名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山

2020年の美術・音楽・遺産放映番組などの回顧 、 山本 雅晴

例年は美術鑑賞を中心とした記述にしていたが、昨年はコロナ禍で出かけることができずネタ不足で内容を変更しました。音楽については評論などできません。聴いた作品の羅列程度であるが、昨年はベートーヴェン生誕250年ということで多くの演奏会がなされ放送された。他のTV放映は新規なものは少なかったが、アーカイブスものが多く、閉じこもりで暇な時間が多い小生にとっては多く鑑賞できた。また、過去10年間持ち腐れ状態のBD(ブルーレイ・ディスク)の個人録画作品も多少は鑑賞できた。

  • 美術鑑賞

過去30年くらいは国内外の美術鑑賞を100回以上/年、海外へはここ15年間1~3回/年のペースで行っていたが途絶えた。昨年の美術鑑賞は8回で主なものは下記の3件であった。ここ30数年の美術鑑賞でエクセルにリストアップしたトータル件数は4310件でイチローの日・米安打数の4367本には届かず!

  • 江戸東京博物館「大浮世絵展・後期」2020-1-15 。国際浮世絵学会の開催に合わせて世界の美術館から名品を集めて歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の作品が展示されていた。浮世絵についてはこれで見納めのつもりで鑑賞した。初刷りで保存性の良い名品も見ることができた。
  • 東京国立博物館「出雲と大和展」2020-1-22 。日本書紀成立1300年記念展で島根県や奈良県所在の国宝・重文の出土品など多数出品され、日本の古代の歴史を多少とも理解できた。
  • 国立西洋美術館「ロンドンNG展」2020-6-19。海外への初出展で、選りすぐりの作品をじっくり見ることができた。コロナ禍で開催が3ヶ月遅れ、日時指定の予約鑑賞が初めて導入された。入場人数がコントロールされゆっくり見れた。NGには3度行っているが、作品数が多く展示場所も広いのであまりよく見ていない名品が多々あった。

2020年に新改築・再開館した美術館:① アーティゾン美術館(旧名;ブリヂストン美術館・5年ぶりの再開) ② SOMPO美術館(旧名:東郷青児・損保美術館) ③ 京都市京セラ美術館(旧名:京都市美術館)などに行きたかったが後日に延ばした。

今までに鑑賞した主要画家の作品のリストアップとそれに対するまとめをすることにした。

  • ゴッホ:昨年の前半にゴッホの手紙集を読み、作品が描かれた状況を類推しつつPC画面に映し出された主要作品をあらためて見た。アムステルダムのゴッホ美術館はゴッホ作品のデータベースの構築に極めて熱心で一般の人にも開放されており楽しく利用できる。ゴッホの主要油彩画の約9割、油彩画全体の約6割は鑑賞している。
  • セザンヌ:昨年の後半から過去に少しリストアップしていたデータを元に再挑戦している。このようなことに挑戦している先進の同好の士の教示も受けている。エクサンプロヴァンスのセザンヌのアトリエやサントヴィクトワール山とそれを描いた場所にも行ったことがあり親しみを感じつつ楽しく調査をしている。美術館の資料室が利用できないので未確認事項が多々残されている。

このようなPCによる調査をしている中で感じたこと!

  • 日本の美術館のデータベース構築は著しく遅れている。洋画作品でもリストアップとデータベース化が一般の人が利用しやすいようになっている美術館は極めて少ないように思われる。ましてや日本画や工芸品はなおさらである。昨年の8月にボランティアと東京国立博物館や国立国会図書館などの協力でウエブサイトを立ち上げたと報道され試してみたがまだまだデータが少ない。国公立・民間の美術・博物館も参加して構築しなければ有効に活用しにくくい。各部署が横断的に統一した方式で協力と努力が必要で時間がかかるであろう。
  • 以前にロシアの美術館の主要作品の調査を試みたが、ロシア人の画家の作品は地方の美術館までリストアップされデータベース化が進んでいるのに驚いた。また、Google Art Project の支援?でエルミタージュ美術館、プーシキン美術館などのデータベース構築が進んでいる。
  • 米国の主な美術館はデータベース化と情報公開が進んでおり、個人でも利用しやすい。
  • 音楽鑑賞

11年前に60インチTVとAVセンター、ブルーレイ・レコーダ、スピーカなど一式購入した。残念ながらリアー・スピーカは設置できていない。美術・音楽・旅番組などを今までにかなり録画したが有効活用はされていない。小生は年を取る前から朝型で4時過ぎには目が覚め起きている。夜の見たい番組はHDに録画し朝~夕方に見ることにしている。また、自分の部屋に古いアナログレコード・プレイヤーが使用可能な状態にあり、手持ちの40~50枚の昔のレコードを数回/年聴くこともある。

BS-3の朝5時~6時のクラッシック音楽は月~金曜には必ず聴いている。その他NHK-Eの金曜日の「ら・ら・らクラッシック」、日曜日の「クラッシック音楽館」、BS-3の日曜日の夜中~月曜日早朝の

「プレミアム・シアター」などの音楽・オペラ・バレエなど。これらの中で今年の注目すべきものを自分なりにリストアップした。

  • ベートーヴェン生誕250年を記念してアナログ・レコードを2~3聴いた。

・グレン・グールドのピアノによる「交響曲第5番、運命」、50年以上前の演奏だが懐かしく聴いた。

・ヴァン・クライバーンのピアノソナタ「月光・悲愴・熱情」、若き頃のクライバーンの瑞々しい演奏。

・ワルター指揮「交響曲第6番、田園」、ゆったりとした抒情性あふれる演奏が好きである。

・リヒテル(P),オイストラフ(V).ロストロポーヴィチ(Ce):「ピアノ三重奏」巨匠による重厚な演奏

  • ベートーヴェン生誕250年を記念して NHKと各都市のオーケストラによる交響曲の演奏。9~12月

第1番:広上淳一 (62) 京都交響楽団        2020- 9 – 2

第2番:飯守泰一郎(80)   仙台フィルハーモニー   2020-10-15

第3番:高関 健  (65)   群馬交響楽団              2020- 9- 17

第4番:小泉和裕  (71)   九州交響楽団              2020-10- 4

第5番:阪 哲朗  (52)   山形フィルハーモニー      2020- 9- 24

第7番:川瀬賢太郎(36)   名古屋フィルハーモニー

第8番:秋山和慶 (79)   札幌交響楽団

第9番:パブロ・カサド(43) NHK交響楽団 + ソロ・合唱団:コロナ禍対策で合唱団の人数が少なくやや迫力不足だが熱演だった。

「レオノーレ序曲」「エグモント」下野竜也(51)  広島交響楽団 2020-10- 17

コロナ禍対策下で演奏者はマスク着用の人もあり、無観客の会場もあったが、指揮者・交響楽団の個性もよく出ていて面白い企画であり十分楽しめた。上記の一部分は2020-12-31のNHK-Eの「クラシック名演・名舞台2020」で紹介・放映された。全曲はBS-3の「プレミアム・シアター」で1~2月に順次放映される予定。

・第9番のリスト編曲のピアノ連弾(迫昭義/江口玲):2019-12 演奏、2020-10,12月に第2,3,4楽章放映を初めて聴いた。

  • 海外などの演奏会の放映番組で興味深かかったもの:

・ベートーヴェン:交響曲第9番、S.ラトル指揮、ロンドン交響楽団 2020-2-16 ロンドンの会場で、まだコロナ禍前で通常の状態での演奏。NHK-BSで12月20日に放映され、ラトルのダイナミックな演奏が楽しめた。

・ベートーヴェンの唯一の歌劇「フィデリオ」を初めて映像で鑑賞した。1805年に初演されたウィーンのアン・デァ・ウィーン劇場というメモリアルな場所である。超モダンでモノクロの幾何学的な牢獄の舞台設定で、当時人気のあったロッシーニなどの華やかな上流階級の喜歌劇などと真逆である。重厚でヴォリュームのある歌い手でいかにもドイツ・ベートーヴェン的であるが、当時も今も一般受けはしないであろうと思った。2020年の3月下旬のコロナ禍のはしりのもとでの演奏会、12月にBS-3放映

・ザルツブルク音楽祭:例年は7月~8月の2ヶ月の予定を、8月だけに短縮して開催した。演奏者はグループ分けし他グループとの交流を遮断し、4日に1回のPCR検査を実施。入場者は体温測定・手の消毒、観客席数を半分以下。などの規制の下で1ヶ月間各種演奏会を行い、感染者はゼロであった。これは、ザルツブルクという小さな都市で外国人の入場の制限された状況だからできたことかもしれない。しかし、同じ様な状況でもバイロイト音楽祭は早期に中止された。これらのことはNHKのこの音楽番組で詳細に放映された。

・その他定例の音楽祭番組もあった。ロンドン「プルムス:2020-9」、ウィーン「シェーンブルン宮殿:夏の夜コンサート2020-9」などはコロナ禍対策をして実施された。ウィーン・フィルハーモニーの日本公演は11月に九州・大阪・東京で5回?実施されたが、状況はあまり詳しく報道されていなし、演奏会の放映はされていないようである。

・2021-1-1 の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」指揮 リッカルド・ムーティ(80)は皆さん鑑賞したと思いますが、80年以上の歴史のある本コンサートは初めて無観客で行われた。

 

  • 歴史・遺産などの番組:再放映ものが多いが次の新作番組は大いに興味があった。
    • アイアンロード~知られざる古代文明の道~前編 2020-1-13 NHK-E 21:00~21:59

再放送 2020-10-13  NHK-BS-3  14:45~16:00

  • アイアンロード~知られざる古代文明の道~後編 2020-4-26 NHK-E 14:30~15:45

再放送 2020-10-20  NHK-BS-3  15:00~16:15

     初回の放送の時は気つかず見逃したが、再放送時に偶然見つけ録画しながら見た。一度ではなかなか理解できず説明図などを確かめながら鑑賞した。いわゆる「シルクロード」は文化・文明中心の平和な道とするなら、「アイアンロード」は武器と国力増大にかかわる戦闘・戦争を秘めた道ともいえる。鉄がどのようにしてどの民族が生産技術を確立し、どのようなルートでいつ伝播していったか最近まで分かっていなかった。ここ約30年の地道な調査・研究で日本の2人の研究者とそのスタッフが重要な役割を果たしている。一人は大村幸弘氏(1946~)がアナトリアで、もう一人は村上恭通愛媛大学教授(1962~)らが中央アジア、モンゴル、中国西域で進めている。鉄は酸化され易く、鉄製品が元の状態を保ったまま存在するケースが稀であること、騎馬民族が重要な役割を担ったと考えられるが文字や文章として残されている証拠が少ないため、なかなか解明に至らなかった。最近の調査・解析の進展で古代文明の栄えたエジプト、ヒッタイト、アッシリア、中央アジア(スキタイなどの騎馬民族)、中国の古代国家などとの繋がりが鉄の製造技術・鉄器の開発・利用を通して解明されるのではないかと思われる。

今までエジプト文明・巨大遺跡・金の装飾品などが関心を集め調査研究・マスコミや一般の人への波及効果が大きかったが、構造材や製品は石と土と青銅どまりで、鉄の製造・利用にまで到達していない。古代中国でもしかりである。

大村幸弘氏らはヒッタイトが紀元前23世紀に鉄の製造技術を開発し、技術は門外不出とし、紀元前18世紀には同盟国への武器供与、外交の武器に使っていたと報告している。

ツタンカーメンの墓の中に黄金の短刀とともに少し錆びた鉄製の短刀が黄金の鞘に納められていた。この鉄の短刀はアッシリア地方で作らせたものと言われている。当時、鉄は金の8倍、銀の40倍の価値があったと推定されている。

カデシュの戦い:紀元前1286年頃、ヒッタイトとラムセス2世の率いるエジプト軍がシリアのオロンテス川一帯で戦った。史上初の公式な軍事記録に残された戦争で、史上初の性分化された平和条約が取り交わされた。アブシンベル神殿にラムセス二世の戦闘図が、ヒッタイトの首都ハットウシャから出土した粘土板(イスタンブール考古学博物館蔵)に和平協定文が刻まれている。ヒッタイト軍は鉄製の二輪馬車と武器でラムセス2世軍を事実上破り、やむなく和平協定を結ぶことになったと思われる。

 

ドローン撮影技術による制作番組も多く、今までと違った感触で新鮮味のあるものも多かった。

「グレート・ヒマラヤ・トレッキング」、空からクルージング「ヨーロッパ教会巡り」、ドイツのローテンブルグの聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダの繊細で大きな木の彫像が目線レベルで撮影されていた。せっかくその近くまで行っていたのに本物は観ていない。

以 上

 

(参考)NHKの放映を参考にして「立命館大学機友会:鉄器時代の幕開けと世界的な伝播」に

記載の図を示す。

 

植物と芸術表現とのかかわり~ざくろ~ 、山本 雅晴

お知らせ

インターネットエクスプローラー Ver11からPDFファイルが表示できない事象が生じています。Google ソフトが使われているタブレットやスマホは、以前の様に表示されています。原因、追究中です。本日、新しいプログラムを追加したら表示できるようになりました。しかし、競合等で何か不都合が起こった場合はご連絡ください。(2020/10/05   管理人)

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世界に広く分布し、芸術作品に取り上げられている花や果実の一つに“ざくろ”がある。あまりおなじみではないかもしれないが、昨秋シルクロードの旅で西安の近郊の「兵馬俑坑博物館」を訪ねた時にたまたま“ざくろ”の果実の季節に遭遇したのか、立ち並ぶ多くの露店で果実やジュースを売っていた。また、最近購入した小林頼子女史の「花と果実の美術館」という本の中に40点くらい取り上げられた中にも掲載されていた。しかし、“ざくろ”は果実としての見映えや魅惑的な味はしないし、際立った薬効も認められていないので世界の各地で生産されているが生産量の統計も見当たらないような地味な存在である。

このような日陰者だが“ざくろ”に関し美術・工芸・文学作品について手持ちの資料やPCで多少調べてまとめてみた。

1.“ざくろ“の原産地と伝播:「ウィキペディア」の”ざくろ“を要約

ざくろは「ミソハギ科ザクロ属の落葉小高木、また、その果実の」こと。庭木用などの鑑賞用に栽培されるほか、食用になる。 日本に輸入されて店頭に並ぶのはイラン産やカリフォルニア州産が多く、日本産の果実よりは大きい。原産地は西南アジアや中東といわれているがトルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地、南ヨーロッパおよびカルタゴなど北アフリカという説などがある。世界各地で栽培されておりトルコから中東にかけて特にポピュラーである。病虫害に強いので栽培しやすいと思われる。

伝播:新王国時代(紀元前1550年頃)にエジプトに伝わり、ギリシャ時代にはヨーロッパに広く伝わった。東方への伝来は3世紀ごろ中国に、日本には923年に中国から伝来したといわれている。

2.“ざくろ”の特徴と人間との関わり

1)鑑賞用:日本では花木として庭木・盆栽など鑑賞用に栽培されることが多い。世界的に見ても熟した果実に多数の赤い種子が入っていることから、子孫繁栄、子宝のシンボルとされる。このことと結び付けて絵画や彫刻の題材とされる。

2)食用:可食部は皮と種子を除いた種衣の部分で生食される。果汁をジュースとしたり清涼飲料水のグレナディンの原料としたり、料理などに用いられる。中東、北インド、メキシコなどでは、果肉の粒を煮込み料理やデザート、料理の飾りつけに用いる。

3)薬用:樹皮・根皮は駆虫薬として用いられている。薬用としてあまり有効性は認められていない。

3.“ざくろ”の芸術・神話・宗教など文化との関わり:別表に主な作品を年代順にまとめて表示

スペインのグラナダという都市は周辺にザクロの木が多くあったからつけられたと「ブリタニカ国際大百科事典」にも書かれている。ここには2007年の4月下旬に訪れたがザクロの木を見たという認識はない。スペイン語でグラナダは「ざくろ」を意味する。市の紋章にも記されている。図②

  • 文学:中国の宋時代の政治家・詩人の王安石(1021~1086)は「万緑叢中紅一点」と詩に詠んだ。この言葉が「紅一点」の由来。漢詩などに詠われているかもしれないが調査してない。
  • 美術:絵画や工芸作品などで“ざくろ”が表現されているものを、分かる範囲で列挙した。古代エジプトやギリシャなど早く伝播した文明国にもっと古い作品があると思われるが調査してない。
    • ポンペイ遺跡のフレスコ画、1世紀頃の静物画のなかに描かれていた。図①
    • 日本の仏像彫刻「謌梨帝母倚像」図④は鎌倉時代(13世紀)。手にざくろを持つ鬼子母神で、西洋の手にザクロザクロを持つ絵画の「聖母子」図⑥との偶然の類似性が指摘されている。ザクロを持つ聖母子の絵画はボッティチェリが有名だが、フィリッポ・リッピが描いた「聖母子と聖アンナの生涯」の聖母子のいきいきとした表情と子が右手の指にもザクロの種衣を持つ繊細な描写が好きである。フィリッポ・リッピは不埒な画僧で美人の修道女に惚れモデルにし描いている。その後駆け落ちし子供をもうけ、それが後の画家フィリッピーノ・リッピである。
    • 陶磁器には表の8aの中国・景徳鎮製の磁器の大皿(15世紀初め)、これを参考にした?イラン製の陶磁器表の8、図⑧がある。表の15、図⑮はいかにも瀟洒な鍋島焼という7寸皿。
    • 表の9,10,11、図⑩にカラヴァッジョの絵画に描かれたざくろである。カラヴァッジョ(1571~1610)はミラノ近辺の出身で、ローマに出てくる前の十代に画家に弟子入りし当時ミラノ周辺で盛んとなっていた静物画を習得した。ローマでの工房にも雇われ得意の静物画も初期作品に披露したものと思われる。絵画の才能が認められ聖堂の大壁画や貴族からの注文が殺到したが、殺人事件まで犯す無頼漢で天才画家はローマを追われ南イタリアやマルタ島を彷徨ってローマに帰る途中に38歳で病死した。ざくろの赤い実はいかにもカラヴァッジョ的で、ザクロから派生した「Grenade/榴弾」はあたかも自爆したカラヴァジョの人生の象徴のようである。
    • ガブリエル・ロセッティの表の17、図⑰の「プロセピナ」はローマ神話のザクロは復活の象徴である。表の14も説明省略。詳細はウィキペディアの“ざくろ”、小林頼子著「花と果実の美術館」に記載
    • ポール・セザンヌの「ザクロと洋梨のあるショウガ壺」表の18、図⑱。
    • 工芸品の柘榴を模した瑪瑙製の工芸品、図⑯はいかにも中国らしい吉祥果を表している。

最後に示した写真はざくろの果樹園とグラナダの街路樹である。

 

以  上

2019年美術・博物館・遺跡巡りのまとめ 、山本 雅晴

 今年も特定のジャンルや場所を決めずにあちこちの美術館や世界遺産・社寺を120件ほど巡った。国内の美術展は百花繚乱で西洋美術の内容のある展覧会も多かった。2月下旬に南フランスに行き、ニースのマティス美術館やヴァンスのロザリオ礼拝堂、カーニュ・シュル・メールのルノワール美術館、エクサンプロヴァンスのセザンヌのアトリエなど今まで行っていない美術館や展示品を見ることができた。また、10月下旬に念願の「シルクロード」を訪れることができ玄奘三蔵の辿った風景の一部や平山郁夫の描いた場所を多少とも理解できたのは収穫だった。 今年見た美術館・博物館・世界遺産・寺社などを抜粋して簡単にレヴューします。

 

Ⅰ、2019年の美術館めぐりのまとめ

1、南フランスの美術館と早春のフェスティバル:旅行記としてまとめたので詳細は省略。

1)マティス美術館(ニース)とマティス関係の美術作品について:今年はマティス生誕150年になるので小生なりにまとめようと思い伝記や作品の調査を行なっているが未完成で来年以降に継続となった。今年見たマティス作品は国内外で約50点。

2)ルノワール美術館と庭園:ルノワールが晩年の十数年リュウマチと戦いながら絵を描き続けたカーニュ・シュル・メールの樹齢数百年のオリーブの茂る小高い丘にある邸宅・アトリエが美術館となっている。各部屋にルノワールと友人の絵・彫刻・工芸品が展示され自由に鑑賞できた。スッキリ晴れ渡った早春の庭は時間を忘れてしまいそうな居心地の良いところだった。

好々爺のルノワールのもとには南仏にアトリエを構えるマティスがボナールと度々訪れたらしい。かの気難しいセザンヌとも交友があった。

3)エクサンプロヴァンス:松の木とアーモンドの花咲くレ・ローヴの丘のセザンヌのアトリエを初めて訪れ数多の作品に使用されたりんごなどの果物やビン・壷・石膏像のある部屋を見た。また、見晴らしの良い丘からは小さいサント・ヴィクトワール山もくっきりと見えた。

短時間の休憩時間に彼の地の「グラネ美術館」本館を初めて訪れた。セザンヌの小品が10点ほど展示されていた。偉大なる画家セザンヌの故郷にしては寂しい展示であった。

 

2、国内の西洋画・彫刻などの展覧会

1)国立西洋美術館:本年開館60周年の記念の年である。振り返ってみれば、大学に入学した開館の1959年の夏休みに従兄弟に案内してもらって訪れていた。それ以来約80回くらい訪れている。このメモリアル・イヤーの展示会があった。

① 林忠正(1853~1906)の功績紹介展(2019-2-19~5-19):西洋で日本美術を商った初めての日本人で、1878年のパリ万博の通訳として渡仏し、ジャポニズムの隆盛に大きな役割を果たした。浮世絵や工芸品を扱う商社を経営・紹介する一方、松方幸次郎に先立つ25年前に西洋美術を収集し西洋美術館建設を夢見ていた。しかし、その構想は林の帰国と早すぎる死によって実現しなかった。これらの経緯を資料と作品を基に紹介している。日本における西洋絵画館の歴史を知る上には時宜を得た展示会であった。

松方コレクション展(2019-6-11~9-23):「松方幸次郎のコレクションの形成と散逸」について徹底的に調査し、それをカタログレゾネとして昨年出版された。この内容を拾い読みしたが、今まで不審に思っていたいくつかの疑問が解けた。その一つは松方コレクションの形成時にマティス作品がたくさん出回っていたのに国立西洋美術館に一点もないことだった。実際には6点収集していたがコレクションをナチスの略奪から逃れるためパリから寒村に移動させる必要があった。その費用を捻出のため売却した。6点のコレクションのすべてはまだ分かっていないが、そのうちの1点がバーゼル美術館の所有で今回展示されていた。

モネ作品はモネのジヴェルニーの住居兼アトリエまで行って直接購入している。一時は30点近く収集したが国内外で散逸の憂き目にあい、現在の国立西洋美術館にはその約1/3しか残っていない。また、ロダン彫刻の購入も綿密かつ大胆で松方の人柄を表しているように思われた。まだまだ興味が尽きないが割愛する。

2)クリムトとウィーン・モダーン展

① 東京都美術館:「クリムトとウィーンと日本1900年」(2019-4-23~7-10) 老若男女問わず何故かクリムト人気は大変なもの! 26年前の夏にウィーンのオーストリア美術館で初めてクリムト作品を見に行ったときは人影もまばらだった。今回は何点かの目玉作品と宣伝効果もあり大盛況だった。分離派会館の「ベートーベン・フリーズ」の精巧な原寸大複製(2.2×34.5m) 壁画が展示されていた。東京都美術館での展示方法もうまく、見栄えのするカタログも好評であった。

② 国立新美術館:「ウィーン・モダン~クリムト・シーレ世紀末への道」(2019-4-24~8-5)

18世紀半ばからの啓蒙主義時代から19世紀末・20世紀初頭のクリムト・シーレに至る社会情勢の変化、絵画・彫刻・工芸や文学・音楽・建築・ファッションなど相互的かつ総合的に展示・解説してあり理解しやすかった。

③ 目黒区美術館:「世紀末ウィーンのグラフィック」(2019-4-13~6-9) 上の2つの展示会との三部作で地味であまり入場者は多くなかったが、企画者の苦労と努力のにじみ出た展覧会で好感が持てた。

3)印象に残った美術展

① 新・北斎展:森アーツセンターギャラリー(2019-1-17~3-24)

著名な浮世絵研究者で北斎作品のコレクターだった故永田生慈氏の北斎とその弟子の作品約1000点が島根県立美術館に寄贈され、そこでの一連の展覧会に先立って開催された。北斎の初期から晩年までの貴重な作品が展示されていた。

② ギュスターヴ・モロー展:パナソニック汐留ミュージアム (2019-4-6~6-23)

     パリのギュスターヴ・モロー美術館の所蔵品で初期から晩年までの油彩・ドローイングを約70点まとまりよく展示されていた。大作はないがパリの美術館では作品数があまりにも多く、ドローイングなど見るゆとりはなかった。

③ 東京都現代美術館:リニューアルオープン記念展「百年の編み手たち~流動する日本の近現代美術~」(2019-3-29~6-16) 約3年かけてリニューアルしバリアフリー化などかなりの費用をかけているようだ。日本の近現代美術では国内で一番作品の充実している所だと思うが、画家個人個人の作品が羅列的でまとまりがないように思えた。あまり好みではないが、現代美術はアメリカで見た「サンフランシスコ近代美術館」のように広い空間を個人に一室単位で展示する方が良いように思う。

東京都以外の予算のとれない美術館はリニューアルができず四苦八苦している。    例えば、京都市美術館は京セラから約50億円の資金援助を受け「京都市京セラ美術館」として来年度からまさにリニューアルオープンするらしい。滋賀県立近代美術館はリニューアルがペンディングとなっている。美術館などは約20年で設備のリニューアルが必要になるためこのようなケースがこれから頻出する可能性がある。

④ ドービニー展:東郷青児記念損保美術館(2019-4-20~6-30) ドービニー個人としての展覧会は今回が日本では初めてとのことである。ドービニーは印象派の画家たちやゴッホなどの画家にも影響を及ぼした。アトリエ舟を考案し川を移動し川から風景を描いた。モネはこれをマネした。ドービニーの作品がまとまった形で見られよい展示であった。

なお、この美術館は42階から地上に新設移転し「SOMPO美術館」と名称も変更し,2020年5月末に開館とのこと。

⑤ 文化村ザ・ミュージアム

・「印象派への旅~海運王の夢~」(2019-4-27~6-30) バレル・コレクションとして英国のグラスゴーの美術館に拠点おいている。19世紀半ばから19世紀末のフランス絵画と英国の画家の絵画80点の展示があった。あまり大作はなく印象のうすい展示会だった。

・「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」(2019-10-12~12-23) ルーベンス・ルーベンス工房の絵画が4点、クラナッハが3点他風景画・花の静物画などと東洋およびウィーン製の良質の陶磁器・工芸品が多数展示されていて一応楽しめる展示内容だがインパクトに欠ける。

⑥ コートールド美術館展:東京都美術館(2019-9-10~12-15) 1997年に初めて来日した時と内容的にはほぼ同じでマネ、セザンヌなどのすばらしい作品を鑑賞することができた。

⑦ ゴッホ展:上野の森美術館(2019-10-11~2020-1-13) 大作は少ないが初来日の初期の作品が多い。ゴッホというネーム・ヴァリューで全日混んでいるようだ。

⑧ カラヴァッジョ展:名古屋市美術館 (2019-10-26~12-15) 札幌・名古屋・大阪と関東地区に来ない数少ないケース。真偽が不明なものも含めて10点近いカラヴァッジョ作品で、初見の作品も数点あった。それほど混んでなくてゆっくり鑑賞できた。

⑨ ハプスブルク家展:国立西洋美術館 (2019-10-19~2020-1-26) ウィーン美術史美術館の作品が主体でお馴染みのベラスケス作品が3点とブダペスト西洋美術館からのベラスケス初期作品「宿屋のふたりの男と少女」も来ていた。展示様式はハプスブルク家の各皇帝のコレクションの形成の歴史。この展示会もネーム・ヴァリューのせいか国内外の鑑賞者で賑わっていた。国内の有名展覧会は日・英・中・韓の4ヶ国語のタイトル表示となっている。

⑩ ブダペスト「ヨーロッパとハンガリーの美術400年」:国立新美術館(2019-12-4~2020-3-2) ハンガリー国立西洋美術館の作品とハンガリー・ナショナル・ギャラリーのハンガリーの画家の作品130点の展示があった。クラナッハ、ティツィアーノ、印象派数点とムンカーチ・ミハーイ(ハンガリーの著名な近代画家)数点。やや焦点がなく希薄に思えた。

⑪ オランジュリー美術館の作品展:横浜美術館 (2019-9-21~2020-1-13) 20年前にもほぼ同じ作品展が文化村ザ・ミュージアムであり鑑賞している。日本人好みの画家の作品が多く何度見ても楽しい。ルノワール:8、セザンヌ:5、マティス:7、ピカソ:6 等々。

⑫ 吉野石膏コレクション展:三菱一号館美術館 (2019-10-30~2020-1-20) 山形美術館での委託展示や文化村ザ・ミュージアムでの展示会などでも見ているが、その後の入手作品?のゴッホの「白い花瓶のバラ」は初見だった。作品の内容はオランジュリー美術館と類似しており日本人好みである。

⑬ 大浮世絵展:江戸東京博物館 (2019-11-19~2020-1-19) 5年ごとに開催される国際浮世絵学会に合わせて開催されている。今回は5大人気浮世絵師の歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の代表作品を世界の美術館から集めて展示している。展示替えが数回あるため前・中・後期と見る予定。今までにも浮世絵はたくさん見ているがこれで打上げにするつもりです。

なお、今年の浮世絵展では東京国立博物館で、松方幸次郎がパリでまとめて買い取り国に寄贈した約8000点のうち約120点を選び4期に分けて展示されたので鑑賞した

⑭ 薬師寺:2017年に完成した食堂の田淵俊夫の50mに及ぶ壁画「阿弥陀三尊浄土図・仏教伝来の道と薬師寺」は繊細な線と水彩画のような淡い色彩で平山郁夫の「大唐西域壁画」の油彩画的な重厚さと好対照だった。シルクロード訪問の締め括りとして再度見学した。

⑮ 後藤純夫の全貌展:千葉県立美術館 (2019-11-2~2020-1-19) この人は僧侶の家に生まれ、僧侶としての修行をしながら画家を志し日本画家となった。画題は平山郁夫に近く、多分あまり知っている人はいないと思うが、私は好きで以前から何度か展覧会を見ている。また、十年前に上富良野にある後藤純夫美術館を訪問した。中国の山河や北海道・奈良などの自然や寺院を綿密かつ大胆に描いた大作が多い。今回は初期の作品から晩年(2016年に死去)の作品まで展示されていた。千葉県は文化後進県で本美術館はあまりよい企画展がないので久しぶりに訪れた。数年前にリニューアルし、照明もよくまた、天井も高く大きな部屋もあり襖絵などの大作を見るのに適していた。このような良い展示会で65歳以上は無料だと聞いて改めて見直した。近くの人で関心のある方は是非見てください。

⑯ 東京国立博物館:年間12回ほど見ている。常設展示は65歳以上は年齢の証明書で無料です。国宝や浮世絵などは毎月展示替えがあり、他の展示品も3~4か月で展示替えする。

上野に行ったら気楽に立ち寄る。また、国立西洋美術館も常設展示は65歳以上は無料です。

 

今年の小生の分野別ベスト・ランキングは以下の通りです。

1、油彩画・西洋画

① マティス美術館(ニース) & マティス・ロザリオ礼拝堂

② 国立西洋美術館:「松方コレクション展」

③ 東京都美術館:「クリムト展~ウィーンと日本1900年~」

④ 名古屋市美術館:「カラヴァッジョ展」

⑤ 東郷青児損保ジャパン美術館:「ドービニー展」

⑥ パナソニック汐留ミュージアム:「ギュスターヴ・モロー展」

⑦ 上野の森美術館:「ゴッホ展」

⑧ 東京都美術館:「コートールド美術館展」

⑨ 横浜美術館:「オランジュリー美術館展」

⑩ 三菱一号館美術館:「吉野石膏コレクション展」

 

2、日本・東洋の美術・遺跡・その他

① 敦煌・莫高窟と周辺の遺跡および鳴沙山・月牙泉

② 高昌故城とトルファン周辺の遺跡

③ 西安城壁 & 大雁塔と兵馬俑坑博物館

④ 江戸東京博物館:「大浮世絵展」

⑤ 千葉県立美術館:「後藤純夫の全貌展」

⑥ 森アーツセンターギャラリー:「新・北斎展」

⑦ 東京国立博物館:「正倉院の世界 展」

⑧ 渋谷区立松濤美術館:「久保惣美術館所蔵 日本・東洋 美のたからばこ 展」

 

以上

美術館巡り、山本雅晴

年末で、書籍類を整理していると山本雅晴さんから頂いていた美術館巡りのリストがあった。これは、彼の趣味としての歴史であり、私が個人的に持っているより、ホームページに載せておけば、だれか同じような趣味の方が見つけて、自分が行けなかったが行きたかった美術館があれば山本さんに尋ねれば有用な活用かなと思いアップロードしました。(管理人)

 

 

悠久のシルクロード:西安・敦煌・トルファン・ウルムチを巡る8日間の旅行記

(注:写真は、山本さんがA-4ページに印刷した物を本稿ではスキャナーでJPGファイルに取り入れたものです。 管理人)

山本 雅晴 (2019-11-6 記)

1.目的:40~50年前から本(井上 靖など)や平山 郁夫の絵画、NHKのTV番組(1980年に放映、この8月に全篇再放送)で一度は行ってみたいと思っていた。80歳を前にして意を決してJTBの格安ツアーに参加した。参加者は60代後半から70代末で小生は上から2番目の年長者だった。主な見どころは、西安:城壁・大雁塔・兵馬俑坑博物館・シルクロード起点群像 敦煌:莫高窟・鳴沙山/月牙泉・西千仏洞・陽関・白馬塔 トルファン:高昌故城・アスターナ古墳・ベゼクリク千仏洞・火炎山・蘇公塔・カレーズ(地下水路)

2.行程と交通手段:羽田 ⇒ 上海(虹橋空港)⇒ 西安(2泊) ⇒ 敦煌(2泊) →(バス;2hr) 柳園 →(高速鉄道;3.5hr) トルファン(1泊) →(バス;3hr) ウルムチ(1泊) ⇒ 蘭州 ⇒ 上海(浦東空港) (1泊) ⇒ 羽田。( ⇒ は飛行機)。

10月20日(日)~27日(日)の8日間、西安・上海は薄曇り、他は快晴で内陸部では朝晩は冷え込み零下の日もあったが、日中は陽光が降り注ぎ暖かく全般としては快適な旅だった。

3.所感:

空港・鉄道駅・観光場所・ホテルでのセキュリティ・チェックが厳しく、時間を要し不愉快な面が多々あったが今の情勢を考えるとしょうがないかな! 格安のツアーなのでホテルのレベル、食事の質が心配されたがいずれも良好であった。

 

第一日目:10月20日(日) 晴れ / 曇り、歩行距離:6.6km。

羽田13:30~上海(虹橋)15:55//20:25~西安空港23:00 ホテル着0:20 。安いツアーのため上海での乗り継ぎの待ち時間が長く西安着が遅くなった。

 

第二日目:10月21日(月) 曇りのち晴れ、歩行距離:8.4km。 ① 西安のホテル8:00→郊外の世界遺産「兵馬俑坑博物館」9:20~11:40。標高が1200mの西安はやや冷え込み霧が立ち込めていた。中国でも有数の入場者数を誇るため混雑が甚だしいとのこと。ベテランの現地ガイドが要領よく案内してくれたためスムースに入場。迫力あるパノラマ・ビジョンで兵馬俑坑の成り立ち・発見・現状の説明を聞いたのち1/2/3号館と復元された銅車馬館を現地ガイドの説明を聞きながら約2時間駆け巡った。途中小生も含めて3人が迷子になったが事なきを得た。広大な敷地に膨大な設備を作り世界中からの観光客が訪れていた。一見に値するが二度見たいとは思わない!しかし、秦の始皇帝が一代でこれだけのことを成し遂げた点にはただ驚くばかりである。

② 世界遺産「秦の始皇帝陵」兵馬俑坑からほど近いところにあったが、陵のある丘と表示盤のみであり、2~3枚写真に収めて終わり。

③ 西安の旧市街:「大雁塔」(慈恩寺) 唐の時代にかの有名な玄奘三蔵が持ち帰ったサンスクリット語の経典や仏像を保管するため、唐の3代皇帝高宗により652年に建てられた。唐末の戦乱で大雁塔だけになっていたが、ここ30~40年の間で山門・鐘楼・大殿などの建物附属設備が遺跡公園として整備された。憩いの場・観光地として賑わっていた。残念ながら64mの大雁塔の上に登って西安市街を一望することはできなかった。また、塔の南側の入口にあるという、唐代の名書家褚遂良(ちょ・すいりょう) の「雁塔聖教序」の石碑に気が付かず帰国後女房に叱られた。この拓本は王義之の正統を受け継ぐ楷書の手本として書道の教本となっているとのこと。

西安城壁の「西の城門」(安定門)から登った。現存する城壁は明の時代(1370~1378)にレンガを積み築かれた。東西に長く周囲は14km、高さ12m、上部の幅12~14mでレンタルサイクルや電動カートで回れる。しかし、唐の時代の城壁内の面積は現存の9倍もあったらしい。西門は西方のシルクロードを臨む城門とのことであるが、夕暮れであまり見通しが良くなく、遠くまでは見えなかった。しかし門の内側の桝形は広大で日本の城壁の比ではない。時間があれば天気の良い日に半日かけて一回りしてみたい。城壁の上周辺と主な建造物は落ち着いた色合いでライトアップされており千年に及ぶ古都の品格を保っていた。

「絲綢之路起点群像」観光用に近年造られたものと思われるがツアーの出発点として見学。

以上はツアーで慌ただしく回った西安と近郊のほんの一部の見聞録である。西安は中国という大国の千年の都があったところであり、近郊も含めて幾多の見どころがあると思われる! 陝西歴史博物館も見られなかったのは残念でした。

 

第三日目:10月22日(火) 曇り/ 晴、歩行距離:6km。ホテル出発 8:00 → 工芸品見学・購入 → 西安空港 12:10 ⇒ 敦煌 14:35 → 敦煌市内観光 → 夕食後ホテルヘ 20:10 →OP観光世界的にも有名な舞踊と音楽を組み合わせたショーだが、疲れと明日の観光のため断念。

「鳴沙山」と 「月牙泉」・・・電動カートで往復。靴に砂が入らないように靴の上から布製のカバーを有料で借りた。「鳴沙山」は標高差はが高々50~60mであるが、ナイロン製の靴カバーが滑ることと、望遠レンズ付きの一眼レフが意外に重く結構難儀した。いずれも年輩の面々ここまで来て登れなかったらメンツが立たないとばかりに全員が登頂。夕暮れの澄み渡った景色を眺め暫し感慨に耽った。しかしながら鳴沙山からの月牙泉は光線の加減か青くはなかった。 また、平山郁夫が1979年に初めて敦煌を訪れ、1985年に完成した四曲一双の屏風絵「鳴沙山から莫高窟」を描いた写生地点は残念ながら確認できなかった。「月牙泉」の方に降りていき一周しようとしたが通行止めになっていてダメだった。人が多く通ると砂が泉に入り埋まってしまうからと思われる。昔の録画を見ると月牙泉の縁をラクダに乗って行き来する場面があった。砂漠の中でこの泉が何千年もの間枯れずに湧き続けることは奇跡である。

 

第四日目:10月23日(水) 快晴、歩行距離:10km。今日はこのツアーのハイライトである。

朝は冷え込み外の気温は氷点下、しかし快晴で見学には申し分ない。ホテル出発は7:50。

「莫高窟」:近くのバーチャル博物館でティーチ・イン(莫高窟の成立ち・保存状況・主な窟の紹介: 20分x2種) → 専用バスで莫高窟へ移動 → 現地の日本語が堪能な研究員に誘導され説明を聞きながら見学。見学場所:29、331,17,328,292窟 + 特別室57窟。それぞれに興味深い説明を聞き、なるほどと思ったが、各場面の印象は残っているが説明はできない。

窟内は写真撮影は不可で、もう一度ビデオなどで復習しないとダメ!しかし莫高窟とその周辺のイメージを十分味わうことができ、長年の夢が実現できた満足感がある。莫高窟の周辺からの写真にも思い出としてとどめることができた。

「西千仏洞」:莫高窟を見学すれば十分だと思われるがここもなぜかツアー・ルートに入っていた。ここを訪れるグループは我々だけだった。現存する石窟は19ケ所で莫高窟と同系列の様式で北魏と唐の時代の壁画が残っているが、保存状態は良くなかった。近くを流れる川の氾濫などの影響らしい。木が茂り静かでよいオアシスであった。

「陽関」:盛唐の有名な詩人王維(701~761)が西安の近くで西方に赴任する友人を送る詩と小生は理解している。現在の陽関には当時のものとして「のろし台」しか残っていないが、観光用にいろいろな古の施設を模して造作している。王維の像と柳まで植えるという凝りようである。それにはめられて写真を撮る!

「沙州市場」・「敦煌市街ライトアップ」:1980年頃NHKがシルクロードを取材して放映したころの人口は3万5千人であったが現在は20万人、観光で賑わう、かなり裕福で、清潔で治安のよい街のようである。夕食は何故か日本人のシェフに指導を受け敦煌で日本料理店をやっているところで上海から直送のさんまや茶碗蒸し・ほうれん草のおしたしなどであった。夕食後近くの「沙州市場」やホテルから1.5kmくらいの党河の周辺のライトアップも一人で散策した。

 

第五日目:10月24日(木) 晴、歩行距離:3km。ホテル出発9:30 → 敦煌近郊の「白馬塔」見学。塔は高さ12mの白亜の仏塔。4世紀末、亀茲の高僧・鳩摩羅什(くまらじゅう)の経典を担がらせていた白馬が死んだため篤信の敦煌の人々が馬をここに埋め塔を建てた。周辺のポプラや柳が黄葉して晩秋の趣を漂わせていた。「夜光杯」の工芸品製造・販売所に立ち寄った後高速鉄道に乗車するため、敦煌から130kmの柳園駅に向かった。

空港並みの厳しいセキュリティ・チェックを受け、柳園発 15:30 ~ トルファン着18:45 でトルファン来た。ホテルの出入りにもセキュリティ・チェックがあった。メディアで取りざたされているように新疆ウイグル地区はチェックが厳しい。

夕食にトルファン・赤ワイン“Lou Lan”を飲んだ。渋味が少なくほんのりと甘みのあるまろやかな味であった。干し葡萄から作るワインかと勝手に判断したが?

 

第六日目:10月25日(金) 快晴、歩行距離 6.6km。今日が事実上の最後の観光である。ホテル出発 8:45 → 2014年に“シルクロード:長安=天山回廊の交易網”の一環として世界文化遺産に登録された「高昌故城」は玄奘がインドに仏典を求めて向かう途中、ここで高昌国の王、麹文泰に好待遇され2か月ほど滞在して説法を行ったことでも知られている。このことを題材に平山郁夫は1979年、2000年、2007年に仏教伝来の聖地として絵画を描いている。面積200万㎢、周囲約5kmに及ぶが平山郁夫の描いた場所が確認できた。

「アスターナ古墳群」高昌国住民と唐代西洲住民の墓地群で大量の絹製品、陶器、文書など出土しており、壁画やミイラが残る。最古のものは273年、最も新しいものは778年。見学できる2基を見学した。

「ベゼクリク千仏洞」石窟の開削は6~9世紀中期。83窟でイスラム教の浸透により破壊され、また外国の探検隊により剥ぎ取られたものも多い。日本の大谷探検隊も明治末にここを訪れている。平山郁夫は1979年にここを訪れ絵画作品にしている。

「火炎山」トルファン盆地の中央部に横たわる東西約100km、南北10km、平均海抜500mの山地。地殻の褶曲運動により襞の入った山肌は地表に立ち上がる陽炎によって燃えているように見え、火炎山と呼ばれるようになった。西遊記にも登場する。トルファンは札幌とほぼ同じ緯度にあるが中国で一番暑く、7~8月は45℃を超える日もあり、今までの最高温度は50℃くらい。

「蘇公塔」(そこうとう) 1779年に建立された新疆イスラム建築様式を代表する塔。高さ44mの円柱形で横にモスクがある。モスク内部は木造で簡素な造りであった。

「カレーズ(地下水路)」、「カレーズ楽園」という名称で、カレーズを見学できる博物館のような施設。カレーズを縦横に廻らすことにより、農業、牧畜、生活に必要な水を確保できる。

「干しぶどう」の効率的生産

トルファンは年間降雨量が20mm以下、年間蒸発量が300mmという乾燥地帯である。また、トルファン盆地は世界でも有数の低地で標高マイナス154mのところもある。

日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく糖度の高いぶどうやアンズなどの果物がとれる。

産業は農業が中心で特産品にはぶどう、ハミウリ、綿花などがある。中でもぶどうは世界一の生産量を誇る。中国のぶどうの生産量は1300万トンで世界第2位のイタリアの1.5倍である。

ぶどうのうち、ワインにする量はイタリアやフランスの1/4で、殆どが干しぶどうに加工される。

干しぶどうは「涼房」といわれる格子状の隙間のある小屋の中で棚状に密に吊るして3~4週間自然乾燥して加工する。非常に省エネで高品質の干しぶどうを低コストで製造できるようである。

 

敦煌から柳園へ向かう途中のバスの車窓や柳園からトルファンに行く高速鉄道からの沿線でも風力発電用のファン付鉄塔が数百~数千の単位で観察された。不確かな情報だが高速鉄道用の電力を風力発電で賄っていると聞いたことがある。日本国土の4倍以上もある新彊ウィグル自治区では豊富な石油や天然ガスの発掘を進めると同時に、広大な砂漠の中で再生可能な自然エネルギーを活用するための膨大な実験が進められているように感じられた。

 

第七日目:10月26日(土) 快晴、歩行距離:2.4km。ウルムチ ⇒ 蘭州 ⇒ 上海 移動日。

ホテル出発 8:30 ウルムチ空港でのセキュリティ・チェック、 11:10 発の予定が一時間遅れの 12:10 ⇒ 蘭州着 14:40 // 蘭州発 16:00 ⇒ 上海(浦東) 18:20 ホテル着 18:50 。

ウルムチから蘭州へのフライトは快晴の日中にシルクロードを空から眺めることになり、右窓からは雪を被った山々を左窓からは黄土色の砂漠をと目を楽しましてくれた。

 

第八日目:10月27日(日) 曇り、歩行距離:3.3km、上海(浦東) ⇒ 羽田 帰国。

ホテル発 9:20 ⇒上海(浦東)着 9:50 空港でのセキュリティ・チェック 、発 13:05 ⇒ 羽田着 16:50 。

 

以上、8日間で総歩行距離は46kmであった。 以下に簡単なルート図と主な写真を添付。

 

 

 

 

 

 

「ミモザ」の花と絵画、山本雅晴

インターネット「ウィキペディア」などで入手した情報と小生が見た絵画をもとに簡単にまとめてみた。

1.「ミモザ」とはフサアカシア、銀葉アカシアなどのマメ科アカシア風の植物の俗称。原産地はオーストラリア、そこからヨーロッパへの伝播と栽培の経緯:

①原産地:オーストラリアであると考えられている。オーストラリア、アフリカ、アジア、アメリカの太平洋地域に約1,350種が分布しており、そのうち1,000種がオーストラリアで発見されている。

②ヨーロッパへいつごろ誰が持ってきたかは不明だが英国人がオーストラリを植民地にしており、そこから18世紀後半から19世紀前半ごろに、気候温暖なコートダジュールに別荘を構えた英国人が庭木として栽培を開始したといわれている。成長が早く5~15mくらいの木で早春に木全体に鮮やかな黄色の花を咲かせる。

③ミモザなどはコートダジュール地方では2月下旬から3月初旬が最盛期で春の祭典に利用される。

A.ニースの花祭り・カーニバル写真①:800年以上前からカーニバルの歴史があるらしいが、飾り立てた山車(フロート)を登場させたのは1873年からとのこと。毎年約2週間で100万人以上の観客が来るこの地方最大の春祭り。観覧料金は座席有で約3000円。

B.マンドリュー・ラ・ナプールのミモザ祭り:ニースとほぼ同じ時期にミモザの山車・パレード。近くにタネロン山というミモザの大産地があり祭りに10トンくらいのミモザを使うとのこと。近くの「高速道の沿線のミモザ」写真②

C.マントンのレモン祭り写真③:ニースの祭りとほぼ同時期にレモン・オレンジを山車やオブジェに使った祭りがイタリアとの国境の町で80年くらい前から開催されている。祭りの期間中に約130トンの柑橘類を使用とのこと。

今回のツアーではA.とC.の祭りを鑑賞した。いずれの会場もテロ対策のため入場時の持ち物検査があり、入場に時間を要した。天候もよく一度は見る価値があると感じた!

④ミモザの日本への伝播と普及:小生はわからない。切り花は少量販売されているが、価格は2~3倍くらい?

2.「ミモザ」の描画と作品

①海外:あまり調査はしていないが、調査した画家と絵画の主なものは次のようである。

A.アンリ・マティス:「ニースの花祭り」1923年、写真④・・類似の絵画は何枚かある。ミモザの直接的表現はないが、間違いなくあるものと思う。マティスは1919年から亡くなる1954年までニース近辺に住んだ。

「カラ-・アイリスとミモザ」1913年、写真⑤。「青いドレスの女」1937年、写真⑥・・女性の頭部の上の黄色いものがミモザ。「ミモザ」1949年、写真⑦・・コラージュで図案化、真ん中の黄色いのがミモザ。

B.ピエール・ボナール:ボナールはカンヌの北のル・カネの住居兼アトリエのボスケ荘に1939年から亡くなる1947年まで住み、ミモザを描いた風景画を数点残している。「ミモザのある階段」1940年、写真⑧・・これもそのうちの一点である。

C.モイーズ・キスリング:ポーランドのクラコフから19歳でパリに出てきたエコール・ド・パリ世代で若くして成功した画家の一人です。人望があり画家仲間からも慕われた。マルセーユから東に約30kmに

別荘兼アトリエを構え、色鮮やかで独特のマティエールのヌード画、風景画はフランス、アメリカ、日本でも人気がある。はっきりミモザとわかる絵を二十数枚描いている。「ミモザの花束」1946年、写真⑨・・

「ミモザの花」1952年、写真⑩・・なお、「モイーズ・キスリング展」は東京庭園美術館で開催中。~7/9

②日本:小生、日本の画家でミモザを描いた絵は知りません。誰か知っている人がいたら教えてください。

ミモザの色鮮やかな花は陽光の乏しい英国・東欧・北フランスの人に好まれる。南仏のセザンヌは描かなかった。

 

2018年美術館巡りの回想―2,山本 雅晴

 今年も特定のジャンルや場所を決めずにあちこちの美術館や社寺を百件強巡った。国内の美術展は百花繚乱で西洋美術の内容のある展覧会も多かった。また、名古屋ボストン美術館展の最後の展覧会「ハピネス展」に行ったので、過去20年の軌跡を辿ってみることにした。小生は名古屋在住が長かったので名古屋近辺の主な美術館を見て回ることも多かったので、名古屋ボストン美術館の開館当時から興味を持ってボストン美術館所蔵のいろいろの展覧会を鑑賞した。まだボストン美術館に行ったことがないので多少とも理解できたのは収穫だった。

 

Ⅱ、 名古屋ボストン美術館とその展覧会について(1999~2018年)

 

1、はじめに

名古屋ボストン美術館は1991年に名古屋商工会議所が設立準備委員会を立ち上げ、交渉を進め、財界・名古屋市・愛知県の出資・運営で1999年に金山駅に隣接したビルで開館した。

(詳細はウィキペディア:名古屋ボストン美術館に記載)

ボストン美術館の姉妹館として自身の作品・資料の収集・保有はせず、すべてボストン美術館から借り受けるシステムとなっていた。姉妹館契約は20年間、展示品の選定権はボストン美術館で他の美術品との併用展示ができないなどの不利もあった(~2006年)。また、20年間で約50千万ドルをボストン美術館に寄付する義務もあった。

しかし、世界有数で米国でも第3番目の所蔵作品数と質の高さを有する美術作品が20年間身近に展示・鑑賞できる、このシステムは画期的なことと思った。

 

2、展覧会と鑑賞の経緯

小生が名古屋ボストン美術館で鑑賞した展覧会は19回、同じ展覧会が東京・千葉で先行して開催されたものが2回であった。トータル62回の展覧会(うちボストン美術館の作品を含まない展覧会も数回ある)。約三分の一の展覧会を見た。詳細は添付ファイルを参照ください。

 

1)第1回「モネ・ルノワールと印象派の風景」:一般の人好みで、初回でもあり大いに賑わって、上々のスタートだった。入場者は70万人を超え、日本国内の他の展覧会の入場者数を制して1位だった(推定)。 ボストン美術館の年間入場者数はここ数年の平均で約115万人

であることから、この展覧会は誰の眼にも大成功と映った。

2)第2回以降、素人好みの展覧会内容から外れると、入場者数は当初算出していた33万人/年から大きく下回る20万人以下の結果が続くことになった。もともと33万人/年は無理な数字である。

3)それ以降もボストン美術館の作品で工夫しつつ日本人向けの企画がなされたが入場者数は低迷したままであった。名古屋ボストン美術館だけに頼ってはいられないと悟ったのか、東京圏や関西圏で最初に展覧会を開くようなこともなされた。

2012年の東京国立博物館で「ボストン美術館“日本画の至宝展”」は54万人の入場者数で国内の展覧会入場者数のベスト3と好評であった。名古屋ボストン美術館でも26.5万人で14位であった。

2017年には東京都美術館を皮切りに「ボストン美術館の至宝展」では西洋画・日本画・中国画およびエジプト彫刻などを網羅した「これぞボストン美術館」が開催された。東京での入場者は31万人強で、翌年の名古屋ボストン美術館でも好調だった。事実上これが最後の切り札と思われる。

その後も2017~18年に「ボストン美術館浮世絵:鈴木春信展」が千葉市美術館・名古屋ボストン美術館で開催された。内容的には良かったが、入場者数は限界がある。

小生は、2018年の最後の「ハピネス展」の最終日の10月8日の午後に行った。さすがに混雑していたが一応見納めができた。展示内容としてはあまり注目するものではなかった。

 

3、所感

小生は「名古屋ボストン美術館」は十分楽しめたし、全体的に見れば成功であったと判断している。しかし、当事者たち(財界・名古屋市・愛知県・美術館関係者)は失敗だったようなことを口にしていたし、そいう報道が主流である。たしかに、経済的に収入から支出を引いた金額だけ見れば5億円/年の赤字で総額100億円近くのマイナスである。しかし、有名な美術品は一点で100億円を超えるものはざらにある。この20年間で展示された美術品のトータルは数千億円以上の価値があると思われる。それらを数百万人の人が鑑賞できたことと、名古屋市周辺の集客による経済効果もあったはずである。美術館の運営にも問題はあったかもしれない。外国ではよく見受けられるが、小・中学生、高校生などの教育効果を重視し低料金・無料で見せるようなこともしたのかは知りませんが!

どこの美術館も単独で利益を得ようとすることは無理と思われる。教育効果・周辺への経済的波及効果も勘案し文化を育てるという長期的な視点がないとだめだと思う。名古屋は名古屋城と御殿再建に千億円を賭けようとしているがはたして文化的な魅力ある都市になるのか?

名古屋市の東新町に2010年に開館した「ヤマザキマザック美術館」はロココからエコール・ド・パリまでの素晴らしい絵画が80点位と彫刻、ガレ・ドームの工芸品などが展示されている。館内では欧米の美術館並みに写真撮影も可能で心地よい美術館である。それほど入場者も多くはない。

ここの美術館のオーナーは「名古屋ボストン美術館」の結末をどのように思ったであろうか?

 

以上                 2018-12-20

2018年美術館巡りの回想―1、山本 雅晴

今年も特定のジャンルや場所を決めずにあちこちの美術館や社寺を百件強巡った。国内の美術展は百花繚乱で西洋美術の内容のある展覧会も多かった。また、ロシアに行きサンクトペテルブルクとモスクワで今まで行っていない美術館や展示品を見ることができロシア美術を多少とも理解できたのは収穫だった。
これらの中から3回に分けてレヴューしてみることにします。

Ⅰ、 ロシア美術館とロシア美術について

1、はじめに
① サンクトペテルブルクでロシア美術の殿堂の一つの「国立ロシア美術館」を初めて訪れ、3時間くらいではあったが、主要展示品を一通り見た。モスクワでは最大のロシア美術の収蔵を誇る「トレチャコフ美術館」を再度訪問し、イコンの見学はそこそこにし、ロシア絵画の主要作品を見学した。
② 折よく国内に二つのロシア絵画の展覧会があり鑑賞することができた。
・東京富士美術館「ロシア絵画の至宝展」(国立ロシア美術館の作品)・展示作品40点のうち20点は本展のホームページに図・説明掲載。
・文化村ザ・ミュージアム「ロマンティック・ロシア展」(トレチャコフ美術館の作品)・主要展示作品は本展覧会のホームページに記載有。
③ 小生は今までにロシアの画家の作品の展覧会は2~3回見たことはあるが、ロシア美術の作品や画家の情報を殆ど持っていなかった。パソコンでこれらの情報を検索する方法を教えてもらい上述の国内の展覧会に記述されている画家の作品やその所蔵場所を調べてみた。これらにより今まで知らなかったことが多少とも分かった。
ロシアの画家・作品・所蔵者がリスト・アップされ、殆どが画像・説明がパブリック・ドメインに開示されていることを初めて知った。日本の国内の国公立・私立美術・博物館ではリスト・アップや画像の開示はあまりなされていない。日本は明らかに情報開示の後進国であることを痛感した。

2、ロシアの画家作品の主要な美術館
① 国立トレチャコフ美術館:当館ガイドブック2006年版とウィキペディア
創立者は織物業などで財を成したパーヴェル・トレチャコフ(1832~1898)が1856年に最初の作品を入手したのが始まりで、蒐集した作品は一般利用に寄贈することを決めていた。才能のある画家の作品を購入することにより育てた。風景画・海洋画(アイヴァゾフスキーら)・肖像画(クラムスコイ、レーピンなど)・移動展覧会派(1870年~、リアリズム・ロシア国民の生活・歴史)・写実画(シーシキンら)・歴史画(ブリューロフら)などを継続して収集した。1892年に兄セルゲイ・トレチャコフからのコレクションを相続し、ロシア画家の作品を1287点と素描・彫刻527点をモスクワ市に寄贈した。1893年8月に美術館は入館無料で一般公開された。また、トレチャコフの遺言によって古代ロシア美術やイコンがコレクションに加えられた。革命後も国立美術館として存続発展した。20世紀美術作品5万点も収蔵され、13万点の世界有数の美術館。
② 国立ロシア美術館:ウィキペディアに記述
サンクトペテルブルクに1895年にロシア皇帝ニコライ二世によってロシア新古典主義建築の傑作であるミハイロフスキー宮殿に開館した。当初は「アレクサンドル3世皇帝記念ロシア美術館」であったが、1917年のロシア革命後「国立ロシア美術館」となった。収蔵品は彫刻・絵画・イコン・小美術品・デッサンなど37万点で世界有数の美術館。
エルミタージュ美術館は有名だが、ロシア美術館も建造物・調度品が宮殿の名に恥じない立派なもので、ロシア美術の大作が豪華な部屋にふさわしく展示されていた。

3、ロシアの主な画家とその主要作品一覧表(1800~1917)
ウィキペディアや美術館・画家のリスト・アップされた情報をまとめた。A-4にむりやり
コピーできようにしたが、細かすぎるのでA-3に拡大すると見やすい。一応18名の著名な画家と主な作品をリスト・アップした。情報ソースの信頼性は不明だが、ロシアの美術館はかなり正確にリスト・アップしていると推察する。(エルミタージュ美術館やプーシキン美術館の西洋近代絵画の調査から)
絵画なのに画像がないと意味がないが、東京富士美術館と文化村ザ・ミュージアムのロシア美術展のホームページで見てください。
・アイヴァゾフスキーの「第九の波濤」「大洪水」の大作、生涯作品6000点、トルコ・スルタンの宮廷画家も務めた。ウフッツイ美術館に肖像画。ターナーに匹敵する海洋画家。
・シーシキンの叙情性に富んだ風景画
・クラムスコイの人物画「見知らぬ女」・・日本での展示は8回目で小生はモスクワ含めて3回目。
・レーピン「裸足のトルストイ」・・トルストイと親交・尊敬し数十枚の人物画。「サトコ」
「クラムスコイの肖像」「A.ルービンシュタインの肖像」、「ヴォルガの舟弾き」は前回来日、

以上                2018-12-19

ロシア(サンクトペテルブルク・モスクワ)訪問記ー山本雅晴

先日の東京D38昼食会(後日、三山さんのコメントと宮口さんの写真で報告予定。)で山本さんから皆さんに回覧された原稿です。パソコンのメール添付がうまくいかないのでWord文章に写真配布で持参したとのこと。原稿が完成されていたのでPDFファイルでアップロードしました。皆さんには、Word文章、写真挿入の方が読み易いのですがご容赦願います。(管理人 前田)

ゴッホ作品について(続き)、山本雅晴

1.ゴッホ作品と日本とのかかわり(ウィキペディアから要約)

1)1910年、森鴎外が「スバル」誌上でゴッホの名前に触れたのが、日本の公刊物では最初である。

2)1910年に創刊された「白樺」は文学雑誌ではあったが、西洋美術の紹介をし、マネ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ロダン、マチスなどを取り上げた。

3)1911年に児島喜久雄が「ゴッホの手紙」の訳を、1912年には「ゴッホ特集」で多くの作品の写真が紹介された。

4)1920年に「白樺美術館第1回展」が開催され、実業家山本顧弥太に購入してもらったゴッホの「ひまわり」(6輪、1945年空襲で焼失)が展示された。

5)白樺派は西洋より早く、ゴッホ神話を作り上げたが、ゴッホの画業を語ることなく、画壇でも若手たちがゴッホやセザンヌに傾倒した。

6)1958年に初めて東京国立博物館と京都市美術館でクレーラ-・ミュラー美術館の素描70点、油彩60点からなる本格的なゴッホ展が開催され、日本のゴッホ熱が高まった。その後も類似の展覧会が開催され人気がある。

7)2011年現在、27点の油彩・水彩作品が日本に収蔵されている。主な作品の来歴を下記に示す。

①「ドービニーの庭」(ひろしま美術館):1890-7にオーヴェールで描かれた。ゴッホは間もなく自殺、弟のテオから

ドービニー夫人に寄贈、夫人は1890-11死去→画商ヴォラールが購入→1900年競売→1901年所有者ルクレルクが友人の画家シュフネッケルに黒猫を塗りつぶした?→→→1929年ベルリン国立美術館→1937年ヒトラーの退廃芸術追放で没収・売却→アムステルダムの銀行家クライマルスキー(ユダヤ人)・アメリカへ出国→1970年手放す→1974年競売→ひろしま美術館。全くよく似た作品はスイスのバーゼル美術館にある。

②「ひまわり」(東郷青児記念損保美術館):1888-12~89-1にアルルで描かれた。→→→1987-3-30にLDクリスティーズで安田生命が3950万ドル(約58億円)で落札。話題となり近代絵画の価格高騰の引き金となった。

③「医師ガシェの肖像画:第1バージョン」は1890-6にオーヴェル・シュル・オワーズで描かれた。弟テオの未亡人ヨハンナが→1897年にデンマーク人に300フランで売却→→1911年フランクフルトのシュテーデル美術館が取得し、1933年まで展示。→1937年ヒトラーの退廃芸術糾弾で没収、部下のゲーリングがアムステルダムの画商に売却→コレクターのクラマルスキー(ユダヤ人)に売却、ナチスを逃れてニューヨークへ→メトロポリタン美術館へ寄託・展示→所有者のクラマルスキー家から借用し、1985/1986年の国立西洋美術館/名古屋市博物館のゴッホ展で展示。その後クラマルスキー家がオークションに→1990-5-15にNYクリスティーズで斎藤了英が8350万ドル(約124億円)で落札し、日本国内では一度も展示されることもなく、1997年に斎藤家より秘かにサザビーズに売却→非公開オークションでヘッジファンド投資家フロットル:投資失敗で破産→2007年サザビーズの所有となっている。

なお、「医師ガシェの肖像画:第2バージョン」は1890-6にゴッホが複製し、ガシェ本人に贈られた。ガシェの遺族から他のポスト印象派絵画コレクションとともにフランス政府に寄付され、オルセー美術館に収蔵されている。

④「アルルのゴッホの寝室:第3バージョン」(オルセー美術館):1889-9サン=レミで描かれた。→ゴッホの家族に贈られた。→→1921-4~1922-2に松方コレクションに。→第二次世界大戦中パリ近郊のアボンダンに疎開していたが、日本は敗戦国のためフランス政府に押収→1951年サンフランシスコ講和条約後に寄贈返還が決まったが、矢代幸雄の粘り強い交渉にもかかわらず、本作品の返還は認められなかった。個人の財産まで戦勝国が没収することはできないはずだが。(Wikipedia:松方コレクションに詳細記述)

2.ゴッホの作品制作と保管

①キャンバスや絵の具などの費用や調達は弟のテオに依存しているが、画布を枠に張り付ける作業や描いた作品の保管も大変だったと思う。なんせ晩年は1~2日に1枚の油彩画を描いていたから。

②絵を描きだした27歳ごろから37歳で亡くなる10年間のデッサン、水彩画、油彩画2000点以上もある。初期から5年後くらいまでは、あまり上手とも思えないし、売れそうにもない作品までが保管されているのははなはだ疑問に思う。ゴッホや弟のテオの死後もテオの妻のヨハンナや子供がよくぞ保管していたものと思う!

③ヨハンナがゴッホの手紙の整理・出版(1914年)でゴッホの作品の知名度と付加価値の向上につながり、1920年頃までに、ゴッホの作品は各国で受容されるようになった。ヨハンナが手紙の出版を手掛けるより前に、ベルナールがゴッホの手紙や人柄を美術雑誌に紹介したことも寄与している。

3.小生が鑑賞したゴッホの作品ベスト10と見たい作品のベスト4

  1) 鑑賞した作品

   ①医師ガシェ博士の肖像(USA個人蔵):1890-6、JH-No.2007

②ラ・クローの収穫(アムステルダム・ゴッホ美術館):1888-6、JH-No.1440

③夜のカフェテラス(クレーラ-・ミュラ-美術館):1889-9、JH-No.1580

④ドービニーの庭(バーゼル美術館 or ひろしま美術館):1890-7、JH-No.2105、2104

⑤ひまわり(ノイエ・ピナコテ-ク):1888-8、JH-No.1561

⑥星月夜(NY近代美術館):1889-6、JH-No.1731

⑦ゴッホのアルルの寝室(アムステルダム・ゴッホ美術館):1888-10、JH-No.1608

⑧画架の前の自画像(アムステルダム・ゴッホ美術館):1887-秋/88-初、JH-No.1356

⑨タンギー爺さん(ロダン美術館):1887-秋/88-初、JH-No.1351

⑩花咲くアーモンドの枝(アムステルダム・ゴッホ美術館)1890-2、JH-No.1891

2) 見たい作品

①夜のカフェ(イェール大学美術館)1888-9  ②タンギー爺さん(S.Niarchos蔵)1887-秋/88-初

③ひまわり(3本)(USA個人蔵)1888-8     ④アイリス(ポール・ゲッティ美術館)1889-5