名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
上高地の追憶散策、鈴木直久

上高地の追憶散策、鈴木直久

今回のD38同窓会(10月16日(月)白馬ハイランドホテル)に参加するにあたり、加藤元久君とぼくは山本雅晴君から、折角信州に行くなら翌日もう一泊して上高地に行かないかと誘われた。三人は前川研究室の卒業研究仲間であり、山本君の提案で55年前の1962年(昭和37年)10月17日(水)にその地を訪れて一泊した。彼は触れなかったが、そうした経緯があるから、単なる散策ではなく、55年前のそれを一緒に追憶しながら歩こうという趣旨に違いないと思った。ぼくたちは無論歓迎した。

ところで加藤君は、上高地を含むその旅行の全行程について詳しいメモを作成し、保存している。それによれば、10月16日(火)、夜行で名古屋を出発し、木曽福島からバスに乗って、翌日早朝上高地に着いてそこで一泊し、松本に出て松本城を見物し、さらにバスで美ヶ原を往復し、夜行に乗るまでの時間は映画を観てつぶし、翌朝名古屋に帰着して前川研究室に直行した。若かったものだと思う。学校に直行したのは、厳しい前川先生に2泊3日の休暇を申請しにくかったからだろう。上高地では、先ず明神池まで往復してから大正池と河童橋の間を散策し、安曇村営ホテルに泊まった。しかし、今回は時間上の制約から明神池をあきらめた。

さて、今回、前夜は松本駅前の東横インに泊まり、6時31分松本発の松本電鉄に乗り、終点の新島々でバスに乗り継いで、8時10分頃大正池で下車した。観光客は55年前より格段に増えた。ここでも外国人の姿が目立った。天の恵みのような晴天だった。焼岳から煙が出ていない。その噴煙も大正池の立ち枯れの木々も当時はもっと多かった。土砂の流入により、池は小さくなったにちがいない。変わらないのは、眼前の焼岳の威容である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田代池に行った。鮮やか濃緑色の長い藻が水の流れに身を任せている。梅花藻だと両君は言った。清流にのみ生育するこの藻はわが滋賀県にも自生するが、上高地のそれははるかに優美であり、同じ種類の藻だとはとても思えなかった。開花の時期を過ぎていることが惜しまれた。川マスらしい魚が泳いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梓川の右岸に渡り上流に向かって歩くとウェストン碑がある。ぼくたちは当時その碑を見たが、その後まもなく(昭和40年)作者自身の手により新しく作られたのが現在の碑であることを知った。さらに歩くと上高地アルペンホテルがある。当時泊まった安曇村営ホテルはその場所にあったと思うので、ホテルに入ってフロントの若い女性に尋ねて、1993年にリニューアルされるとともに現在の名前に変更されたことが分かった。石垣は元のままだという。ロビーの奥には以前の建物の全景の写真も掲げられている。平成の大合併の結果、経営主体は安曇村から松本市に継承された。

当時三人が夕食をしていた和室の窓から、焼岳の赤く染まった噴煙が眺められたと山本君が言ったから驚いた。ぼくは噴煙を見たとだけ記憶していたからだ。しかし考えてみれば、発光していない噴煙が日没後に見えるはずはない。そんな噴煙を見たのは貴重な体験だから記憶を改めた。なお帰宅してから調べて、焼岳は、ぼくたちが滞在した日を含め、その年の6月17日から翌年にかけて中規模の水蒸気噴火を繰り返したことが分かった。

往路のバスの車内放送が、上高地の代表的な樹木として、化粧柳、小梨および落葉松を紹介していた。化粧柳は見て格別趣のある木ではないが、北海道の十勝地方と本州ではここだけに生育していることを案内板により知った。55年前には落葉松林は黄褐色に染まっていたが、今年はようやく黄葉が始まったところである。小梨の木を見分けることはできなかった。他に薄紅色の果実を付けたマユミの木がかなり多かったが、紅色の乏しい秋のこの地に貴重な彩りを添えている。

小鳥たちは人間をあまり恐れないようである。コガラの小さな群に出会ったが、その中の一羽は、ぼくたちが近づいても直ぐには逃げなかった。また河童橋付近は観光客が多いのに、キジバトが人間に臆することなく動き回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河童橋に到着したころ、岳沢の上空は雲一つない青空だった。その辺りから眺める岳沢の光景は何と言っても雄大である。岳沢を今回ほど詳しく観察したことはない。小さな雪渓がまだ残っている。青空に接する稜線については、左手から西穂高岳、ジャンダルム、ロバの耳、奥穂高岳、釣尾根および前穂高岳を確認した。上高地を去るころには、岳沢の上空にも薄い白雲が拡がってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河童橋の袂の堤防で休憩した。山本君が近くの清水川に案内してくれた。六百山の麓から湧き出した豊富な水が全長300mほどの短い川を形成し、河童橋から50mほど上流で梓川に合流している。それが清水川である。明神池に向う道にかかる清水橋から眺めるその川は、美しいことかぎりない。その名の通りの「清水」で、そこにも梅花藻が揺れている。上高地の飲料水源であるそうだ。ぼくはその橋を過去何度も通り過ぎたが、河童橋の間近にそのように美しい光景があることにこれまで気付かなかった。山本君に感謝したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梓川の左岸に沿って帝国ホテルまで歩き、車道を引き返してバスターミナルに入った。計画した散策は無事終わった。明神池までは散策できなかったが、天気に恵まれた4時間近い散策で十分に満足した。予約しておいた12時丁度発の新島々行きバスで上高地から去った。

備考)三人を代表して文章を鈴木が、写真撮影を山本が、それぞれ担当した。(2017/10/22    鈴木記)

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コメント

  • 前田和男 より:

    山本さんは数多くの美術館を訪れ名画を観ているので写真も絵画的ですね。特に大正池と清水川は幻想的で素晴らしい。山本さんの地元で秋の美術展が有れば写真の部に出展することをお薦めします。(前田記)