名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
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皇居、大嘗宮を訪れる、山本信夫

11月28日、13時からのD38忘年会の前に、11か月ぶりに皇居に行った。

朝9時すぎ小雨の中、凄い行列を予想していたが、行列状態はほとんどなく、2か所のセキュリティチェックも待つことなく、スイスイと入場。玉砂利を踏み10分ほどで現地に到着、2日間の大嘗祭のため24億円かけ、済んだら取り壊しが待ってる大嘗宮を、せめて一般に見せようという計らいだろう。混雑を感じたのは表て面のみ、側面から裏面にかけて建物の全体構造や様子がよく分かり、こちらの方がむしろ本命というべきか。江戸城本丸天守跡や紅葉の三の丸庭園の見学もできた。

(当日歩数 18000歩)

 

写真1   大嘗宮全景

写真2   大嘗宮正面

写真3   大嘗宮側面

写真4   江戸城本丸天守跡

写真5   紅葉の三の丸庭園

東京地区忘年昼食会

11月28日(木)13:00から15:30 八重洲地下街 「素材屋」に7名集合しました。

三山さんがご足労して連絡頂いた割には寂しい忘年会でした。しかし、7名は、飲みっぷり、食べっぷりは現役時代に匹敵する位の旺盛さでした。

自己紹介は、半分は現状の生活状況、残り半分は病気持ちは自分の現状をご披露し、友人の経験を求めて、養生に努めようとの思いがひしひしと感じる意義ある交流でした。

参加者氏名は説明には及ばず、下記の写真を見れば懐かしい顔、顔でしょう。

15:30からは同じ地下街にある名工大同窓会が運営する「八重洲倶楽部」に移動して、17:00まで1時間半ほど歓談しました。

ここでは、現役時代の業務を振り返り、いけいけドンドンの我らの仕事を振り返り、現状の日本の産業が我々の取り扱った内容と大きく変わっている現状を認識した会話でした。

ただ、参加者は皆、マスコミや書物などで現役時代に匹敵するほどの情報を持っており、やはり、各位の業務が多岐に渡ったD38なので、同窓会の意義を感じた筆者の感想です。  (2018/11/29  前田記)

タレガのラグリマ、鈴木直久

学生時代にはクラシックギターを始めた人がかなりいました。そして彼らは例外なく映画「禁じられた遊び」のテーマ音楽に挑戦したと思います。友人のなかには上手く弾きこなす人もいいて羨ましかったものです。

わたしは会社に入って独身寮に住んでいるときにギターを買って練習を始めました。そして工場の青年婦人部主催のダンスパーティーの、伴奏音楽のリズムを担当したりしましたが結局挫折しました。理由は明白です。不器用で指先を上手く動かせないことと絶対音感を持たないことでした。

それでも何とか弾けた?のが、タレガが作曲した「ラグリマ(涙)」でした。

 

現在思い出して聴くのは、イエペスが演奏する「アルハンブラの想い出―タレガ作品集」に収められているこの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=zggNWE8agao

 

なお、ご承知のようにタレガの最も有名な曲はCD名が示す「アルハンブラの想い出」ですから、イエペスの演奏を聴くことができますが、村治佳織のそれを併せてご紹介してみます。

https://www.youtube.com/watch?v=RLJg-o8Hr1A

https://www.youtube.com/watch?v=XthLRfl7YFk

韓国グルメ旅行

医者から、心臓が昨年より悪くなっているので空気圧が低い飛行機の旅行は賛成しない(保証はできない)と言われたが、韓国なら2時間ぐらいなので良いだろうと思って行ってきた。

今までヨーロッパ旅行のアリタリアのマイレージは、消滅期限のない大韓航空に纏めて貯めていたが、最近、取り扱いが変更され、他社便は10年で消滅に変わったと通知を受けた。

来年、消滅する前に韓国に行くことにした。ちょうど2人分+ラウンジ使用のマイレージが溜まっていたので娘と二人旅行となった。(家内が漬物がだめなので韓国には行きたく無いとのことなので)

韓国へは退職後、プロジェクとの支援業務で3ヶ月滞在したし、その後1年間は月に1回、発注メーカの工程管理に出張していたので、業務の合間に訪問した場所も多く懐かしい国であった。

世間では、日韓の政治的な悪化で、お互いの旅行も下火になっていると報じられていたが、実際の所、日本からの便は満席で、ソウル市内の繁華街も日本人が多く、賑わっていた。今の、韓国への旅行者は、中国人や、東南アジアの人や、イスラム圏の人も多く、日本国内の外国人旅行者の数と変わりがないと感じた。

私が、滞在したときから、十数年経過しているので、建物がリニューアルされ、日本も工場地帯が開発され新市街になっているように韓国の開発も進んで、見違えるようであった。

今回の旅では、ホテルでの朝食は食べなかった。むしろ、朝昼兼用で韓国料理を食べることにした。第1日目の夜は「蔘鶏湯」第2日目の朝は「朝粥」、夜は「プルコギ」、第3日目の朝は「焼肉」とした。

とりあえず、写真を羅列して、旅行記としたい。

蔘鶏湯が有名な店

朝粥(あわび入りを選んだ)

 

市内の世界遺産

開発された江南地区、KPOPの関連商品があるビル、5階とも全て

奥に見える階の棚が全てBOOKで自分で持ち出してテーブルで読める本屋

プルコギ(日本のすき焼きと同じ)

キムチ体験教室、1時間コース、約3000円(娘が体験した。)

焼肉

以上の通り、興味のない旅行記かも知れませんが、年寄りには2時間ぐらいのフライトなので九州や沖縄旅行並みに気楽に行けるので、ヨーロッパ旅行に飽きた方にはお奨めの場所かも知れません。

(2019年11月19日   前田記)

 

悠久のシルクロード:西安・敦煌・トルファン・ウルムチを巡る8日間の旅行記

(注:写真は、山本さんがA-4ページに印刷した物を本稿ではスキャナーでJPGファイルに取り入れたものです。 管理人)

山本 雅晴 (2019-11-6 記)

1.目的:40~50年前から本(井上 靖など)や平山 郁夫の絵画、NHKのTV番組(1980年に放映、この8月に全篇再放送)で一度は行ってみたいと思っていた。80歳を前にして意を決してJTBの格安ツアーに参加した。参加者は60代後半から70代末で小生は上から2番目の年長者だった。主な見どころは、西安:城壁・大雁塔・兵馬俑坑博物館・シルクロード起点群像 敦煌:莫高窟・鳴沙山/月牙泉・西千仏洞・陽関・白馬塔 トルファン:高昌故城・アスターナ古墳・ベゼクリク千仏洞・火炎山・蘇公塔・カレーズ(地下水路)

2.行程と交通手段:羽田 ⇒ 上海(虹橋空港)⇒ 西安(2泊) ⇒ 敦煌(2泊) →(バス;2hr) 柳園 →(高速鉄道;3.5hr) トルファン(1泊) →(バス;3hr) ウルムチ(1泊) ⇒ 蘭州 ⇒ 上海(浦東空港) (1泊) ⇒ 羽田。( ⇒ は飛行機)。

10月20日(日)~27日(日)の8日間、西安・上海は薄曇り、他は快晴で内陸部では朝晩は冷え込み零下の日もあったが、日中は陽光が降り注ぎ暖かく全般としては快適な旅だった。

3.所感:

空港・鉄道駅・観光場所・ホテルでのセキュリティ・チェックが厳しく、時間を要し不愉快な面が多々あったが今の情勢を考えるとしょうがないかな! 格安のツアーなのでホテルのレベル、食事の質が心配されたがいずれも良好であった。

 

第一日目:10月20日(日) 晴れ / 曇り、歩行距離:6.6km。

羽田13:30~上海(虹橋)15:55//20:25~西安空港23:00 ホテル着0:20 。安いツアーのため上海での乗り継ぎの待ち時間が長く西安着が遅くなった。

 

第二日目:10月21日(月) 曇りのち晴れ、歩行距離:8.4km。 ① 西安のホテル8:00→郊外の世界遺産「兵馬俑坑博物館」9:20~11:40。標高が1200mの西安はやや冷え込み霧が立ち込めていた。中国でも有数の入場者数を誇るため混雑が甚だしいとのこと。ベテランの現地ガイドが要領よく案内してくれたためスムースに入場。迫力あるパノラマ・ビジョンで兵馬俑坑の成り立ち・発見・現状の説明を聞いたのち1/2/3号館と復元された銅車馬館を現地ガイドの説明を聞きながら約2時間駆け巡った。途中小生も含めて3人が迷子になったが事なきを得た。広大な敷地に膨大な設備を作り世界中からの観光客が訪れていた。一見に値するが二度見たいとは思わない!しかし、秦の始皇帝が一代でこれだけのことを成し遂げた点にはただ驚くばかりである。

② 世界遺産「秦の始皇帝陵」兵馬俑坑からほど近いところにあったが、陵のある丘と表示盤のみであり、2~3枚写真に収めて終わり。

③ 西安の旧市街:「大雁塔」(慈恩寺) 唐の時代にかの有名な玄奘三蔵が持ち帰ったサンスクリット語の経典や仏像を保管するため、唐の3代皇帝高宗により652年に建てられた。唐末の戦乱で大雁塔だけになっていたが、ここ30~40年の間で山門・鐘楼・大殿などの建物附属設備が遺跡公園として整備された。憩いの場・観光地として賑わっていた。残念ながら64mの大雁塔の上に登って西安市街を一望することはできなかった。また、塔の南側の入口にあるという、唐代の名書家褚遂良(ちょ・すいりょう) の「雁塔聖教序」の石碑に気が付かず帰国後女房に叱られた。この拓本は王義之の正統を受け継ぐ楷書の手本として書道の教本となっているとのこと。

西安城壁の「西の城門」(安定門)から登った。現存する城壁は明の時代(1370~1378)にレンガを積み築かれた。東西に長く周囲は14km、高さ12m、上部の幅12~14mでレンタルサイクルや電動カートで回れる。しかし、唐の時代の城壁内の面積は現存の9倍もあったらしい。西門は西方のシルクロードを臨む城門とのことであるが、夕暮れであまり見通しが良くなく、遠くまでは見えなかった。しかし門の内側の桝形は広大で日本の城壁の比ではない。時間があれば天気の良い日に半日かけて一回りしてみたい。城壁の上周辺と主な建造物は落ち着いた色合いでライトアップされており千年に及ぶ古都の品格を保っていた。

「絲綢之路起点群像」観光用に近年造られたものと思われるがツアーの出発点として見学。

以上はツアーで慌ただしく回った西安と近郊のほんの一部の見聞録である。西安は中国という大国の千年の都があったところであり、近郊も含めて幾多の見どころがあると思われる! 陝西歴史博物館も見られなかったのは残念でした。

 

第三日目:10月22日(火) 曇り/ 晴、歩行距離:6km。ホテル出発 8:00 → 工芸品見学・購入 → 西安空港 12:10 ⇒ 敦煌 14:35 → 敦煌市内観光 → 夕食後ホテルヘ 20:10 →OP観光世界的にも有名な舞踊と音楽を組み合わせたショーだが、疲れと明日の観光のため断念。

「鳴沙山」と 「月牙泉」・・・電動カートで往復。靴に砂が入らないように靴の上から布製のカバーを有料で借りた。「鳴沙山」は標高差はが高々50~60mであるが、ナイロン製の靴カバーが滑ることと、望遠レンズ付きの一眼レフが意外に重く結構難儀した。いずれも年輩の面々ここまで来て登れなかったらメンツが立たないとばかりに全員が登頂。夕暮れの澄み渡った景色を眺め暫し感慨に耽った。しかしながら鳴沙山からの月牙泉は光線の加減か青くはなかった。 また、平山郁夫が1979年に初めて敦煌を訪れ、1985年に完成した四曲一双の屏風絵「鳴沙山から莫高窟」を描いた写生地点は残念ながら確認できなかった。「月牙泉」の方に降りていき一周しようとしたが通行止めになっていてダメだった。人が多く通ると砂が泉に入り埋まってしまうからと思われる。昔の録画を見ると月牙泉の縁をラクダに乗って行き来する場面があった。砂漠の中でこの泉が何千年もの間枯れずに湧き続けることは奇跡である。

 

第四日目:10月23日(水) 快晴、歩行距離:10km。今日はこのツアーのハイライトである。

朝は冷え込み外の気温は氷点下、しかし快晴で見学には申し分ない。ホテル出発は7:50。

「莫高窟」:近くのバーチャル博物館でティーチ・イン(莫高窟の成立ち・保存状況・主な窟の紹介: 20分x2種) → 専用バスで莫高窟へ移動 → 現地の日本語が堪能な研究員に誘導され説明を聞きながら見学。見学場所:29、331,17,328,292窟 + 特別室57窟。それぞれに興味深い説明を聞き、なるほどと思ったが、各場面の印象は残っているが説明はできない。

窟内は写真撮影は不可で、もう一度ビデオなどで復習しないとダメ!しかし莫高窟とその周辺のイメージを十分味わうことができ、長年の夢が実現できた満足感がある。莫高窟の周辺からの写真にも思い出としてとどめることができた。

「西千仏洞」:莫高窟を見学すれば十分だと思われるがここもなぜかツアー・ルートに入っていた。ここを訪れるグループは我々だけだった。現存する石窟は19ケ所で莫高窟と同系列の様式で北魏と唐の時代の壁画が残っているが、保存状態は良くなかった。近くを流れる川の氾濫などの影響らしい。木が茂り静かでよいオアシスであった。

「陽関」:盛唐の有名な詩人王維(701~761)が西安の近くで西方に赴任する友人を送る詩と小生は理解している。現在の陽関には当時のものとして「のろし台」しか残っていないが、観光用にいろいろな古の施設を模して造作している。王維の像と柳まで植えるという凝りようである。それにはめられて写真を撮る!

「沙州市場」・「敦煌市街ライトアップ」:1980年頃NHKがシルクロードを取材して放映したころの人口は3万5千人であったが現在は20万人、観光で賑わう、かなり裕福で、清潔で治安のよい街のようである。夕食は何故か日本人のシェフに指導を受け敦煌で日本料理店をやっているところで上海から直送のさんまや茶碗蒸し・ほうれん草のおしたしなどであった。夕食後近くの「沙州市場」やホテルから1.5kmくらいの党河の周辺のライトアップも一人で散策した。

 

第五日目:10月24日(木) 晴、歩行距離:3km。ホテル出発9:30 → 敦煌近郊の「白馬塔」見学。塔は高さ12mの白亜の仏塔。4世紀末、亀茲の高僧・鳩摩羅什(くまらじゅう)の経典を担がらせていた白馬が死んだため篤信の敦煌の人々が馬をここに埋め塔を建てた。周辺のポプラや柳が黄葉して晩秋の趣を漂わせていた。「夜光杯」の工芸品製造・販売所に立ち寄った後高速鉄道に乗車するため、敦煌から130kmの柳園駅に向かった。

空港並みの厳しいセキュリティ・チェックを受け、柳園発 15:30 ~ トルファン着18:45 でトルファン来た。ホテルの出入りにもセキュリティ・チェックがあった。メディアで取りざたされているように新疆ウイグル地区はチェックが厳しい。

夕食にトルファン・赤ワイン“Lou Lan”を飲んだ。渋味が少なくほんのりと甘みのあるまろやかな味であった。干し葡萄から作るワインかと勝手に判断したが?

 

第六日目:10月25日(金) 快晴、歩行距離 6.6km。今日が事実上の最後の観光である。ホテル出発 8:45 → 2014年に“シルクロード:長安=天山回廊の交易網”の一環として世界文化遺産に登録された「高昌故城」は玄奘がインドに仏典を求めて向かう途中、ここで高昌国の王、麹文泰に好待遇され2か月ほど滞在して説法を行ったことでも知られている。このことを題材に平山郁夫は1979年、2000年、2007年に仏教伝来の聖地として絵画を描いている。面積200万㎢、周囲約5kmに及ぶが平山郁夫の描いた場所が確認できた。

「アスターナ古墳群」高昌国住民と唐代西洲住民の墓地群で大量の絹製品、陶器、文書など出土しており、壁画やミイラが残る。最古のものは273年、最も新しいものは778年。見学できる2基を見学した。

「ベゼクリク千仏洞」石窟の開削は6~9世紀中期。83窟でイスラム教の浸透により破壊され、また外国の探検隊により剥ぎ取られたものも多い。日本の大谷探検隊も明治末にここを訪れている。平山郁夫は1979年にここを訪れ絵画作品にしている。

「火炎山」トルファン盆地の中央部に横たわる東西約100km、南北10km、平均海抜500mの山地。地殻の褶曲運動により襞の入った山肌は地表に立ち上がる陽炎によって燃えているように見え、火炎山と呼ばれるようになった。西遊記にも登場する。トルファンは札幌とほぼ同じ緯度にあるが中国で一番暑く、7~8月は45℃を超える日もあり、今までの最高温度は50℃くらい。

「蘇公塔」(そこうとう) 1779年に建立された新疆イスラム建築様式を代表する塔。高さ44mの円柱形で横にモスクがある。モスク内部は木造で簡素な造りであった。

「カレーズ(地下水路)」、「カレーズ楽園」という名称で、カレーズを見学できる博物館のような施設。カレーズを縦横に廻らすことにより、農業、牧畜、生活に必要な水を確保できる。

「干しぶどう」の効率的生産

トルファンは年間降雨量が20mm以下、年間蒸発量が300mmという乾燥地帯である。また、トルファン盆地は世界でも有数の低地で標高マイナス154mのところもある。

日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく糖度の高いぶどうやアンズなどの果物がとれる。

産業は農業が中心で特産品にはぶどう、ハミウリ、綿花などがある。中でもぶどうは世界一の生産量を誇る。中国のぶどうの生産量は1300万トンで世界第2位のイタリアの1.5倍である。

ぶどうのうち、ワインにする量はイタリアやフランスの1/4で、殆どが干しぶどうに加工される。

干しぶどうは「涼房」といわれる格子状の隙間のある小屋の中で棚状に密に吊るして3~4週間自然乾燥して加工する。非常に省エネで高品質の干しぶどうを低コストで製造できるようである。

 

敦煌から柳園へ向かう途中のバスの車窓や柳園からトルファンに行く高速鉄道からの沿線でも風力発電用のファン付鉄塔が数百~数千の単位で観察された。不確かな情報だが高速鉄道用の電力を風力発電で賄っていると聞いたことがある。日本国土の4倍以上もある新彊ウィグル自治区では豊富な石油や天然ガスの発掘を進めると同時に、広大な砂漠の中で再生可能な自然エネルギーを活用するための膨大な実験が進められているように感じられた。

 

第七日目:10月26日(土) 快晴、歩行距離:2.4km。ウルムチ ⇒ 蘭州 ⇒ 上海 移動日。

ホテル出発 8:30 ウルムチ空港でのセキュリティ・チェック、 11:10 発の予定が一時間遅れの 12:10 ⇒ 蘭州着 14:40 // 蘭州発 16:00 ⇒ 上海(浦東) 18:20 ホテル着 18:50 。

ウルムチから蘭州へのフライトは快晴の日中にシルクロードを空から眺めることになり、右窓からは雪を被った山々を左窓からは黄土色の砂漠をと目を楽しましてくれた。

 

第八日目:10月27日(日) 曇り、歩行距離:3.3km、上海(浦東) ⇒ 羽田 帰国。

ホテル発 9:20 ⇒上海(浦東)着 9:50 空港でのセキュリティ・チェック 、発 13:05 ⇒ 羽田着 16:50 。

 

以上、8日間で総歩行距離は46kmであった。 以下に簡単なルート図と主な写真を添付。

 

 

 

 

 

 

フランソワ・クープラン(1668-1733)の葦、鈴木直久

今回はクープランの葦を紹介させていただきたいと思います。
正式名称はクラブサン曲集第3巻第13組曲第2番葦という、実に美しい小品です。

手元のクープラン:クラブサン名曲集のCDに含まれていますが、私たち現代人にはピアノ演奏の方が聴きやすいと思います。

するとスペインの女性の名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(1923-2009)の演奏が思い出されます。というのも、若いころに彼女が演奏するピアノ小品集で、初めてこの曲を聴いて魅せられたからです。そのLPを含めてLPレコードの大半を、退職に伴う引っ越し時に処分してしまったので現在はありません。

ところが今日ネットで検索して、懐かしい彼女の演奏を見つけました。「ラローチャ 葦」と入力すると、「南亭雑記 南回廊」と題するブログがありますが、それがこの曲をテーマとしたもので、彼女のカラー写真付きの演奏を聴くことができました。
実際の葦よりも優雅な葦が、風に揺れる様子が目に浮かぶようです。録音も良好ですから、是非彼女の演奏をお聴きください。

シドニー・ベシエ(1897-1959)の小さな花(Petite Fleur)、鈴木直久

机の前に腰掛けてぼんやりしているときに昔のことをよく思い出します。

 

丁度30年前の1989年(平成元年)7月、南仏海岸のジュアン・レ・パン(Juan Les Pins)で開催された、国際火工品学会(隔年開催)に参加しました。

会場は市民ホールでしたから5日間、ホテルから徒歩で、途中にある小さな公園を通り抜けて会場まで往復しました。

 

公演内に容貌魁偉な男の、巨大な頭部ブロンズ像が建てられていました。台座にはSidney Bechetと刻まれています。彼は、ザ・ピーナッツが1959年頃に唄ってヒットした「可愛い花」の原曲(Petite Fleur)の作曲者です。

しかし、アメリカのジャズ演奏家のブロンズ像が何故そこに建てられたのかは分からずじまいでした。

 

今日(10月19日)そのことを思い出して、ネットで調べた結果次のことを知りました。毎年7月にそこで野外のジャズ・フェスティバルが行われているのです。

公園はSquare Sidney Bechetと名付けられています。そして懐かしい彼のブロンズ像の写真も見つけることができました。丁度30年振りに見る姿です。というのも、出張に持参したカメラが故障してシャッターを押せなかったからです。

写真で見る彼の容貌がよく再現されています。

 

閑話休題

 

滞在したホテルのロビーにはグランドピアノがおかれ、プロの男が演奏していました。夜、彼一人のときに、Petite Fleurをリクエストしましたが、聞き取ってくれないので、冒頭のメロディーをハミングしたら、直ぐに繰り返し演奏してくれました。

 

そして今日は、YouTubeで、ソプラノ・サックスによるベシエ本人の演奏、北村英治のクラリネット演奏、フランスの名女優ダニエル・ダリューのフランス語歌唱およびザ・ピーナッツのデュエット聴きました。

 

皆さんも聴いてみませんか。

秋の東京近郊在住者ゴルフ会

毎年、春は宮口さんの会員コース、大厚木カントリー桜コース。秋は、前田の会員コース、鶴舞カントリー(今回は東コース)で行っている。昔は2組または3組で行ったが、最近は1組になった。敬略称で、宮口、大見、三山、前田の4名である。

80歳になったので、ゴールドティでプレーしようとの提案があったが、私は、下記の理由で、壮年ティであるレギュラーティを主張してプレーした。

1)どうせ皆さん飛ばなくなった。ドライバーが150-160ヤード

2)鶴舞のミドルホールは、375ヤードが基準で、最短が350、最長は400ヤード。従って、ピン(旗)が100ヤード以内に入るのは、平均して2打(ショートは1打、ロングが4打)なので、皆、持ったクラブが、所定通り当たってハーフ9ホールで18打が基準となる。途中でチョロや右スライス、左フックで所定の距離が出ないと私の通常スコアは21又は22打となっている。

3)では100ヤード以内に入ったボールが1打でグリーンに乗り、2パットで終わればハーフ9ホールで27打となる。しかし3パットや、トップしてグリーンオーバー、バンカーに入るなどして、私の場合終われば31打、又は32打となる。

4)私は、この方法でゴルフを楽しんでいる。調子のよい日は、ハーフ49-51であるが、大抵100ヤード以内が32-33打となって、トータル53-57打位になってしまう。

というわけで、皆さんもスコアを纏めるのに苦労していたが、無事18ホール完走することが出来ました。一番若い三山さんが、カートに乗らないホールもあり、コース内徒歩は15,000歩位であったが私は13,000歩ほどであった。多分宮口さん、大見さんも同じ位の歩数であったと思います。

とりあえず台風前であったが、私の誕生日券でワインとオードブルで誕生日を祝って頂き、楽しい1日を過ごすことが出来ました。

写真は、最近セルフをプレーする人が多くなり、出発時に周りを見ても、シャッターを押してくれるキャディーも見当たらず、コースで撮影できなかった。帰りにと思ったが、終わったのが3時半となり、風呂に入るのに一目散となり、またまた、グリーンを背景に写真を撮れなかった。

夕方、いつもの五井駅近くの居酒屋、庄屋五井店で2時間ほどの懇親会を持ち、皆さんの家庭状況、子供や孫の話で2時間がすぐ来てしまった。

ここで、せめての記念写真を店の孫娘のような店員に撮ってもらったのが下記の一枚です。  前田記

 

D38ホームページ維持費と今後の運営

このホームページは約数年、同期の皆様のご協力により運営されてきました。会計は、三山さんが担当されて、彼と相談の上、運営は、管理人として、前田が担ってきました。この間、いろいろの話題を投稿された皆様に感謝します。

昨日、恒例の秋の鶴舞カントリーのゴルフがあり(後日、この話題をアップロード致します。)、標記のことが話題になりました。私は、皆さんからカンパ頂いた寄付金が気になっていました。従来までの運営費は年間8,726円でした。

詳細は

*ドメイン(meikoudai-d38.com)費が1,598円

*レンタルサーバー使用料が3,240円

*万が一、アップロード時の電磁ショック等によるページが壊れた時のバックアップ費(レンタルサーバー会社がバックアップを取り、回復してくれるサービス)が3,888円

以上が、毎年必要でした。

昨日、三山さんと相談して、経費節約として、バックアップ費用を契約解除して、壊れた段階でホームページを閉鎖することに致しました。その結果、年間運営費が4,838円となり、令和3年度末(2021年末)まで現有のカンパ金で運営できることが判明しました。

その後の運営については、来年度開催予定の全体同期会で、三山さんが私案を提供され皆さんとご相談することに決めました。                2019/10/11   管理人 前田和男

注:投稿された皆様は、自分のパソコン等に原稿は保存されていると思いますが、今後バックアップ契約を解除することにしましたので、本日より、約1週間、ホームページのコピー禁止ソフトを停止いたします。もう一度、自分の過去の投稿原稿を保存したい方は、この期間にコピー願います。

ギムレットの思い出、鈴木直久、2019年9月29日

9月28日付朝日新聞土曜版のコラム「作家の口福」に、真山 仁が「ギムレットには早すぎる」という短文を書いている。「高校時代にレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』に夢中になった影響で、大人になったら、絶対に飲むぞと心に決めていたカクテルがある。ギムレットだ。」と書き始められている。

彼のことはこの文章以外知らないが、ギムレットは懐かしいので、そのささやかな思い出を書いてみたい。

 

ギムレットは、レイモンド・チャンドラーが、その代表作『長いお別れ(The Long Goodbye 1953年)』に登場させて有名になったカクテルである。ベースは、ジン、ライムジュースおよびシロップ。

 

その小説はロサンジェルスに住む私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とするハードボイルドで、登場するテリー・レノックスがこのカクテルを好み、二人が一緒に酒を飲むときには必ずこれも飲んでいた。ところがテリーはある殺人事件に巻き込まれた挙句に自殺してしまう。

しかし、実際には生きており、マーロウが懐かしいテリーは、ほとぼりが冷めたころ密かに会いにきた。そのときにテリーが発するセリフが、「ギムレットには早すぎるね(I suppose it’s a bit too early for a gimlet,” he said)」(清水俊二訳)で、名セリフとして有名になった。

 

セリフの表向きの意味は、会ったのが昼間だったから、酒を飲むには早すぎる、ということだが、ギムレットは以前の二人の親密な付き合いを象徴しているから、以前のような親密な間柄に戻りたいというのがテリーの真意だった。しかし、事件の経緯に疑問を感じていたマーロウは誘いを断り二人は別れた。それが結末である。

 

ところで小説の舞台がカクテルの本場である米国の、西海岸の南部であるにもかかわらず、英国生まれのギムレットが用いられたのは、単に意外性を狙ったわけではなく、レノックスも、作者のチャンドラーも英国出身だからだと思う。

 

また、書名の“The Long Goodbye”であるが、作者は”Goodbye”を、また会うことを前提にした言葉として用いており、それが”Long”であり、しかも定冠詞”The”が付けられているから、上記二人の再会までの期間が長かったことを意味していると思う。

 

1976年に発行された清水俊二訳の早川ミステリ文庫で初めてこの小説を読んだ。

そして2年後に偶々出張したウィスコンシン州の郡部のレストランで昼食をしたとき、メニューにギムレットがあったので飲んでみた。しかし、特別に感激せず、それを有名にしたのは、専らその名セリフだったのだろうと思った。

真山さんはギムレットを飲み続けたが、わたしはその一回だけである。日本酒を好むわたしはカクテルに親しまず、偶に機会があると、同じジンベースでもマティーニを飲むことにしている。

 

後日譚

 

その後20年を経て1996年ボストンに出張したとき、MITのキャンパスを見物したが、そこの売店にこの小説のペーパーバックがあったので買って、帰国後清水俊二訳を参考にしながら読了した。

 

この小説は村上春樹の若いときからの愛読書で、彼も翻訳して、2007年に同じ早川書房から『ロング・グッドバイ』という書名で出版されたので、やはり買って読んだ。例のセリフは、「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」(下線は筆者)と訳されている。

映画の字幕の吹き替えが本業だった清水より丁寧に翻訳しているように感じられたが、清水の訳は古いとはいえ日本語としてのテンポとリズムがよく、両者の翻訳には読者の好みが分かれるようである。