「老人と海」は、老人の根性と沈着と悲哀と諦めを書いた、ノーベル文学賞の決め手となったヘミングウエーの名作である。何度か感動をもって読書した(日本語訳だが)のを思い出す。
当たり前の話だが、齢はとりたくないものである、気持ちはまだ若いんだなどと思いつつ、身体はもうついていけない、すぐに物忘れし、思い出せず、痴呆が間近に迫ってきている(と感じている)。
自分は、勝手に「山爺」と称して、山登りをライフワーク?いやラストワークとしている。今年は7座(去年は8座)の百名山を再登した。今年の無雪期登山の最後(ハイライト)として、常念岳(2857m)を選んだ。安曇野から一の沢まで車で。さて、駐車場から頂上まで(8.2km)上り8時間05分(13300歩)下り6時間10分(20800歩)かかったが、前回(2003年)では、上り5時間08分、下り3時間57分だった。
いかに体力が減衰して来ているかが判然と分かる。他の山山の場合も同様の傾向であり、かなり頑張ったつもりだが、如何ともし難い。
苦しい言訳だが、齢をとると、すぐしんどくなり、で 休みが多くなり、足が上がらず、すぐ石や根っこにけつまずくようになる。(でもこけ方はかなり上手になったが。)このようなことは、承知の上で(むしろ諦め気味に)来年からも頑張ってゆきたい。
ちなみに来年は、是非とも(必ず)穂高岳に再登したい(今年登るのを予定してたが果たせなかった、が 今回の常念岳からその雄姿に接し、その意をさらに強くした。)
富士山大好きの山爺は、昨年(6回目)の高齢登拝者番付が238番だったが、今年(7回目)の番付は12月に発表されるが、さらにどれ位昇格されてるか楽しみにしている。
常念岳頂上から穂高岳方面を望む
常念岳登山中、十五夜の月と槍ヶ岳
(2018/10/30 山本信夫記)
老いてなお旺盛な(失礼!)、山本君の登山活動には只々感嘆するばかりです。そのような決定的な楽しみを持った人生を羨ましく思うとともに、これからもできるだけ長く登山を楽しまれるよう切に祈っております。
さて、常念岳は、ぼくの数少ない登山の思い出の一つです。
若いころ夏休みに、同僚とその家族約20人で、常念岳の麓にある、堀金村村営(当時)啼鳥山荘に滞在したことがあります。そのときに、多くの小学生を含む全員で、日帰りで常念岳に登りました。三俣登山口から直登してから目に入ってきた、槍ヶ岳から前穂高岳まで連なる穂高連峰は雄大で、文字通り絶景でした。
それ以前に槍ヶ岳二は登りましたが、穂高岳に登る機会をついに持たなかったことが悔やまれます。
2018.10.31 鈴木直久記