Ⅳ
12.外国人から見た日本語
前述のように、この学校では、スペイン語、フランス語、ドイツ語、中国語、日本語の選択コースに分かれる。その当時では、スペイン語、フランス語に、そして意外なことに、日本語、中国語の順に人気がある。中国語の人気はまもなくもっと高くなるだろうと。今のように、米・中の関係が対立的になると、どうなっているかは分からないが。
しかし、文字も違う、全く違うジャンルの日本語に、西洋人にはさぞ難しいだろう、大変だろうとずっと思っていた。しかし、いろいろなルーツを持つ当地の英語話者は、「日本語は活用形にあまり例外がなく、規則正しく変化するから、覚えてしまうと簡単だ」と言うにはびっくりした。勿論、僕が日本にいる外国人に日本語を教えるボランティア活動を18年間続けたが、その間にも「日本語は難しい。この年になっても読めない漢字、書けない漢字はいくらもある。皆さん(外国人)もわからないことに悩まなくてよい」と激励してきた。日本語の奥深さにはキリがないことを承知の上で。
そして、どの人間の言語獲得の過程と同じように、やはり言語はまずspeakingからであろう。彼らは、意外に日本語をうまく操るのである、書くのはデタラメでも。
ちなみに、日本人で、各種の外国語を学んでいる人のうち、スペイン語を学んでいる人が一番Speakingできる率が高いということを2,30年前に聞いたことがある。フランス語はリエゾンがあるから、文字からとSpeakingからとは全く異なって難しい。
語学はやはりHearing 、Speakingから始めるのが、言語獲得の過程と同じように 自然なのだろう。
フランス語などは、動詞の変化まで来ると、その複雑さでギブアップする。そこへ来ると、ドイツ語は今思うとやさしいと思う。
13.人格の尊重
ちょっと大げさだが、どんなに年寄りでも、あるいは、子供でも一人の人間として、個の人間として対応してくれるような気がする。日本では、年寄りとみると、「汚い年寄り」と、疎んじられる。また、「子供だから」「女のくせに」「歳だから」と、ある枠で初めから忌避されるような社会である。
でも、わずかな期間であったが、そういうことで不快な目にあったことがない。何かができる、話をしていると面白いと感ずれば、その個の人格を認め、対等に扱ってくれるような気がする。滞在期間中の居心地は、日本よりも良かった。誰と話をしても、敬語を使うことに神経を使う必要がないこともあるかも知れない
少しそれるが、バスに乗っていた時のこと、停留所でもないところでバスが停まった。バスの乗客の若いグループ3人ほどが、バタバタと走って降りて行った。何事かと思うと、バスの少し先方で、電動車に乗る老人が、道の端で渡りきれなくてひっくり返っていた。若者らは、電動車をまともな位置に戻し、動かせるようにして、再びバスに乗り込んできた。乗客皆で拍手、このシーンに感動した。
14. 原爆の教え方、国家の意識
言うまでもなく「原爆が戦争を終わらせた」と教育されていた。勿論、アメリカがNo.1の国であると。
さらには、一日に一回は朝一番、授業が始まる前に、全校生徒が一斉に教室ごとに全員が立ち上がり、Pledge of allegianceを胸に右手を当てて生徒の唱和から始まる。
何をのたまっているのか分からないので、学生に尋ねてみた。以下のようなことだが、彼らも正確なスペルがさっと書けないのを見てある意味では安心もした。
I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the republic for which it stands, one nation, under God, Indivisible, with liberty and justice for all.
アメリカは個人崇拝(日本の戦前の天皇陛下のように)ではなく、国に対して誓う。
Texas Pledge
Honor The Texas Flag: I pledge allegiance to Thee Texas, One state under God, One and Indivisible.
アメリカのように多民族国家、各種のルーツを持つ人がいる国が、各人は「国家意識」を教育されている。
ついでにもう一つ、何回か小テストに立会い、その採点もした。その中で、何人かが落書きのように次のようなことが書いてある。On my honor, I have neither given nor received any unauthorized aid on my works nor do I tolerate academic dishonesty in others.
尋ねてみたら、要するに「私はカンニングなどの不正行為はしていない」ということを誓約している表現である。先生によっては試験を受ける学生全員に書かせていることもあるらしい。
15.日本製品、特に車
大きなスーパーの店の前に駐車している車をチェックしてみた。あいにくペンを持っていなかったので、日本車とそうでない車を指でプラスマイナスしながら(同数ならばゼロになる)カウントしてみた。
なんと50台くらいの母集団で、日本車がわずか2,3台少ないだけ、つまり、50%近くトヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダ、三菱、である。他はVolvo、BMB, VW, Ford, GM, Hyundai,,,,.驚きである。
レクサスの販売店が市内にあり、セダンタイプだけでなくRV仕様のレクサスも多く見られる。日本の軽自動車は見られないが、それよりも小型のかわいい車も時々見る。アメリカ北部では、車産業がだめになって大変である。その現実がここにも反映されている。もう一度別の母集団でカウントしてみても同じである。
ホストファミリーはレクサスに乗っていた。娘婿は、日本車は信頼性があり、燃費が良く、一番良いと。
ホストファミリーの娘(1970年前後生)は、「我々はJapan as No.1と教えられてきた」。対する我々の少年時代は、「アメリカはなんでも一番、日本は二等国どころか、三等国だ」と。
まとめ
- 心身ともに健康であること。しかも、自分だけでなく身近に健康上の心配を抱えていては不可能である。我が家族のいろいろな面での協力に感謝する。
- 何事にも臆せず行動する「ド心臓」も必要である。その「ド心臓」は、言葉の壁を超え、コミュニケーションにも必要である。構えたり、待っていてもなにも進まない。