名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
米中のピンポン外交

米中のピンポン外交

同窓生の中にピンポンが好きな方がおられますか。私は、機敏性がないので、このスポーツが好きというかやったことがないというのが本当のところです。昔、会社の社内旅行で泊まった旅館にピンポン台があったとき、浴衣をきて3-4回打ってダメと悟ったところです。今回浦安市の図書館で次の本を借りて読みました。

20150910_ピンポン外交

皆さんは、キッシンジャーとニクソンが電撃的に中国を訪問したことはよくご存じで説明する必要がないでしょう。また、この前に、米中のピンポン外交があったこともよくご存じでしょう。しかし、最近、私が知ったことですが(遅いというか疎いというか)、この裏に凄い秘密があったのですね。

私は、以前、こんなことを読みました。「名古屋の世界選手権会場でアメリカのヒッピー風のピンポン選手(名前はコーワン)が、バスを間違って中国選手団のバスに一人で乗り込み、敵国アメリカの選手を目の前に見た中国選手は、皆びっくりした、今風に言えば固まった。」という記事です。「しかし、この時、中国の荘というトップ選手が握手してプレゼントを渡して和やかな雰囲気になり、中国が米国の選手団を日本からの帰国前に中国に招待して親善試合を北京と上海で行った。これが縁で、後日、米国が中国の選手団を招待して米国で親善試合を行い、両国のマスメディアがお互いに真の国内事情の報道を行い、両国の反動勢力の国交樹立反対意見を弱めて、ニクソンと毛沢東が会談して両国の国交が成立した。」これが、表の報道でした。

上記の本は、この時の裏話です。簡単に説明すると次の通りです。

1)イギリスの貴族でソ連のスパイだった男が、世界卓球連盟を創立して会長をしていた。ソ連の指示で中国にピンポンを普及させて、日本と対戦させ、日本の共産アレルギーを無くすよう努めた。このとき、日本のトップ選手は荻村選手とのこと。

2)中国では、瞬く間に金のかからない卓球が普及し、先に述べた荘選手がトップ級であった。

3)共産主義の指導権争いでソ連と対立していた中国は、工業国の米国と国交樹立交渉の糸口を模索していた。アメリカはベトナム戦争の行き詰まりで、ベトナムの後ろ盾の中国と交渉して戦争を終結する必要に迫られていた。お互いにパキスタンの力を借りて、交渉の糸口を探っていたが、交渉が進展しなかった。

4)そこで周恩来がイギリスの貴族の話にのり、ピンポンを道具に米中の接触を考えた。

5)名古屋の世界選手権試合は絶好の場であった。周恩来の命を受けた荘選手と選手団に混じった周恩来の密命を受けた部下が、アメリカの選手をウオッチしてヒッピー風なコーワン選手が明るく、両者の接点に成り得ると読んで、荘選手がある場所でコーワン選手に接触して、親しくなった。

6)後は、中国選手団のバス事件に結びつき、ピンポン外交が米中の国交樹立に結びつく。

7)ただ、両国の有名選手になった2名は、帰国後、幸せにならず、過酷な余生であったとこの本が書いている。

以上、久しぶりに分厚い本を読みました。  (2015/09/10   前田記)

 

 

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コメント

  • 宮口守弘 より:

    前田さんんおこの本の紹介興味深く一読しました。
    それにしても読書家ですね。感心します。まだ話題の「火花」を読み切っていません。文春の9月号を購入したのですが。
    ピンポンは私は今も日曜日に2時間ほど近くの小学校の体育館でやっていますが7,8月は酷暑と70肩、左かかと痛等を理由でサボりました。結果として先日のゴルフで後半バテてしまいました。

    ピンポン外交の話から、外交の問題や課題解決の方法等には色々あるものと思いました。それも想像外の手段ですね。
    きっかけは当事国ではなくソ連やイギリスですから意外です。
    日中間も民間ベースから早期解決に向うのかもしれませんが、このように第三国の密かな動きが無いのでしょうか?
                  2015.9.11 宮口記