名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山

安曇野の春  啄木の日記と私(井上)の日記

寒かった冬が過ぎ、漸く暖かい春になり、わが東京組も桜見ゴルフも終りました。雪を頂くアルプスを毎日眺めている井上さんの安曇野の春を伺いたくて投稿を依頼しました。井上さんから、自分の古いエッセーだが安曇野の春を書いたものがあり、また、啄木の日記にも安曇野の春が書かれていると紹介があり、下記の投稿がありました。皆さんも季節の移り変わり健康にご注意ください。投稿をお待ちしています。(管理人)

 

啄木の日記

2011年の天声人語に啄木の日記の一節があった。

渋民村の皐月は1年の中で最も楽しい時である。天下の春を集めてそしてそれを北方に送り出してやる時である。

以前渋民へゆき その景色を眺めるとすぐ眼の前に岩手山、東の遠くに姫神山が見えるだけ ゆるやかな平野、丘陵が青森まで続き海を超え北海道まで行くだろうと実感としてわいてくる。それに較べ我が故郷信州はどうか。春を運ぼうとしても直ぐに山にぶつかり谷間に入ってしまう。安曇野の春は北の大町、白馬村,小谷村まで運んで終わりで日本海の糸魚川まで届かない。信州の南の入り口、馬籠峠迄やってきた都からの春は山深い谷の続く木曾の谷に入り終わりである。信州で一番先に春がやってくる天竜川の桜の春は、川をさかのぼって諏訪湖で霧ヶ峰、八ヶ岳にぶつかって終わってしまう。信州の春は皆 夜明け前で さよなら してしまうのです。

春の突進(安曇野の春)         井上 和延    2013年5月19日

五月のゴールデンウイークを過ぎるとここ安曇野は一気に春になる。春が一気に押し寄せると言った方がいい。ついこの間までは櫻が満開となってたものの、あたりの田んぼは荒くれの土むきだしであり、まわりの低い里山は茶色の枯れた色をしていた。田園などとはどうみても呼べるものではない。アルプスはまだ雪を豊富にかぶり、槍ヶ岳に源を発する犀川(やがて千曲川となる)へ注ぐ支流の穂高川、烏川、高瀬川の流れ、水量は少なかった。要するに春は名のみのの歌の感じである。

それがどうだろう、この休みが過ぎ田んぼに水が入り暑さを感じるようになったと思った瞬間?あたりは一変した。アルプスの山は北は白馬から五龍、鹿島槍、爺が岳、南の燕、常念、蝶ガ岳まで山肌が見え出し、まわりの里山は一気に若草色となり萌え出る緑となっていた。川は山からの雪解けの水がごんごんと流れ出し畑はきれいに耕され、田んぼは水を一杯にしてきらきらひかり、夕方はかえるの鳴き声でうるさい。梅、さくらの満開はこの景色、現象に較べればささいなもの、春の玄関先でのちょっとした挨拶にしか見えずである。しかしながら今年はすべてが遅いのが気になっている。梅、さくらの挨拶は昨年に較べ10日から15日ぐらいおそく、昨年4月18、19日ごろ来た つばめ は5月19日の今日もいない。毎年5月25日にきまって鳴く かっこう は今年は何時来て電線の上で鳴くのだろうか。

やはり季節は一気に押し寄せるのではなく少しずつゆっくりと来るのがいいのだろうか。私の性格とはまったく逆に少しずつ少しずつがいいのだろうか。ちょっと心配になってきた。

PS

5月22日  朝9時ごろ かっこうが来たらしい。丁度1年ぶり、遠くでの鳴き声を聞く事ができた。やって来てくれたかという感じであるが、つばめは何処へいってるのだろうか。

かっこうのほうは確実に電線にとまり鳴いてる姿を見たのは5月末であった。つばめはまだこの付近にはいない。昨年はうるさいほど飛び回っていたのに。

常念岳と蝶が岳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安曇野のシンボル 常念岳(2857m)と蝶が岳(2664m)

安曇野の冬 

今冬の安曇野は非常に寒い。 木曽路はすべて山の中である とは夜明け前の小説の書き出しの部分であるが 安曇野はすべて冷蔵庫の中である と言いたいような寒さである。 明け方の最低気温は氷点下8℃ 氷点下4,5℃は普通である。日中は3℃、寒いときはマイナスである。雪が田畑に積もっているときは比較的暖かいものと言われているが気休めでしかない。更に晴れるであろう朝がた10時ごろまでは濃い霧がたちこめ先が見えなくなる。地面に雪があってもそれより上の地表部分は冷えてることになる。要するに雪より地表の空気はつめたいのである。この間スキーに野沢へ行ってきたがここはいつもの通り霧が立ちこめ今年もかと妙に納得してしまうのだが 平地安曇野のしかも真冬の霧はなにか新鮮で珍しい。予報では放射冷却とか言ってるが 本当の放射冷却とはこのことを言うのであり簡単に難しい言葉を使ってほしくないし経験したことありやと言いたくなる。
ただ気になることは今年は豪雪地帯の飯山、野沢のスキー場あたりに雪がなく屋根に20センチほどあるのみ。通常なら1メートルもの雪があり、その中に人家が埋もれているのに今冬はないのである。ただ寒いだけ。
安曇平では温暖化という言葉は通じない。 もうすぐ2月、24節気のはじめの立春である。春が近いのであるが真っ白い雪をかぶったアルプス常念岳 蝶ガ岳が見える見晴らしのいい土手に大きな碑が立っている。 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯・・・・の碑である。安曇野は春が来ても寒いのです。

平成28年1月10日(井上 記 2016/01/31投稿)

安曇野の冬1

近くから大町白馬方面のアルプス 左から爺が岳、鹿島槍、五竜岳、唐松岳、白馬です。

安曇野の冬2

失敗作 早春賦の碑 曇っていて山見えず。

井上さんの年賀状

あけましておめでとうございます
新しい年を迎え皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。         平成28年  元旦
待望の北陸新幹線が昨年完成。私にとって海と山のある富山、金沢は大変魅力の場所。それが1時間余りで結ばれました。早速昨年暮れに初めての新幹線に試乗。特に帰りの新幹線が印象深く心に残りました。18時の金沢発長野まで各駅停車白鷹(はくたか?)。窓の外は真っ暗でしたが旅の情緒一杯感じさせてくれました。町や村の灯りがちらほら見えたり富山へ近づくと急に灯りが多くなり都市に近づいたなとわかるのです。更にこのちらほらの灯りと駅に止まる度に音楽が流れそれが妙にマッチするのです。チゴイネルワイゼンの編曲なのか妙に物悲しい。駅に着くのが待ち遠しいというか、早く着かぬかとなるのです。金沢を出て高岡、富山、黒部宇奈月、そして糸魚川、上越妙高、最後は信州の飯山で終わり長野。駅に着いたら途端に信濃の国のメロディに変わってしまいました。降りなくちゃ。ちらほら見えた灯りと物悲しいメロディと心に沁みた北陸新幹線〈はくたか〉でした。やはり日本海は悲しみ本線です。

(井上 記 2016/01/31投稿)

先の投稿記事、算数への補足

皆様

お元気ですか・

井上です。ごぶさたしていて申し訳ありません。 4月にちょっと急遽入院するはめになりましたが、対応がよかったので、事なきを得て20日ぐらいで退院して今は後遺症なしで元に戻りました。詳細は6月の同窓会でお話しいたしましょう。 今は畑に精をだしています。

さて、宮口さんの投稿記事へのコメントですが、こんな訳でブログ見るのが遅くなった次第。例の算数ですがちょっと解説します。
1の位の数が同じで10のくらいの数がたして10になる場合にしか適用できません。例 67×47=3149  7×7=49 6×4=24 この24に1の位の7をたして31。これをならべてください。もう一つの方は これと逆 1の位の数がたして10 10のくらいの数が同じ場合です。例 36×34=1224

社会人になっても役だったとはお客さんと酒を飲んで意気投合した時の意です。

それでは京都で。

安曇野だよりー信州の雛祭り

都会では24節気の 桃の節句 啓蟄 彼岸も終了しましたが わが信州の北国ではこれから雛祭り4月3日 端午の節句6月5日となります。最近都会の風習が入り3月 5月にやる家も増えてきてお雛様は3月から4月まで飾りこいのぼりは5月から6月の初めまで泳ぎ 少々疲れ気味です。雪の中での桃の節句 虫などまだ土の中で眠ってるのに啓蟄 梅も咲かないのにお彼岸 早すぎなのです。やはりゆっくりと季節にそっての行事が大切と思ってますが。

さて話しは私の小学校の4年の頃の話です。私の生まれた長野県下高井郡中野町(現中野市)の雛祭り中野ひな市のはなしとなります。  毎年4月1日から3日までおこなわれ今とちがって私の子供時代はにぎやかで町の人、近郊の村の人も沢山遊びにきた。香具師(やし)(やし)がたちいろいろな祭りの子供の喜びそうなものを道路に沿ってテントをならべ(灯りをつけましょぼんぼりに・・)の童謡とともに掛け声もにぎやかに売っていた。

そのひとつに今でも忘れてない香具師のテントがあり不思議にも黒板を使いチョークで算数を教えていた。そのテントの黒板にくぎづけになった。小学校4年生の頃で算数の掛け算に夢中のときであった。36×34は1224と2,3秒でそのおじさんは黒板に答えをだした。67×63は4221とこれもすばやく出た。どうやって答えを出すかというと6に1を加え7、7と6をかけて42あとは下のけた7と3をかけ21、これを並べれば良いというものであった。魔法か魔術にかかったみたいで不思議でならなかった。このやり方がこの本(冊子)にかいてある。さあ買った買ったである。欲しくて仕方なかったがそんなお金もなく家に戻った。どうしてなのかと考える前にこんな早くて便利な算数の解き方があるのかとその香具師のおじさんに感心したことを覚えている。

ついでにもうひとつ、43×63は2709である。これも2,3秒で出た。この算数が私にとって中学、高校、大学、それに会社にいても非常に役にたった。特に社会人の会社時代はいろんな意味で役立った。一人の香具師のおじさんの算数がこれほどまでに役に立つとは思いもよらずでありあの中野町のひな祭りひな市が立ったおかげである。香具師は暴力団の資金源であやつっているからすべてだめとかで、世間では香具師のテントがなくなったが私にとっては残念でしかたなし。今も感謝している。懐かしいひな祭りと(うれしい雛祭り)の童謡と中野のひな市の香具師の算数の妙な組み合わせである。

2015/03/26       井上

今年の年賀二題ー安曇野便り

D38同窓生の皆様

明けましておめでとうございます

昨年12月、D38東京の忘年会で、ホームページへの投稿を求められ、かつ、大見さんの投稿文中でもご指名を受けたので、ヒマに任せて書き続けている私の備忘録から抜粋し、私の平成27年の年賀二題とします。 ゴルフと災害のはなしです。 昨年10月穂高CCでのゴルフの話です。十数匹のサルが堂々F―ウエイを横切ってゆきその中の一匹が途中で腰を下ろしこちらを向き(さあ打ってみろ)丁度私の番、周りから(届かないから打て打て)案の定届かず。サルはゆっくり去ってゆきました。更に左の傾斜地では二匹のサルがOB杭を一本抜きとり二本目にとりかかってました。(ここは俺らの縄張り)今度は(打つなよ OBの方へ行くから)(大丈夫真っ直ぐゆくから)次なる人のボールは右の林へ消えて行きました。最後にキャディさんの一言にはまいりました。ここのサルは拾って行くのはニュウボールだけ、おまけに汚いボールを斜面から落としてくれるそうです。お陰で私は除夜の鐘、他の人も100オーバー。サルに引っ掻き回されたおおいなる田舎のゆったりゴルフでした。 お前ら人間どもこんなことをしてていいのか。日本 世界を見てみろ事件 災害 争いばかり。打って穴に入れて100を切った切れずで騒いでいる。こんな事でいいのか、サルを見てるとどちらが賢いのか、どうも我々を哲学的?にすること間違いなしです。安曇野の嘘のようなほんとの話です。

  穂高CCrev 写真はD38東京の皆様がゴルフに訪れた時(6月初め)です。

災害列島日本ですが、信州では御岳さんの大噴火。暮れに白馬村の地震、不思議にとなりの安曇野はぐらぐらときただけ。県歌、信濃の国に(四方にそびゆる山々は御岳乗鞍駒ケ岳 浅間はことに活火山・・・)いつかは噴火すると思ってた軽井沢の人達は今も噴煙をあげている浅間山でなかったのがまさかであり、木曾の人達はなんで御岳なんだ、まさか御岳さんがと思ったと云う。白馬村の地震もまさかであり安曇野は余震すらなくこれもまさかでした。このまさかについて思う事は災害にあった地域やその人達によってなかった地域、人達は守ってもらった、救ってもらったのだと考えるとこのまさかは全く同質となるということでした。東北の大災害もみなまさかでした。災害のなかった人達もこの人達に救ってもらったとの想いがあったのでしょう。ガレキも受け入れよう、へんな風評流さずでしたが、心ない一部の人達によって覆されました。がれき拒否 風評被害続出 さらにひどいのは京都五山の送り火 打ち上げ花火も東北のものはダメという救いようのないまさかの集団がいたと思うと大変残念です。

蓼川風車

写真は黒沢監督の映画ロケで蓼川に設置された水車です。

大見さんからの引継ぎで、私も、同窓の皆さんの近況をお聞きしたいので、次回の投稿を鎌田 彬さんにお願いしたいと思います。

平成27年 元旦

(記 井上 和延)