名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
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私が見たアメリカ Ⅲ、山田 稔

7.職員会議

この学校では、教員が一堂に会するいわゆる職員室がなく、各担当科目の教室ごとにその専門科目の教師の席がある。生徒は授業ごとに、教室を移動する。

月に1回の全校教師への連絡事項や相談事の会議には図書室が使われ、4,5人のテーブルに、思い思いの格好で席につき、職員会議が開かれる。何人かの教師が連絡事項を話す。それに対して質疑応答が行われる。改めて感ずるのは、実に多くの先生が発言することである。ざっと見ても60人くらいの職員で、半数以上が何らかの発言をし、ジョークを交え、最後に笑いを誘う全員参加型の会議であった。

この時間を利用して、あるときは外部の専門家を招いて、生徒の悩み、犯罪、性、麻薬などに関してどう指導し、向き合っていくかの講義があった。いかに早く問題を見つける感性を働かすかが重要だと。

聴講者の反応を見ながら進める。講師が理解を確かめるような質問を投げかけて、答えが返ってくる。すると「ご名答!!」とばかりにチョコレートを投げつけ、和気あいあいに進める。実にリラックスした講義だった。

 

8.モンスターペアレント、親の過保護

ここでもモンスターペアレントがいる。「うちの娘が赤点をもらった。早く追試をして及第点を与えてくれ」と電話がかかってる。当の本人も「先生、いつ追試してくれるのですか?」と、あっけらかんとしている。

日本で言う「父兄参観日」もあって、父親か母親が学校の授業参観にやってくる。その時、母親が「家で先生のことを食事の時に話題にしてたのよ。お世話になっています」まではよいが、「うちの娘は我がままで、しょうもないのよ」と。その娘は、母親のいる前で、教室の床にベタッと寝っ転がっていたこともあった。天真爛漫であるが、いい歳して子ども扱いである。

また、ホストファミリーの婆さんは、自分の孫に会うごとに100ドル札をポケットにそっと忍ばせていた。

また、教育にも関心が高く、先生を自宅に招くほど付き合いもホットであった。

アメリカへ移民して来るファミリーは、一代目はとにかく頑張る、二代目まではまあ頑張る、三代目はアメリカの豊かさに慣れて、ダメになるというのが普通の様である。どこも同じか。

ホストファミリーの婆さんも、娘婿が弁護士資格を取るまでは、娘の家庭を婆さんが支えていたと言う。そして、「今の若い者は苦労してないのよ、私はこれまで苦労してここまできたのよ」

 

9.食事

我がホストファミリーは、割に細かく面倒も見てくれたし、料理もそれなりに心こもるサービスをしてくれた。

でも一般の家庭はどうだろうか。日本語の練習で「昨日は何を食べましたか?」生徒は、チョッと考えて「昨日はピザを食べました」「昨日はスパゲッティを食べました」と答えが返ってくる。どうも本当らしい。

日本のように、メインディッシュに さらにもう一つ、二つ、それに味噌汁、漬物とつけるのは当たり前である。やはり日本の食事は豪華である。

アメリカ人が言う。日本の家庭を訪問した時、「私のためにこんなにご馳走していただいて!!」「これが普通の毎日です」と言って驚いたと。日本人がアメリカの家庭に招かれて、日本人は「大きな広い家ですね!」「いや、これが普通です」と、対照的である。

それにアメリカの一般家庭の食器、皿やカップなどは、大体白地でなんの変哲もない。日本での食器の華やかさ、これはもう芸術である。

改めて思う、日本の食事、その素材の地域ごと・季節ごとの豊富さ、肉、魚と植物性タンパク質などのバランス、料理法(和・洋・中、それに地域ごとのエスニックなど)、味のバラエティ・深さ(微妙なうま味)、加えて食器の彩・はなえかた なんという素晴らしさだろう。日本料理こそ世界に誇る世界の料理ではないか、立派な文化ではないか。むしろ。芸術である。日本料理が世界の無形文化遺産に登録されて10年以上になるが、もっともっと知ってほしい。知らせるべきである。

その代わりか、アメリカのスーパーマーケットには、パンなどにつけるジャムや、サラダや他のディッシュにつけるドレッシングは実に豊富である。

食品売場には寿司がパックに入って売られている。酢飯に海苔を巻いてなんでも乗っければお寿司である。とても買う気がしない。しかも高い。

ファーストフードでアジアのメニューが売られている。意外に人気があるのが理解できる。

 

10.レート

僕が行った時は、1$=90円前後であった。もうよかろうと思ってドルを買っても、さらに90円を切ることがあった。それが今はどうだろう、150円にもなっている。どう見ても1.5倍である、それに世界的な物価高で、それを合わせると、2倍にはなりそうである。今だったら大変だ、良い時に行ったと思う。

ちなみに、ここでの電気代(kwh当たり)は、当時のレートで日本の約三分の一、安い。教室は寒いくらいにエアコンが効いていた。ここの例だけで考えると、ちょっと節約すれば、10%、20%のエネルギー節約は簡単にできそうである。やはりエネルギー消費大国である。車に関しても同じだろう。

 

11.おおらかさ

ホストファミリーの婆さんが学生時代の同窓会があると言って、車で600㎞くらい先に出かけ、3日間家を留守にして僕一人になった。その間、愛犬は30㎞離れた娘の家庭に預けた。食品類の倉庫、冷蔵庫など、なんでも自由に使ってよい。すぐ隣の家の若奥さんには(子供二人もち)、「出かけている、日本人がいる」と挨拶はしておいたと。信じられない、全くの他人、しかも外国人の僕を一人おいて留守にする。自分だったら、姉・弟まではおいて出かけることはあったとしても、赤の他人をおいて出かけるなどありえない。勿論、僕を信じての結果であろうが、やはり信じられない。なんというおおらかさであろう、自分の小ささを恥じた。

ちなみに、彼らは現金を持たない。ほとんどがカード払いである。「現金を持つのは、100ドルまでだよ」と忠告してくれた。

同じことか、びっくりしたことは、ホストの孫の学友が遊びに来る。すると、その家の冷蔵庫を勝手に開けてドリンクなどを飲む。同様に学校の先生がホストファミリーの家に最初僕を迎え入れるのに挨拶に行く。その時でも、勝手に冷蔵庫を開け、ビールを飲むし、こちらにも振り舞う。日本のマナーから考えられることだろうか。その先生の家を僕が訪ねた時は、冷蔵庫からまるでお茶を出すように、ポンポンとビール瓶のふたを開け、サービスしてくれた。

ホストファミリーの娘の家庭で(ホームパーティの一つ)僕が料理をして振り舞おうとしたとき、孫娘の友達は、高いシンクの流しに腰を掛けて待っているという光景、どうみても日本のマナーとは違うな。

ついでにもう一つ。この滞在の翌年3月には、東北大地震・原発事故があった。ホストファミリーからしばらくしてメールで見舞いが来て、「Mr.山田は大丈夫か?危ないから、こちらに引っ越してきなさい」と。アメリカの広さから比べると、僕の家と福島との距離は、点に近いと思って放射線被ばくを心配してくれたのだろう。「問題ない、大丈夫だ」と伝えると、さらには、「家族全部引っ越してきなさいよ」と。

「LASA高校で寄付金を集めたが、どうすればよいだろう?」との問い合わせもあり、日赤を紹介した。その気遣いに感謝し、うれしかった。

ホストファミリーの話では、アメリカでは年収の10%、20%を寄付するのは、普通のことだと。

ホストは、身障者に運転免許取得の指導もボランティアで行っている。「偉いなあ」とねぎらうと、「忍耐(patience)あるのみ」と。

少しそれるが、ホストファミリーの近くで、毎日決まった時間に車を出して出勤していた。ある日、帰宅すると、家の中のモノが全部無くなっていた と。日本でも聞いたことがあるが、恐ろしい。

 

私が見たアメリカ Ⅱ、山田 稔

2.衛生感覚

日本のように、靴を脱いで部屋に入る、上がるという生活ではない。ホストファミリーの娘の家の前に芝生の庭がある。そこにブランコが設置されていて、孫娘はそこで素足で遊んだ後、自分の部屋にもそのまま入る。あるいは靴を履いたまま自分のベッド・机のある部屋に入る。信じられない。

教室は無論 靴のままで出入りする。その土足OKの床の上で、トランプをべたっと直に並べてゲームする。地べたリアンなどは当たり前である。

勿論 教科書(個人では持たず、生徒より少ない冊数が教室に置いてある、)の扱い方も、机の上だけでなく土足OKの床の上に広げる。子供が駄々をこねたときのように、床の上に直にベタっと寝っ転がるのも見かける。

日本でO157がかなり話題になった時期の後だったが、彼らは、O157の話はまるで知らなかった。

やはり、湿度が日本と違って低いから、あまり細菌に関して神経質ではないのか?

何れも日本の衛生感覚からすると信じられないことである。

 

3.日本のカレーライスとお好み焼き

IIPの事務局から日本の料理を紹介するのに、日本のカレーライスとお好み焼きが、簡単で、受けるよ とアドバイスをもらっていたので、どこにでも売っているカレーライスのルーと、お好み焼きができるように食材を用意していった。

やはり、料理の場に出くわして、「じゃ、今日は僕が料理しましょう」と言って、日本の標準的な流し台より高い流し台を使って(疲れる!)、冷や汗をかきながらカレーライスを振る舞った。ホストファミリー(娘の家庭全員も含めて)は、一同正座して僕の料理を待っている。恐る恐る皿に盛って振る舞う。「Oh、Good!!」である。カレーのルーはアメリカでも日本製が売られているが、1.5倍以上高い。

別の日には、いろいろトッピングしてお好み焼きを作って振る舞った。「Japanese Pizza!!」と言って絶賛だった。

さらに、別の日には、ホストファミリーの仲良し家族、孫娘たちの友達を集めてのパーティ、そこでもお好み焼きを振る舞い、さらには魚屋専門店で買った「マグロの刺身」を振る舞った。

あっという間に「刺身がおいしい」と言って、僕など一かけらも試食しないうちに終わってしまう、お好み焼きに至っては、そのレシピーから詳細にメモしていた。

お世辞半分としても「日本からシェフが来た!!」と大喜びだった。

我が家では、女房からいつも言われている、「あなたの料理は犬の餌だ」と。アメリカでは立派なシェフだった。女房がここで料理すれば、帝国ホテルかホテル大蔵の立派なシェフか?

 

4.アニメ、漫画

日本のアニメ、漫画、ゲームは日本の立派な文化として認められている。日本のアニメにあこがれる生徒は多い。「日本のアニメの学校(京都精華大学)に留学したいが、推薦状を書いてくれ」とまで言ってきた生徒もいる。

授業で簡単なテストをする。書き終わってしまってちょっと時間的な余裕があると、テスト用紙の裏に漫画を画く、それが一人や二人ではない。

習字を紹介して各生徒に書かせても、時間の余裕があれば、筆を使って漫画描きである。

言うまでもなく、アニメーション、コミックは立派な日本の文化であり、彼らの憧れの的である。

 

5.習字(Calligraphy)

これもIIP事務局から、習字をすると絶対受けるとアドバイスをもらっていたので、硯と墨と毛筆10本以上を用意していった。

墨を硯で磨るところから始まるインクに神秘性を感ずるらしい。それに加えて、漢字の面白さ、彼らにとっては、字を書くというより、絵を描く、芸術そのものであろう。

生徒のリクエストに応じて「夢」「愛」「恋」「希望」、、、、それに象形文字らしく「月」「日」「家」「馬」、、、を紹介すると、眼を輝かせる。

しかし、当たり前だが、習字における漢字のハネ、トメ、ハライなどは、まるでできない。とにかく真っすぐ棒を引くだけだし、形だけ同じような形になっていればよいのであって、書き順などはメチャクチャである

LASA高校だけでなく、比較的近隣の別の高校でもホストファミリーのコネで、1コマ出張授業で日本紹介の話と習字の実習をした。小学校でも呼ばれて習字の実習をした。

背筋を伸ばして習字をするのに、その姿勢は、ものの10分ももたない。思い思いの字を描いて本当に楽しそうだった。

前記の呼ばれた高校では、習字をする前に、日本紹介の一つとして、日本の結婚式及び昔型(僕の頃の)結婚式を紹介し、恥ずかしながら、僕の結婚式後の集合写真も見せた。花嫁は文欽高島田で、父親は羽織袴だった。

「侍だ!」「刀をさしていない」はいいが、「この楽しかるべきセレモニーになぜ皆難しい顔をしてるのか?スマイルがない?」「日本人は皆 生真面目だから、難しい顔をしているのだ」と。

 

6.離婚・社会格差

離婚は本当に多い。わずか3カ月弱の滞在中だけでもどれだけ生徒の親の離婚があって、生徒がなんとなく情緒不安定に変化していったことだろう。「離婚して父親(母親)と別れました」いう情報が入ってくる。大変多感な少年少女時期、やはりどういう理由にしろ、親と一緒に生活できないのは、生徒を精神的にも不安定にさせる。

日本語の練習の中でも「あなたは誰と住んでいますか?」という文型を練習する。生徒は素直に本当のことを話す。「母と、母のボーイフレンドと住んでいます」。普通のことである。

テキサス州にはメキシコに近いこともあって、メキシコ人が多い。一般的に言って、アングロサクソン系白人、ヒスパニック系、黒人の三層に、なにかにつけ別れる。富める層から貧困家庭もこの層に分かれる。離婚率もこの順番である。そして、人の肥満率もこの順番であるという。貧困層は、ハンバーガーとコカ・コーラを飲んで飢えを凌ぐことが多く、カロリーだけは高いから肥満になるという理屈らしい。学歴、失業率、犯罪、全てがこの順である。これらについて当時のNewsweekにも詳細なデータとともに記載されていた。

アメリカ滞在で感じたこと Ⅰ、山田 稔              

 2010年9月18日から12月14日まで、アメリカテキサス州オースティンに滞在した。
IIP(International Internship Program)と称して、日本と海外の国との友好親善を目的として、いろいろな学校・職業など海外で実地体験する 駐日アメリカ大使ライシャワー大使夫妻が始めた教育プログラムに参加した。
教育だけでなく、マスコミ、病院、銀行、公共団体、スポーツ、、、何でもある。自分の学んでみたい、または、教えてみたい、海外で経験してみたい、職種を申告し、受け入れ先を紹介してもらって、体験するのである。半分ボランティアでもあり、個人的興味関心を展開する場でもある。
特に若い人、視野を広げて近未来に活躍しようとする人には、非常に良い機会であろう。
僕はアメリカを希望、日本語を教えながら両国の理解親善を図る活動の一つに参加した。

目的 現役時代にも、海外赴任を考えたこともあるが、我が家の子弟の教育問題、マイホームの管理など考えると、どうしても決断実行できなかった。何とか定年まで勤めた後、一度海外で生活し、少しでも内側から外国を見る経験をしてみたかった。
また、定年後は、今までと違った場での経験をしてみたいと思い、再就職支援のコンサルティング、
環境ISOの審査員を通じて、いろいろな業態、組織、場所を訪ね、いろいろな人に出会った。僕の
半生とは違った環境・経験で生きてきた人たちを見て改めて感じたことは、その頑固さ、身につい
た過去の枠からはみ出せない頑固さ、考え方や生活スタイルの変わらなさを痛感させられた。だけ
ど、自分はどうなのか、全く違う環境、価値観の中でどこまで適応できるか、70歳にして試してみた
い。全くシガラミのない環境で、自由奔放に試してみたいという関心があった。 
そして、チョットは、下手な英語がどれだけ通じるか、うまくコミュニケートできるかを試してみたい、
裸の自分がどこまで受け入れられるのか、それを試すのが今回の目的だった。

一生徒の家庭にホームステイした。中の上クラスの住宅地で400㎡くらいの宅地に建つ 平屋で200㎡くらい、書斎1室と寝室1室を専用に当てがわれ、他にバスルームも当てがわれた。食事も用意してくれた。
テキサスの首都・オースティンで、最もレベルが高いと言われる(生徒や父兄が言う)公立学校で、テキサス州出身のJohnson大統領の記念に創立されたLASA(Liberal Arts & Science Academy)、日本でいうなれば、中学校から高校までの一貫校、日本語を選択科目とする中学生から5学年の生徒、約70人が対象である。(他には仏語、独語、スペイン語、中国語がある)教職員約60名、全校生徒約500人である。
毎日、生徒の学年が変わって、2コマ、3コマの授業で、日本語の補助教員を務める。必要経費は
全く支給されないので、I.I.Pへの登録、渡航費、交通費、教えるのに必要な学用備品など、全て自
己負担である。ホームステイにおける生活費(部屋代、光熱費、食費)は、ホストファミリーが負担し
てくれ、これもボランティアである。
生活は時差に慣れるまで4,5日かかったが、以後は問題なし。食事も何とかなった。学校にはカ
フェテリアもあるが、簡単な弁当まで用意してくれた。決して日本の家庭のような料理ではないが、
何とか我慢ができた。部屋も借り、食事もしてくれて、月200$は我が日本の家庭での生活費よりよ
り格安で、世話をしてくれた。これもホストファミリーの奉仕である。
元は、年収10万ドルは稼ぐ看護師だった。アメリカでは、日本より看護師のステータスは高いし、院
内でのステータスなども高いそうである。とてもよいオバサン(と言っても、僕より3歳若い)だった。
その娘の子(孫 男・女)がこの学校に通学している優等生であるそうな。さらに、個人情報だが、
ルーツはスコットランドで、やはり、仕事と住む家を求めて自分の代でテキサスに出て来たのだとか。
娘の婿の母親もルーツはスコットランド、婿はかってIBM勤務、後に弁護士の資格を取って弁護士。
学校に行くのに、先ず自転車で駅まで10分、それからできたばかりの電車で15分くらい、さらに、
駅で同校の先生が通勤車でピックアップしてくれて15分くらい。
最初に学校に行ってびっくりしたのは、同じ場所の同じ校舎で、2FがLASA高校、その1Fが黒人
の割合が高い 少しレベルの低い学校とで成り立っている。ぱっと教室を覗いただけで雰囲気が全
く異なる。LASA高校の生徒のプライドは高い。
生徒は上級生になると、自分の車で通学する生徒もいる、スクールバスも運行されている。高校で
は、伸び伸びと課外活動で青春を謳歌する生徒の姿があちこちで見られる。一方、学校の安全性
確保のためにガードマンが常駐しているなど、日本の学校とはまるで雰囲気が異なる。
僕がこの学校にいた頃は、生徒は中学1年生から高校2,3年生だったから、それから13年以上経
た今では大学も卒業し、社会人として、何かの専門家として立派な大人になって活躍しているだろ
うと、時々思い出す。将来のノーベル賞受賞者?いないと思う。John Hopkins大学に進学したと聞
いている人がいたが。Texas州立大学には、多くが進学する。
特にアメリカについては、マスコミやら本などで紹介されているから、今更 特別僕が報告することで
はないし、限られた範囲での感じた個人的な内容であり、しかも、10年以上前の話、変化もしてい
る、皆さんにも異論はあるでしょうが、それでも自分が直接目でみて、体験し、感じたことを思い出し
ながら報告してみたい。異論・反論大いに歓迎。

1, 自己主張が強い。存在感を示さないと無視されてしまう。
授業をしていると、時々生徒に確認のために、質問をする。日本と違って?「俺を当てろ、私を当てろ」とまるで幼稚園の児童のように手を挙げる。誰を当てようかと迷うほどである。
公平に当てることに気遣いながら(変な色目を使うと大変)、一人を当てる。やおら立ち上がり、「わかりません」。すると、周囲から日本で言うならば、「バカ」、「間抜け」「ヒョットコ」、、、、と罵声が飛ぶ。しかし、本人は平気である。分からないのになぜ手を挙げて指されたいのだろう?これがアメリカの自分の存在感を示す挙動の一つなのだろう。
彼女は、授業が終わると、教室の外で待っていたボーイフレンドと手を組んで、教室を後にする。このようなことは一度や二度ではない。
同じことだろうが、昼休みに日本に関する話題を提供しながらの自主的な勉強会、集まりがある。比較的身体も大きな大人びた女性が、観阿弥、世阿弥の能を紹介していた。てっきりどこかの大学の先生が能について歴史をたどりながら説明しているのかと思ったら、この学校の生徒の一人だった。恥ずかしいが、僕など全く知らないことを年代表とともに説明している。失礼だが、本当に能について何を知っているのだろうか、生徒に本当に知ってほしいことは、もっと能の基本的な意味・内容だろうと思った。それでも堂々と生徒の前で事細かに年代表、人物とともに発表する。もし日本人たる僕に補足説明しろと言われても何もできない。何が分かったのだろうか、知りたいのだろうか?
また、県の堺界だけが表示してある日本の地図を出して、ここは何県だ?とクイズのように当てっこする。集まった生徒もよく知っていて、福島県だ、長崎県だ、青森県だと言って得意がっていた。日本を知るために、これは必要なことだろうか? 我々もウィスコンシン州、サウスダコダがどこだ、アーカンソー州がどこだということは、それほど重要なことではない。必要な時に調べればよいような気もする。
このようなことで、「日本通だ」と思われても どうかな?と思う。別の機会・所で、時の挨拶ぐらいしか言えなくても、「私は日本語を習っている」という人にも会った。

出光美術館の展示会訪問と出光佐三の芸術・文化支援、 山本 雅晴

出光美術館は1966年、帝国劇場のある国際ビルの9階で開館した。出光佐三(1885~1981)が約70年にわたって収集した東洋・日本の陶磁器・工芸品や日本の書画の企画展示や海外の美術館作品などの企画展示を行ってきた。約60年になり、国際ビルが建替えとなるため、今年の12月で当分の間休館となる。小生は1990年から約35年間に94回本美術館で鑑賞することになる。ここで、過去の記憶に残る展示会を概観し、創始者の出光佐三の先見性のある芸術・文化への支援について簡単に記述してみる。

出光美術館と出光佐三の文化支援2024-9

 富士山登山(12回目) 、 山本信夫

7月22~23日 年中行事の一つ、富士山に登りました。

今年話題となっている吉田口コースはいろいろうるさそうなので、昨年と同じ富士宮口コースで行くこととしました。

今回、特に目立ったのは、外国人が多かったこと。

しかも大声で喋りながら歩く。女性は脚、腕,腹などの肌出しルック。

10人以上の団体が多く、狭い道だと全員が通り過ぎるのを待たされる。登り優先を知らない、等々。

そのうち日本の富士山は、外国人(とくに韓、中)に乗っ取られるのではないか、と危惧してます。

 

 

写真

①   水ヶ塚駐車場から富士山を望む

 

②   ご来光 (標高3400m地点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③   影富士 このコース以外では見られない、画面左上には満月も。

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④   頂上浅間大社前 (この神社で記帳すると年末に順位番付を通知してくれる)

 

 

⑤   頂上剣ヶ峰の最高標識での撮影順を待っている人々の列(2時間待ちとのこと)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑥   頂上お釜内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑦   頂上から南方下界を望む 上の奥は伊豆半島

 

東京国立博物館<神護寺展>鑑賞メモ 、 山本 雅晴

7月17日から「神護寺展」が開催され、その初日に出かけた。暑くなる前、混雑する前にと思って久しぶりに訪れた。東博での神社・仏閣展は今年から来年にかけ多数予定されている。「中尊寺金色堂展」1~4月、「法然と極楽浄土展」4~6月、「神護寺展」7~9月、来年の1~3月「大覚寺展」など。奈良国立博物館や京都国立博物館でも類似の展示会が開催されている。

東博・神護寺展2024-7

大文字山散策登山、 山本信夫

大阪でのコンサート観賞があり、ついでに天候も味方してくれるので、大文字山(標高465m)の登山を思いついた。8時京都駅着、京阪で出町柳に出、銀閣寺まで歩き、その近くの登山口9.15出発。山道はまあ良好だが、最終近くに急な石段(200段くらいか)がきつかった。急に開け大文字の中央部の火床に出る。京都市内全部が見渡される。こんな光景も珍しい。先の予定も考え、10.15下山、11.00銀閣寺着。
(当日の歩数、登山含めて23000歩)

写真
① 百万遍付近からの大文字山

 

 

 

 

 

 

 

② 銀閣寺入口路 ここを左折する

 

 

 

 

 

 

 

③ 手前は大の字の中心の火床 京都市内南部望む

 

 

 

 

 

 

 

④ 京都市内北部、西部を望む

 

 

 

 

 

 

 

⑤ 大文字中心部から上部をみる(右上が最高部)

 

水郷・佐原と銚子へ < 2泊3日の旅 > 山本 雅晴

小生は千葉県に住み始めてから四半世紀となる。房総方面は2度ほど訪れたが佐原や銚子は訪れたことがない。今回梅雨入り前の天候の安定した日を選んで行くことにした。車がないので公共の交通機関とアプローチの便利な宿舎を選んだ。香取市佐原は小江戸三市の一つで、他に川越市、栃木市がある。江戸との関わり深く、江戸の風情を醸す古い町並みを残す町のこと。

佐原と銚子の旅2024-6-7~9

三の丸尚蔵館 <1994~2023 と 新館開館 >、 山本 雅晴

三の丸尚蔵館へは1994年11月の開館から約30年の間に約170回(5~6回/年)訪れた。また、東宮御所の庭園にも同じ回数訪れている。おこがましいが、まさに小生のマイ・ミュージアムでありマイ・ガーデンである。簡単に三の丸尚蔵館の経緯をウィキペディアの記載を参考に要約して紹介する。

三の丸尚蔵館の経緯2024-5

東京寄り道散歩 ,    山本信夫

5月16日 D38東京の春の懇親会があり、関東の田舎から東京、しかも東京駅に行くのなら、 ついでに寄り道してみよう、それなら東京オリンピックの現場に行きたい、ということになりました。
まず新宿から千駄ヶ谷駅で降り、国立競技場に直行。受付で場内に入れないのかを聞くと、今日は入場できないとのこと、月に10日程度入場可能日があり、入場料は1800円(大人)とのこと。
近くには五輪マーク標識とか実際に用いられた聖火台とか、オリンピック記念館とかがあり、またやって来たいなと思った次第。

写真
① 国立競技場 なにしろバカでっかい

② 五輪マーク(所在場所はわかりにくい。記念館のすぐ前にある。)

③ 聖火台 左は60年前の東京五輪、右は札幌五輪のもの

④ 2022年に使用された聖火台

⑤ 近くにある絵画館 次回鑑賞予定

⑥ 今回の懇親会 テーブルのご馳走、飲み物にご注目あれ