名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
2021年

D38会HP用/コロナブルーと近場散歩の花探し その2 バラ       、三山                                 

(写真のファイル名には番号と説明がされているが、ブログに掲載された際にファイル名が出てこない。写真に簡単に番号と説明が付ければ良いが、結構手間がかかるのでご容赦願いたい。管理人)

小生、コロナ禍の中毎日午前中1時間半から2時間、時には3時間散歩に出かけています。家を出るとすぐ速歩になります。四国お遍路、東海道53次完歩からの習い性です。ただまっしぐらに歩きます。しかし、バラの咲く5月は事情が変わります。速足ですが、辺りを見渡しながら歩きます。美しいバラを探し出すためです。小生の散歩道には大きなバラ園はありませんが、こうしたことから旧水戸街道筋や住宅地で見事なバラを咲かせた家や花畑を多く見つけ出しました。ここで立ち止まり、バラを観賞し、写真を撮りました。その数は20か所を超えています。近場のバラは5月10日頃に咲き始め約2週間が見ごろでした。この間、バラ咲く個所へは2度、3度訪れました。こうして撮った写真から7点を厳選してお送りします。

 

写真の1~5は個人の家の軒先、塀にからませた蔓バラです。

写真6は鉢植えバラです。

写真7は花畑のバラです。

本ホームページでお世話いただいている前田さんのお話によると、本ページに掲載できる写真はこの大きさで7枚が限度だとのことです。もっと大きな写真を見たい、もっと多くの写真を見たいと思われる方は、小生宛ご連絡下さい。小生のアドレスご存じの方は直接に、ご存じない方は本ホームページコメント経由でお願いします。小生より、原画を送信いたします。

以上

 

D38会HP用/コロナブルーと近場散歩の花探し その1 アジサイ、三山

(三山さんの写真には、説明がありますが、どのように記載するか検討中です。写真をクリックすれば拡大されます。 管理人)

コロナ禍により会合、飲み会など全くなくなり、その分散歩の時間が増えています。コロナ以前は1週
間5万歩目標でしたが、昨年3月以来7~8万歩近場を歩いています。小生、千葉県松戸市新松戸に
住んでいますから、松戸市北東地域と流山市南地域が散歩道になります。
一つの森(二十世紀の森公園)、二つの城跡(根木内城、小金城)、二つの一級河川(江戸川、坂川
)、三つの寺院(東漸寺、本土寺、東福寺)を順繰りに周遊しています。
昨年11月東漸寺のモミジに魅かれスマホで撮り始め、その後散歩に出かける毎に見かける花を撮り
続け、スマホの写真ストックが1,300枚となりました。それを編集して写真集にしました。皆様に見て
いただければありがたいです。
第1回はアジサイです。第2回以降は1週間ごと下記の投稿を考えています。
その2 バラ
その3 サクラ、ハナモモ
その4 庭の花、花壇
その5,アヤメ、ショウブ、アイリス
その6 草の花
その7 ナノハナ、サツキ、ツツジ
その8 樹の花
その9 展示会の花
その10 モミジ
その1 アジサイ
アジサイは日本の多くの場所で見ることができる花です。6月初めに咲き始め、7月下旬までが見ご
ろです。近場では寺院、マンション、個人宅の庭、道路脇など至る所で見られます。その中で本土寺は
アジサイの種類も株数も多く、毎年多くの見物客が訪れます。シーズンの入場は500円の有料です。
今年もコロナ禍の中多くの人が訪れていました。
アジサイの花の構造が面白い。にわか勉強で知ったのですが、アジサイの花びらに見えている部分
は「がく」で、本来の「花」は「がく」の真ん中に小さい粒のような「花」があるそうで、よっぽど注意して見
ないと見えません。この程度のサイズの写真では見えません。アジサイの一種ガクアジサイの場合は
、中心部に細かい粒の珊瑚状のものが「花」であり、その周囲に花びらに見えている部分は「がく」だそうです。

 


石川啄木について、鈴木直久

(鈴木さんから頂いた添付ファイルは[「winmail.dat」だった。私のソフトでは開けなかった。あちこち探して原因はリッチテキスト形式で作成され、outlookというメールソフトで送付されるとこのようになるとあった。この場合、gmailに転送されると読めるとあった。幸い、私は予備のメールアドレスをgmailで持っていたので皆さんにご披露できました。    管理人)

昨日の井上さんのブログを読ませていただいて、学生時代に啄木を愛読したことを懐かしく思い出しました。
当時岩波書店から啄木全集(全17巻)が発行されて、少なくともその半数以上を購入し、歌集、詩集、短篇小説、評論およびローマ字日記などを読み漁りましたので、わたしなりの彼のイメージが形成されました。
歌集以外で特に強い印象を受けたのはローマ字日記でした。それは妻に読まれないように態々ローマ字で書いたものです。それだけに日々の行動と感情が赤裸々に記録されていますから、特異な日記文学として高く評価されています。
最も優れているのはもちろん短歌の分野であり、その天才であると認めない人は皆無でしょう。
しかし、人間としてはあまりにも欠陥が多く、人の迷惑を顧みないあきれるばかりの「たかり魔」であり、家族を養う生活力がまるでなく、影響を受けたり世話になったりした人たちを陰で罵倒するような独善的な男でしたから、その人格には好意の持ちようがありません。
その才能を愛するがゆえに一途に経済的に支援した、盛岡高等小学校で三年先輩だった金田一京助などは稀有な例でしょう。
そんなわけで、卒業して社会に出てから、彼に対する関心が急速に冷めたのだと思います。
それでも随分後になって、1991年(平成3年)10月下旬、社用で道東の別海町に滞在した帰途、釧路市で一泊しましたが、そのとき思い立って釧路駅から歩いて米町公園の啄木の歌碑を訪ねたくらいの関心は持続しました。
啄木が旧釧路新聞に勤務したのは、わずか3ヶ月足らずだったのに、今日調べてみると釧路には何と25もの多くの歌碑がありますが、それが最も古いものだそうです。
歌碑には次の作品が刻まれていました。
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
啄木としては名作とは言えないかもしれませんが、同行者はなく、しかも人気のない晩秋の夕方でしたから、啄木に対する郷愁とわが身の旅愁とをいささか感じさせられました。
所有した全集は会社に入ってからいつの間にか処分してしまいましたが、それでも第一巻の歌集だけは現在も残っています。
全く久しぶりに二重書棚の奥から取り出してみました。奥付を見ると昭和36年4月13日発行とあります。何と丁度60年前のものです。
それは最も有名な次の作品から始まっています。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて

蟹とたはむる

 

わが夫(つま)啄木  著者 鳥越 碧(みどり)を読んで、井上和延

ある本の紹介と興味ありだったら買って です。

 

 

題名 わが夫(つま)啄木  著者 鳥越 碧(みどり) 文芸春秋社

内容は 明治の古きしきたり更に東北岩手の封建的な時代のなか ひとりの目覚めた青年啄木の生き様を うら若き妻の目から見た姿が描かれてました。 著者のかなりの調査、勉強がなければ これだけの内容 数々の我々の知らない詩を描くことできずと思いました。本中の啄木の詩といい著者の深い調査と云い大変優れたいい本。なのに売れのこりがでてしまったそうです。

著者の鳥越さんはわたくしの家人の友人で私も小説を通しての知人。それゆえブログの管理人の許しを得て掲載した次第。

我々は1+1=10 11+1=20等の難しい数学。石炭から水性ガス更に水素を取り出しNと反応させアンモニア。時速100kmの電車の中で垂直にジャンプしたら何処に堕ちるか等々 工学部の固い勉強をしてきた身、甘ちょろい 軟派的な文学には縁がうすく 興味ない方も多いかと思います。しかし年をとり 短い人生での自分の姿を見てきたものにとって、このよううな文学、特に詩に歌にあるいは漢詩に 心を通わせることも健康に良いのではと思うことありです。

D38の皆様 こういった本もあること 啄木の詩の好きな井上の推奨本 だまされたと思って心にとめおいてください。 そして 出来たら購入してください。

購入は本屋では扱ってなく アマゾンで検索し購入していただきたいと著者からありました。

PCでは アマゾン⇒すべての白ワク(わが夫啄木)で検索⇒本を選ぶ⇒新品¥1980 著者のサイン入りをクリック  (中古品もあり)送料無料

スマホの場合もおなじ。

(PS) 著者は 過去種々著作あり。 雁金屋草紙(時代小説大賞受賞) あがの夕話 想い草

萌がさね 蔦かずら 一葉  漱石の妻

 

(PS)もうひとつ付け加えます。 啄木15,6歳?のときに書いたという詩

天地(あめつち)の酸素の神の恋なりて 水素はついに水となりけり。

2年のときの化学実験教科書の空きに落書きしてありました。

多分文学の授業の教授に教わったか?です。この歌は上記の本には無し。

湯川秀樹博士にも あめつちの・・・・の詩がありと 九州佐々木さんより

また 岩手の 盛岡や渋民村へ行ったときのこと私の備忘録にありますので載せていただきたく。

 

グリューネヴァルトの磔刑図、鈴木直久

(原稿で頂いたWORD文章中の写真がコピペでWordPressに取り込めず、写真を一度Word文章から別途画像出力して、この原稿に挿入する段階で、最初にある写真以降の文章をコピペ忘れして、読者の皆さんにご迷惑をおかけしました。   管理人)

私は音楽評論家として知られる吉田秀和のフアンであり、現役時代には公立図書館から全集などを借りてきて読んでいた。自宅の二重書棚には現在もなお氏の文庫本が二十数冊並んでいる。先日何気なくチェックして、通読した印のないものが数冊あることに気付いた。そこで終活の一環としてでは吉田さんに失礼かもしれないが、それらを通読することにした。

そして現在「音楽の旅・絵の旅」を読んでいる。それは1976年に行った3ヶ月のヨーロッパ旅行の旅日記の体裁をとって書かれている。氏は絵画にも造詣が深い。

 

そのなかに「グリューネヴァルト体験」という一文がある。わたしにもささやかな「グリューネヴァルト体験」があることを思い出したので、まずそれから書いてみたい。

 

1989年10月に、ワシントンDCにあるナショナル・ギャラリーを二日間訪れる機会に恵まれた。

しかし全く予期しないことだったので事前調査ができず、やむなく中世のイタリア美術から近代までの多くの絵画展示室を順番に巡った。

 

そのうちにキリストの磔刑図の前で足が止まった。小さな画面ながら、情け容赦なく無残に傷つけられたキリストが、執拗極まりなく写実的に描かれている。見るものに訴える力が尋常ではない。これほど痛ましい十字架上の死んだキリストの姿はないにちがいないと思った。そのようなキリストの磔刑図を見たのは後にも先にもその一度だけである。

小磔刑図(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

画面に向かって右手に立つのは洗礼者ヨハネ、左手のそれは聖母マリア、そして地面に膝くのはマグダラのマリアである。

それを描いた画家がドイツのグリューネヴァルト(1465年頃-1528年)であることを帰国後に確認したが、今日その作品の大きさを調べてみて、わずか61.6×46㎝しかないことに改めて驚いた。もっと大きかったと記憶していたからである。作品の迫力がそうさせたとしか考えられない。

 

この作品は1420-1425年頃描かれたもので、バイエルンのヴィルヘルム公が愛蔵したと伝えられる。彼の作品は、わずか12点程度しか知られていないこと、ドイツ、フランスおよびスイス以外に所蔵されているのはアメリカのこの1点のみであることも今日ネットで調べて知った(グリューネヴァルトと芸術家列伝の二語を入力すると一覧表が表示される)。

 

ついでに付記すれば彼はより有名なデューラーと同じ 1628 年にペストのために死んだ。

 

さて吉田さんの文章に戻ることにする。

 

氏は旅行中ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト(黒い森)の周辺に住む知人宅に暫く滞在し、その間に知人の車に同乗して国境を越え、アルザス地方の古い町コルマールに行って、ウンターリンデン美術館で、グリューネヴァルトが描いた「イーゼンハイムの祭壇画」を見た。「グリューネヴァルト体験」はそのことを意味する。

 

その祭壇画は彼の代表作であるから、画家の名前を知る人は100パーセントがこの作品を先ず思い浮かべるにちがいない。

それは観音開きで開くことができる三面の絵とそれらの下に袴のように取り付けられたブラデッラと呼ばれる絵一面で構成されている。そして現在は三面の絵が切り離されて横並びに展示されているから見学者はありがたい。

第一面の中央にキリストの磔刑図がある(次ページ)。

イーゼンハイムの祭壇画(第1面とブラデッラ)

 

吉田さんは全ての画面について詳細に紹介してくれているが、わたしの小文は磔刑図体験がテーマであるから、ここでは磔刑図が描かれている第一面だけを紹介することにしたい。他の二面の絵もネットで簡単に見ることができるから、興味のある方はご覧いただきたいと思う。

 

さて、第一面の中央の磔刑図の大きさは、265×304㎝だから上述の小磔刑図よりはるかに大きい。寸法が大きいのは礼拝堂の祭壇画として描かれたからであろう。

 

この祭壇画は小磔刑図よりも先に1511から1515年頃に描かれたとされる。わずか4,5年の差である。その間隔はわずかなものであるから両作品には寸法以外に際立った差はないように思われる。もっとも上に触れた作品リスト中のキリストはいずれも非常によく似ている。この画家にとってそれがキリストの絶対イメージなのであろう。

 

この祭壇画の磔刑図を小磔刑図と比較すると、後者にはない使徒ヨハネ(聖母マリアを支えている)と子羊が加わり、また洗礼者ヨハネの右手はキリストを指している。吉田さんはそれらの配置について主に構図の観点から解析しているが、小磔刑図と比較できるわたしの目には、制作の依頼者の希望によるものかもしれないが、祭壇の画面の方がはるかに大きいので、そのようにしないと間が持たないからだとも思えてくる。

それから小磔刑図の聖母マリアの着衣が暗いのに対して祭壇画の方は明るい白一色である。それは明らかに、画面にアクセントをもたらすとともに、聖母マリアを際立たせるために意図されたものであろう。

文章が尻切れトンボになって申し訳ないが、巨大なワシントン・ナショナルギャラリーの一隅でのささやかな体験が、フランス東部の見知らぬ由緒ある田舎町の、有名な祭壇画と結びついたことに満足している。

中国の漢字と日本の漢字、井上和延

その1

日本の高校生が 日中交流を目的で中国への修学旅行をしたときの話です(阿辻哲次 遊々漢字学から)。      一行がバスに乗ってお別れのとき、日本の生徒が窓から 紙に(手紙)と書いて向うの生徒に見せた。(手紙だすよ)の別れの言葉であったが 向うの生徒はあわてて走ってどこからかトイレットペーパーを持ってきて日本の生徒に渡した。日本語の手紙は中国ではトイレットペーパー(チリ紙)のことを云うのだそうだ。そこではじめて両国の漢字の大きな差を知ったそうである。中国の生徒も日本の生徒も 真の修学旅行をし 真の友情を知ったと思いました。こんな話をするのは 前にも書いたが武漢コロナのときの話しがあったからである。武漢加油 (頑張れ武漢) 僧 鑑真の言葉 (山川異城 同月同天)につながるものである。文字は異なれど意志は通じ合えるものと思ったからである。

しかし 我々は漢字は中国から来たものであるから 意味は同じ、通じるものと思っていたが 必ずしも正しくないとしらなければならない。

例えば 我愛老婆 不用勉強 我想去上海 走る 我想吃餃子 告訴 

老婆は(妻)であり不用勉強は無理するなであり 我想去は上海へ行きたい 去は行くの意で、吃は食べる 告訴は単に伝えるである。まだ沢山 日本と中国の漢字の意味が全然違うもの沢山ありである。武漢コロナの(武漢加油)が思わぬ方向に発展した。年をとっても知らぬ事沢山あり、まだ死ねず。

 

その2

日本の文字 即ちひらがなとカタカナは非常によく練られた優秀な文字で 系統的、数学的である。母音 (あいうえお) 子音 (あ)(か さ た な は ま や ら わ)が 縦と横の列に並び ぴったりと合わされている。またカタカナは明治時代に出来たと思うが ABC・の外国の文字の言葉が日本に入って来た為 対応できるもうひとつの字が必要になりカタカナが出来 先の(あかさたな・・)に合わせてつくられた。次第に外国語の頻度があがり 便利になり一般化した。(私の推量です)このような観点から見ると 中国は漢字一つ?で総てを賄うと云う事に自ずと無理が生じてこないだろうかと よそ事 内政干渉になるが疑問がわく。ましては世界は狭くなり言葉も世界的になっているし ABCの字も沢山使われるようになってきているからである。例えば スポーツニュース 中国語では体育新聞、その他 外国の国 フィリピン ブラジル アルゼンチン・・ 更に私の疑問は 化学用語や物質名ベンゼン トルエン ポリエチレン 塩化ビニル・・どういう漢字だろうか。又世界の統計上の諸要素。都市名等。

昔の漢字は意味を推量できたが、今の中国の簡略字は意味をはかり知る事不可能である。例えば 白⇒白・・国 ⇒国・・ 京⇒京・・ 春⇒春・・等々(PCにこの略字ないため書けず)25~26年前 台湾に出張したことがあり 小さな餃子の店に入ったら 小学生の女の子が隅のテーブルで一生懸命漢字の練習をしていた。覗いて驚いたことがある。 我々の戦前の難しい漢字の書き取りの宿題?をやっていた。 聴く。大學。聲。櫻。 今も台湾では私の拝見したものと一緒か。

上海、広東は漢字だけれど 北京と違うものだろうか。

日本のカタカナの導入は先見の明ありと思うが。これにより日本人は表現が楽になり エネルギーを他の分野につぎ込めたのではないだろうか? もしカタカナがなかったらと思うと(漢字だけ、ハングルだけ)現代人は非常に苦労したのではあるまいか。また中国の人は漢字の書き方忘れた時どうするのだろうか?例えば (貯蔵) ややこしいから 貯ぞうと書いてしまう、 私なんぞはこの類。

30年ほど前 中国重慶のGF工業の (孫)デレクターが 唐詩300選なる本を送ってくれた。中国の市販本である。 私が日本での送別の会食で王維の

(謂城の長雨 軽塵を潤す、客舎青々・・)と送別の詩をうたったら帰られてから送ってくれたものである。その詩の中には沢山の日本でよく知られてる漢詩があった。しかし残念ことに先に述べたとおり略字が多かった。なかなか読めずである。

折角の名詩も味気がなくなる。

先ず日本でよく知られてる漢詩 いただいた本中のものと比較してみる。

国破れて山河あり、城春にして草木深し、時に感じては花にも涙を潅ぎ 

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

国破山河在 城春草木深 感花潅泪 恨別□□心  □の中の字略字 読めず。

杜甫の詩 涼州詩  葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す 

酔うて沙場に臥す 君笑う勿れ 古来征戦幾人か回る   

美酒夜光杯 欲琵琶馬上催 酔笑 古来征□□□回 

まだまだ 沢山あるが 長いことはよくなし。私の話が間違ってるかもしれず。

中国通のかた教えてください。

またまた余計なつぎ足しです

(付記) 受験用暗記  なくようぐいす平安京(794年)こういった表現は中国語では出来ぬのでは ついでに わすれてくれな唐亡ぶ(907年)

中国は 世界の学習到達度世界一ですから 私は 馬鹿をいってると思われるかも。

上記 到達度とは世界の15歳の生徒の平均得点の国際比較のデータ(2019年)

科学的応用力590点⇒世界一 読解力555点⇒世界一 数学的応用力591点⇒世界一 日本は 5位 15位 5位 気になるのは 中国のマカオも3部門

すべて3位 香港 9位 4位 4位 ここは素直な気持ちでこの数字を見よう。

(コロナ下の2020年11月  記)

 

清少納言と紫式部のうた 百人一首より 、井上和延

 今年の正月はわが家恒例の百人一首の『かるたとり』をした。 都会からの孫娘のたっての要望である。私が詠み手 家内、娘組と孫娘(11歳)との対抗戦である。 彼女は何故か小学校でこれを教わりまたたくまに上の句 下の句の歌数十首を覚え 自信たっぷりであった。当然二人組はやられ 彼女の勝。その時の彼女の得意然とした顔が目に残った。 話はかるたとりのことではない。清少納言の歌と紫式部の歌が 心にひっかかった。

夜をこめて鳥の空ねをはかるとも、世に逢坂の関はゆるさじ    清少納言

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな 紫式部

この二首のうち 式部の歌は直ぐ理解できるが少納言の歌は難解でわからない。それもその筈この夜をこめての歌の意味は、昔高校二年の時習った中国の故事(孟嘗君客を好む、鶏鳴狗盗)の故事を知らないと判らない。鳥の鳴き声を真似をされても、ここは逢坂の関 孟嘗君のにわとりの函谷関ではない。だから関所の門は開くことはないのです。来ても無駄ですよ である。これで思い出すのはやはり ときの帝の中宮 定子と清少納言とのやりとりの故事である。(香炉峰の雪やいかに) 清少納言は即座に簾をかかげ 峰の雪を見せた。中宮も才女であれば少納言もそれに劣らぬ才女。

遺愛寺の鐘は枕を欹てて聞き、香炉峰の雪は簾を掲げてみる。  白居易

さて紫式部も長編 源氏物語 を書いた大変な才女である。中国 唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇が頭にあったのだろうが、清少納言はその上を行ってたのではあるまいか。唐の貴族文化にあこがれていたのではとも思う。枕草子 以外の31文字の和歌にも難解なものを書くくらいだからである。しかし (めぐりあひて)の 紫式部の歌のほうが我々凡人にはよく理解でき身近である。

さて現実に戻ろう、もし清少納言と紫式部のふたりの才女が花嫁候補になったらどちらを選ぶか?。

また会社で採用するならば どちらを優先的に採用するか

米国大統領選挙の時 (もしビールを飲むとすれば誰と一緒に飲みたいですか)と云う質問 以前にこのブログに書いたが もし先の二人の才女だったら どちらを誘うか?

思わぬ方向へ話は飛んだが 老々の身の今では 時すでに遅し馬鹿な夢を追ったにすぎず。

暇になるとろくな事しか考えずの典型であり、老人閑居して・・の典型的パターンである。

(‘19年 ’20年 コロナ下の今年も 同じことのくりかえし)私の不忘のための作文から

(2021年 正月記)

2020年の美術・音楽・遺産放映番組などの回顧 、 山本 雅晴

例年は美術鑑賞を中心とした記述にしていたが、昨年はコロナ禍で出かけることができずネタ不足で内容を変更しました。音楽については評論などできません。聴いた作品の羅列程度であるが、昨年はベートーヴェン生誕250年ということで多くの演奏会がなされ放送された。他のTV放映は新規なものは少なかったが、アーカイブスものが多く、閉じこもりで暇な時間が多い小生にとっては多く鑑賞できた。また、過去10年間持ち腐れ状態のBD(ブルーレイ・ディスク)の個人録画作品も多少は鑑賞できた。

  • 美術鑑賞

過去30年くらいは国内外の美術鑑賞を100回以上/年、海外へはここ15年間1~3回/年のペースで行っていたが途絶えた。昨年の美術鑑賞は8回で主なものは下記の3件であった。ここ30数年の美術鑑賞でエクセルにリストアップしたトータル件数は4310件でイチローの日・米安打数の4367本には届かず!

  • 江戸東京博物館「大浮世絵展・後期」2020-1-15 。国際浮世絵学会の開催に合わせて世界の美術館から名品を集めて歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の作品が展示されていた。浮世絵についてはこれで見納めのつもりで鑑賞した。初刷りで保存性の良い名品も見ることができた。
  • 東京国立博物館「出雲と大和展」2020-1-22 。日本書紀成立1300年記念展で島根県や奈良県所在の国宝・重文の出土品など多数出品され、日本の古代の歴史を多少とも理解できた。
  • 国立西洋美術館「ロンドンNG展」2020-6-19。海外への初出展で、選りすぐりの作品をじっくり見ることができた。コロナ禍で開催が3ヶ月遅れ、日時指定の予約鑑賞が初めて導入された。入場人数がコントロールされゆっくり見れた。NGには3度行っているが、作品数が多く展示場所も広いのであまりよく見ていない名品が多々あった。

2020年に新改築・再開館した美術館:① アーティゾン美術館(旧名;ブリヂストン美術館・5年ぶりの再開) ② SOMPO美術館(旧名:東郷青児・損保美術館) ③ 京都市京セラ美術館(旧名:京都市美術館)などに行きたかったが後日に延ばした。

今までに鑑賞した主要画家の作品のリストアップとそれに対するまとめをすることにした。

  • ゴッホ:昨年の前半にゴッホの手紙集を読み、作品が描かれた状況を類推しつつPC画面に映し出された主要作品をあらためて見た。アムステルダムのゴッホ美術館はゴッホ作品のデータベースの構築に極めて熱心で一般の人にも開放されており楽しく利用できる。ゴッホの主要油彩画の約9割、油彩画全体の約6割は鑑賞している。
  • セザンヌ:昨年の後半から過去に少しリストアップしていたデータを元に再挑戦している。このようなことに挑戦している先進の同好の士の教示も受けている。エクサンプロヴァンスのセザンヌのアトリエやサントヴィクトワール山とそれを描いた場所にも行ったことがあり親しみを感じつつ楽しく調査をしている。美術館の資料室が利用できないので未確認事項が多々残されている。

このようなPCによる調査をしている中で感じたこと!

  • 日本の美術館のデータベース構築は著しく遅れている。洋画作品でもリストアップとデータベース化が一般の人が利用しやすいようになっている美術館は極めて少ないように思われる。ましてや日本画や工芸品はなおさらである。昨年の8月にボランティアと東京国立博物館や国立国会図書館などの協力でウエブサイトを立ち上げたと報道され試してみたがまだまだデータが少ない。国公立・民間の美術・博物館も参加して構築しなければ有効に活用しにくくい。各部署が横断的に統一した方式で協力と努力が必要で時間がかかるであろう。
  • 以前にロシアの美術館の主要作品の調査を試みたが、ロシア人の画家の作品は地方の美術館までリストアップされデータベース化が進んでいるのに驚いた。また、Google Art Project の支援?でエルミタージュ美術館、プーシキン美術館などのデータベース構築が進んでいる。
  • 米国の主な美術館はデータベース化と情報公開が進んでおり、個人でも利用しやすい。
  • 音楽鑑賞

11年前に60インチTVとAVセンター、ブルーレイ・レコーダ、スピーカなど一式購入した。残念ながらリアー・スピーカは設置できていない。美術・音楽・旅番組などを今までにかなり録画したが有効活用はされていない。小生は年を取る前から朝型で4時過ぎには目が覚め起きている。夜の見たい番組はHDに録画し朝~夕方に見ることにしている。また、自分の部屋に古いアナログレコード・プレイヤーが使用可能な状態にあり、手持ちの40~50枚の昔のレコードを数回/年聴くこともある。

BS-3の朝5時~6時のクラッシック音楽は月~金曜には必ず聴いている。その他NHK-Eの金曜日の「ら・ら・らクラッシック」、日曜日の「クラッシック音楽館」、BS-3の日曜日の夜中~月曜日早朝の

「プレミアム・シアター」などの音楽・オペラ・バレエなど。これらの中で今年の注目すべきものを自分なりにリストアップした。

  • ベートーヴェン生誕250年を記念してアナログ・レコードを2~3聴いた。

・グレン・グールドのピアノによる「交響曲第5番、運命」、50年以上前の演奏だが懐かしく聴いた。

・ヴァン・クライバーンのピアノソナタ「月光・悲愴・熱情」、若き頃のクライバーンの瑞々しい演奏。

・ワルター指揮「交響曲第6番、田園」、ゆったりとした抒情性あふれる演奏が好きである。

・リヒテル(P),オイストラフ(V).ロストロポーヴィチ(Ce):「ピアノ三重奏」巨匠による重厚な演奏

  • ベートーヴェン生誕250年を記念して NHKと各都市のオーケストラによる交響曲の演奏。9~12月

第1番:広上淳一 (62) 京都交響楽団        2020- 9 – 2

第2番:飯守泰一郎(80)   仙台フィルハーモニー   2020-10-15

第3番:高関 健  (65)   群馬交響楽団              2020- 9- 17

第4番:小泉和裕  (71)   九州交響楽団              2020-10- 4

第5番:阪 哲朗  (52)   山形フィルハーモニー      2020- 9- 24

第7番:川瀬賢太郎(36)   名古屋フィルハーモニー

第8番:秋山和慶 (79)   札幌交響楽団

第9番:パブロ・カサド(43) NHK交響楽団 + ソロ・合唱団:コロナ禍対策で合唱団の人数が少なくやや迫力不足だが熱演だった。

「レオノーレ序曲」「エグモント」下野竜也(51)  広島交響楽団 2020-10- 17

コロナ禍対策下で演奏者はマスク着用の人もあり、無観客の会場もあったが、指揮者・交響楽団の個性もよく出ていて面白い企画であり十分楽しめた。上記の一部分は2020-12-31のNHK-Eの「クラシック名演・名舞台2020」で紹介・放映された。全曲はBS-3の「プレミアム・シアター」で1~2月に順次放映される予定。

・第9番のリスト編曲のピアノ連弾(迫昭義/江口玲):2019-12 演奏、2020-10,12月に第2,3,4楽章放映を初めて聴いた。

  • 海外などの演奏会の放映番組で興味深かかったもの:

・ベートーヴェン:交響曲第9番、S.ラトル指揮、ロンドン交響楽団 2020-2-16 ロンドンの会場で、まだコロナ禍前で通常の状態での演奏。NHK-BSで12月20日に放映され、ラトルのダイナミックな演奏が楽しめた。

・ベートーヴェンの唯一の歌劇「フィデリオ」を初めて映像で鑑賞した。1805年に初演されたウィーンのアン・デァ・ウィーン劇場というメモリアルな場所である。超モダンでモノクロの幾何学的な牢獄の舞台設定で、当時人気のあったロッシーニなどの華やかな上流階級の喜歌劇などと真逆である。重厚でヴォリュームのある歌い手でいかにもドイツ・ベートーヴェン的であるが、当時も今も一般受けはしないであろうと思った。2020年の3月下旬のコロナ禍のはしりのもとでの演奏会、12月にBS-3放映

・ザルツブルク音楽祭:例年は7月~8月の2ヶ月の予定を、8月だけに短縮して開催した。演奏者はグループ分けし他グループとの交流を遮断し、4日に1回のPCR検査を実施。入場者は体温測定・手の消毒、観客席数を半分以下。などの規制の下で1ヶ月間各種演奏会を行い、感染者はゼロであった。これは、ザルツブルクという小さな都市で外国人の入場の制限された状況だからできたことかもしれない。しかし、同じ様な状況でもバイロイト音楽祭は早期に中止された。これらのことはNHKのこの音楽番組で詳細に放映された。

・その他定例の音楽祭番組もあった。ロンドン「プルムス:2020-9」、ウィーン「シェーンブルン宮殿:夏の夜コンサート2020-9」などはコロナ禍対策をして実施された。ウィーン・フィルハーモニーの日本公演は11月に九州・大阪・東京で5回?実施されたが、状況はあまり詳しく報道されていなし、演奏会の放映はされていないようである。

・2021-1-1 の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」指揮 リッカルド・ムーティ(80)は皆さん鑑賞したと思いますが、80年以上の歴史のある本コンサートは初めて無観客で行われた。

 

  • 歴史・遺産などの番組:再放映ものが多いが次の新作番組は大いに興味があった。
    • アイアンロード~知られざる古代文明の道~前編 2020-1-13 NHK-E 21:00~21:59

再放送 2020-10-13  NHK-BS-3  14:45~16:00

  • アイアンロード~知られざる古代文明の道~後編 2020-4-26 NHK-E 14:30~15:45

再放送 2020-10-20  NHK-BS-3  15:00~16:15

     初回の放送の時は気つかず見逃したが、再放送時に偶然見つけ録画しながら見た。一度ではなかなか理解できず説明図などを確かめながら鑑賞した。いわゆる「シルクロード」は文化・文明中心の平和な道とするなら、「アイアンロード」は武器と国力増大にかかわる戦闘・戦争を秘めた道ともいえる。鉄がどのようにしてどの民族が生産技術を確立し、どのようなルートでいつ伝播していったか最近まで分かっていなかった。ここ約30年の地道な調査・研究で日本の2人の研究者とそのスタッフが重要な役割を果たしている。一人は大村幸弘氏(1946~)がアナトリアで、もう一人は村上恭通愛媛大学教授(1962~)らが中央アジア、モンゴル、中国西域で進めている。鉄は酸化され易く、鉄製品が元の状態を保ったまま存在するケースが稀であること、騎馬民族が重要な役割を担ったと考えられるが文字や文章として残されている証拠が少ないため、なかなか解明に至らなかった。最近の調査・解析の進展で古代文明の栄えたエジプト、ヒッタイト、アッシリア、中央アジア(スキタイなどの騎馬民族)、中国の古代国家などとの繋がりが鉄の製造技術・鉄器の開発・利用を通して解明されるのではないかと思われる。

今までエジプト文明・巨大遺跡・金の装飾品などが関心を集め調査研究・マスコミや一般の人への波及効果が大きかったが、構造材や製品は石と土と青銅どまりで、鉄の製造・利用にまで到達していない。古代中国でもしかりである。

大村幸弘氏らはヒッタイトが紀元前23世紀に鉄の製造技術を開発し、技術は門外不出とし、紀元前18世紀には同盟国への武器供与、外交の武器に使っていたと報告している。

ツタンカーメンの墓の中に黄金の短刀とともに少し錆びた鉄製の短刀が黄金の鞘に納められていた。この鉄の短刀はアッシリア地方で作らせたものと言われている。当時、鉄は金の8倍、銀の40倍の価値があったと推定されている。

カデシュの戦い:紀元前1286年頃、ヒッタイトとラムセス2世の率いるエジプト軍がシリアのオロンテス川一帯で戦った。史上初の公式な軍事記録に残された戦争で、史上初の性分化された平和条約が取り交わされた。アブシンベル神殿にラムセス二世の戦闘図が、ヒッタイトの首都ハットウシャから出土した粘土板(イスタンブール考古学博物館蔵)に和平協定文が刻まれている。ヒッタイト軍は鉄製の二輪馬車と武器でラムセス2世軍を事実上破り、やむなく和平協定を結ぶことになったと思われる。

 

ドローン撮影技術による制作番組も多く、今までと違った感触で新鮮味のあるものも多かった。

「グレート・ヒマラヤ・トレッキング」、空からクルージング「ヨーロッパ教会巡り」、ドイツのローテンブルグの聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダの繊細で大きな木の彫像が目線レベルで撮影されていた。せっかくその近くまで行っていたのに本物は観ていない。

以 上

 

(参考)NHKの放映を参考にして「立命館大学機友会:鉄器時代の幕開けと世界的な伝播」に

記載の図を示す。