名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
東海道五十三次、徒歩で完走ーご報告(その2)---三山

東海道五十三次、徒歩で完走ーご報告(その2)---三山

「その1」に比べて写真の配置が2列にできました。この差が原因不明です。    管理人

4月16日(日) 快晴

水口宿~14.4km~石部宿~10.4km~草津宿~5.0km~月輪池の一里塚

7:30簡単な準備体操後、あや乃旅館を出発、水口石橋で東海道に入る。街道筋の桜も満開(写真21)である。まもなく水口一里塚(113里目:写真22)を経過、その後は北脇縄手というまっすぐな道(写真23)が2~3km続くと、泉の水口一里塚(114里目:写真24)である。

9:25街道とJR草津線との三雲踏切近くで休憩。

9:40出発、西北に進むと、大沙川トンネル(写真25)を抜ける。このトンネル上は川が流れており、完全な天井川である。さらに進むと夏見の一里塚(115里目:写真26)を経て、石部宿に入る(写真27)。
 

下記は写真21から写真27です。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【石部宿】

 

東海道51番目の宿場、京都から東へ下る旅人の多くが最初に泊まる宿場である。

町並:東西15町3間 家数:458軒(本陣2、脇本陣0、旅籠32) 人数:1606人(男808、女798)

 

10:50石部宿高札場跡(写真28)で休憩。今朝あや乃旅館でもらった握り飯を食う。

11:10出発、まもなく石部の一里塚(116里目:写真撮り忘れる)を経過、石部宿を出る。石部宿を出てまもなく、上道と下道に分かれているが小生の使っているガイドブックと違った道路になっており、道に迷ってしまった。ガイドブックは街道筋の道標について詳しい説明があるが、街道筋から離れると全く役に立たない。問い合せる人も民家もなく、走っている車を止め運転手に道を聞くが、東海道旧道など知っているものはなかなかいない。それでもやっと何台目かの運転手に旧道への道を教えてもらい、旧道に戻った。1時間近くロスした。西へ進む。

12:40長徳寺薬師如来堂前で休憩。非常食を摂る。

13:00出発、草津宿を目指し西方へ進む。六地蔵の一里塚(117里目:写真29)を経過、さらに西に進むと足利義尚の碑(写真30)がある。義尚が足利幕府の再興を図り着陣したがこの地で病没した。さらに西に進み、目川の一里塚(118里目:写真31)を経過、そして草津宿に入る。
 

下記は写真28から写真31です。

 

 

 

 

 

 

 

 

【草津宿】
 

東海道52番目の宿場、東海道と中山道が合流・分岐する交通の要衝として栄えた宿場町である。宿場の歴史は古く、鎌倉時代から交通の要として重要視され、信長・家康の政策により宿場機能が整備された。

町並:東西4町38間、南北7町15間半 家数:586軒(本陣2、脇本陣2、旅籠72) 人数:2351人(男1172、女1179)

 

15:00草津宿入口、追分道標(写真32)に到着。この道標には「右東海道いせ道 左中仙道美のぢ」と刻まれている。ここは三叉路になっており、江戸から来たものは左(南)に曲がれば京へ、右(北)に曲がれば中山道に向かうことになる。この三叉路を左に曲がるとすぐ田中本陣である。田中本陣(写真33)の遺構は立派に残され公開されているが、今回は道に迷い予定が大幅に遅れていること、また前に内覧したこともあることから入場は割愛した。草津宿の街道(写真34)はやや昔日の面影を残すが、こじんまりとした商店街で人通りも多い。草津宿では休憩もなく出発、まもなく野路の一里塚(119里目:写真35)を経過、さらに西南に歩く。

15:45萩の玉水跡(写真36)で休憩。ここは今でも清水が湧いており、昔は旅人の喉を潤したという。

15:55萩の玉水跡を出発、旧道をひたすら西南に向け歩き進むと、16:30月輪池の一里塚(120里目:写真37)に到着。今日の街道歩きはここまでとし、近くのJR瀬田駅に行き、電車で草津に戻り、17:10当日宿泊のアーバンホテル草津に到着。

(本日の行程:9時間、万歩計:50780、歩行距離※:41.1km)

(※:万歩計の計測値、宿から出発点まで、終点から宿まで、道に迷った場合等の全ての歩数を含む)

下記は写真32から写真37です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

  • 三山雅敏 より:

    鈴木直久様へ
    コメントいただき、ありがとうございました。
    鈴木さんの言われる通り、15年前に鈴木さんご夫妻とお会いしていました。従って、ご夫人とは15年ぶりの再会でした。小生の認知症が始まっているようです。(三山雅敏)