスターヴ・モロー美術館の所蔵品で初期から晩年までの油彩・ドローイングを約70点まとまりよく展示されていた。大作はないがパリの美術館では作品数があまりにも多く、ドローイングなど見るゆとりはなかった。

③ 東京都現代美術館:リニューアルオープン記念展「百年の編み手たち~流動する日本の近現代美術~」(2019-3-29~6-16) 約3年かけてリニューアルしバリアフリー化などかなりの費用をかけているようだ。日本の近現代美術では国内で一番作品の充実している所だと思うが、画家個人個人の作品が羅列的でまとまりがないように思えた。あまり好みではないが、現代美術はアメリカで見た「サンフランシスコ近代美術館」のように広い空間を個人に一室単位で展示する方が良いように思う。

東京都以外の予算のとれない美術館はリニューアルができず四苦八苦している。    例えば、京都市美術館は京セラから約50億円の資金援助を受け「京都市京セラ美術館」として来年度からまさにリニューアルオープンするらしい。滋賀県立近代美術館はリニューアルがペンディングとなっている。美術館などは約20年で設備のリニューアルが必要になるためこのようなケースがこれから頻出する可能性がある。

④ ドービニー展:東郷青児記念損保美術館(2019-4-20~6-30) ドービニー個人としての展覧会は今回が日本では初めてとのことである。ドービニーは印象派の画家たちやゴッホなどの画家にも影響を及ぼした。アトリエ舟を考案し川を移動し川から風景を描いた。モネはこれをマネした。ドービニーの作品がまとまった形で見られよい展示であった。

なお、この美術館は42階から地上に新設移転し「SOMPO美術館」と名称も変更し,2020年5月末に開館とのこと。

⑤ 文化村ザ・ミュージアム

・「印象派への旅~海運王の夢~」(2019-4-27~6-30) バレル・コレクションとして英国のグラスゴーの美術館に拠点おいている。19世紀半ばから19世紀末のフランス絵画と英国の画家の絵画80点の展示があった。あまり大作はなく印象のうすい展示会だった。

・「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」(2019-10-12~12-23) ルーベンス・ルーベンス工房の絵画が4点、クラナッハが3点他風景画・花の静物画などと東洋およびウィーン製の良質の陶磁器・工芸品が多数展示されていて一応楽しめる展示内容だがインパクトに欠ける。

⑥ コートールド美術館展:東京都美術館(2019-9-10~12-15) 1997年に初めて来日した時と内容的にはほぼ同じでマネ、セザンヌなどのすばらしい作品を鑑賞することができた。

⑦ ゴッホ展:上野の森美術館(2019-10-11~2020-1-13) 大作は少ないが初来日の初期の作品が多い。ゴッホというネーム・ヴァリューで全日混んでいるようだ。

⑧ カラヴァッジョ展:名古屋市美術館 (2019-10-26~12-15) 札幌・名古屋・大阪と関東地区に来ない数少ないケース。真偽が不明なものも含めて10点近いカラヴァッジョ作品で、初見の作品も数点あった。それほど混んでなくてゆっくり鑑賞できた。

⑨ ハプスブルク家展:国立西洋美術館 (2019-10-19~2020-1-26) ウィーン美術史美術館の作品が主体でお馴染みのベラスケス作品が3点とブダペスト西洋美術館からのベラスケス初期作品「宿屋のふたりの男と少女」も来ていた。展示様式はハプスブルク家の各皇帝のコレクションの形成の歴史。この展示会もネーム・ヴァリューのせいか国内外の鑑賞者で賑わっていた。国内の有名展覧会は日・英・中・韓の4ヶ国語のタイトル表示となっている。

⑩ ブダペスト「ヨーロッパとハンガリーの美術400年」:国立新美術館(2019-12-4~2020-3-2) ハンガリー国立西洋美術館の作品とハンガリー・ナショナル・ギャラリーのハンガリーの画家の作品130点の展示があった。クラナッハ、ティツィアーノ、印象派数点とムンカーチ・ミハーイ(ハンガリーの著名な近代画家)数点。やや焦点がなく希薄に思えた。

⑪ オランジュリー美術館の作品展:横浜美術館 (2019-9-21~2020-1-13) 20年前にもほぼ同じ作品展が文化村ザ・ミュージアムであり鑑賞している。日本人好みの画家の作品が多く何度見ても楽しい。ルノワール:8、セザンヌ:5、マティス:7、ピカソ:6 等々。

⑫ 吉野石膏コレクション展:三菱一号館美術館 (2019-10-30~2020-1-20) 山形美術館での委託展示や文化村ザ・ミュージアムでの展示会などでも見ているが、その後の入手作品?のゴッホの「白い花瓶のバラ」は初見だった。作品の内容はオランジュリー美術館と類似しており日本人好みである。

⑬ 大浮世絵展:江戸東京博物館 (2019-11-19~2020-1-19) 5年ごとに開催される国際浮世絵学会に合わせて開催されている。今回は5大人気浮世絵師の歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の代表作品を世界の美術館から集めて展示している。展示替えが数回あるため前・中・後期と見る予定。今までにも浮世絵はたくさん見ているがこれで打上げにするつもりです。

なお、今年の浮世絵展では東京国立博物館で、松方幸次郎がパリでまとめて買い取り国に寄贈した約8000点のうち約120点を選び4期に分けて展示されたので鑑賞した

⑭ 薬師寺:2017年に完成した食堂の田淵俊夫の50mに及ぶ壁画「阿弥陀三尊浄土図・仏教伝来の道と薬師寺」は繊細な線と水彩画のような淡い色彩で平山郁夫の「大唐西域壁画」の油彩画的な重厚さと好対照だった。シルクロード訪問の締め括りとして再度見学した。

⑮ 後藤純夫の全貌展:千葉県立美術館 (2019-11-2~2020-1-19) この人は僧侶の家に生まれ、僧侶としての修行をしながら画家を志し日本画家となった。画題は平山郁夫に近く、多分あまり知っている人はいないと思うが、私は好きで以前から何度か展覧会を見ている。また、十年前に上富良野にある後藤純夫美術館を訪問した。中国の山河や北海道・奈良などの自然や寺院を綿密かつ大胆に描いた大作が多い。今回は初期の作品から晩年(2016年に死去)の作品まで展示されていた。千葉県は文化後進県で本美術館はあまりよい企画展がないので久しぶりに訪れた。数年前にリニューアルし、照明もよくまた、天井も高く大きな部屋もあり襖絵などの大作を見るのに適していた。このような良い展示会で65歳以上は無料だと聞いて改めて見直した。近くの人で関心のある方は是非見てください。

⑯ 東京国立博物館:年間12回ほど見ている。常設展示は65歳以上は年齢の証明書で無料です。国宝や浮世絵などは毎月展示替えがあり、他の展示品も3~4か月で展示替えする。

上野に行ったら気楽に立ち寄る。また、国立西洋美術館も常設展示は65歳以上は無料です。

 

今年の小生の分野別ベスト・ランキングは以下の通りです。

1、油彩画・西洋画

① マティス美術館(ニース) & マティス・ロザリオ礼拝堂

② 国立西洋美術館:「松方コレクション展」

③ 東京都美術館:「クリムト展~ウィーンと日本1900年~」

④ 名古屋市美術館:「カラヴァッジョ展」

⑤ 東郷青児損保ジャパン美術館:「ドービニー展」

⑥ パナソニック汐留ミュージアム:「ギュスターヴ・モロー展」

⑦ 上野の森美術館:「ゴッホ展」

⑧ 東京都美術館:「コートールド美術館展」

⑨ 横浜美術館:「オランジュリー美術館展」

⑩ 三菱一号館美術館:「吉野石膏コレクション展」

 

2、日本・東洋の美術・遺跡・その他

① 敦煌・莫高窟と周辺の遺跡および鳴沙山・月牙泉

② 高昌故城とトルファン周辺の遺跡

③ 西安城壁 & 大雁塔と兵馬俑坑博物館

④ 江戸東京博物館:「大浮世絵展」

⑤ 千葉県立美術館:「後藤純夫の全貌展」

⑥ 森アーツセンターギャラリー:「新・北斎展」

⑦ 東京国立博物館:「正倉院の世界 展」

⑧ 渋谷区立松濤美術館:「久保惣美術館所蔵 日本・東洋 美のたからばこ 展」

 

以上

美術館巡り、山本雅晴

年末で、書籍類を整理していると山本雅晴さんから頂いていた美術館巡りのリストがあった。これは、彼の趣味としての歴史であり、私が個人的に持っているより、ホームページに載せておけば、だれか同じような趣味の方が見つけて、自分が行けなかったが行きたかった美術館があれば山本さんに尋ねれば有用な活用かなと思いアップロードしました。(管理人)

 

 

ドルドラ(Drdla)の想い出(Souvenir)、鈴木直久

独身寮の同期入社の同僚の部屋で聴いたヴァイオリン名曲集のLPのなかに、この曲がありました。不思議に郷愁を覚える旋律でしたが、あまりポピュラーな曲ではないので、その後長い間聴く機会がありませんでした。

 

時は過ぎ何年か前に当地のびわ湖ホールで前橋汀子のリサイタルを聴いて感銘を受けたので、小品集のCDを三枚買いましたが、その三枚目(感傷的なワルツ)にこの曲が収められていて、実に40数年ぶりに聴くことができました。

 

そのCDのライナーノートを宇野功芳(2016年死去)が担当しています。この曲が大好きな彼は、次のように書いています。やや長いので恐縮ですが、見事な紹介ですから引用してみましょう。

 

「僕は彼女の弾くドルドラの「想い出」をどうしても聴きたくて、前橋にもソニーにも三枚目のCDを作ってくれるよう、再三にわたってリクエストしたのだが、今回(1997年)13年ぶりに実現した。その間録音が待ちきれず、彼女のリサイタルが開かれたとき、アンコールにぜひ弾いてくれるよう頼み込んだことがあった。あのときの感動は言葉に尽くせず、客席に坐って熱い涙のこみ上げるのを禁じ得なかったことを思い出す。終演後楽屋を訪ねた僕に彼女はボロボロの楽譜を見せ、「子供のとき以来弾いたことがないので、探すのに大変だったのよ」と語った。それくらい、この曲は最近では演奏されなくなってしまったのだ。

僕はSPのクライスラー以来想い出(Souvenir)が大好きで、今でも復刻版のCDを愛聴しているが、なぜかクライスラー盤以外に名盤がない。(中略)第一ディスク自体が少ないのである。クライスラーのしゃれ切った節まわしは比類がないが、この名人に比肩するヴァイオリニストとして、僕は前橋汀子以外の名前を思い浮かべることができないのだ。」

 

というわけですから、是非彼女の演奏を聴いていただきたいところですが、残念ながらYouTubeに見つけることができず、代わりに他の女性ヴァイオリニストAmelyse A. Arroyoと、宇野が言及している往年の名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの1910年代の同じ曲の演奏をご紹介しますから、是非比較してみてください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=uLagTFQ_-w4

https://www.youtube.com/watch?v=CiTEC1uKPZg

室内で咲いたハイビスカス、前田和男

今年の夏から気候が暑かったり寒かったりと良く変動した。我が家でも、ハイビスカスが夏に3個ほど花が咲いたきり、今年はこれで終わりかなと思っていたところ、秋になって9個の蕾が出てきた。玄関先に鉢植えをしているので毎日、家を出入りするたびに蕾の成長を楽しみにして、咲けば写真を撮っていたがご承知のごとくハイビスカスは1日だけの開花で翌朝はしぼみ始める。

9個の蕾は10月中旬から11月中旬に7個が開花した。しかし、後の2個は一向に開花せず、今年はこれで終わりかなと諦めていた。12月に入り、寒さも進んだので室内に入れた。ハイビスカスは太陽のもとに晒すのが良いと聞いていたので11月一杯は外に置いていたのである。

室内は18-20度に暖房しているので、この暖かさで元気が出たのか、2週間の間に室内で開花した。ついついうれしくなった写真を撮った。皆さんに見せるほどのことでもないが、記念に投稿させて頂いた。

        12月9日開花

12月15日開花

皇居、大嘗宮を訪れる、山本信夫

11月28日、13時からのD38忘年会の前に、11か月ぶりに皇居に行った。

朝9時すぎ小雨の中、凄い行列を予想していたが、行列状態はほとんどなく、2か所のセキュリティチェックも待つことなく、スイスイと入場。玉砂利を踏み10分ほどで現地に到着、2日間の大嘗祭のため24億円かけ、済んだら取り壊しが待ってる大嘗宮を、せめて一般に見せようという計らいだろう。混雑を感じたのは表て面のみ、側面から裏面にかけて建物の全体構造や様子がよく分かり、こちらの方がむしろ本命というべきか。江戸城本丸天守跡や紅葉の三の丸庭園の見学もできた。

(当日歩数 18000歩)

 

写真1   大嘗宮全景

写真2   大嘗宮正面

写真3   大嘗宮側面

写真4   江戸城本丸天守跡

写真5   紅葉の三の丸庭園

東京地区忘年昼食会

11月28日(木)13:00から15:30 八重洲地下街 「素材屋」に7名集合しました。

三山さんがご足労して連絡頂いた割には寂しい忘年会でした。しかし、7名は、飲みっぷり、食べっぷりは現役時代に匹敵する位の旺盛さでした。

自己紹介は、半分は現状の生活状況、残り半分は病気持ちは自分の現状をご披露し、友人の経験を求めて、養生に努めようとの思いがひしひしと感じる意義ある交流でした。

参加者氏名は説明には及ばず、下記の写真を見れば懐かしい顔、顔でしょう。

15:30からは同じ地下街にある名工大同窓会が運営する「八重洲倶楽部」に移動して、17:00まで1時間半ほど歓談しました。

ここでは、現役時代の業務を振り返り、いけいけドンドンの我らの仕事を振り返り、現状の日本の産業が我々の取り扱った内容と大きく変わっている現状を認識した会話でした。

ただ、参加者は皆、マスコミや書物などで現役時代に匹敵するほどの情報を持っており、やはり、各位の業務が多岐に渡ったD38なので、同窓会の意義を感じた筆者の感想です。  (2018/11/29  前田記)

タレガのラグリマ、鈴木直久

学生時代にはクラシックギターを始めた人がかなりいました。そして彼らは例外なく映画「禁じられた遊び」のテーマ音楽に挑戦したと思います。友人のなかには上手く弾きこなす人もいいて羨ましかったものです。

わたしは会社に入って独身寮に住んでいるときにギターを買って練習を始めました。そして工場の青年婦人部主催のダンスパーティーの、伴奏音楽のリズムを担当したりしましたが結局挫折しました。理由は明白です。不器用で指先を上手く動かせないことと絶対音感を持たないことでした。

それでも何とか弾けた?のが、タレガが作曲した「ラグリマ(涙)」でした。

 

現在思い出して聴くのは、イエペスが演奏する「アルハンブラの想い出―タレガ作品集」に収められているこの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=zggNWE8agao

 

なお、ご承知のようにタレガの最も有名な曲はCD名が示す「アルハンブラの想い出」ですから、イエペスの演奏を聴くことができますが、村治佳織のそれを併せてご紹介してみます。

https://www.youtube.com/watch?v=RLJg-o8Hr1A

https://www.youtube.com/watch?v=XthLRfl7YFk

韓国グルメ旅行

医者から、心臓が昨年より悪くなっているので空気圧が低い飛行機の旅行は賛成しない(保証はできない)と言われたが、韓国なら2時間ぐらいなので良いだろうと思って行ってきた。

今までヨーロッパ旅行のアリタリアのマイレージは、消滅期限のない大韓航空に纏めて貯めていたが、最近、取り扱いが変更され、他社便は10年で消滅に変わったと通知を受けた。

来年、消滅する前に韓国に行くことにした。ちょうど2人分+ラウンジ使用のマイレージが溜まっていたので娘と二人旅行となった。(家内が漬物がだめなので韓国には行きたく無いとのことなので)

韓国へは退職後、プロジェクとの支援業務で3ヶ月滞在したし、その後1年間は月に1回、発注メーカの工程管理に出張していたので、業務の合間に訪問した場所も多く懐かしい国であった。

世間では、日韓の政治的な悪化で、お互いの旅行も下火になっていると報じられていたが、実際の所、日本からの便は満席で、ソウル市内の繁華街も日本人が多く、賑わっていた。今の、韓国への旅行者は、中国人や、東南アジアの人や、イスラム圏の人も多く、日本国内の外国人旅行者の数と変わりがないと感じた。

私が、滞在したときから、十数年経過しているので、建物がリニューアルされ、日本も工場地帯が開発され新市街になっているように韓国の開発も進んで、見違えるようであった。

今回の旅では、ホテルでの朝食は食べなかった。むしろ、朝昼兼用で韓国料理を食べることにした。第1日目の夜は「蔘鶏湯」第2日目の朝は「朝粥」、夜は「プルコギ」、第3日目の朝は「焼肉」とした。

とりあえず、写真を羅列して、旅行記としたい。

蔘鶏湯が有名な店

朝粥(あわび入りを選んだ)

 

市内の世界遺産

開発された江南地区、KPOPの関連商品があるビル、5階とも全て

奥に見える階の棚が全てBOOKで自分で持ち出してテーブルで読める本屋

プルコギ(日本のすき焼きと同じ)

キムチ体験教室、1時間コース、約3000円(娘が体験した。)

焼肉

以上の通り、興味のない旅行記かも知れませんが、年寄りには2時間ぐらいのフライトなので九州や沖縄旅行並みに気楽に行けるので、ヨーロッパ旅行に飽きた方にはお奨めの場所かも知れません。

(2019年11月19日   前田記)

 

悠久のシルクロード:西安・敦煌・トルファン・ウルムチを巡る8日間の旅行記

(注:写真は、山本さんがA-4ページに印刷した物を本稿ではスキャナーでJPGファイルに取り入れたものです。 管理人)

山本 雅晴 (2019-11-6 記)

1.目的:40~50年前から本(井上 靖など)や平山 郁夫の絵画、NHKのTV番組(1980年に放映、この8月に全篇再放送)で一度は行ってみたいと思っていた。80歳を前にして意を決してJTBの格安ツアーに参加した。参加者は60代後半から70代末で小生は上から2番目の年長者だった。主な見どころは、西安:城壁・大雁塔・兵馬俑坑博物館・シルクロード起点群像 敦煌:莫高窟・鳴沙山/月牙泉・西千仏洞・陽関・白馬塔 トルファン:高昌故城・アスターナ古墳・ベゼクリク千仏洞・火炎山・蘇公塔・カレーズ(地下水路)

2.行程と交通手段:羽田 ⇒ 上海(虹橋空港)⇒ 西安(2泊) ⇒ 敦煌(2泊) →(バス;2hr) 柳園 →(高速鉄道;3.5hr) トルファン(1泊) →(バス;3hr) ウルムチ(1泊) ⇒ 蘭州 ⇒ 上海(浦東空港) (1泊) ⇒ 羽田。( ⇒ は飛行機)。

10月20日(日)~27日(日)の8日間、西安・上海は薄曇り、他は快晴で内陸部では朝晩は冷え込み零下の日もあったが、日中は陽光が降り注ぎ暖かく全般としては快適な旅だった。

3.所感:

空港・鉄道駅・観光場所・ホテルでのセキュリティ・チェックが厳しく、時間を要し不愉快な面が多々あったが今の情勢を考えるとしょうがないかな! 格安のツアーなのでホテルのレベル、食事の質が心配されたがいずれも良好であった。

 

第一日目:10月20日(日) 晴れ / 曇り、歩行距離:6.6km。

羽田13:30~上海(虹橋)15:55//20:25~西安空港23:00 ホテル着0:20 。安いツアーのため上海での乗り継ぎの待ち時間が長く西安着が遅くなった。

 

第二日目:10月21日(月) 曇りのち晴れ、歩行距離:8.4km。 ① 西安のホテル8:00→郊外の世界遺産「兵馬俑坑博物館」9:20~11:40。標高が1200mの西安はやや冷え込み霧が立ち込めていた。中国でも有数の入場者数を誇るため混雑が甚だしいとのこと。ベテランの現地ガイドが要領よく案内してくれたためスムースに入場。迫力あるパノラマ・ビジョンで兵馬俑坑の成り立ち・発見・現状の説明を聞いたのち1/2/3号館と復元された銅車馬館を現地ガイドの説明を聞きながら約2時間駆け巡った。途中小生も含めて3人が迷子になったが事なきを得た。広大な敷地に膨大な設備を作り世界中からの観光客が訪れていた。一見に値するが二度見たいとは思わない!しかし、秦の始皇帝が一代でこれだけのことを成し遂げた点にはただ驚くばかりである。

② 世界遺産「秦の始皇帝陵」兵馬俑坑からほど近いところにあったが、陵のある丘と表示盤のみであり、2~3枚写真に収めて終わり。

③ 西安の旧市街:「大雁塔」(慈恩寺) 唐の時代にかの有名な玄奘三蔵が持ち帰ったサンスクリット語の経典や仏像を保管するため、唐の3代皇帝高宗により652年に建てられた。唐末の戦乱で大雁塔だけになっていたが、ここ30~40年の間で山門・鐘楼・大殿などの建物附属設備が遺跡公園として整備された。憩いの場・観光地として賑わっていた。残念ながら64mの大雁塔の上に登って西安市街を一望することはできなかった。また、塔の南側の入口にあるという、唐代の名書家褚遂良(ちょ・すいりょう) の「雁塔聖教序」の石碑に気が付かず帰国後女房に叱られた。この拓本は王義之の正統を受け継ぐ楷書の手本として書道の教本となっているとのこと。

西安城壁の「西の城門」(安定門)から登った。現存する城壁は明の時代(1370~1378)にレンガを積み築かれた。東西に長く周囲は14km、高さ12m、上部の幅12~14mでレンタルサイクルや電動カートで回れる。しかし、唐の時代の城壁内の面積は現存の9倍もあったらしい。西門は西方のシルクロードを臨む城門とのことであるが、夕暮れであまり見通しが良くなく、遠くまでは見えなかった。しかし門の内側の桝形は広大で日本の城壁の比ではない。時間があれば天気の良い日に半日かけて一回りしてみたい。城壁の上周辺と主な建造物は落ち着いた色合いでライトアップされており千年に及ぶ古都の品格を保っていた。

「絲綢之路起点群像」観光用に近年造られたものと思われるがツアーの出発点として見学。

以上はツアーで慌ただしく回った西安と近郊のほんの一部の見聞録である。西安は中国という大国の千年の都があったところであり、近郊も含めて幾多の見どころがあると思われる! 陝西歴史博物館も見られなかったのは残念でした。

 

第三日目:10月22日(火) 曇り/ 晴、歩行距離:6km。ホテル出発 8:00 → 工芸品見学・購入 → 西安空港 12:10 ⇒ 敦煌 14:35 → 敦煌市内観光 → 夕食後ホテルヘ 20:10 →OP観光世界的にも有名な舞踊と音楽を組み合わせたショーだが、疲れと明日の観光のため断念。

「鳴沙山」と 「月牙泉」・・・電動カートで往復。靴に砂が入らないように靴の上から布製のカバーを有料で借りた。「鳴沙山」は標高差はが高々50~60mであるが、ナイロン製の靴カバーが滑ることと、望遠レンズ付きの一眼レフが意外に重く結構難儀した。いずれも年輩の面々ここまで来て登れなかったらメンツが立たないとばかりに全員が登頂。夕暮れの澄み渡った景色を眺め暫し感慨に耽った。しかしながら鳴沙山からの月牙泉は光線の加減か青くはなかった。 また、平山郁夫が1979年に初めて敦煌を訪れ、1985年に完成した四曲一双の屏風絵「鳴沙山から莫高窟」を描いた写生地点は残念ながら確認できなかった。「月牙泉」の方に降りていき一周しようとしたが通行止めになっていてダメだった。人が多く通ると砂が泉に入り埋まってしまうからと思われる。昔の録画を見ると月牙泉の縁をラクダに乗って行き来する場面があった。砂漠の中でこの泉が何千年もの間枯れずに湧き続けることは奇跡である。

 

第四日目:10月23日(水) 快晴、歩行距離:10km。今日はこのツアーのハイライトである。

朝は冷え込み外の気温は氷点下、しかし快晴で見学には申し分ない。ホテル出発は7:50。

「莫高窟」:近くのバーチャル博物館でティーチ・イン(莫高窟の成立ち・保存状況・主な窟の紹介: 20分x2種) → 専用バスで莫高窟へ移動 → 現地の日本語が堪能な研究員に誘導され説明を聞きながら見学。見学場所:29、331,17,328,292窟 + 特別室57窟。それぞれに興味深い説明を聞き、なるほどと思ったが、各場面の印象は残っているが説明はできない。

窟内は写真撮影は不可で、もう一度ビデオなどで復習しないとダメ!しかし莫高窟とその周辺のイメージを十分味わうことができ、長年の夢が実現できた満足感がある。莫高窟の周辺からの写真にも思い出としてとどめることができた。

「西千仏洞」:莫高窟を見学すれば十分だと思われるがここもなぜかツアー・ルートに入っていた。ここを訪れるグループは我々だけだった。現存する石窟は19ケ所で莫高窟と同系列の様式で北魏と唐の時代の壁画が残っているが、保存状態は良くなかった。近くを流れる川の氾濫などの影響らしい。木が茂り静かでよいオアシスであった。

「陽関」:盛唐の有名な詩人王維(701~761)が西安の近くで西方に赴任する友人を送る詩と小生は理解している。現在の陽関には当時のものとして「のろし台」しか残っていないが、観光用にいろいろな古の施設を模して造作している。王維の像と柳まで植えるという凝りようである。それにはめられて写真を撮る!

「沙州市場」・「敦煌市街ライトアップ」:1980年頃NHKがシルクロードを取材して放映したころの人口は3万5千人であったが現在は20万人、観光で賑わう、かなり裕福で、清潔で治安のよい街のようである。夕食は何故か日本人のシェフに指導を受け敦煌で日本料理店をやっているところで上海から直送のさんまや茶碗蒸し・ほうれん草のおしたしなどであった。夕食後近くの「沙州市場」やホテルから1.5kmくらいの党河の周辺のライトアップも一人で散策した。

 

第五日目:10月24日(木) 晴、歩行距離:3km。ホテル出発9:30 → 敦煌近郊の「白馬塔」見学。塔は高さ12mの白亜の仏塔。4世紀末、亀茲の高僧・鳩摩羅什(くまらじゅう)の経典を担がらせていた白馬が死んだため篤信の敦煌の人々が馬をここに埋め塔を建てた。周辺のポプラや柳が黄葉して晩秋の趣を漂わせていた。「夜光杯」の工芸品製造・販売所に立ち寄った後高速鉄道に乗車するため、敦煌から130kmの柳園駅に向かった。

空港並みの厳しいセキュリティ・チェックを受け、柳園発 15:30 ~ トルファン着18:45 でトルファン来た。ホテルの出入りにもセキュリティ・チェックがあった。メディアで取りざたされているように新疆ウイグル地区はチェックが厳しい。

夕食にトルファン・赤ワイン“Lou Lan”を飲んだ。渋味が少なくほんのりと甘みのあるまろやかな味であった。干し葡萄から作るワインかと勝手に判断したが?

 

第六日目:10月25日(金) 快晴、歩行距離 6.6km。今日が事実上の最後の観光である。ホテル出発 8:45 → 2014年に“シルクロード:長安=天山回廊の交易網”の一環として世界文化遺産に登録された「高昌故城」は玄奘がインドに仏典を求めて向かう途中、ここで高昌国の王、麹文泰に好待遇され2か月ほど滞在して説法を行ったことでも知られている。このことを題材に平山郁夫は1979年、2000年、2007年に仏教伝来の聖地として絵画を描いている。面積200万㎢、周囲約5kmに及ぶが平山郁夫の描いた場所が確認できた。

「アスターナ古墳群」高昌国住民と唐代西洲住民の墓地群で大量の絹製品、陶器、文書など出土しており、壁画やミイラが残る。最古のものは273年、最も新しいものは778年。見学できる2基を見学した。

「ベゼクリク千仏洞」石窟の開削は6~9世紀中期。83窟でイスラム教の浸透により破壊され、また外国の探検隊により剥ぎ取られたものも多い。日本の大谷探検隊も明治末にここを訪れている。平山郁夫は1979年にここを訪れ絵画作品にしている。

「火炎山」トルファン盆地の中央部に横たわる東西約100km、南北10km、平均海抜500mの山地。地殻の褶曲運動により襞の入った山肌は地表に立ち上がる陽炎によって燃えているように見え、火炎山と呼ばれるようになった。西遊記にも登場する。トルファンは札幌とほぼ同じ緯度にあるが中国で一番暑く、7~8月は45℃を超える日もあり、今までの最高温度は50℃くらい。

「蘇公塔」(そこうとう) 1779年に建立された新疆イスラム建築様式を代表する塔。高さ44mの円柱形で横にモスクがある。モスク内部は木造で簡素な造りであった。

「カレーズ(地下水路)」、「カレーズ楽園」という名称で、カレーズを見学できる博物館のような施設。カレーズを縦横に廻らすことにより、農業、牧畜、生活に必要な水を確保できる。

「干しぶどう」の効率的生産

トルファンは年間降雨量が20mm以下、年間蒸発量が300mmという乾燥地帯である。また、トルファン盆地は世界でも有数の低地で標高マイナス154mのところもある。

日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく糖度の高いぶどうやアンズなどの果物がとれる。

産業は農業が中心で特産品にはぶどう、ハミウリ、綿花などがある。中でもぶどうは世界一の生産量を誇る。中国のぶどうの生産量は1300万トンで世界第2位のイタリアの1.5倍である。

ぶどうのうち、ワインにする量はイタリアやフランスの1/4で、殆どが干しぶどうに加工される。

干しぶどうは「涼房」といわれる格子状の隙間のある小屋の中で棚状に密に吊るして3~4週間自然乾燥して加工する。非常に省エネで高品質の干しぶどうを低コストで製造できるようである。

 

敦煌から柳園へ向かう途中のバスの車窓や柳園からトルファンに行く高速鉄道からの沿線でも風力発電用のファン付鉄塔が数百~数千の単位で観察された。不確かな情報だが高速鉄道用の電力を風力発電で賄っていると聞いたことがある。日本国土の4倍以上もある新彊ウィグル自治区では豊富な石油や天然ガスの発掘を進めると同時に、広大な砂漠の中で再生可能な自然エネルギーを活用するための膨大な実験が進められているように感じられた。

 

第七日目:10月26日(土) 快晴、歩行距離:2.4km。ウルムチ ⇒ 蘭州 ⇒ 上海 移動日。

ホテル出発 8:30 ウルムチ空港でのセキュリティ・チェック、 11:10 発の予定が一時間遅れの 12:10 ⇒ 蘭州着 14:40 // 蘭州発 16:00 ⇒ 上海(浦東) 18:20 ホテル着 18:50 。

ウルムチから蘭州へのフライトは快晴の日中にシルクロードを空から眺めることになり、右窓からは雪を被った山々を左窓からは黄土色の砂漠をと目を楽しましてくれた。

 

第八日目:10月27日(日) 曇り、歩行距離:3.3km、上海(浦東) ⇒ 羽田 帰国。

ホテル発 9:20 ⇒上海(浦東)着 9:50 空港でのセキュリティ・チェック 、発 13:05 ⇒ 羽田着 16:50 。

 

以上、8日間で総歩行距離は46kmであった。 以下に簡単なルート図と主な写真を添付。