名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
01月

東京国立博物館の新春の鑑賞記録 、 山本雅晴

小生はここ数年東京国立博物館に初詣することにしていたが、昨年はコロナ禍で中断した。コロナ禍は今年も続いているので、躊躇していたが「寅年の美術・工芸品の展示」、「イスラム王朝とムスリムの世界展」、「ポンペイ展」があるので敢えて出かけることにした。高性能マスクを二重にはめ、JRの混まない時間帯・車両を選んで1月14日(金)に「ポンペイ展」の日時指定の入場券をインターネットで購入して上野に行ってきた。

・1「ポンペイ展」は初日でかなり空いていた、指定券なしでも入場可能だった。本展は紀元後79年のヴェスヴィオ火山の噴火による周辺の町、ポンペイ、エルコラーノ、ソンマ・ヴェスヴィアーナの調査状況と発掘品をTV画面や見やすいデスプレイで解りやすく展示してあった。ポンペイには2014-3-10に訪れ主な現場は見ているが、発掘品の優品を多数所蔵している「ナポリ国立考古学博物館」は見学していない。本展はナポリ国立考古学博物館の全面的協力で優品150点と代表的な邸宅の模型を作って展示していた。

この展示会は日本での展示会としては珍しく、全展示物の撮影が可能だった。

(注:投稿原稿は綺麗に写真を配列してあったので、PDFファイルにしました。管理人)

東博ポンペイ展2022-1

画家ヤン・ファン・エイクの先進性について~本業は外交官?~山本雅晴

原稿は、Word文中に表形式の挿入と写真があり、コピー&ペーストでアップロード出来ないので、前文のみそのままアップロードしていますが、全文はPDFファイルでアップロードしました。(管理人)

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ヤン・ファン・エイク(1390?~1441)の作品についてのTV放送や本などを再見し、過去に美術館で鑑賞した実物を思い出しながら、独断と私見を交えてまとめてみることにした。ヤン・ファン・エイクの絵画作品に触れる前に、この時代背景を多少なりとも理解しておく必要あると思いウィキペディアで次のような項目を通読した。① 14~15世紀のフランスの歴史、② 百年戦争(1337~1453)、③ ブルゴーニュ公国の14~15世紀の歴史と状況、④ ハンザ同盟とブルージュなどの都市の当時の交易、⑤ 百年戦争におけるジャンヌ・ダルク(1412~31)の行動とそのインパクト。⇒ ヤン・ファン・エイクとジャンヌ・ダルクとの遭遇の可能性?

ヤン・ファン・エイクは画家としての才能だけでなく、豊富な知識・語学力・外交官としての交渉力などを有していたことが、下記に示した資料からも窺える。ヤン・ファン・エイクは1425年にブルゴーニュ公国善良公から「侍従にして画家」という拝命を受けている。ルーベンス(1577~1640)やベラスケス(1599~1660)が一流の外交官の資質を有し活躍したことは一般に認められているが、彼らが活躍するより200年近く前の1425~1441年にヤン・ファン・エイクはブルゴーニュウ公国の外交官的な重要な任務も担っていた。ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公は、ヤン・ファン・エイクには絵画の制作はあまり依頼せず、外交秘密特使の役割が大きかったように思われる。この重圧のためか画家としての作品は少なく夭逝したのかもしれない? その償いのためか善良公は、ファン・エイクの死後妻への弔慰金や娘の修道院入りの持参金を贈っている。

ヤン・ファン・フェイク私論-その1

皇居にあるミュージアム(三の丸尚蔵館)と庭園(皇居東御苑)について、山本雅晴

皇居にある上の二つの施設はご存じの人も多いと思いますが、私のよく行くところでまさにMy Museum と My Garden です。この件について最近のトピックスを含めて簡単にご紹介します。

Ⅰ、三の丸尚蔵館:詳細はホームページに記載あり、現在新館建設中で令和3年12月13日~令和6年秋まで休館

  • 場所・利用要領:大手門から入場が便利、月曜日・金曜日が通常の休館日
  • 所蔵品と展示:天皇家に受け継がれてきた絵画・書籍・工芸品・近代絵画・近代工芸品など約9800点。昭和天皇の死後現行天皇から寄贈され国庫に帰属した作品類を展示・公開するために1992年6月に建設され、1993年11月3日に開館した。絵画や絵巻には国宝級、重要文化財級の作品が多い。今までは皇室の所蔵品は慣例から国宝・重文指定はされてなかったが、最近この慣例が改められ指定されることになった。
  • 2021年9月30日付で次の5点が国宝に指定された。詳細はウィキペディア「三の丸尚蔵館」に記載あり。
    • 蒙古襲来絵詞 ② 春日権現験記絵巻 ③ 狩野永徳「唐獅子図屏風」 ④ 伊藤若冲「動植綵絵」30幅。

この絵は人気があり、小生も1994-6に初めて鑑賞した。あちこちの展覧会に引っ張りだこのブームを引き起こした。若冲については別途報告したい。⑤ 書家小野道風の「屏風土代」

4.これらの所蔵品の展覧会はテーマを決めて数回/年開催されてきた。小生は1993年11月から2021年12月までに開催された約30年間の展覧会のほとんど(168回)を鑑賞した。この展覧会は無料で交通の便が良いので、外国人にも人気があり入館者の30~40%を占めている。展示面積が狭いので展示品は少ない。15分くらいで鑑賞できてちょっと見るには便利だが大きなテーマの中身の濃い展示会はできなかった。このため、現在の尚蔵館の隣に今までの約10倍の展示面積と収蔵庫を併設して新館を建設することになり、現在工事中。新館ができれば若冲の「動植綵絵」30幅も一堂に展示できる。下の写真は2021-11-17の建設現場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新館建設中の「三の丸尚蔵館」2025年完成予定

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までの「三の丸尚蔵館」

 

Ⅱ、皇居東御苑

小生はJR東京駅または地下鉄東西線の大手町駅 or竹橋駅から徒歩で行く。ホームページに地図・開花情報が

丁寧に表示されているので予め見て出かける。三の丸尚蔵館と東御苑をセットで観光する人が多い。

皇居東御苑の入園者の統計が、昭和43年(1968年)~令和2年(2020年)まであり、外国人の入園者比率も記述され

ている。これによればコロナ禍の始まる前の4年間では外国人の入園者比率が40%を超えていた。

あまり派手ではないが四季折々の多種類の花々がよく手入れされて植えられています。ここは月曜日と金曜日が

休園日で、新館建設中の尚蔵館は休館していても開園される。臨時の休園日もあるので予め確認してお出かけください。

 

戦後の日本における西洋絵画の展覧会のはじまりと経緯、山本雅晴

三原さんのメールアドレスが新年より変更されたようです。新規アドレスをご存知の方はご連絡ください。また、D38の方で「メールで新規投稿のご案内」が届かない方はご連絡ください。管理人

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海外からの作品を集めて西洋絵画の本格的な展覧会が始まったのは1950年代からである。その主な展覧会の歴史を「マチス展」、「ゴッホ展」を中心にたどることにした。

戦後最初の展覧会「マチス展」は、硲(はざま) 伊之助(1895~1977)の努力により企画され、東京国立博物館・読売新聞社が主催して行なわれた。画家・美術評論家の硲は「ゴッホの手紙」(岩波文庫版)の翻訳者でその下巻の「あとがき」にマチスとの偶然の邂逅と知己を得て1933年ごろニースのアトリエで週1回くらい絵画の指導を受けたことが記述されている。この縁で戦後間もない敗戦国の日本の硲へマチスからの招聘状が来て、渡航困難なフランスへ東京芸大の助教授職を辞して渡仏した。マチスの手持ちの作品やフランスの国立美術館の所蔵の作品をマチス自身がアレンジして実現した。丁度このころマチスの「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」が完成間近の時期で大きな陶板画を壁にはめ込む技術者がいなく苦労していた。硲がイタリア人の大理石工を紹介し無事完成した。小生はこの「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」には2019年の2月に訪問した。

展示作品は、「ヴァンスの礼拝堂」の切り紙・写真・ドローイング等37点、油彩画:16点(マチス手配)と日本国内の所蔵品14点、ドローイング:40点、挿絵本8点 の合計114点であった。この展覧会はマチスが主導したパリでの展覧会と似た内容で、マチスの生前に開かれた唯一の日本国内の展覧会で今から見ればみすぼらしい展覧会カタログにマチスの序文も掲載されている。〔 MoMAとUSA国内美術館巡回の「マチス展」より先行している。〕

 東京国立博物館:1951-3-31~5-13 入場者数は約20万人?で、パリの新聞でも紹介。

 大阪     :1951-5~6

 大原美術館  :1951-6

この展覧会が発端となり、硲が企画・交渉してピカソ展、ブラック展、1958年のゴッホ展の開催に繋がった。ゴッホ展は1951年に取り決められたが、オランダと日本両国の戦後問題で7年という時間を要した。

国内での最初の本格的「ゴッホ展」も硲 伊之助が企画した。そのいきさつは「ゴッホの手紙」(岩波文庫版)の下巻の「あとがき」に記載されている。1951年にオランダとの交渉を始めようとしてパリのオランダ大使館に行くと、日本人には旅券のビザは出せないと断られた。その理由は日本軍が南方に進出した結果インドネシアが独立し、オランダの東インド会社の株は紙くず同様となり膨大な損失を被った。また、ナチスドイツと同盟を結びオランダ人を多数蹂躙したという理由であった。

しかし、ピカソの親友の画商の仲介でゴッホ家の作品全部を管理していたアムステルダム市立美術館館長が身元保証人となり、ビザを発行してもらいアムステルダムに行けた。テオの息子のウィレム・ゴッホ氏は南仏で開いていたゴッホ展のため不在であった。また、そのゴッホ氏の子供の一人がゲシュタポに銃殺されたなどの理由で、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国ではゴッホ展は開かない公言していた。

ゴッホ家の作品展はあきらめ、オッテルローのクレーラー・ミュラー美術館のハンマーヘル館長と交渉し、7年後の 1958年に開催することで合意した。戦後間もないため展示会場がなかったので東京国立博物館で開催された。

1958年の日本国内で初めての本格的な「ゴッホ展」ではクレーラー・ミュラー美術館の看板作品が殆ど出品される。油彩画56点、ドローイング等70点の計126点が出品された。保険金額も15億円に達したといわれている。

「アルルのラングロワの跳ね橋」はその後の幾多の国内のゴッホ展でも来日はこの時だけで小生はやむなく、2013年7月にオッテルローのクレーラー=ミュラー美術館まで行って初めて鑑賞した。「夜のカフェテラス」「郵便配達夫ルーラン」「糸杉と星の道」「アルルの女」等のゴッホの代表的作品が初めて来日した。

東京国立博物館:1958-10-15~11-28 、入場者数:50万人以上で大盛況!

京都市美術館 :1958-12-3~12-27 、入場者数:不明

*文化勲章を受章した絹谷幸二はこの「ゴッホの展覧会」を見て洋画家になることを決意したと語っている。

.その後のおもな「ゴッホ展」

1)「オランダ国立ゴッホ美術館所蔵ゴッホ展」:ドローイングと水彩画を主体とする展覧会。残念ながら観ていない!

国立西洋美術館:1976-10-30~12-19、入場者数:43.5万人、油彩画:18、ドローイング他:82

京都国立近代美術館:1977-16~2-20、入場者数:28万人、展示作品:同上

愛知県立美術館:1977-2-24~3-14、入場者数:不明、展示作品:同上

2)オランダ・米国・ソ連・英国・スイス・フランス・ドイツ・ノルウェー・ブラジル・ベルギー・日本と匿名の個人所蔵の油彩画55点、ドローイング等46点、計101点の日本初公開の作品多数を含む展覧会であった。個人蔵の第1バージョン「ガシェ博士の肖像」、マンハイム市立美術館「ひまわりとバラを活けた鉢」、ゴッホの画家としての成長の過程を辿るドローイング等。小生が名古屋で初めて見た本格的な「ゴッホ展」であった。

国立西洋美術館:1985-10-12~12-8、入場者数:40万人、油彩画:55、他46

名古屋市博物館:1985-12-19~1986-2-2、入場者数:不明、油彩画:52、他46

3)「ゴッホと日本」というタイトルでアムステルダムの国立ゴッホ美術館の所蔵品からゴッホの油彩画21点、ドローイング等30点、その他ゴッホと同時代の画家の作品20点、ゴッホ収集の浮世絵約50点の展示会。また、安田火災東東郷青児美術館所有となった「ひまわり」がはじめて公の美術館に展示された。

世田谷美術館:1992-4-4~5-24、入場者数:不明、油彩画「花咲くアーモンドの枝」

4)横浜美術館:1995-12-9~1996-2-11、入場者数:不明、油彩画:30、ドローイング他:43

5)東京国立近代美術館:2005-3-23~5-22、入場者数:52万人、油彩画:36、他90、「夜のカフェテラス」「黄色い家」、ジョン・ラッセル「ゴッホの肖像画」

6)国立新美術館:2010-10-1~12-20、入場者数:約60万人、「オルセー美術館展」ゴッホの油彩画:7点 「自画像」「星降る夜」「アルルの寝室」

7)東京都美術館:2017-10-24~2018-1-8、入場者数:37万人、油彩画:32、ドローイング他:9 、「アルルの女」「ポプラ林の中の2人」

8)上野の森美術館:2019-10-11~2020-1-13、入場者数:約45万人、油彩画:28、他14

アムステルダム国立ゴッホ美術館2013-7-18 訪問、油彩画:90、ドローイング他:82 、三幅対:「ひまわり」「子守女」「ひまわり」(ロンドンNG)、ゴッホの寝室(シカゴ美術館・オルセー美術館・ゴッホ美術館)

・クレーラー=ミュラー美術館:2013-7-20 訪問、ゴッホの油彩画:約55点、「アルルのラングロアの跳ね橋」、「夜のカフェテラス」、「子守女ルーラン夫人」など展示。ドローイング・水彩画は展示なし。

 

 

硲伊之助についてウィキペディアにも簡単な記載がある。

絵画作品が2018-10-10 に和歌山県立近代美術館で3~4点展示されていた。そのうち1点を紹介する。フランスに10年近く滞在し、エクサン・プロヴァンスなどで描いていた。この絵はマチスの指導を受ける前だが、1920年頃のマチスの風景画に似ているような気もする。

油彩画以外に美術評論や陶芸など多才で石川県加賀市に「硲伊之助美術館」があるが、まだ訪れたことはない。そこにある「室より(南仏のバルコン)」1935年の油彩画はニースのマチス・アトリエからの眺望かも知れない。一度その美術館で見てみたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブザンソン風景」 1924年