名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
アメリカ滞在で感じたこと Ⅰ、山田 稔              

アメリカ滞在で感じたこと Ⅰ、山田 稔              

 2010年9月18日から12月14日まで、アメリカテキサス州オースティンに滞在した。
IIP(International Internship Program)と称して、日本と海外の国との友好親善を目的として、いろいろな学校・職業など海外で実地体験する 駐日アメリカ大使ライシャワー大使夫妻が始めた教育プログラムに参加した。
教育だけでなく、マスコミ、病院、銀行、公共団体、スポーツ、、、何でもある。自分の学んでみたい、または、教えてみたい、海外で経験してみたい、職種を申告し、受け入れ先を紹介してもらって、体験するのである。半分ボランティアでもあり、個人的興味関心を展開する場でもある。
特に若い人、視野を広げて近未来に活躍しようとする人には、非常に良い機会であろう。
僕はアメリカを希望、日本語を教えながら両国の理解親善を図る活動の一つに参加した。

目的 現役時代にも、海外赴任を考えたこともあるが、我が家の子弟の教育問題、マイホームの管理など考えると、どうしても決断実行できなかった。何とか定年まで勤めた後、一度海外で生活し、少しでも内側から外国を見る経験をしてみたかった。
また、定年後は、今までと違った場での経験をしてみたいと思い、再就職支援のコンサルティング、
環境ISOの審査員を通じて、いろいろな業態、組織、場所を訪ね、いろいろな人に出会った。僕の
半生とは違った環境・経験で生きてきた人たちを見て改めて感じたことは、その頑固さ、身につい
た過去の枠からはみ出せない頑固さ、考え方や生活スタイルの変わらなさを痛感させられた。だけ
ど、自分はどうなのか、全く違う環境、価値観の中でどこまで適応できるか、70歳にして試してみた
い。全くシガラミのない環境で、自由奔放に試してみたいという関心があった。 
そして、チョットは、下手な英語がどれだけ通じるか、うまくコミュニケートできるかを試してみたい、
裸の自分がどこまで受け入れられるのか、それを試すのが今回の目的だった。

一生徒の家庭にホームステイした。中の上クラスの住宅地で400㎡くらいの宅地に建つ 平屋で200㎡くらい、書斎1室と寝室1室を専用に当てがわれ、他にバスルームも当てがわれた。食事も用意してくれた。
テキサスの首都・オースティンで、最もレベルが高いと言われる(生徒や父兄が言う)公立学校で、テキサス州出身のJohnson大統領の記念に創立されたLASA(Liberal Arts & Science Academy)、日本でいうなれば、中学校から高校までの一貫校、日本語を選択科目とする中学生から5学年の生徒、約70人が対象である。(他には仏語、独語、スペイン語、中国語がある)教職員約60名、全校生徒約500人である。
毎日、生徒の学年が変わって、2コマ、3コマの授業で、日本語の補助教員を務める。必要経費は
全く支給されないので、I.I.Pへの登録、渡航費、交通費、教えるのに必要な学用備品など、全て自
己負担である。ホームステイにおける生活費(部屋代、光熱費、食費)は、ホストファミリーが負担し
てくれ、これもボランティアである。
生活は時差に慣れるまで4,5日かかったが、以後は問題なし。食事も何とかなった。学校にはカ
フェテリアもあるが、簡単な弁当まで用意してくれた。決して日本の家庭のような料理ではないが、
何とか我慢ができた。部屋も借り、食事もしてくれて、月200$は我が日本の家庭での生活費よりよ
り格安で、世話をしてくれた。これもホストファミリーの奉仕である。
元は、年収10万ドルは稼ぐ看護師だった。アメリカでは、日本より看護師のステータスは高いし、院
内でのステータスなども高いそうである。とてもよいオバサン(と言っても、僕より3歳若い)だった。
その娘の子(孫 男・女)がこの学校に通学している優等生であるそうな。さらに、個人情報だが、
ルーツはスコットランドで、やはり、仕事と住む家を求めて自分の代でテキサスに出て来たのだとか。
娘の婿の母親もルーツはスコットランド、婿はかってIBM勤務、後に弁護士の資格を取って弁護士。
学校に行くのに、先ず自転車で駅まで10分、それからできたばかりの電車で15分くらい、さらに、
駅で同校の先生が通勤車でピックアップしてくれて15分くらい。
最初に学校に行ってびっくりしたのは、同じ場所の同じ校舎で、2FがLASA高校、その1Fが黒人
の割合が高い 少しレベルの低い学校とで成り立っている。ぱっと教室を覗いただけで雰囲気が全
く異なる。LASA高校の生徒のプライドは高い。
生徒は上級生になると、自分の車で通学する生徒もいる、スクールバスも運行されている。高校で
は、伸び伸びと課外活動で青春を謳歌する生徒の姿があちこちで見られる。一方、学校の安全性
確保のためにガードマンが常駐しているなど、日本の学校とはまるで雰囲気が異なる。
僕がこの学校にいた頃は、生徒は中学1年生から高校2,3年生だったから、それから13年以上経
た今では大学も卒業し、社会人として、何かの専門家として立派な大人になって活躍しているだろ
うと、時々思い出す。将来のノーベル賞受賞者?いないと思う。John Hopkins大学に進学したと聞
いている人がいたが。Texas州立大学には、多くが進学する。
特にアメリカについては、マスコミやら本などで紹介されているから、今更 特別僕が報告することで
はないし、限られた範囲での感じた個人的な内容であり、しかも、10年以上前の話、変化もしてい
る、皆さんにも異論はあるでしょうが、それでも自分が直接目でみて、体験し、感じたことを思い出し
ながら報告してみたい。異論・反論大いに歓迎。

1, 自己主張が強い。存在感を示さないと無視されてしまう。
授業をしていると、時々生徒に確認のために、質問をする。日本と違って?「俺を当てろ、私を当てろ」とまるで幼稚園の児童のように手を挙げる。誰を当てようかと迷うほどである。
公平に当てることに気遣いながら(変な色目を使うと大変)、一人を当てる。やおら立ち上がり、「わかりません」。すると、周囲から日本で言うならば、「バカ」、「間抜け」「ヒョットコ」、、、、と罵声が飛ぶ。しかし、本人は平気である。分からないのになぜ手を挙げて指されたいのだろう?これがアメリカの自分の存在感を示す挙動の一つなのだろう。
彼女は、授業が終わると、教室の外で待っていたボーイフレンドと手を組んで、教室を後にする。このようなことは一度や二度ではない。
同じことだろうが、昼休みに日本に関する話題を提供しながらの自主的な勉強会、集まりがある。比較的身体も大きな大人びた女性が、観阿弥、世阿弥の能を紹介していた。てっきりどこかの大学の先生が能について歴史をたどりながら説明しているのかと思ったら、この学校の生徒の一人だった。恥ずかしいが、僕など全く知らないことを年代表とともに説明している。失礼だが、本当に能について何を知っているのだろうか、生徒に本当に知ってほしいことは、もっと能の基本的な意味・内容だろうと思った。それでも堂々と生徒の前で事細かに年代表、人物とともに発表する。もし日本人たる僕に補足説明しろと言われても何もできない。何が分かったのだろうか、知りたいのだろうか?
また、県の堺界だけが表示してある日本の地図を出して、ここは何県だ?とクイズのように当てっこする。集まった生徒もよく知っていて、福島県だ、長崎県だ、青森県だと言って得意がっていた。日本を知るために、これは必要なことだろうか? 我々もウィスコンシン州、サウスダコダがどこだ、アーカンソー州がどこだということは、それほど重要なことではない。必要な時に調べればよいような気もする。
このようなことで、「日本通だ」と思われても どうかな?と思う。別の機会・所で、時の挨拶ぐらいしか言えなくても、「私は日本語を習っている」という人にも会った。

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