今年の正月はわが家恒例の百人一首の『かるたとり』をした。 都会からの孫娘のたっての要望である。私が詠み手 家内、娘組と孫娘(11歳)との対抗戦である。 彼女は何故か小学校でこれを教わりまたたくまに上の句 下の句の歌数十首を覚え 自信たっぷりであった。当然二人組はやられ 彼女の勝。その時の彼女の得意然とした顔が目に残った。 話はかるたとりのことではない。清少納言の歌と紫式部の歌が 心にひっかかった。
夜をこめて鳥の空ねをはかるとも、世に逢坂の関はゆるさじ 清少納言
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
この二首のうち 式部の歌は直ぐ理解できるが少納言の歌は難解でわからない。それもその筈この夜をこめての歌の意味は、昔高校二年の時習った中国の故事(孟嘗君客を好む、鶏鳴狗盗)の故事を知らないと判らない。鳥の鳴き声を真似をされても、ここは逢坂の関 孟嘗君のにわとりの函谷関ではない。だから関所の門は開くことはないのです。来ても無駄ですよ である。これで思い出すのはやはり ときの帝の中宮 定子と清少納言とのやりとりの故事である。(香炉峰の雪やいかに) 清少納言は即座に簾をかかげ 峰の雪を見せた。中宮も才女であれば少納言もそれに劣らぬ才女。
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聞き、香炉峰の雪は簾を掲げてみる。 白居易
さて紫式部も長編 源氏物語 を書いた大変な才女である。中国 唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇が頭にあったのだろうが、清少納言はその上を行ってたのではあるまいか。唐の貴族文化にあこがれていたのではとも思う。枕草子 以外の31文字の和歌にも難解なものを書くくらいだからである。しかし (めぐりあひて)の 紫式部の歌のほうが我々凡人にはよく理解でき身近である。
さて現実に戻ろう、もし清少納言と紫式部のふたりの才女が花嫁候補になったらどちらを選ぶか?。
また会社で採用するならば どちらを優先的に採用するか。
米国大統領選挙の時 (もしビールを飲むとすれば誰と一緒に飲みたいですか)と云う質問 以前にこのブログに書いたが もし先の二人の才女だったら どちらを誘うか?
思わぬ方向へ話は飛んだが 老々の身の今では 時すでに遅し馬鹿な夢を追ったにすぎず。
暇になるとろくな事しか考えずの典型であり、老人閑居して・・の典型的パターンである。
(‘19年 ’20年 コロナ下の今年も 同じことのくりかえし)私の不忘のための作文から
(2021年 正月記)
天智天皇を祀る大津市の近江神宮では、毎年1月に天皇にちなんだかるた大会が行われ、それをメディアが報じていますが、一般家庭で現在なお百人一首のかるた遊びが行われているとは思いませんでした。
子供のころ母が詠んで私と妹たちと取り合ったことが懐かしく思い出されます。