名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山

ラ・ボエシの自発的隷従論について、鈴木直久

今朝(8月25日)の朝日新聞のオピニオン「長期政権のわけ」に西村 修教授の「自発的隷従が支える圧政」と題する発言が掲載されている。

同紙を購読する方は読まれたことだろうから、少し補足させていただこうと思う。

 

自発的隷従論は16世紀にフランスのラ・ボエシが唱えた。直訳すれば『意思の隷従』となるが、荒木昭太郎氏は『奴隷的隷従を排す』と訳されているという。

 

わたしはそのことよりもラ・ボエシ(1530-1563)という名前に少々驚いた。モンテーニュ(1553-1592)の『エセー』を読んで知った名前だからである。モンテーニュと彼はボルドーの高等法院時代の同僚であり無二の親友となった。ラ・ボエシは三つ年上であったが、ペスト?によって33歳で夭折してしまった。

彼については『エセー』(岩波文庫)第一巻の第二十八章「友情について」に紹介されており、五年前にも読んだ。

また三年前に読んだ、堀田善衛のモンテーニュの評伝『ミシェル城館の人』(集英社)第一巻にかなり詳しく紹介されている。

ゲーテの「ファウスト」について、鈴木直久

わたしたちの年齢になると読書の対象に優先順位を付けざるをえない。特にページ数が多い本についてはそれが必須であると思う。

昨年7月にプルーストの「失われた時を求めて」を読み始めて、この4月に読了した。次にジョイスの「ユリシーズ」を読むつもりであったが、新型コロナウイルスの影響で市立図書館が休館したので借りることができなくなった。

 

そこで書棚の「ファウスト」を読むことにした。退職に際して本の大半を処分したが、ファウスト(高橋義孝訳新潮文庫、1968年発行)は残しておいたのである。(一)を読んだが(二)については途中で断念したままだったからである。

 

改めて(一)(第一部)から始めたが、(二)(第二部)に入ってやはり壁にぶつかってしまった。何が書かれているのかほとんど理解できないのである。第二幕は特にひどかった。それでもこれが最後の機会だと思って、活字を追うようにして一応読了した。クライマックスにおける有名なファウストのセリフ「とまれ、お前はいかにも美しい」は呆気なく、全く感動しなかった。

 

当然欲求不満が残った。

 

第一部は1806年に完成されたものであるのに対して、第二部は死の前年(1831年)に完成された。また、第一部は290ページであるのに対して、第二部は五幕構成で452ページもある。だから、「ファウスト」の核心は第二部にあるとされている。それがちんぷんかんぷんでは読んだことにならない。

 

それで新潮文庫の訳者の解説を読み直してみると、「第二部は、人間のさまざまな思念や欲望が絡みあって、いくつもの層をなしている立体的世界を貫いて上昇するところの、彼(ファウスト)の精神のひたすらなる登高を、それぞれの段階で、彼に作用する諸現象を客観的に描くことを通じて、表現しようとしている。従ってそれらの現象は、客観的事実であると同時に、あるいは比喩として、あるいは象徴として、主人公の精神の状況を写し出していることになる。」と書かれている。非常に抽象的な説明であり、ゲーテの思想がファウストの言動を通じて具体的にどのように表現されているか、それは成功したのか、あるいは詩劇としての魅力はどこにあるのかという、読者が最も知りたいことについて一切説明されない。

 

そこで岩波文庫(1958年)の解説を読んでみた。訳者の相良守峯は、第二部の構想のなかで次のように書いている。

「第二部は第一部ほど話の筋道が単純明瞭でない。否、この第二部の世界に足を踏み入れた読者は、さながら南国の植物が繁茂している中に錯綜する小道を辿る人のごとく、見通しのきかぬ迷路に踏み迷う心地がするであろう。」

わたしはまさにそのような心地がした。

 

さらに、「第一部を読んだ読者は必ずこの第二部をも読みとおさなければならない。第一部は断篇であって、これだけではゲーテが意図し、八十三歳にして完成したこの雄大な構想、もしくは彼が一生をかけて創造した有機的な「生」というものを究めずして終わることになるからである。ゲーテ自身第二部については「生涯の終わりにおいて、落ち着いた精神には、従前には考えられなかったような思想が現れてくる。」といって満足していた。」と書いている。

しかし、一生をかけて創造した有機的な「生」と従前には考えられなかったような思想がどのようなものであるかを訳者は具体的に説明しないし、わたしは理解できなかった。だからその「雄大な構想」も、「有機的な「生」も究めずして終わりそうである。

 

最も新しい集英社版(2000年)の訳者池内紀は、その解説のなかで次のように書いている。

「意味を解きあぐねているのは一般の読者だけではないようだ。ゲーテ学者達も又そうであって、夥しい『ファウスト』注解書は、第二部に至ると決まって原文以上に難解になり錯綜していく。」

これでは全く話にならない。意味を解きあぐねているのは池内さんも同じだと言いたくもなる。

 

文芸評論家の河上徹太郎は、1971年に発行された「西欧暮色」(河出書房新社)のなかの「ファウスト対ベートーヴェン」に次のように書いているという。

『一体この『第二部』とは何ものか? 怪力乱神の限りを尽くして倦むことがない。人間精神の限度、欲望の限りが完璧に描かれている。そこから連想して私は、これは文学のジャンルとしては、今日はやっている「漫画」の如きものじゃないかと思った』

精神の限度、欲望の限りが完璧に描かれているとわたしには思えないし、漫画のようなものだとは流石に言いすぎであろうが、硬骨漢の氏の感想であるから説得力を感じる。

 

「ファウスト」の文学作品としての最大の魅力は、むしろこの大規模な戯曲を韻文で表現したことにあるのだろうとわたしは推察しているが、残念ながらドイツ語だから全く手に負えない。

 

このような次第で、あまりにも有名な「ファウスト」の精髄が、少なくともわが国でほとんどまともに理解されていないようであることに気付いたので、敢えて一文をものしてみた。なんだ、そんなことをわざわざ書いたのかと思われた方には申し訳なく思う。

 

諸兄のなかに「ファウスト」を読まれた方がおられるなら、是非御所見をお伺いしたい。

癒しの音楽、シューベルトのピアノソナタ第13番を、鈴木直久

シューベルトのピアノソナタ第13番

 

新型コロナウイルスの流行によって滅入っている気分を、シューベルトのピアノ音楽で転換させてみてはいかがでしょうか。

 

すぐれているとされる後期のピアノソナタはとっつきにくいと感じて、長い間敬遠していましたが、あるふとしたきっかけで第13番の第一楽章を聞いてたちまち気に入り、それ以後の作品も聴くようになりました。

 

人気曲ですから多くの人の演奏を聴くことができますが、ここではリヒテルのそれをご紹介します。その演奏は重厚で格別味わい深いと思いますし、ライブ映像なので顔の表情と身体の動きを見ることができるからです。そのうえそのまま続けますと、日本でも人気のあるシフや他のピアニストの演奏を聴いて比較することができます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=g38yqhpS340

映画『第三の男』の音楽、鈴木直久

この映画(1949年製作)は、淀川長治が「映画の教科書ですね」と言っているくらいの名作で、わたしが見た最も面白い映画の一つです。この文章を書く前にDVDを見直しましたが、見飽きません。同感する方も多いことでしょう。

名場面の連続で、例えば、下のカットは三人の主人公のうちの一人、オーソン・ウェルズが演じるハリー・ライムが現れる有名な場面ですが、真っ暗闇から顔が浮かび上がり強烈な印象を与えます。しかも105分の上映時間のうち何と1時間以上経ってから登場するのです。

撮影を担当したのはロバート・クラスカーという人で、アカデミー賞の撮影賞(白黒部門)を受賞しました。

 

 

というようなわけで、書きたいことが山ほどあるのですが、今回はその音楽に絞って書くことにします。

音楽を担当したのは、ご承知のように、ウィーンのツィター奏者アントン・カラス(1906-1985)です。

彼は12歳からツィターの演奏を始め、流しのツィター弾きとして妻子四人を養っていました。

ウィーンの居酒屋で演奏中に、この映画のロケのためにウィーンに来た監督のキャロル・リードに偶然見出され、音楽担当者に抜擢されました。そして『第三の男』の作曲の間は、ロンドンのキャロル・リード邸に住み込んで、映像を見ながら作曲の作業を行いました。

「カラス、俺を生き返らすような曲を弾いてくれ!」とリードは言ったそうです。

『第三の男』の成功により、彼は1949年9月にはバッキンガム宮殿で国王ジョージ六世の前で演奏しました。1951年にはヴァチカンでローマ法王の前で演奏しました。そして1976年のリードの葬式では未亡人の要望により「ハリー・ライムのテーマ」を演奏したといわれています。

しかし、この映画はウィーンの描かれ方などについて地元では当初から不評であり、その協力者であるカラスには嫌がらせも少なくありませんでしたが、彼はこれに耐えてウィーンに住み続けました。

音楽はツィターの演奏のみですから、その魅力を100%味わうためには全編を見なければなりません。ここではオープニングと有名なラストシーンの二つをご紹介します。

下のカットはオープニングの映像で、横に張ってあるのはツィターの伴奏弦であり、「ハリー・ライムのテーマ」の流れに従って振動します。

 

https://www.nicovideo.jp/watch/sm16335524

 

 

わたしは会社に入ったころ神戸の三宮の映画館で初めてこの映画を見たのですが、このオープニングのツィターのメロディーを聴き、弦の振動を見て、期待で胸が益々高鳴ったことを記憶しています。

 

ラストシーンは、映画史上最も見事なラストシーンとされるものです。

ハリー・ライムを埋葬後、並木道(ウィーンの中央墓地)を歩いて去る、アリダ・ヴァリが演じるハリーの愛人アンナ・シュミットを、彼女に好意を持つジョゼフ・コットンが演じるホリー・マーティンスがやり過ごし、車から降りて待ちますが、ハリーの逮捕に協力したマーティンスを許さない彼女は、彼を一瞥もせず通り過ぎてしまいます。

一方マーティンスも、彼女に声をかけたり追いかけたりせず、煙草に火を付けて投げ捨てるだけです。

その間カメラを動かさず辛抱強く長回しする撮影には感嘆するほかありません。

 

あるブログは「ツィターの音も文句なくよく、落ち葉も程よく落ち」と評していますが、落ち葉の散り方は絶妙で、カメラの視野の外からスタッフが細心の注意を払って落としているとさえ思えます。

 

余談ながら、アリダ・ヴァリが着ているのは男物のトレンチコートで、衣装を担当したデザイナーのココ・シャネルが選びました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=l64JIcG-O-k&feature=player_detailpage

 

メンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲、鈴木直久

今日YouTubeの動画を聴いていたら、次の動画の欄に諏訪内晶子が演奏するこの曲がありましたので切り替えたところ大変な熱演であり、しかも録音がよいので最後まで聴いてしまいました。

調べてみて、戦後70年にちなみ日中友好の架け橋として、2015年10月31日に北京・国家大劇院音楽庁で行われたN響北京公演の、中国出身の作曲家譚盾(タン・ドゥン)指揮の、NHK交響楽団と諏訪内晶子の演奏であることが分かりました。

諏訪内晶子は1972年2月生まれですから当時37歳、1990年チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で、全出場者最年少で第1位、日本人初、全審査員の一致による優勝という快挙を達成した人です。そのうえに美人です。

彼女が使用しているヴァイオリンは、ストラディバリウスの三大名器の一つ、あのハイフェッツが使用していたドルフィンだといいますから、音が素晴らしいわけです。

約28分かかりますが、できれば最後までお聴き下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=JLcwPFiYcUE&feature=share

山本雅晴さんの「2019年美術・博物館・遺跡巡りのまとめ」を読んで

新年から福田さんのメールアドレスが不通になっています。どなたかご存知の方はご連絡ください。プログラムのセキュリティーの観点からPHP5.6からPHP7.3にバージョンアップしました。また、WordPress5.3.2にバージョンアップしました。 これでgallery-maeda.comと同様に最新の環境になっています。

ではごゆっくり鈴木さんの投稿をお読みください。2020/01/02   管理人 前田

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明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします

2020.01.01    鈴木直久

山本雅晴さんの「2019年美術・博物館・遺跡巡りのまとめ」を読んで感想をまとめました。

まとめの他に訪問先リストをいただいたので、併せて読むと、相変わらず活発に活動されたことが分かる。

コメントとしては長くなりそうなので、特に関心を持った項目について、別途所感としてまとめ、D38同窓会HPに投稿することにしたい。

1)南フランスの美術館と早春のフェスティバル

旅行記を読ませていただいた。一部の場所は訪れたことがあるので懐かしかった。

2)シルクロード

思い返せばわたしも若いころシルクロードにあこがれた。

井上靖の「敦煌」などやヘディンの「さまよえる湖」などを読んだ。

NHK特集シルクロード(1980年から翌年にかけて放送された)を見たし、それが本になったので、買って読んだ。いわゆる「シルクロードブーム」は、その番組が火付け役になったようだ。しかしその後わたしの関心は他の分野に移ってしまった。

今回旅行記を読ませていただいて懐かしく、NHK特集シルクロードの本を図書館で借りてきて再読した。何しろ約40年前の記録であるから、シルクロードの状況も大きく変化しており、旅行記と比較して読んで興味深かった。

3)国立西洋美術館の開館60周年

山本さんの文章を読んで、今年が開館60周年であることを知った。彼は開館した年にいち早く訪れたが、わたしはその翌1960年の秋上京して、病気の祖母を見舞った折に初めて訪れ、開催中の「20世紀フランス美術展」を見た。デュフィの作品に特に魅せられた記憶がある。またロダンの彫刻作品群に衝撃を受けた。ル・コルビュジエが設計した建物は非常に斬新だと感じた。

4)ギュスターヴ・モロー展

大阪のあべのハルカス美術館で見た。「出現」を見たのは初めてだったが、やはりそれは代表作の一つだと納得した。ただわたしにとってモローといえば「一角獣」である。

1961年11月、三山さんと二人で、東京で一泊、往復夜行の強行日程で二日かけて東京国立博物館で見た、画期的な大展覧会「ルーヴルを中心とするフランス美術展」で初めて見たモローの作品なのである。しかも翌年名古屋に来たモロー展で再び見たから、今回が三度目だった。

オルセー美術館で見た「オルフェウスの首を抱くトラキアの娘」も素晴らしかった。

モローはデッサンの名手でもあることを知った。

5)東京都現代美術館

今年リニューアルオープンしたことを知った。その記念展について、山本さんは、「日本の近現代美術では国内で一番作品の充実している所だと思うが、画家個人、個人の作品が羅列的でまとまりがないように思えた。」と書いている。この美術館には二度行ったことがある。所蔵作品とその展示方法について、山本さんと同じような印象を受けたことを思い出す。

6)滋賀県立近代美術館のリニューアル問題

わたしが住んでいる大津市にある美術館であるが、ご指摘のように今年工事の入札が成立しなかったばかりか、計画自体が凍結されてしまった。滋賀県にはびわ湖ホールという立派な多目的施設もあるが、それも赤字運営のはずであり、県はいずれにも大きな財政負担を強いられている。

7)コートールド美術館展

1997年に日本橋高島屋で見て感動した。今回も内容はほぼ同じだったという。マネの最晩年の《フォリー=ベルジェールのバー》など、印象派の傑作が目白押しであった。

8)オランジュリー美術館の作品展

パリでこの美術館に入ったことがあるし、前回文化村ザ・ミュージアムで開催された時に見た。山本さんの感想に同感する。彼が言及した画家の他に、スーチンとドランの作品が充実していると思う。

9)吉野石膏コレクション展

この展覧会を見ていないが、以前に同社が所有するモネの「チャリング・クロス駅とテームズ川」(W1536)を二度見たことがある。

現役時代に住んでいた足立区の社宅の道路を隔てた南側に同社の東京工場があって、絶えず白煙(石膏ボードを焼成するときに発生する水蒸気ではなかろうか)を出していたので親近感?を持っていた。それはともかく従業員数が900人にすぎない一建材メーカーが高価な美術品を多数所有することが不思議だった。過去のトップが余程の美術好きだったからだとしか考えられない。

もっとも日本には美術品を多数所有する大企業の数は多い。ある生命保険会社の本社のロビーにはクールベの大作が飾られていたし、応接室や廊下には、誰が描いたか瞬時に分かる、人気のある西洋画家の、しかも立派な作品が多数飾られていた。社員に尋ねたら、地下に収蔵庫があり時々入れ替えるとのことだった。またある著名なメーカーの応接室も似たような状況だった。これは日本の企業特有の現象だろうかと思ったものである。

10)後藤純夫の全貌展 後藤純夫について

山本さんが好きだというこの画家について全く知らなかった。記憶しておこうと思う。

11)公立施設の入場料の年齢優遇について

関東は様々な公共施設で年齢優遇が進んでいる。東京国立博物館と国立西洋美術館および千葉県立美術館は65歳以上無料であることを知った。

関西にそのような施設はないと思い込んでいたが、京都と奈良の両国立博物館の常設展示室は70歳以上が無料であることを教えていただき、ありがたかった。

12)わたしが見た展覧会

本題から外れるが、最後に今年出かけた展覧会について触れておきたい。

国宝一遍聖絵と時宗の名宝(4月23日(前期)と5月29日(後期)、京都国立博物館)、ギュスターヴ・モロー展(9月17日、あべのハルカス)および円山応挙から近代京都画壇へ(11月30日(後期)、京都国立近代美術館)である。

ギュスターヴ・モロー展については、4)項で触れた。

国宝一遍聖絵と時宗の名宝展

国宝の一遍聖絵(一遍上人絵伝)は、時宗の開祖一遍を描いた絵巻である。全12巻を

前期と後期に分けて展示する画期的な展覧会だった。時宗の名宝と併記されているが、聖絵以外は付録のようだったと思う。

絵画としては一遍を中心とする群衆を生き生きと描いていることが最大の特徴である

が、風景描写も優れている。

巻七のみを東京国立博物館が、他を清浄光寺(神奈川)が所蔵するが、何回も見たこ

とがあるこの巻の描写が最も優れていると思う。

なお、同じ巻には私が住む大津市にあった関寺(現在の長安寺)の様子も描かれている。

円山応挙から近代京都画壇へ展

応挙の作品については、2003年に大阪市立美術館で見た特別展丸山応挙のほうが充実していたが、今回の展覧会には、彼から竹内栖鳳らの近代の京都画壇までの画家の人脈と作品を紹介するという意義があった。

以上

ドルドラ(Drdla)の想い出(Souvenir)、鈴木直久

独身寮の同期入社の同僚の部屋で聴いたヴァイオリン名曲集のLPのなかに、この曲がありました。不思議に郷愁を覚える旋律でしたが、あまりポピュラーな曲ではないので、その後長い間聴く機会がありませんでした。

 

時は過ぎ何年か前に当地のびわ湖ホールで前橋汀子のリサイタルを聴いて感銘を受けたので、小品集のCDを三枚買いましたが、その三枚目(感傷的なワルツ)にこの曲が収められていて、実に40数年ぶりに聴くことができました。

 

そのCDのライナーノートを宇野功芳(2016年死去)が担当しています。この曲が大好きな彼は、次のように書いています。やや長いので恐縮ですが、見事な紹介ですから引用してみましょう。

 

「僕は彼女の弾くドルドラの「想い出」をどうしても聴きたくて、前橋にもソニーにも三枚目のCDを作ってくれるよう、再三にわたってリクエストしたのだが、今回(1997年)13年ぶりに実現した。その間録音が待ちきれず、彼女のリサイタルが開かれたとき、アンコールにぜひ弾いてくれるよう頼み込んだことがあった。あのときの感動は言葉に尽くせず、客席に坐って熱い涙のこみ上げるのを禁じ得なかったことを思い出す。終演後楽屋を訪ねた僕に彼女はボロボロの楽譜を見せ、「子供のとき以来弾いたことがないので、探すのに大変だったのよ」と語った。それくらい、この曲は最近では演奏されなくなってしまったのだ。

僕はSPのクライスラー以来想い出(Souvenir)が大好きで、今でも復刻版のCDを愛聴しているが、なぜかクライスラー盤以外に名盤がない。(中略)第一ディスク自体が少ないのである。クライスラーのしゃれ切った節まわしは比類がないが、この名人に比肩するヴァイオリニストとして、僕は前橋汀子以外の名前を思い浮かべることができないのだ。」

 

というわけですから、是非彼女の演奏を聴いていただきたいところですが、残念ながらYouTubeに見つけることができず、代わりに他の女性ヴァイオリニストAmelyse A. Arroyoと、宇野が言及している往年の名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの1910年代の同じ曲の演奏をご紹介しますから、是非比較してみてください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=uLagTFQ_-w4

https://www.youtube.com/watch?v=CiTEC1uKPZg

タレガのラグリマ、鈴木直久

学生時代にはクラシックギターを始めた人がかなりいました。そして彼らは例外なく映画「禁じられた遊び」のテーマ音楽に挑戦したと思います。友人のなかには上手く弾きこなす人もいいて羨ましかったものです。

わたしは会社に入って独身寮に住んでいるときにギターを買って練習を始めました。そして工場の青年婦人部主催のダンスパーティーの、伴奏音楽のリズムを担当したりしましたが結局挫折しました。理由は明白です。不器用で指先を上手く動かせないことと絶対音感を持たないことでした。

それでも何とか弾けた?のが、タレガが作曲した「ラグリマ(涙)」でした。

 

現在思い出して聴くのは、イエペスが演奏する「アルハンブラの想い出―タレガ作品集」に収められているこの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=zggNWE8agao

 

なお、ご承知のようにタレガの最も有名な曲はCD名が示す「アルハンブラの想い出」ですから、イエペスの演奏を聴くことができますが、村治佳織のそれを併せてご紹介してみます。

https://www.youtube.com/watch?v=RLJg-o8Hr1A

https://www.youtube.com/watch?v=XthLRfl7YFk

フランソワ・クープラン(1668-1733)の葦、鈴木直久

今回はクープランの葦を紹介させていただきたいと思います。
正式名称はクラブサン曲集第3巻第13組曲第2番葦という、実に美しい小品です。

手元のクープラン:クラブサン名曲集のCDに含まれていますが、私たち現代人にはピアノ演奏の方が聴きやすいと思います。

するとスペインの女性の名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(1923-2009)の演奏が思い出されます。というのも、若いころに彼女が演奏するピアノ小品集で、初めてこの曲を聴いて魅せられたからです。そのLPを含めてLPレコードの大半を、退職に伴う引っ越し時に処分してしまったので現在はありません。

ところが今日ネットで検索して、懐かしい彼女の演奏を見つけました。「ラローチャ 葦」と入力すると、「南亭雑記 南回廊」と題するブログがありますが、それがこの曲をテーマとしたもので、彼女のカラー写真付きの演奏を聴くことができました。
実際の葦よりも優雅な葦が、風に揺れる様子が目に浮かぶようです。録音も良好ですから、是非彼女の演奏をお聴きください。

シドニー・ベシエ(1897-1959)の小さな花(Petite Fleur)、鈴木直久

机の前に腰掛けてぼんやりしているときに昔のことをよく思い出します。

 

丁度30年前の1989年(平成元年)7月、南仏海岸のジュアン・レ・パン(Juan Les Pins)で開催された、国際火工品学会(隔年開催)に参加しました。

会場は市民ホールでしたから5日間、ホテルから徒歩で、途中にある小さな公園を通り抜けて会場まで往復しました。

 

公演内に容貌魁偉な男の、巨大な頭部ブロンズ像が建てられていました。台座にはSidney Bechetと刻まれています。彼は、ザ・ピーナッツが1959年頃に唄ってヒットした「可愛い花」の原曲(Petite Fleur)の作曲者です。

しかし、アメリカのジャズ演奏家のブロンズ像が何故そこに建てられたのかは分からずじまいでした。

 

今日(10月19日)そのことを思い出して、ネットで調べた結果次のことを知りました。毎年7月にそこで野外のジャズ・フェスティバルが行われているのです。

公園はSquare Sidney Bechetと名付けられています。そして懐かしい彼のブロンズ像の写真も見つけることができました。丁度30年振りに見る姿です。というのも、出張に持参したカメラが故障してシャッターを押せなかったからです。

写真で見る彼の容貌がよく再現されています。

 

閑話休題

 

滞在したホテルのロビーにはグランドピアノがおかれ、プロの男が演奏していました。夜、彼一人のときに、Petite Fleurをリクエストしましたが、聞き取ってくれないので、冒頭のメロディーをハミングしたら、直ぐに繰り返し演奏してくれました。

 

そして今日は、YouTubeで、ソプラノ・サックスによるベシエ本人の演奏、北村英治のクラリネット演奏、フランスの名女優ダニエル・ダリューのフランス語歌唱およびザ・ピーナッツのデュエット聴きました。

 

皆さんも聴いてみませんか。