名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
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画家ヤン・ファン・エイクの先進性について~本業は外交官?~山本雅晴

原稿は、Word文中に表形式の挿入と写真があり、コピー&ペーストでアップロード出来ないので、前文のみそのままアップロードしていますが、全文はPDFファイルでアップロードしました。(管理人)

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ヤン・ファン・エイク(1390?~1441)の作品についてのTV放送や本などを再見し、過去に美術館で鑑賞した実物を思い出しながら、独断と私見を交えてまとめてみることにした。ヤン・ファン・エイクの絵画作品に触れる前に、この時代背景を多少なりとも理解しておく必要あると思いウィキペディアで次のような項目を通読した。① 14~15世紀のフランスの歴史、② 百年戦争(1337~1453)、③ ブルゴーニュ公国の14~15世紀の歴史と状況、④ ハンザ同盟とブルージュなどの都市の当時の交易、⑤ 百年戦争におけるジャンヌ・ダルク(1412~31)の行動とそのインパクト。⇒ ヤン・ファン・エイクとジャンヌ・ダルクとの遭遇の可能性?

ヤン・ファン・エイクは画家としての才能だけでなく、豊富な知識・語学力・外交官としての交渉力などを有していたことが、下記に示した資料からも窺える。ヤン・ファン・エイクは1425年にブルゴーニュ公国善良公から「侍従にして画家」という拝命を受けている。ルーベンス(1577~1640)やベラスケス(1599~1660)が一流の外交官の資質を有し活躍したことは一般に認められているが、彼らが活躍するより200年近く前の1425~1441年にヤン・ファン・エイクはブルゴーニュウ公国の外交官的な重要な任務も担っていた。ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公は、ヤン・ファン・エイクには絵画の制作はあまり依頼せず、外交秘密特使の役割が大きかったように思われる。この重圧のためか画家としての作品は少なく夭逝したのかもしれない? その償いのためか善良公は、ファン・エイクの死後妻への弔慰金や娘の修道院入りの持参金を贈っている。

ヤン・ファン・フェイク私論-その1

皇居にあるミュージアム(三の丸尚蔵館)と庭園(皇居東御苑)について、山本雅晴

皇居にある上の二つの施設はご存じの人も多いと思いますが、私のよく行くところでまさにMy Museum と My Garden です。この件について最近のトピックスを含めて簡単にご紹介します。

Ⅰ、三の丸尚蔵館:詳細はホームページに記載あり、現在新館建設中で令和3年12月13日~令和6年秋まで休館

  • 場所・利用要領:大手門から入場が便利、月曜日・金曜日が通常の休館日
  • 所蔵品と展示:天皇家に受け継がれてきた絵画・書籍・工芸品・近代絵画・近代工芸品など約9800点。昭和天皇の死後現行天皇から寄贈され国庫に帰属した作品類を展示・公開するために1992年6月に建設され、1993年11月3日に開館した。絵画や絵巻には国宝級、重要文化財級の作品が多い。今までは皇室の所蔵品は慣例から国宝・重文指定はされてなかったが、最近この慣例が改められ指定されることになった。
  • 2021年9月30日付で次の5点が国宝に指定された。詳細はウィキペディア「三の丸尚蔵館」に記載あり。
    • 蒙古襲来絵詞 ② 春日権現験記絵巻 ③ 狩野永徳「唐獅子図屏風」 ④ 伊藤若冲「動植綵絵」30幅。

この絵は人気があり、小生も1994-6に初めて鑑賞した。あちこちの展覧会に引っ張りだこのブームを引き起こした。若冲については別途報告したい。⑤ 書家小野道風の「屏風土代」

4.これらの所蔵品の展覧会はテーマを決めて数回/年開催されてきた。小生は1993年11月から2021年12月までに開催された約30年間の展覧会のほとんど(168回)を鑑賞した。この展覧会は無料で交通の便が良いので、外国人にも人気があり入館者の30~40%を占めている。展示面積が狭いので展示品は少ない。15分くらいで鑑賞できてちょっと見るには便利だが大きなテーマの中身の濃い展示会はできなかった。このため、現在の尚蔵館の隣に今までの約10倍の展示面積と収蔵庫を併設して新館を建設することになり、現在工事中。新館ができれば若冲の「動植綵絵」30幅も一堂に展示できる。下の写真は2021-11-17の建設現場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新館建設中の「三の丸尚蔵館」2025年完成予定

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までの「三の丸尚蔵館」

 

Ⅱ、皇居東御苑

小生はJR東京駅または地下鉄東西線の大手町駅 or竹橋駅から徒歩で行く。ホームページに地図・開花情報が

丁寧に表示されているので予め見て出かける。三の丸尚蔵館と東御苑をセットで観光する人が多い。

皇居東御苑の入園者の統計が、昭和43年(1968年)~令和2年(2020年)まであり、外国人の入園者比率も記述され

ている。これによればコロナ禍の始まる前の4年間では外国人の入園者比率が40%を超えていた。

あまり派手ではないが四季折々の多種類の花々がよく手入れされて植えられています。ここは月曜日と金曜日が

休園日で、新館建設中の尚蔵館は休館していても開園される。臨時の休園日もあるので予め確認してお出かけください。

 

戦後の日本における西洋絵画の展覧会のはじまりと経緯、山本雅晴

三原さんのメールアドレスが新年より変更されたようです。新規アドレスをご存知の方はご連絡ください。また、D38の方で「メールで新規投稿のご案内」が届かない方はご連絡ください。管理人

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海外からの作品を集めて西洋絵画の本格的な展覧会が始まったのは1950年代からである。その主な展覧会の歴史を「マチス展」、「ゴッホ展」を中心にたどることにした。

戦後最初の展覧会「マチス展」は、硲(はざま) 伊之助(1895~1977)の努力により企画され、東京国立博物館・読売新聞社が主催して行なわれた。画家・美術評論家の硲は「ゴッホの手紙」(岩波文庫版)の翻訳者でその下巻の「あとがき」にマチスとの偶然の邂逅と知己を得て1933年ごろニースのアトリエで週1回くらい絵画の指導を受けたことが記述されている。この縁で戦後間もない敗戦国の日本の硲へマチスからの招聘状が来て、渡航困難なフランスへ東京芸大の助教授職を辞して渡仏した。マチスの手持ちの作品やフランスの国立美術館の所蔵の作品をマチス自身がアレンジして実現した。丁度このころマチスの「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」が完成間近の時期で大きな陶板画を壁にはめ込む技術者がいなく苦労していた。硲がイタリア人の大理石工を紹介し無事完成した。小生はこの「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」には2019年の2月に訪問した。

展示作品は、「ヴァンスの礼拝堂」の切り紙・写真・ドローイング等37点、油彩画:16点(マチス手配)と日本国内の所蔵品14点、ドローイング:40点、挿絵本8点 の合計114点であった。この展覧会はマチスが主導したパリでの展覧会と似た内容で、マチスの生前に開かれた唯一の日本国内の展覧会で今から見ればみすぼらしい展覧会カタログにマチスの序文も掲載されている。〔 MoMAとUSA国内美術館巡回の「マチス展」より先行している。〕

 東京国立博物館:1951-3-31~5-13 入場者数は約20万人?で、パリの新聞でも紹介。

 大阪     :1951-5~6

 大原美術館  :1951-6

この展覧会が発端となり、硲が企画・交渉してピカソ展、ブラック展、1958年のゴッホ展の開催に繋がった。ゴッホ展は1951年に取り決められたが、オランダと日本両国の戦後問題で7年という時間を要した。

国内での最初の本格的「ゴッホ展」も硲 伊之助が企画した。そのいきさつは「ゴッホの手紙」(岩波文庫版)の下巻の「あとがき」に記載されている。1951年にオランダとの交渉を始めようとしてパリのオランダ大使館に行くと、日本人には旅券のビザは出せないと断られた。その理由は日本軍が南方に進出した結果インドネシアが独立し、オランダの東インド会社の株は紙くず同様となり膨大な損失を被った。また、ナチスドイツと同盟を結びオランダ人を多数蹂躙したという理由であった。

しかし、ピカソの親友の画商の仲介でゴッホ家の作品全部を管理していたアムステルダム市立美術館館長が身元保証人となり、ビザを発行してもらいアムステルダムに行けた。テオの息子のウィレム・ゴッホ氏は南仏で開いていたゴッホ展のため不在であった。また、そのゴッホ氏の子供の一人がゲシュタポに銃殺されたなどの理由で、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国ではゴッホ展は開かない公言していた。

ゴッホ家の作品展はあきらめ、オッテルローのクレーラー・ミュラー美術館のハンマーヘル館長と交渉し、7年後の 1958年に開催することで合意した。戦後間もないため展示会場がなかったので東京国立博物館で開催された。

1958年の日本国内で初めての本格的な「ゴッホ展」ではクレーラー・ミュラー美術館の看板作品が殆ど出品される。油彩画56点、ドローイング等70点の計126点が出品された。保険金額も15億円に達したといわれている。

「アルルのラングロワの跳ね橋」はその後の幾多の国内のゴッホ展でも来日はこの時だけで小生はやむなく、2013年7月にオッテルローのクレーラー=ミュラー美術館まで行って初めて鑑賞した。「夜のカフェテラス」「郵便配達夫ルーラン」「糸杉と星の道」「アルルの女」等のゴッホの代表的作品が初めて来日した。

東京国立博物館:1958-10-15~11-28 、入場者数:50万人以上で大盛況!

京都市美術館 :1958-12-3~12-27 、入場者数:不明

*文化勲章を受章した絹谷幸二はこの「ゴッホの展覧会」を見て洋画家になることを決意したと語っている。

.その後のおもな「ゴッホ展」

1)「オランダ国立ゴッホ美術館所蔵ゴッホ展」:ドローイングと水彩画を主体とする展覧会。残念ながら観ていない!

国立西洋美術館:1976-10-30~12-19、入場者数:43.5万人、油彩画:18、ドローイング他:82

京都国立近代美術館:1977-16~2-20、入場者数:28万人、展示作品:同上

愛知県立美術館:1977-2-24~3-14、入場者数:不明、展示作品:同上

2)オランダ・米国・ソ連・英国・スイス・フランス・ドイツ・ノルウェー・ブラジル・ベルギー・日本と匿名の個人所蔵の油彩画55点、ドローイング等46点、計101点の日本初公開の作品多数を含む展覧会であった。個人蔵の第1バージョン「ガシェ博士の肖像」、マンハイム市立美術館「ひまわりとバラを活けた鉢」、ゴッホの画家としての成長の過程を辿るドローイング等。小生が名古屋で初めて見た本格的な「ゴッホ展」であった。

国立西洋美術館:1985-10-12~12-8、入場者数:40万人、油彩画:55、他46

名古屋市博物館:1985-12-19~1986-2-2、入場者数:不明、油彩画:52、他46

3)「ゴッホと日本」というタイトルでアムステルダムの国立ゴッホ美術館の所蔵品からゴッホの油彩画21点、ドローイング等30点、その他ゴッホと同時代の画家の作品20点、ゴッホ収集の浮世絵約50点の展示会。また、安田火災東東郷青児美術館所有となった「ひまわり」がはじめて公の美術館に展示された。

世田谷美術館:1992-4-4~5-24、入場者数:不明、油彩画「花咲くアーモンドの枝」

4)横浜美術館:1995-12-9~1996-2-11、入場者数:不明、油彩画:30、ドローイング他:43

5)東京国立近代美術館:2005-3-23~5-22、入場者数:52万人、油彩画:36、他90、「夜のカフェテラス」「黄色い家」、ジョン・ラッセル「ゴッホの肖像画」

6)国立新美術館:2010-10-1~12-20、入場者数:約60万人、「オルセー美術館展」ゴッホの油彩画:7点 「自画像」「星降る夜」「アルルの寝室」

7)東京都美術館:2017-10-24~2018-1-8、入場者数:37万人、油彩画:32、ドローイング他:9 、「アルルの女」「ポプラ林の中の2人」

8)上野の森美術館:2019-10-11~2020-1-13、入場者数:約45万人、油彩画:28、他14

アムステルダム国立ゴッホ美術館2013-7-18 訪問、油彩画:90、ドローイング他:82 、三幅対:「ひまわり」「子守女」「ひまわり」(ロンドンNG)、ゴッホの寝室(シカゴ美術館・オルセー美術館・ゴッホ美術館)

・クレーラー=ミュラー美術館:2013-7-20 訪問、ゴッホの油彩画:約55点、「アルルのラングロアの跳ね橋」、「夜のカフェテラス」、「子守女ルーラン夫人」など展示。ドローイング・水彩画は展示なし。

 

 

硲伊之助についてウィキペディアにも簡単な記載がある。

絵画作品が2018-10-10 に和歌山県立近代美術館で3~4点展示されていた。そのうち1点を紹介する。フランスに10年近く滞在し、エクサン・プロヴァンスなどで描いていた。この絵はマチスの指導を受ける前だが、1920年頃のマチスの風景画に似ているような気もする。

油彩画以外に美術評論や陶芸など多才で石川県加賀市に「硲伊之助美術館」があるが、まだ訪れたことはない。そこにある「室より(南仏のバルコン)」1935年の油彩画はニースのマチス・アトリエからの眺望かも知れない。一度その美術館で見てみたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブザンソン風景」 1924年

国境の島(壱岐、対馬)を訪ねて、 山本信夫  

日本国は島国なので、どこでも国境と言えるかもしれない。若い頃から最端ての地に憧れ、ロマンを感じ、礼文島、小笠原母島、波照間島、与那国島など東西南北の端を訪れているが、最後に残しておいたアジア大陸との接点、壱岐、対馬に行ってきた(12月2-4日)。島に行く手段として、フェリーとかジェットフォイルで行き、帰りは久々(YS-11以来)のプロペラ機に乗れたことは、大変嬉しくワクワクすることであった。

対馬は人口約3万人だが、一昨年までは50㎞先の隣国から1時間ほどで、年70万人以上やってきて、隣国の植民地やと言われながらも、どっぷりその恩恵に浴してきたが、今は全く皆無。全島民生活保護状態で、なにしろ大変だとのこと。このようなコロナ禍による影響の他、自然環境、歴史など多くを教えられ、感動の連続で旅を楽しむことができた。

写真① 壱岐 一支国博物館 特別史跡「原の辻遺跡」を一望、黒川紀章設計

 

 

写真② 対馬 五つの鳥居の奥に和多都美神社

 

 

写真③ 対馬 展望台から水平線のすぐ上に陸影(韓国)見ゆ

 

 

写真④ 対馬 小茂田浜神社前 日露戦争時の砲弾

 

 

写真⑤ 対馬 対馬→福岡35分飛んだプロペラ機

 

三菱一号館美術館「イスラエル博物館所蔵:印象派・光の系譜」鑑賞記 、山本 雅晴

1年4ヶ月振りに国内の美術展に出かけてきた。イスラエルとの国交樹立70年を記念して、表題の展覧会が企画された。今までに国内の美術展にイスラエルからの美術作品はほとんど来ていないので初来日の作品が多く、内容も充実していて楽しい時間を過ごすことができた。平日の昼頃でJRも美術館も空いていた。

 

  • コロー(1796~1875)は近代風景画の先駆けとして多数の作品を残し、世界各国の美術館に収蔵されている。何故かルーヴル美術館に130点もある。今回小品ではあるが繊細で静謐な作品6点が展示されていた。
  • ドービニー(1817~1878)は風景画家でやや色調は暗いが、戸外での観察を重視しブーダン(1824~98)らとともに次世代の印象派の画家の先導的役割を果たした。アトリエ舟を作りセーヌ河の舟の上で作品を描くこともあった。モネはこれをマネした。横長のハイビジョン型の作品が多い。今回3点展示。
  • モネ(1840~1926)はピサロ(1830~1903)、ルノワール(1841~1919)、シスレー(1839~99)らとともに印象派を立上げ絵画の近代化に寄与した。本展示会にはモネの作品は「睡蓮の池」「ジヴェルニーの娘たち(麦藁)」「エトルタ」の3点あり日本初公開である。
  • セザンヌ(1839~1906) 初期は陰鬱で一般受けのしない独自の画風の作品で、今回2点展示。その後ピサロの指導を受け、印象派の明るい色調を取り入れた独自の画風を確立した。今回3点の彼らしい優品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロー「舟の上の釣り人」1872,43x65cm       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドービニー「花咲くリンゴの木」1862,27x41cm  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モネ [エトルタ、アヴァルの崖] 1885,66x92cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                 

 

 

セザンヌ「湾曲した道にある樹」1882,60x73

  • ゴーガン(1848~1903) の人格・芸術表現はなかなか小生には理解できないが、一度見ると忘れられない何かがある。今回、初期から晩年にいたる5点の重要な作品も展示されていた。タヒチで描いた「ウパウパ(炎の踊り)」は1987年に東京と愛知県美術館で開催された「ゴーギャン展」にも展示されていて鑑賞した記憶がある。他の4点は初来日と思われる。
  • ゴッホ(1853~90) の作品は3点あり、うち2点は2年前の上野の森美術館の展覧会で見た。今回「プロヴァンスの収穫期」が初来日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「ウパウパ(炎の踊り)」1891,72x92

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「犬のいる風景」1903,74x93

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「アニエールの公園の入り口」1887,55x67

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」1888,51x60

  • ピサロの優品が5点、ルノワールは7点あったがあまり良い作品ではなかった。画像の添付は割愛します。

 

以上、来日した最近のこの種の美術展としては見ごたえがありよかった!

氷結の活火山 浅間山登山、山本信夫

10月21日、念願の浅間山に登った。恐らくは今年最後の山であろう。

20日に阿蘇山の噴火が報じられた。(日本の活火山は、全国99座(他に北方領土に11座)あり。活火山には、噴火レベルとして、1「活火山であることに留意」、2「火口周辺規制(火口から1km以内立入禁止)」、3「入山規制」、4,5(省略)の5段階ある。また火山の活動度として、A、B、Cの3段階に分類され、浅間山は阿蘇山と共に活発なAランクに属している。

浅間山には,2000年11月11日に初登頂しているが、当時は噴火レベルが2であったので、臨時的に頂上とされた、外輪山の黒斑山(2404m)までであった。その後2回登るチャンスを得たが、頂上には達せず。今年もレベル2であったが、8月6日にやっとレベル1に変更され、火口近くの前掛山(2524m)まで接近できることとなった。(浅間山最高地点は火口壁にある釜山2568m) 今月17日に初冠雪したことを知っていたが、いつレベル2に戻さるか分からないので、冬装備に変更し、急ぎ登山を決行することとした。

朝7時前に登山口(天狗温泉)出発、雪の状態、風の強さを心配したが、正午過ぎに頂上に到着、充分に頂上を満喫し、無事下山できた。

 

データ 浅間山 2568m  上り 5時間 12300歩  下り 4時間 19000歩

出発点~頂上    距離往復 13km   高さ 1100m

 

 

写真 ① 頂上標識 ここまで来ないと本山(釜山)の様子分からず

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ② 頂上すぐ下に噴火防護用シェルター2基あり

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ③ 本山(釜山)への登行禁止通告

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ④ 火山館 浅間山活火山の資料等設置 トイレあり(有料)

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ⑤ 外輪山と湯の平

レインボーブリッジからお台場へのウオーキング、山本信夫

10月14日、現役時代の同業団体からの誘いがあり、東京湾を横断するレインボーブリッジからお台場を10名でウオーキングすることとなった。同橋にはその下を船で通ったことはあったが、その上を歩いて渡ったりしたことはなかったので、欲求に負けて参加。橋の歩道は約3km、渡るとお台場の名所巡り、最後には予想外のビール乾杯があった。

(データ: 時間  170分  17800歩)

写真① レインボーブリッジ全景

 

写真② レインボープロムナード(ブリッジの外端の歩道)

 

写真③ 車道とゆりかもめ

 

写真④ 北側風景

 

写真⑤ 自由の女神像(台場)

 

初秋の男体山登山、山本 信夫

県を跨ぐ旅行ができるようになり、10月4日、日光の男体山(百名山)に登った。

男体山は、1998年10月9日に初登頂し、その後、昨年10月5日2回目登頂を目指したが、天候悪化でやむなく5合目で退避せざるを得ず、今回はそのリベンジということ。

体力も持久力も衰えたが、順調に登行でき、昼前に登頂でき、普通は半時間程度の滞在が1時間程度頂上で撮影、見学できた。ただ天気が良すぎて遠くがかすみ、富士山を見つけられなかったのは残念。帰路は疲れが加算するので、事故、怪我が起こりやすく用心、用心で、ほぼ登りと同時間かけて、やっと下山できた。極めて満足感あり。

 

データ 男体山 2486m  上り 4時間 5500歩  下り 3時間50分 9300歩

                 出会った登山者 上下共 7,8名  頂上 10名ほど

 

写真1 頂上での、突き刺さる大剣

写真2 頂上での 二荒山大神像

写真3 頂上標識

写真4 頂上から中禅寺湖を望む

写真5 帰路 金精峠からみた男体山

ブログへの国別訪問者リスト

「名工大D38同窓会」へ御訪問ありがとうございます。今回、セキュリティ強化の為に、ホームページのアドレスにセキュリティのSを追加しました。「https://meikoudai-d38.com」となりました。パソコン、タブレット、スマホ等でアドレスを保存されている方は、ご訂正お願いします。ホームページより更新のご案内を受け取っている方は、新規アドレスを起動して保存し直してください。   前田和男

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ホームページはWordPressで作成していますが、プラグインで統計情報をいろいろと分析して頂いています。訪問者数は毎日、サイドバーに表示されていますが、全世界の国別の訪問者を集計されたものを下記に抽出しました。ブログ内の写真を閲覧するだけでは、各国の言語は必要ありませんが、プラグインにある自動翻訳ソフトをブログ最上段に追加した為か世界各国の皆さんが訪問して下さっているようです。

他国語言語をサイドバーに追加した2020/01/05から2021/09/06までの各国からの訪問者は次の通りです。

D38HP国別の訪問者数
 

コロナブルーと近場散歩の花探し その10 紅葉(こうよう) 、三山

小生の寺院巡り散歩には下記の三つのコースがあり、各コースとも1週間にほぼ1度歩いています。

  • わが家 → 東漸寺 → 本土寺 → 小金城址 → わが家 歩き時間:1時間25分
  • わが家 → 東漸寺 → 根木内城址→ 本土寺 → 小金城址 → わが家 歩き時間:2時間
  • わが家 → 東福寺 → わが家 歩き時間:1時間

東漸寺、本土寺は週2回、東福寺は週1回訪ねているわけですが、3寺院とも古い歴史と広大な敷地があります。3寺の沿革と名物の花を紹介します。

東漸寺:浄土宗、1481年愚底運公上人により創建、モミジが有名、花はソメイヨシノ、シダレサクラ、アジサイなど。

本土寺:日蓮宗、1277年日蓮の弟子日朗により創建、アジサイ、モミジが有名、その他花はハナショウブ、ソメイヨシノ、フジ、ハスなど。

東福寺:真言宗、814年弘法大師空海により創建、サツキが有名、その他花はヤエザクラ、アジサイ、フジ、ボタンなど。

さて、今回のテーマは本シリーズ最後となる紅葉(こうよう)です。花探しならぬ紅葉探しです。当地の

紅葉のピークは11月下旬から12月上旬でかなり遅いです。写真1は東漸寺第1門前のモミジです。

この道をまっすぐ行くと第2門、第3門を経て本堂に達します。第1門から本堂までの150メートル、この道の左右にはモミジの木々が並び、鮮やかに紅葉しています。

写真2は同じく東漸寺の鐘楼付近のモミジです。写真右が鐘楼、左が寺務所の建物です。

 写真3は同じく東漸寺の墓地奥にある大イチョウの黄葉です。

 写真4は本土寺山門周辺のモミジです。右手の建物は豪華な山門です。

21世紀森の公園南地域「つどいの広場」には小川に沿って250メートルのモミジ並木があります。この並木の広場側と山側にそれぞれ道があり、モミジの前景と後景を見ることができます。モミジの見頃時期にはこの両道を歩きます。こうして撮った写真のうち、小生のお気に入りの写真3点、写真5、写真6、写真7を紹介します。

 

 

 これにて「コロナブルーと近場散歩の花探し」シリーズは終わりとなりました。前田和男様には長い期間、小生の拙い文書・写真を上手にご編集いただき、本ホームページにアップロードしていただきましたこと、心より感謝申し上げます。また、花写真選び、花名探し、花写真の提供など惜しみなく協力してくれた妻・蕙にも謝意を表します。

永らくのご高覧ありがとうございました。

以上