(原稿で頂いたWORD文章中の写真がコピペでWordPressに取り込めず、写真を一度Word文章から別途画像出力して、この原稿に挿入する段階で、最初にある写真以降の文章をコピペ忘れして、読者の皆さんにご迷惑をおかけしました。 管理人)
私は音楽評論家として知られる吉田秀和のフアンであり、現役時代には公立図書館から全集などを借りてきて読んでいた。自宅の二重書棚には現在もなお氏の文庫本が二十数冊並んでいる。先日何気なくチェックして、通読した印のないものが数冊あることに気付いた。そこで終活の一環としてでは吉田さんに失礼かもしれないが、それらを通読することにした。
そして現在「音楽の旅・絵の旅」を読んでいる。それは1976年に行った3ヶ月のヨーロッパ旅行の旅日記の体裁をとって書かれている。氏は絵画にも造詣が深い。
そのなかに「グリューネヴァルト体験」という一文がある。わたしにもささやかな「グリューネヴァルト体験」があることを思い出したので、まずそれから書いてみたい。
1989年10月に、ワシントンDCにあるナショナル・ギャラリーを二日間訪れる機会に恵まれた。
しかし全く予期しないことだったので事前調査ができず、やむなく中世のイタリア美術から近代までの多くの絵画展示室を順番に巡った。
そのうちにキリストの磔刑図の前で足が止まった。小さな画面ながら、情け容赦なく無残に傷つけられたキリストが、執拗極まりなく写実的に描かれている。見るものに訴える力が尋常ではない。これほど痛ましい十字架上の死んだキリストの姿はないにちがいないと思った。そのようなキリストの磔刑図を見たのは後にも先にもその一度だけである。
小磔刑図(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
画面に向かって右手に立つのは洗礼者ヨハネ、左手のそれは聖母マリア、そして地面に膝くのはマグダラのマリアである。
それを描いた画家がドイツのグリューネヴァルト(1465年頃-1528年)であることを帰国後に確認したが、今日その作品の大きさを調べてみて、わずか61.6×46㎝しかないことに改めて驚いた。もっと大きかったと記憶していたからである。作品の迫力がそうさせたとしか考えられない。
この作品は1420-1425年頃描かれたもので、バイエルンのヴィルヘルム公が愛蔵したと伝えられる。彼の作品は、わずか12点程度しか知られていないこと、ドイツ、フランスおよびスイス以外に所蔵されているのはアメリカのこの1点のみであることも今日ネットで調べて知った(グリューネヴァルトと芸術家列伝の二語を入力すると一覧表が表示される)。
ついでに付記すれば彼はより有名なデューラーと同じ 1628 年にペストのために死んだ。
さて吉田さんの文章に戻ることにする。
氏は旅行中ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト(黒い森)の周辺に住む知人宅に暫く滞在し、その間に知人の車に同乗して国境を越え、アルザス地方の古い町コルマールに行って、ウンターリンデン美術館で、グリューネヴァルトが描いた「イーゼンハイムの祭壇画」を見た。「グリューネヴァルト体験」はそのことを意味する。
その祭壇画は彼の代表作であるから、画家の名前を知る人は100パーセントがこの作品を先ず思い浮かべるにちがいない。
それは観音開きで開くことができる三面の絵とそれらの下に袴のように取り付けられたブラデッラと呼ばれる絵一面で構成されている。そして現在は三面の絵が切り離されて横並びに展示されているから見学者はありがたい。
第一面の中央にキリストの磔刑図がある(次ページ)。
イーゼンハイムの祭壇画(第1面とブラデッラ)
吉田さんは全ての画面について詳細に紹介してくれているが、わたしの小文は磔刑図体験がテーマであるから、ここでは磔刑図が描かれている第一面だけを紹介することにしたい。他の二面の絵もネットで簡単に見ることができるから、興味のある方はご覧いただきたいと思う。
さて、第一面の中央の磔刑図の大きさは、265×304㎝だから上述の小磔刑図よりはるかに大きい。寸法が大きいのは礼拝堂の祭壇画として描かれたからであろう。
この祭壇画は小磔刑図よりも先に1511から1515年頃に描かれたとされる。わずか4,5年の差である。その間隔はわずかなものであるから両作品には寸法以外に際立った差はないように思われる。もっとも上に触れた作品リスト中のキリストはいずれも非常によく似ている。この画家にとってそれがキリストの絶対イメージなのであろう。
この祭壇画の磔刑図を小磔刑図と比較すると、後者にはない使徒ヨハネ(聖母マリアを支えている)と子羊が加わり、また洗礼者ヨハネの右手はキリストを指している。吉田さんはそれらの配置について主に構図の観点から解析しているが、小磔刑図と比較できるわたしの目には、制作の依頼者の希望によるものかもしれないが、祭壇の画面の方がはるかに大きいので、そのようにしないと間が持たないからだとも思えてくる。
それから小磔刑図の聖母マリアの着衣が暗いのに対して祭壇画の方は明るい白一色である。それは明らかに、画面にアクセントをもたらすとともに、聖母マリアを際立たせるために意図されたものであろう。
文章が尻切れトンボになって申し訳ないが、巨大なワシントン・ナショナルギャラリーの一隅でのささやかな体験が、フランス東部の見知らぬ由緒ある田舎町の、有名な祭壇画と結びついたことに満足している。