名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山

東京国立博物館への初詣で、 山本 雅晴

1月6日は天気も良かったので上野方面に出かけた。10年余り前から初詣がてらに博物館を訪れ、その年の干支にまつわる書画や工芸品を見ることにしている。この展示は2021年はコロナ禍でなかったが、それ以外は毎年欠かさずに見ている。(注:以下はPDFファイルでご覧ください。管理人)

東京国立博物館初もうで2023-1

横浜ローズホテルと中華街:パート2 、山本 雅晴

山田幹事と協力者のおかげでD38会を10月18~19日に盛大に無事終えた2か月後の12月22~23日に夫婦で訪れた。本当は晩秋の三渓園の紅葉も見たかったが機を逸した。年賀状作成のメドを得たので思いったって、一休のホテル予約com.を見ていたら神奈川県の旅行支援枠が使用できるとのことで早速申し込んだ。D38会の時と同様にクーポンも使用できた。山田さんいい所を見付けてくれてありがとう!

(注:写真等は上手に埋め込まれていたのでPDFファイルにしてアップロードしました。 管理人)

横浜中華街再訪2022-12

奈良・京都~紅葉巡り~山本雅晴

コロナ禍の拡大が懸念されているが、今春の京都・奈良桜巡りに続いて敢えて紅葉巡りをすることにした。当初は3泊4日の京都のみにする予定だったが、出発予定の1週間前に2週間天気予報を見たら予定の3日前から好天が続くとのことで急遽前の3日間を奈良行きに追加した。めぼしい奈良のホテルや旅館はすでに満杯で、奈良の3泊はやむなく高いマリオットホテルを予約した。8泊9日で全般に好天に恵まれ、夫婦で160才にはやや厳しい行程の日もあったが十分紅葉を満喫できた。その行程と主な訪問地について簡単にまとめてみました。

(長い紀行文ですが全文載せました。PDFファイルにしてあります。文字を拡大するときは「+」で選択ください。 管理人)

奈良・京都紅葉巡り2022-11

国立西洋美術館「ピカソとその時代~ベルリン国立ベルクグリューン美術館~展」鑑賞記、 山本 雅晴

1.緒言

ベルリン国立ベルクグリューン 美術館にはツアーで2013-10-18 に訪問したことがある。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の真向かいにある瀟洒な建物に、1996年美術商だったハインツ・ベルクグリューン(1914~2007)が開館した近現代作品中心の美術館である (写真1、写真2)。ピカソの初期から晩年までの作品を系統的に蒐集し展示していることから「ピカソ美術館」とも称される。本美術館は設備の老朽化と展示面積の拡張工事のため2025年まで閉鎖し、所蔵作品の展覧会ツアーが行われることになり、①国立西洋美術館(2022-10-8~2023-1-22)→②国立国際美術館(2023-2-4~5-21)→③上海→④北京 と巡回するらしい。(注:以下は下記のPDFファイルを見てください。管理人)

ピカソとその時代展鑑賞記2022-10-24

D38会/~横浜散策記(2022-10-19)~ 、山本雅晴

横浜・中華街ローズホテルでのD38懇親宴会の翌日の10月19日、木村吉弘、鈴木直久、山田稔、山本雅晴の4人で横浜の名所の一部を気ままに観光した。多少の坂はあるが上りの歩行は避けるようにした。

観光場所およびルートは下記の通り。(注:原稿は写真も完璧に配置されていたので下記の通りPDFファイルに変換しました。管理人)

D38会^7横浜散策022-10-19

 

国立西洋美術館のリニューアル・オープンを訪問、山本雅晴

約一年半の工期を終え4月からリニューアル・オープンした。今回の工事は2016-7-17に「ル・コルビュジェの建築作品~近代建築運動への顕著な貢献~」の7か国17資産が世界遺産に登録され、その一建築に国立西洋美術館がはいっている。何故かは知らないが、1959年に建築された状態に戻したようだ。前庭のロダンの彫刻像がコンクリートの庭に当時の状態に復元されて置かれている。私は1959年の開館1ヶ月半後の夏休みにここを訪れた。真夏の燦燦と日の照っている63年前の情景がよみがえった。今度改装された前庭を写真1で示した、当時は写真1の右端の外からの階段で2階の入り口から入ったように思われる。そして薄暗い写真2の回廊のところで、クールベの「波」の作品を見たことが強く印象に残っている

国立西洋美術館2022-6-4

画家ヤン・ファン・エイクの先進性について~その6~ 山本雅晴

Ⅰ、前報に続いてヤン・ファン・エイクの絵画の先進性について作品「最後の審判」などについて記述する。

1.「キリストの磔刑」と「最後の審判」 1440~41年、メトロポリタン美術館 2010-11-23 鑑賞

本作品は制作年や三連祭壇画の両翼かディプティク(二連画)なのか、画家はファン・エイクか他の画家の

手が入っているのかなど議論されており結論には至っていない点がある。最近の情報ではファン・エイクの遺作の作品の一つで、「最後の審判」の上部はファン・エイクの下絵をもとに工房の助手の手で完成されたという見解が支配的ではあるが、まだいろいろ議論されている。

ファン・エイク私論-その6-まとめ

画家ヤン・ファン・エイクの先進性について~その4:絵画~ 山本雅晴

前報に続いてヤン・ファン・エイクの絵画の先進性について個々の作品について記述する。

「宰相ニコラ・ロランの聖母子」 1435年、ルーヴル美術館所蔵、2015-7-8,2016-3-16 2回鑑賞

  フランス東部のブルゴーニュ公国のオータンの名門出身のニコラ・ロラン(1376~1462)は1422年にブルゴーニュ公国の宰相となった。百年戦争の和平会議が北フランスのアラスで1435年に開催された。この和平会議を取り仕切ったのは宰相ニコラ・ロランであり、外交官役としてヤン・ファン・エイクも善良公の命で出席している。アラス和平会議によりフランスのシャルル7世とブルゴーニュ公国が講和し、これによりブルゴーニュ公国とイギリスの同盟は破棄された。ブルゴーニュ公国の善良公と宰相ニコラ・ロランは思惑通りの決着となり、ファン・エイクも絵画を描ける時間を得た。この時、宰相ニコラ・ロランは60才になろうとしていた。自分の故郷の北東フランスのオータンの教区教会に寄贈すべくエイクに注文した。古代ローマの遺跡が散在するオータンの名門ロラン家の邸宅やブルゴーニュ・ワイナリーなどがある領地にエイクを呼び寄せた。そこで入念に「宰相ロランの聖母子」を完成させ、ニコラ・ロランは念願のオータンのノートルダム・ドゥ・シャステルへの献納を果たした。この絵にも今までと違ったトリックを入れた。図1に全体図を、図2に中央部拡大図を示した。

ファン・エイク私論4-ロラン聖母子