三山さんが、標記の通り東海道五十三次の徒歩を行っていたことが過去にこのブログで報告していましたが、その偉業を完走したので投稿がありました。写真が54枚もあるので、3回に分けてアップロードします。写真の番号は、原稿に1枚ごとに記載がなかったので写真の撮影番号順に管理人が付けました。後日訂正があるかも知れません。写真をクリックすると拡大されます。 写真に数字(①から⑨、10から20等)を入れました。
管理人 前田
ついにやり遂げました。
4月17日午後2時25分雨の中、京都・三条大橋に到着し、東海道53次江戸・日本橋から京・三条大橋まで完歩しました。
2年前の3月江戸・日本橋から始めた1か月1回のペースの東海道53次歩きは、今年4月15~17日が最後の歩行の旅となった。この3日間の歩行を下記に記録する。
4月15日(土) 曇り、午後時々雨
坂下宿~9.9km~土山宿~11.5km~水口宿
前回引き返した坂下宿に向かう。
自宅(千葉県松戸市)4:30出発、東海道新幹線一番列車品川発6:00に乗車、名古屋で関西本線に乗り換え、三重県亀山を経て関に9:14着。関駅よりタクシーにて坂下宿に向かう、坂下宿9:30着。坂下宿公民館の満開の桜が迎えてくれた(写真1)。
9:40 簡単な準備体操の後、歩き始める。前回写真撮りした松屋本陣跡、梅屋本陣跡をみながら、東海道歩きの難所の一つ、鈴鹿峠へ登っていく。片山神社から山道(写真2)になり、山道が続く(写真3)。鈴鹿峠近くに芭蕉の句碑「ほっしんの 初に越ゆる 鈴鹿山」(写真4)がある。
写真1 から 写真4です。
10:10頃、鈴鹿峠(伊勢の国と近江の国の境界線)を通過 (写真5)、下り道になる。思っていたより楽であった。しばらく山道を歩いた後、国道1号線に合流、1号線を西に歩く。山中碑(鈴鹿峠を守護した山中氏の記念碑(写真6)から東海道旧道に入り、山中一里塚跡(日本橋より109里目 (写真7)を通過。蟹坂古戦場(写真8)経て、土山宿に入り、高札所跡(写真9)を通過する。
写真5 から 写真9 です。
-
- 【土山宿】
- 【土山宿】
-
- 東海道49番目の宿場、西に向かう旅人が鈴鹿峠を越えて最初に入る宿場で、雨が多いところである。町並:東西22町55間 家数:351軒(本陣2、脇本陣1、旅籠44) 人数:1505人(男760、女745)
-
- 12:00道の駅「あいの土山」で食事休憩。天丼セットを食う。雨が降り出したので、上下の雨具を着る。
12:30出発、雨の中、土山宿の旧道を歩く。土山一里塚跡(110里目:写真10)を経て、土山宿の街並み(写真11)を見ながら、脇本陣跡、本陣跡(写真12)をゆっくり歩く。大黒屋本陣跡、問屋場跡(写真13)を過ぎると土山宿も終わり、次の水口宿を目指してひたすら旧道を歩く。市場の一里塚跡(111里目:写真14)を通過、
14:20土山町大野のバス停で休憩。雨が止み、好天になったので雨具を仕舞う。
14:40出発、旧道をひたすら西に進む。今郷の一里塚跡(112里目:写真15)を通過、さらに西へ、次の水口宿に向かう。
15:50冠木門のある水口宿東見付跡(写真16)に到着し、水口宿に入った。
- 12:00道の駅「あいの土山」で食事休憩。天丼セットを食う。雨が降り出したので、上下の雨具を着る。
-
- 【水口宿】
-
- 東海道50番目の宿場。江戸時代加藤氏の城下町として整備され、宿場内は珍しい「三筋の通り」が作られた。町並:東西22町6間 家数:692軒(本陣1、脇本陣1、旅籠41) 人数:2692人(男1314、女1378)
-
- 水口宿脇本陣跡(写真17)、街並み(写真18)、本陣跡(写真19)を見ながら、三筋の通り(写真20)に入る。その中央の通りを西に進む。16:25水口石橋に到着。ここから東海道を離れ、当日宿泊のあや乃旅館(滋賀県甲賀市水口町)に16:30到着。
-
- (本日の行程:6時間50分、万歩計:38203、歩行距離※:29.8km)
(※:万歩計の計測値、家から出発点まで、終点から宿まで、道に迷った場合等の全ての歩数を含む)
- (本日の行程:6時間50分、万歩計:38203、歩行距離※:29.8km)
三山さん 先ずは完歩おめでとうございます。2年余の積み重ねが素晴らしい結果となりましたね。継続することの大切さを改めて感じましたが、後期高齢者になってもまだまだ気力と馬力が残っていることに脱帽です。
お遍路巡りに続いての快挙はゴルフ場でもほとんどカートに乗らない日頃の心がけの結果でしょう。
続報の投稿がすべて終わってから再度コメントしたいと思っています。
前田さんお手数ですが投稿の調整をお願いいたします。
2017年5月4日 宮口