名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
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アーティゾン美術館~パリ・オペラ座展~ 山本 雅晴

ブリヂストン美術館としての最後の美術展は2015年5月まで行われ、ビル建て替えのため長期休館に入った。新ビル完成とアーティゾン美術館と改称して2020年1月に再オープンしていたが、コロナ禍の拡大や入場予約制などで入館を避けていた。今回約8年ぶりに訪問した。(注:以下はPDFファイルでご覧ください。皆さんも近況を投稿されることを歓迎します。管理人)

アーティゾン美術館とオペラ座展2023-1

東京国立博物館への初詣で、 山本 雅晴

1月6日は天気も良かったので上野方面に出かけた。10年余り前から初詣がてらに博物館を訪れ、その年の干支にまつわる書画や工芸品を見ることにしている。この展示は2021年はコロナ禍でなかったが、それ以外は毎年欠かさずに見ている。(注:以下はPDFファイルでご覧ください。管理人)

東京国立博物館初もうで2023-1

横浜ローズホテルと中華街:パート2 、山本 雅晴

山田幹事と協力者のおかげでD38会を10月18~19日に盛大に無事終えた2か月後の12月22~23日に夫婦で訪れた。本当は晩秋の三渓園の紅葉も見たかったが機を逸した。年賀状作成のメドを得たので思いったって、一休のホテル予約com.を見ていたら神奈川県の旅行支援枠が使用できるとのことで早速申し込んだ。D38会の時と同様にクーポンも使用できた。山田さんいい所を見付けてくれてありがとう!

(注:写真等は上手に埋め込まれていたのでPDFファイルにしてアップロードしました。 管理人)

横浜中華街再訪2022-12

奈良・京都~紅葉巡り~山本雅晴

コロナ禍の拡大が懸念されているが、今春の京都・奈良桜巡りに続いて敢えて紅葉巡りをすることにした。当初は3泊4日の京都のみにする予定だったが、出発予定の1週間前に2週間天気予報を見たら予定の3日前から好天が続くとのことで急遽前の3日間を奈良行きに追加した。めぼしい奈良のホテルや旅館はすでに満杯で、奈良の3泊はやむなく高いマリオットホテルを予約した。8泊9日で全般に好天に恵まれ、夫婦で160才にはやや厳しい行程の日もあったが十分紅葉を満喫できた。その行程と主な訪問地について簡単にまとめてみました。

(長い紀行文ですが全文載せました。PDFファイルにしてあります。文字を拡大するときは「+」で選択ください。 管理人)

奈良・京都紅葉巡り2022-11

38年ぶり八丈島再訪、八丈富士登山、  山本信夫

1984年4月に八丈島に旅したが、この10月27日に再度訪れた。38年ぶりだが、全く変わってないナ、と感じた。昼食をとるため食堂を探したが、ラーメン屋もカレー店も見つからない、コンビニもないのには驚いた。町役場の近くでスーパーをやっと見つけたが、物価が本土の2割増し程度だろうか。だが、レンタカーの店員の話だと、コロナ中から現在まで来島者は途切れなく多く、ホクホク状態とのこと、意外な感じであった。

今回来島の第1の目的は、八丈富士に登ること(前回は悪天で登山できなかった)。それを無事達することができ、残った時間で観光地を巡ることもできた。

八丈富士の独特の特徴は、登山口から頂上付近まで、約1400段の階段を登ることと、頂上部が直径400mの火口を一周できるお鉢巡りができることである。幸いにも天候に恵まれ、360°雲のかけらもなし。もしかしたら本物の富士山が見えるかもと思い、北方向を凝視してみたが、、、、、、。

 

データ 高さ 854m  (伊豆諸島最高峰)

上り  92分  2640歩

下り  70分  3920歩

休憩  40分

写真

八丈富士頂上の標識

頂上部から町内を望む、背後は三原山

登山道の階段道

 

登龍峠から八丈富士、八丈小島、底土港などを望む

 

大坂トンネル前から八丈富士を望む

 

名古の展望台から。太平洋に向かって断崖絶壁

国立西洋美術館訪問と横浜市内散策(D38 会余録)、  鈴木直久

前日には山本雅晴君のお誘いで国立西洋美術館を訪れ、翌日はやはり山本君の案内で横浜市内を散策することができた。そのおかげで今回のD38 会参加がより充実したものになった。

 

国立西洋美術館が開館したのは1959年のことで、彼が書いているように、二人は偶々その年に個別に同館を訪れたのだった。そのことを知ったのは比較的近年である。

ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した本館は瀟洒な外観が現在も変わらない(山本君が記念撮影して下さった)。国の重要文化財であり、かつ敷地を含む全体がユネスコの世界文化遺産に指定されている。

 

山本君は現在開催中の『ピカソとその時代』(ベルリン国立ベルクグリューン美術館展)に誘って下さったのだった。わたしはその美術館の名前さえ知らなかった。その内容については彼がD38 のホームページにすでに投稿されたので、お読みいただいたことと思う。

 

展覧会(地下展示館で開催中)を出てから、久しぶりに訪れたわたしのために、平常展示を案内して下さった。二十数年振りに見た平常展示は作品数が格段に増えていて、世界に誇ることができる一流の西洋美術館であると実感した。

 

翌日はやはり山本君の案内で木村および山田両君と一緒に横浜市内を散策した。そのルートを約一週間前に態々下見して下さったので恐縮した。さらにその概要をまとめてすでにD38会のHPに投稿して下さった。

 

港の見える丘公園と山下公園は、昔亡母とまた息子夫婦とも訪れたことがある。当時からの最も著しい変化は、植栽の手入れが行き届いていることであろう。振り返ってみれば横浜に限らない。全国各地の公園が同様である。日本経済の発展がそれを可能にしたのだと思わずにはいられない。

 

最後に市営バスを利用して三渓園に行った。昔横浜の社宅に住んでいたときに妻と一緒に訪れたことがある。園内の様子は当時と基本的に変わっていないようだ。それにしても、園内が広大であり、立派な建物が多い(重要文化財指定建造物)、そして手入れが行き届いている(多くの人が働いている)。この施設を構想し、造営した原三渓の財力が莫大だったことに改めて驚嘆させられた。当時の税制はどうなっていたのだろうと考えたくなるほどだ。

入園料はわずか700円である。

 

無料ボランティアのガイドがいたことにも驚いた。昼食のために門外にある手ごろな食堂を紹介してくれ、食事を終えて再び園内に入ると、女性ガイドは私たち四人を待ってくれていて、木村君のJR切符の指定時刻から逆算して案内コースを調整し、市営バスに乗り遅れないように案内してくれたのだ。そして最後には私たちと同じバスに乗った。

 

国立西洋美術館「ピカソとその時代~ベルリン国立ベルクグリューン美術館~展」鑑賞記、 山本 雅晴

1.緒言

ベルリン国立ベルクグリューン 美術館にはツアーで2013-10-18 に訪問したことがある。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の真向かいにある瀟洒な建物に、1996年美術商だったハインツ・ベルクグリューン(1914~2007)が開館した近現代作品中心の美術館である (写真1、写真2)。ピカソの初期から晩年までの作品を系統的に蒐集し展示していることから「ピカソ美術館」とも称される。本美術館は設備の老朽化と展示面積の拡張工事のため2025年まで閉鎖し、所蔵作品の展覧会ツアーが行われることになり、①国立西洋美術館(2022-10-8~2023-1-22)→②国立国際美術館(2023-2-4~5-21)→③上海→④北京 と巡回するらしい。(注:以下は下記のPDFファイルを見てください。管理人)

ピカソとその時代展鑑賞記2022-10-24

D38会/~横浜散策記(2022-10-19)~ 、山本雅晴

横浜・中華街ローズホテルでのD38懇親宴会の翌日の10月19日、木村吉弘、鈴木直久、山田稔、山本雅晴の4人で横浜の名所の一部を気ままに観光した。多少の坂はあるが上りの歩行は避けるようにした。

観光場所およびルートは下記の通り。(注:原稿は写真も完璧に配置されていたので下記の通りPDFファイルに変換しました。管理人)

D38会^7横浜散策022-10-19

 

D38会HP用/鎌倉旅行記 、三山

横浜コープホテルでのD38懇親会・宿泊の翌日10月19日、生信良雄君、高木康信君、三山雅敏の3人で鎌倉を観光した。我々3人は元気ではあるがやはり高齢者なので徒歩ではなく、運転手ガイド付き観光タクシーで鎌倉市内を周遊した。

周遊ルートは下記の通り。

鎌倉駅→長谷寺(写真1)→鎌倉大仏(写真2)→建長寺(写真3、4)→報国寺(写真5)→鶴岡八幡宮(写真6)→頼朝の墓→鎌倉幕府跡→鎌倉駅

写真1:長谷寺は奈良の長谷寺を開創した徳道上人の発願により736年に開かれた寺。関東一のアジサイ寺でも有名、毎年満開時にはNHKテレビ2時間特別番組で放映される。写真は観音堂前で。

 

写真2:鎌倉大仏(高徳院)は源頼朝が発案し、その遺志を継いだ僧が1252年に建立。

写真3、4:建長寺は1253年5代執権北条時頼により創建された名刹。写真3はその三門前で。写真4はその唐門前で。この唐門は東京・芝の増上寺から1647年に移築されたもので元は江戸幕府2代将軍秀忠の妻、お江の遺体を安置した霊屋の門だった。

(写真3)

(写真4)

写真5:報国寺は鎌倉幕府初代将軍・足利尊氏の祖父である足利家時が1334年に創建した臨済宗の寺院。境内には約2,000本の孟宗竹が群生する。写真5はその竹林の前で。

写真6:鶴岡八幡宮は源頼朝の先祖に当たる源頼義が1063年に源氏の氏神として鎌倉由比ガ浜に勧請したのが始まり。源頼朝が鎌倉の町づくりを行う際に現在の地に遷し、武士の守護神として信奉した。写真6はその本宮前の階段から写したもの。当写真の左に枠囲いが見えるが、ここはかって杉の大木があり10数年前落雷により倒壊した跡である。源頼家(2代将軍)の子公暁がこの杉の大木の陰から現れて、本宮から階段を降りてくる源実朝(3代将軍)を暗殺する場所とされる伝説がある。はたして、テレビ「鎌倉の13人」では実朝暗殺事件はどう描かれるか、興味ある。

以上