この映画(1949年製作)は、淀川長治が「映画の教科書ですね」と言っているくらいの名作で、わたしが見た最も面白い映画の一つです。この文章を書く前にDVDを見直しましたが、見飽きません。同感する方も多いことでしょう。
名場面の連続で、例えば、下のカットは三人の主人公のうちの一人、オーソン・ウェルズが演じるハリー・ライムが現れる有名な場面ですが、真っ暗闇から顔が浮かび上がり強烈な印象を与えます。しかも105分の上映時間のうち何と1時間以上経ってから登場するのです。
撮影を担当したのはロバート・クラスカーという人で、アカデミー賞の撮影賞(白黒部門)を受賞しました。
というようなわけで、書きたいことが山ほどあるのですが、今回はその音楽に絞って書くことにします。
音楽を担当したのは、ご承知のように、ウィーンのツィター奏者アントン・カラス(1906-1985)です。
彼は12歳からツィターの演奏を始め、流しのツィター弾きとして妻子四人を養っていました。
ウィーンの居酒屋で演奏中に、この映画のロケのためにウィーンに来た監督のキャロル・リードに偶然見出され、音楽担当者に抜擢されました。そして『第三の男』の作曲の間は、ロンドンのキャロル・リード邸に住み込んで、映像を見ながら作曲の作業を行いました。
「カラス、俺を生き返らすような曲を弾いてくれ!」とリードは言ったそうです。
『第三の男』の成功により、彼は1949年9月にはバッキンガム宮殿で国王ジョージ六世の前で演奏しました。1951年にはヴァチカンでローマ法王の前で演奏しました。そして1976年のリードの葬式では未亡人の要望により「ハリー・ライムのテーマ」を演奏したといわれています。
しかし、この映画はウィーンの描かれ方などについて地元では当初から不評であり、その協力者であるカラスには嫌がらせも少なくありませんでしたが、彼はこれに耐えてウィーンに住み続けました。
音楽はツィターの演奏のみですから、その魅力を100%味わうためには全編を見なければなりません。ここではオープニングと有名なラストシーンの二つをご紹介します。
下のカットはオープニングの映像で、横に張ってあるのはツィターの伴奏弦であり、「ハリー・ライムのテーマ」の流れに従って振動します。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16335524
わたしは会社に入ったころ神戸の三宮の映画館で初めてこの映画を見たのですが、このオープニングのツィターのメロディーを聴き、弦の振動を見て、期待で胸が益々高鳴ったことを記憶しています。
ラストシーンは、映画史上最も見事なラストシーンとされるものです。
ハリー・ライムを埋葬後、並木道(ウィーンの中央墓地)を歩いて去る、アリダ・ヴァリが演じるハリーの愛人アンナ・シュミットを、彼女に好意を持つジョゼフ・コットンが演じるホリー・マーティンスがやり過ごし、車から降りて待ちますが、ハリーの逮捕に協力したマーティンスを許さない彼女は、彼を一瞥もせず通り過ぎてしまいます。
一方マーティンスも、彼女に声をかけたり追いかけたりせず、煙草に火を付けて投げ捨てるだけです。
その間カメラを動かさず辛抱強く長回しする撮影には感嘆するほかありません。
あるブログは「ツィターの音も文句なくよく、落ち葉も程よく落ち」と評していますが、落ち葉の散り方は絶妙で、カメラの視野の外からスタッフが細心の注意を払って落としているとさえ思えます。
余談ながら、アリダ・ヴァリが着ているのは男物のトレンチコートで、衣装を担当したデザイナーのココ・シャネルが選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=l64JIcG-O-k&feature=player_detailpage