名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
ゴッホ作品について(続き)、山本雅晴

ゴッホ作品について(続き)、山本雅晴

1.ゴッホ作品と日本とのかかわり(ウィキペディアから要約)

1)1910年、森鴎外が「スバル」誌上でゴッホの名前に触れたのが、日本の公刊物では最初である。

2)1910年に創刊された「白樺」は文学雑誌ではあったが、西洋美術の紹介をし、マネ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ロダン、マチスなどを取り上げた。

3)1911年に児島喜久雄が「ゴッホの手紙」の訳を、1912年には「ゴッホ特集」で多くの作品の写真が紹介された。

4)1920年に「白樺美術館第1回展」が開催され、実業家山本顧弥太に購入してもらったゴッホの「ひまわり」(6輪、1945年空襲で焼失)が展示された。

5)白樺派は西洋より早く、ゴッホ神話を作り上げたが、ゴッホの画業を語ることなく、画壇でも若手たちがゴッホやセザンヌに傾倒した。

6)1958年に初めて東京国立博物館と京都市美術館でクレーラ-・ミュラー美術館の素描70点、油彩60点からなる本格的なゴッホ展が開催され、日本のゴッホ熱が高まった。その後も類似の展覧会が開催され人気がある。

7)2011年現在、27点の油彩・水彩作品が日本に収蔵されている。主な作品の来歴を下記に示す。

①「ドービニーの庭」(ひろしま美術館):1890-7にオーヴェールで描かれた。ゴッホは間もなく自殺、弟のテオから

ドービニー夫人に寄贈、夫人は1890-11死去→画商ヴォラールが購入→1900年競売→1901年所有者ルクレルクが友人の画家シュフネッケルに黒猫を塗りつぶした?→→→1929年ベルリン国立美術館→1937年ヒトラーの退廃芸術追放で没収・売却→アムステルダムの銀行家クライマルスキー(ユダヤ人)・アメリカへ出国→1970年手放す→1974年競売→ひろしま美術館。全くよく似た作品はスイスのバーゼル美術館にある。

②「ひまわり」(東郷青児記念損保美術館):1888-12~89-1にアルルで描かれた。→→→1987-3-30にLDクリスティーズで安田生命が3950万ドル(約58億円)で落札。話題となり近代絵画の価格高騰の引き金となった。

③「医師ガシェの肖像画:第1バージョン」は1890-6にオーヴェル・シュル・オワーズで描かれた。弟テオの未亡人ヨハンナが→1897年にデンマーク人に300フランで売却→→1911年フランクフルトのシュテーデル美術館が取得し、1933年まで展示。→1937年ヒトラーの退廃芸術糾弾で没収、部下のゲーリングがアムステルダムの画商に売却→コレクターのクラマルスキー(ユダヤ人)に売却、ナチスを逃れてニューヨークへ→メトロポリタン美術館へ寄託・展示→所有者のクラマルスキー家から借用し、1985/1986年の国立西洋美術館/名古屋市博物館のゴッホ展で展示。その後クラマルスキー家がオークションに→1990-5-15にNYクリスティーズで斎藤了英が8350万ドル(約124億円)で落札し、日本国内では一度も展示されることもなく、1997年に斎藤家より秘かにサザビーズに売却→非公開オークションでヘッジファンド投資家フロットル:投資失敗で破産→2007年サザビーズの所有となっている。

なお、「医師ガシェの肖像画:第2バージョン」は1890-6にゴッホが複製し、ガシェ本人に贈られた。ガシェの遺族から他のポスト印象派絵画コレクションとともにフランス政府に寄付され、オルセー美術館に収蔵されている。

④「アルルのゴッホの寝室:第3バージョン」(オルセー美術館):1889-9サン=レミで描かれた。→ゴッホの家族に贈られた。→→1921-4~1922-2に松方コレクションに。→第二次世界大戦中パリ近郊のアボンダンに疎開していたが、日本は敗戦国のためフランス政府に押収→1951年サンフランシスコ講和条約後に寄贈返還が決まったが、矢代幸雄の粘り強い交渉にもかかわらず、本作品の返還は認められなかった。個人の財産まで戦勝国が没収することはできないはずだが。(Wikipedia:松方コレクションに詳細記述)

2.ゴッホの作品制作と保管

①キャンバスや絵の具などの費用や調達は弟のテオに依存しているが、画布を枠に張り付ける作業や描いた作品の保管も大変だったと思う。なんせ晩年は1~2日に1枚の油彩画を描いていたから。

②絵を描きだした27歳ごろから37歳で亡くなる10年間のデッサン、水彩画、油彩画2000点以上もある。初期から5年後くらいまでは、あまり上手とも思えないし、売れそうにもない作品までが保管されているのははなはだ疑問に思う。ゴッホや弟のテオの死後もテオの妻のヨハンナや子供がよくぞ保管していたものと思う!

③ヨハンナがゴッホの手紙の整理・出版(1914年)でゴッホの作品の知名度と付加価値の向上につながり、1920年頃までに、ゴッホの作品は各国で受容されるようになった。ヨハンナが手紙の出版を手掛けるより前に、ベルナールがゴッホの手紙や人柄を美術雑誌に紹介したことも寄与している。

3.小生が鑑賞したゴッホの作品ベスト10と見たい作品のベスト4

  1) 鑑賞した作品

   ①医師ガシェ博士の肖像(USA個人蔵):1890-6、JH-No.2007

②ラ・クローの収穫(アムステルダム・ゴッホ美術館):1888-6、JH-No.1440

③夜のカフェテラス(クレーラ-・ミュラ-美術館):1889-9、JH-No.1580

④ドービニーの庭(バーゼル美術館 or ひろしま美術館):1890-7、JH-No.2105、2104

⑤ひまわり(ノイエ・ピナコテ-ク):1888-8、JH-No.1561

⑥星月夜(NY近代美術館):1889-6、JH-No.1731

⑦ゴッホのアルルの寝室(アムステルダム・ゴッホ美術館):1888-10、JH-No.1608

⑧画架の前の自画像(アムステルダム・ゴッホ美術館):1887-秋/88-初、JH-No.1356

⑨タンギー爺さん(ロダン美術館):1887-秋/88-初、JH-No.1351

⑩花咲くアーモンドの枝(アムステルダム・ゴッホ美術館)1890-2、JH-No.1891

2) 見たい作品

①夜のカフェ(イェール大学美術館)1888-9  ②タンギー爺さん(S.Niarchos蔵)1887-秋/88-初

③ひまわり(3本)(USA個人蔵)1888-8     ④アイリス(ポール・ゲッティ美術館)1889-5

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