忘年会に出席された方は山本さんの美術館巡りの膨大な資料をご存知と思います。今回、DVDで頂いたので、順次ご紹介したいと思います。尚、スパム退治の数が増えました。広告目的でコメント欄に書き込まれています。全て海外からです。「ひらがな」画像入力セキュリティを導入しました。(管理人 前田)
********* 以下が山本さんの投稿です ************
インターネット「ウィキペディア」などで入手した情報と小生が見た絵画をもとに簡単にまとめてみた。
1.「ひまわり」の原産地とそこからの伝播と栽培の経緯
①原産地:北アメリカ大陸西部であると考えられている。紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた。また、古代インカ帝国では「ひまわり」は太陽の花と尊ばれ、石造りの神殿にはひまわりの花が彫られ、司祭や太陽神に仕える聖女たちは、金細工のひまわりを身に着けていた。
②16世紀にコロンブスがアメリカ大陸を発見した後、1510年にスペイン人がひまわりの種を持ち帰り、マドリードの植物園で栽培を開始した。
③他国への伝播:スペイン以外の海外に持ち出されるまで100年近くを要し、17世紀にフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、種子に大きな価値が認められた。ロシア正教会はヒマワリを「齋」(ものいみ)の油脂食品禁止リストに載せていなかったため、19世紀半ばにはひまわりの種子の常食が民衆に普及した。ロシアが食用ひまわり生産の世界の先進国となった。また、ロシアの国花となっている。
④日本への伝播と文献への記述:日本へは17世紀にロシアを経て中国から到来した。1617年に王路の「花史左編」に「この植物の茎は一丈に余り、花はお盆のような大盤ではなびらは黄色く中心には蜂の巣のようで秋になると黒紫色になり堅くなる。」と記述されている。当初は「丈菊」別名「迎陽花」、日本に来る頃は中国名は「向日葵」というようになった。
江戸時代は園芸が盛んで新品種の開発などに将軍・大名・武士・町衆が競い合った。博物誌も出版されるようになった。1666年に中村 斎が「訓蒙図彙」という日本最初の百科事典といえるものを編纂し、「ひまわり」の図と説明が初めて記述されている。「訓蒙図彙」は園芸家によく読まれ初版から120年たった、1789年版にひまわりの挿絵が下河辺拾水により描かれた。日本版ボタニカルアートの嚆矢にあたる。
日本では昔から鑑賞用として栽培されているが、種子を食用や燃料に利用することに関しては割合最近まで関心が薄かった?。
2.「ひまわり」の描画の歴史と作品
①海外:あまり調査はしていないが、当方が現在持っている一番古い情報は「Gottorfer Codex」(ドイツ)で1649~1659年にボタニカル・アートとして描写し出版されたものです。絵画として描かれた例として、デ・ヘームの1651年「ワイングラスの果物と花の渦巻装飾」(ベルリン絵画館)、モネの1880年「ヴィトゥユの庭」(ワシントンNG)、1908年「花瓶のひまわり」(メトロポリタン美術館)。もっと古い時代のものがありそうですが、あったら教えてください!
ゴッホの1886年「水盤の向日葵と薔薇などの花」(マンハイム市美術館)、1887年秋パリで描かれた「切り取った2輪の向日葵A,B,C」、「4輪の枯れた向日葵」、および1888年8月から1889年1~2月に描かれた「花瓶の3~15輪の向日葵」の6点である。その他ゴーギャン、クリムト、E.ノルデなどの油彩画を別に記載する。
②日本国内:あまり調査はしていないが、当方が現在持っている情報の一番古い絵画は1759年に伊藤若冲の描いた「動植綵絵」;「向日葵雄鶏図」である。また、1764年に金刀比羅宮奥書院の「花丸図」として襖絵に向日葵が描かれている。ご存知のように若冲は珍しいものを描くことに人一倍興味を持ち、木村蒹葭堂「本草植物図彙」などの著作のある博学の人と懇意にしていたことから、ひまわりなども入手していたかもしれない。今の自分の手持ちの情報では、「ひまわり」の絵画への描写は日本は西洋の約100年後?。
酒井抱一は1823年に「十二か月花鳥図」の七月に描いている。鈴木其一は晩年の1850年代に「向日葵図」を描いている。
(2016-10-31 山本雅晴記)
鈴木さんのコメントの前半のひまわりの原産地云々は同様の感想です。版画仲間が昨年スペイン旅行時のひまわり畑の風景の作品を観ていましたのでスペイン原産と思っていました。
私の菜園でも以前、法面などでオランダ産の種から栽培した種を貰って花を咲かせたました。大きくなりすぎて添え木で支えないと台風時は倒れてしまって苦労した経験があります。
私の住んでいる相模原市の隣の座間市では河川敷きに大きなひまわり畑があり今は名所になり、ひまわり焼酎が開発されています(酒の話になってすみません)。
ひまわりに纏わる絵画の話は相応の興味がないとできないことと改めて感じました。
これからも山本さんの特有の切り口から色々な話題のご提供を期待しています。