名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
ホッパーの作品「年に近づく」について(2)

ホッパーの作品「年に近づく」について(2)

投稿に対して、早速、前田、三山および宮口の三君から示唆に富むコメントをいただきました。思いがけないことで大変うれしく思います。それらのコメントは、優れた芸術作品は多様な見方が可能であることの表れだと思います。

 

また、宮口君のコメントには作品の寸法についての質問がありますが、鑑賞上必須であるその情報を記載しなかったことは、ぼくの明らかな手落ちです。そこで、改めて調べた結果、所蔵するThe Phillips Collectionのホームページに、この作品が紹介されており、そこに記載されていることを知りました。それによれば、寸法は271/8 inch(68.6cm) × 36 inch (91.4cm)です。

 

なお、描かれたのは、1946年ですが、同美術館がその翌年に購入したことも示されています。ぼくがそこを訪れたのは1989年(平成元年)ですから、購入後少なくともそれまでの間、目につきやすい階段の踊り場に掲げられ続けたとすれば、著明な同美術館における本作品の位置付けの高さが察せられます。

 

さらに、ホームページには、この作品に下記の説明(原文英語)が付いていますので。邦訳してご参考に供します。さすがに非常に丁寧な説明であり、これを読むと、ぼくは都会の孤独が表現されていることを強引に強調しすぎたようだと反省させられます。多くの見方が許されるということでご容赦いただきたいと思います。

 

今回の初めての投稿を通じて、ぼく自身いろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました。

いずれまた別のテーマで投稿させていただきたいと思います。

 

Edward Hopper (1882-1967)  都会に近づく (Approaching a City)、1946

(The Phillips Collectionのホームページの紹介文の邦訳)

 

旅行はホッパーの芸術で繰り返されるテーマである。初期のヨーロッパへの旅、ニューグランドのいたるところへの多くの旅行、南部とメキシコでの休暇旅行が、絵画作品に多くのモチーフをもたらした。しかし、故郷から離れて、St. Francis’ Tower, Santa Fe(The Phillips Collection所蔵)のような、習作と水彩画を描くあいだに、ホッパーは風景の美しさを表現することの難しさを知った。ありふれた対象を積極的に探し求めて、目的地よりも旅行そのものにしばしば大きな意義を与えた。

 

ホッパーの最も印象的な作品には喜びがない。旅行者が決まって利用する場所-停車場、橋およびホテル-は、特有なあるいは人を引き付けるものが全て取り除かれている。一つの光景の不可欠な要素を明らかにすることによって、ホッパーは、あたかもそれが初めてであるかのように、その光景を本当に見ていると本作品を見る人に確信させる。

 

「都会に近づく」は、注目をひく一瞬、すなわち、列車が都会に近づくときの減速という感じを呼び起こす、線路と地下道の広角の眺めを表現している。見えない旅行者(および本作品を見る人)は、完全に都会の中にもその外側のいずれにもいないという、奇妙な中間段階にある。重厚な壁は、遠くのアパートメントのビルから前景を分離して、孤立という感じに寄与している。ホッパーは、見る人に、そのわびしい状況に焦点を合させるとともに、トンネルの向こうに横たわるものに対して準備させる。くすんだ色のパレット-灰色、褐色、および黄土色-を用い、現代の都会の興奮とエネルギーを示唆するかもしれない明るい色を完全に除いて、ホッパーはその旅行の不安を強調する。そのかわりに、不安と好奇心の両方の感情を呼び起こす。究極的には、「都会に近づく」は現代社会の矛盾を伝えている。鉄道は普通の人々が遠い場所に行けるようにしたが、またそれらの場所を目新しくないものにもした。細部を目立たせないで場所を基本的な形状に還元することによって、ホッパーはその眺めを匿名にした。それは鉄道路線上にあるどのアメリカの都会でもありうる。ホッパーは、その場所がありふれたものであると主張するとともに、列車の目的地をあいまいにすることによって、予測できないかつ未知の世界を暗示する。

 

以上

(鈴木 直久 2016/09/14 記)

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