名工大 D38 同窓会

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前田・宮口・三山
マロニエの花の思い出、鈴木直久

マロニエの花の思い出、鈴木直久

コロナ禍のなか、徒然なるままに、好きなマロニエの花の思い出について書いてみようと思い立った。

マロニエは日本の固有種のトチノキに似ているから、セイヨウトチノキとも呼ばれる樹木である。バルカン半島からトルコにかけての森林地帯が、原産地とされている。フランス語でマロニエと呼ばれる語感が、非常に魅力的である。セイヨウトチノキでは話にならないだろう。わたしの場合、若いころの憧れのパリのシャンゼリゼ通りのマロニエ並木とイメージが結びついて、実際に見るよりも先に名前を記憶してしまった。

ただし、 過去に5月、6月および7月の三回パリを訪れたが、いずも開花期を過ぎていたから、花を見ることはできなかった。

パリのマロニエ(白) ネットからの転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリのマロニエ(赤) ネットからの転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の外国旅行は、1976年(アメリカ独立200周年の年)5月のアメリカ出張であった。その時に五大湖の一つ、エリー湖畔の都市エリー市を訪れた。

レンタカーで偶々郊外の住宅街の見事な並木通りを走っているときに、上司がマロニエだと教えてくれた。しかし、開花期を過ぎていたために花を見ることができず残念な思いをした。

 

初めてマロニエの花を見たのはロンドン市内だった。1994年5月上旬にヨーロッパを旅行した。最初の宿泊地ロンドンに着いた翌朝、ホテルの近くを散歩したときその大木が白い花を付けていた。

しかし特別の感動はなかった。元々格別美しい花ではない。そのマロニエという語感と上向きに付いた白い花とドーム状の樹形とが、周囲の風景とがうまくマッチして、独特の魅力が生まれるのだと思う。

市内観光に出てバッキンガム宮殿の前で衛兵の交代を見物したとき、前の広場にアカバナマロニエ(ベニバナトチノキ)の大木が満開だった。しかし、赤いマロニエにはロマンが感じられない。やはり白い花がふさわしいという観念がそのときに定着した。

その旅行の後半に南ドイツに行き、ノイシュヴァンシュタイン城の麓の町フュッセンのホテルで昼食をしたが、ホテルの前に素晴らしい樹形をして、上向きに白い花が沢山咲いているマロニエの大木があった。それがこれまでに見た最も立派な開花しているマロニエである。

退職後最初に旅行した外国はカナダだった。思いがけないことにオンタリオ州議事堂の敷地に、白い花を付けたマロニエの大木が、何本か立っていたから、懐かしかった。同じ日に訪れたナイヤガラの滝の下流にあるナイヤガラ・オン・ザ・レイクという由緒ある街にも咲いていた。

2006年(モーツアルト生誕250周年)、中欧を旅行したとき、プラハ城とカレル橋の袂にマロニエが咲き誇っていたからうれしかった。

ウィーンではシェーンブルン宮殿の敷地内とその外側の並木道でアカバナマロニエの花が満開だった。

それが外国でのマロニエの見納めとなった。

ところで、この原稿を書くにあたって、マロニエについてネットで少し調べてみた。そして廣野 郁夫という人の、続・樹の散歩道という一連のブログのなかに、「170 銀座のマロニ通りのトチノキ仲間たちの樹幹がやや奇妙な外観となっている理由」(2014年10月)という奇妙な表題?の文章が見つかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

氏は徹底的に現地調査をしてその理由を明らかにしたばかりか、日本のマロニエの状況まで広く調査されており、感心した。ブログには著者として氏名を記されているだけだが、検索してみたら、(独)森林総合研究所林木育種センター 北海道育種場長であることが分かった。専門家なのである。

氏の調査結果は次のような結論になる。

日本固有のトチノキと、交雑種のベニバナトチノキ(セイヨウトチノキと米国南部原産のアカバナトチノキの種間雑種)の両方が、特に規則性はなく混植されていることを確認したということで、セイヨウトチノキ(本来のマロニエ)は植栽されていない(2014年8月)。

したがって、マロニエ通りという名称は厳密にいうと正しくない。

マロニエ通りは銀座二丁目交差点を東西に貫く通りである。わたしの最後の勤務地は銀座一丁目だったし、マロニエ通りがあることをすでに知っていたから、一度だけ歩いてみた。アカバナマロニエの花を見た記憶は残っているが、特に魅力のある通りではなかった。

ところで「マロニエの木陰」という古い歌謡曲がある。昭和時代前半の人気歌手松島歌子の最大のヒット曲だから、わたしと同世代の諸兄のなかにはご存じの方もあるだろう。作られたのは昭和12年だから、わたしが生まれる前である。

そんな昔に曲の歌詞を書いた坂口 淳は、日本にはほとんどなかったはずの何処のマロニエの木陰にいたのか、そして松島歌子は何処のマロニエをイメージしながらこの曲を歌い続けたのだろうと不思議に思うが、歌謡曲の世界でそれを詮索するのは野暮というものだろう。

詩の内容はともかくとして、和製タンゴのリズムが子気味良く、松島歌子の独特の声と節回しが魅力的な名曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=9yWcaQJSFyc

マロニエについての追加情報:廣野 郁夫氏のブログからの情報

セイヨウトチノキは在来種のトチノキによく似て花色も同様であり、特に魅力となる個性があるわけでもないことから、実生苗が安く手に入るトチノキに代えて入手しにくいセイヨウトチノキを積極的に植栽する理由は一般にはないと考えられる。

結果として、セイヨウトチノキの植栽例は植物園や一部の公園などに限られていて、需要もほとんどないと思われ、苗木が販売されていることも確認できない。

普通の感覚では、よく似たトチノキとセイヨウトチノキを街路樹に混植することはあり得ない。

これに対して、ベニバナトチノキは紅色の花色がきれいで、トチノキと混植すれば二色の花色を楽しんでもらうことができる。

トチノキはふつう実生繁殖した苗が利用されるのに対して、ベニバナトチノキは国内ではトチノキの台木に接ぎ木して増殖した苗木が利用されている。接ぎ木としている理由は、日本の気候に適合した台木を利用した方が抵抗力があること、ベニバナトチノキの実生繁殖は一般的ではないことが理由となっているようであり、さらに少々高めの接ぎ木をすれば、育種期間を大幅に短縮することもできる。

セイヨウトチノキは日本のトチノキと外観が似た樹種であるが、花色もトチノキ風で、ベニバナトチノキのように花色の個性が特にないため、国内ではこれを積極的に利用する理由がなく、植栽例は極めて少ない。トチノキの街路樹が多くみられる北海道内でも、セイヨウトチノキの街路樹は岩見沢市に数本あるのみ(北海道立利業試験場)という。

筑波実験植物園には、トチノキ、セイヨウトチノキ、ベニバナトチノキの3種が植栽されていて、トチノキ以外はどちらも接ぎ木増殖されたものが植栽されている。

セイヨウトチノキは新宿御苑と日比谷公園にも植栽があるが、いずれも株立ち状に分岐した変則的なもので、実生か接ぎ木か判別できない。

残念ながら、氏は外国、特にパリの育種と植栽事情までは確認しておられない。

以上

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