名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
10月

38年ぶり八丈島再訪、八丈富士登山、  山本信夫

1984年4月に八丈島に旅したが、この10月27日に再度訪れた。38年ぶりだが、全く変わってないナ、と感じた。昼食をとるため食堂を探したが、ラーメン屋もカレー店も見つからない、コンビニもないのには驚いた。町役場の近くでスーパーをやっと見つけたが、物価が本土の2割増し程度だろうか。だが、レンタカーの店員の話だと、コロナ中から現在まで来島者は途切れなく多く、ホクホク状態とのこと、意外な感じであった。

今回来島の第1の目的は、八丈富士に登ること(前回は悪天で登山できなかった)。それを無事達することができ、残った時間で観光地を巡ることもできた。

八丈富士の独特の特徴は、登山口から頂上付近まで、約1400段の階段を登ることと、頂上部が直径400mの火口を一周できるお鉢巡りができることである。幸いにも天候に恵まれ、360°雲のかけらもなし。もしかしたら本物の富士山が見えるかもと思い、北方向を凝視してみたが、、、、、、。

 

データ 高さ 854m  (伊豆諸島最高峰)

上り  92分  2640歩

下り  70分  3920歩

休憩  40分

写真

八丈富士頂上の標識

頂上部から町内を望む、背後は三原山

登山道の階段道

 

登龍峠から八丈富士、八丈小島、底土港などを望む

 

大坂トンネル前から八丈富士を望む

 

名古の展望台から。太平洋に向かって断崖絶壁

国立西洋美術館訪問と横浜市内散策(D38 会余録)、  鈴木直久

前日には山本雅晴君のお誘いで国立西洋美術館を訪れ、翌日はやはり山本君の案内で横浜市内を散策することができた。そのおかげで今回のD38 会参加がより充実したものになった。

 

国立西洋美術館が開館したのは1959年のことで、彼が書いているように、二人は偶々その年に個別に同館を訪れたのだった。そのことを知ったのは比較的近年である。

ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した本館は瀟洒な外観が現在も変わらない(山本君が記念撮影して下さった)。国の重要文化財であり、かつ敷地を含む全体がユネスコの世界文化遺産に指定されている。

 

山本君は現在開催中の『ピカソとその時代』(ベルリン国立ベルクグリューン美術館展)に誘って下さったのだった。わたしはその美術館の名前さえ知らなかった。その内容については彼がD38 のホームページにすでに投稿されたので、お読みいただいたことと思う。

 

展覧会(地下展示館で開催中)を出てから、久しぶりに訪れたわたしのために、平常展示を案内して下さった。二十数年振りに見た平常展示は作品数が格段に増えていて、世界に誇ることができる一流の西洋美術館であると実感した。

 

翌日はやはり山本君の案内で木村および山田両君と一緒に横浜市内を散策した。そのルートを約一週間前に態々下見して下さったので恐縮した。さらにその概要をまとめてすでにD38会のHPに投稿して下さった。

 

港の見える丘公園と山下公園は、昔亡母とまた息子夫婦とも訪れたことがある。当時からの最も著しい変化は、植栽の手入れが行き届いていることであろう。振り返ってみれば横浜に限らない。全国各地の公園が同様である。日本経済の発展がそれを可能にしたのだと思わずにはいられない。

 

最後に市営バスを利用して三渓園に行った。昔横浜の社宅に住んでいたときに妻と一緒に訪れたことがある。園内の様子は当時と基本的に変わっていないようだ。それにしても、園内が広大であり、立派な建物が多い(重要文化財指定建造物)、そして手入れが行き届いている(多くの人が働いている)。この施設を構想し、造営した原三渓の財力が莫大だったことに改めて驚嘆させられた。当時の税制はどうなっていたのだろうと考えたくなるほどだ。

入園料はわずか700円である。

 

無料ボランティアのガイドがいたことにも驚いた。昼食のために門外にある手ごろな食堂を紹介してくれ、食事を終えて再び園内に入ると、女性ガイドは私たち四人を待ってくれていて、木村君のJR切符の指定時刻から逆算して案内コースを調整し、市営バスに乗り遅れないように案内してくれたのだ。そして最後には私たちと同じバスに乗った。

 

国立西洋美術館「ピカソとその時代~ベルリン国立ベルクグリューン美術館~展」鑑賞記、 山本 雅晴

1.緒言

ベルリン国立ベルクグリューン 美術館にはツアーで2013-10-18 に訪問したことがある。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の真向かいにある瀟洒な建物に、1996年美術商だったハインツ・ベルクグリューン(1914~2007)が開館した近現代作品中心の美術館である (写真1、写真2)。ピカソの初期から晩年までの作品を系統的に蒐集し展示していることから「ピカソ美術館」とも称される。本美術館は設備の老朽化と展示面積の拡張工事のため2025年まで閉鎖し、所蔵作品の展覧会ツアーが行われることになり、①国立西洋美術館(2022-10-8~2023-1-22)→②国立国際美術館(2023-2-4~5-21)→③上海→④北京 と巡回するらしい。(注:以下は下記のPDFファイルを見てください。管理人)

ピカソとその時代展鑑賞記2022-10-24

D38会/~横浜散策記(2022-10-19)~ 、山本雅晴

横浜・中華街ローズホテルでのD38懇親宴会の翌日の10月19日、木村吉弘、鈴木直久、山田稔、山本雅晴の4人で横浜の名所の一部を気ままに観光した。多少の坂はあるが上りの歩行は避けるようにした。

観光場所およびルートは下記の通り。(注:原稿は写真も完璧に配置されていたので下記の通りPDFファイルに変換しました。管理人)

D38会^7横浜散策022-10-19

 

D38会HP用/鎌倉旅行記 、三山

横浜コープホテルでのD38懇親会・宿泊の翌日10月19日、生信良雄君、高木康信君、三山雅敏の3人で鎌倉を観光した。我々3人は元気ではあるがやはり高齢者なので徒歩ではなく、運転手ガイド付き観光タクシーで鎌倉市内を周遊した。

周遊ルートは下記の通り。

鎌倉駅→長谷寺(写真1)→鎌倉大仏(写真2)→建長寺(写真3、4)→報国寺(写真5)→鶴岡八幡宮(写真6)→頼朝の墓→鎌倉幕府跡→鎌倉駅

写真1:長谷寺は奈良の長谷寺を開創した徳道上人の発願により736年に開かれた寺。関東一のアジサイ寺でも有名、毎年満開時にはNHKテレビ2時間特別番組で放映される。写真は観音堂前で。

 

写真2:鎌倉大仏(高徳院)は源頼朝が発案し、その遺志を継いだ僧が1252年に建立。

写真3、4:建長寺は1253年5代執権北条時頼により創建された名刹。写真3はその三門前で。写真4はその唐門前で。この唐門は東京・芝の増上寺から1647年に移築されたもので元は江戸幕府2代将軍秀忠の妻、お江の遺体を安置した霊屋の門だった。

(写真3)

(写真4)

写真5:報国寺は鎌倉幕府初代将軍・足利尊氏の祖父である足利家時が1334年に創建した臨済宗の寺院。境内には約2,000本の孟宗竹が群生する。写真5はその竹林の前で。

写真6:鶴岡八幡宮は源頼朝の先祖に当たる源頼義が1063年に源氏の氏神として鎌倉由比ガ浜に勧請したのが始まり。源頼朝が鎌倉の町づくりを行う際に現在の地に遷し、武士の守護神として信奉した。写真6はその本宮前の階段から写したもの。当写真の左に枠囲いが見えるが、ここはかって杉の大木があり10数年前落雷により倒壊した跡である。源頼家(2代将軍)の子公暁がこの杉の大木の陰から現れて、本宮から階段を降りてくる源実朝(3代将軍)を暗殺する場所とされる伝説がある。はたして、テレビ「鎌倉の13人」では実朝暗殺事件はどう描かれるか、興味ある。

以上

笑顔と明るさのD38会(22.10.18)     スタッフ  山本信夫

学校の同窓会などに行くと、病気とか薬とか介護とかの話題ばかりでウンザリ。しかも雰囲気も暗い。ところが今回の本D38会ではみんな気分よく明るい。本番の自己近況報告でも病や薬などの話はでたが、明るく笑いとばされた。とくに二次会では、日本の将来の憂い、政治、経済等巾広く、23時過ぎまで、熱心に議論された。このいい加減でない応答に目を見張るものを感じたとともに、かかるような真剣な議論は、恐らくもう最後だろうナ、と思わされた、 ありがとう。

写真① 会場 ローズホテル横浜

 

写真② 10階のルームで、先ずは山田幹事挨拶。

 

写真③ 物故者への黙祷の後、生信氏の音頭で乾杯。

 

写真④ 会場内

 

写真⑤ 二次会(宿泊者10名) 3時間以上論議続いた

 

写真⑥ 横浜中華街

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D38同期会のご報告、山田稔

とりあえず、山田幹事から送付された写真をアップロードしました。下記は記念の全体写真ですが、これ以外のスナップ写真を撮影された方は送付ください。追加で写真のみアップロードします。尚、翌日の横浜、鎌倉散歩の写真はグループ幹事が送付くださればアップロードします。(管理人 前田)

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D38同期会へのご協力 どうもありがとうございました。

不行き届きもあったかと思いますが、何とか予定通りに行うことができ、皆さまのお互いの健康・現況を確認しながら旧交を温まることができましたこと、感謝感激です。

卒業以来60年にもなりながらまるで、まるで昨日のように思い出され、ある意味では全くお変わりありませんね。これにもっと大勢のメンバーが集まれば、もっと良かったことでしょう。

これからも健康の維持増進に努められ、地球温暖化が止まるまで頑張りましょう。

お元気で!!

 

(各位の同期会出席のコメントです。幹事への謝意は生信さんの言葉で代表し、各位の言葉は省略します。管理人)

山田さん、D38会の開催へのご尽力に感謝申し上げます。

ひつこく生き延びてくるコロナとの闘い、同級生の健康状態の把握など、数ある変数をクリア頂き、その上でタイミングよく、全国旅行支援クーポンを活用して、コストダウンに貢献いただき助かりました。名幹事に「ブラボー」を送ります。有難うございました。

三山さん、鎌倉観光のアレンジ有難うございました。

ガイドの説明も秀逸で、放送中のNHK大河ドラマとの突合せが楽しみになってきました。観光タクシーを予約いただいたので、ポイント間の移動は楽だったのですが、各ポイントでの上り下りが多くばてました。

ローズホテルでは宿泊費 5,000円引きのほか、クーポン券(いざ、神奈川) 3,000円が手に入ったのですが、使い勝手が悪く最後のチャンス、新横浜でも利用できず、持ち帰ってしまいました。横浜在住の孫が使えばよいと思い、速達で送りました。

D38同窓の皆様、色々お世話になり有難うございました。

次回は東海地区での開催ということで参加者の意見は一致しましたので、今回不参加だった方々も、ぜひ健康増進に留意いただき多くの同窓の参加を期待しています。(生信)

健康の大切さを、身にしみて感じました。でもみんなそれなりに,ひょうひょうと、独自に、生きていくのだともいます。次回東海でとのご要望、うまくいけばいいなと思っています。(津田)

久し振りに皆さんと歓談でき、楽しいひと時を過ごさせて頂きましたが、今回一番感じたことは健康格差の大きさです。高齢になるほど健康格差が大きくなることは常々言われていることですが、今回皆様のお話を聞いている内に強く実感しました。自分にとっては今更どうしようもありませんが。(竹内)

三山様横浜観光では大変お世話になりました。
周到に準備していただいたおかげで、快適に寺社巡りすることができ良い思い出を残すことができました。
あらためてお礼申しげます。(高木)

コロナ禍の渦に巻き込まれた今回ほど準備が大変だったD38会はなかったと思います。よく実施にこぎつけて下さいました。衷心から感謝します。またホテルと食事とサービスがいずれも上質だったことにも満足しております。参加された皆様、数年ぶりにまたお会いして楽しい時間を過ごせたことをうれしく思っています。参加者がやや少なかったことが残念ですが、年齢のことを考えれば仕方がないと思います。自分として次回も元気で参加できるように健康の維持に努めたいと思います。お互いに体調管理に留意しましょう。(鈴木直久)

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翌日、4名が横浜市内の三渓園を散策しました。

 

 

 

70年ぶりの大阪城公園の散策して      山本信夫

四国片田舎の中学から修学旅行で初めて訪れた大阪城、その後大阪には何度も来たし、就職して8年間暮らしたが、大阪城は遠く眺めるだけで、近づくことはなかった。

10月2日、近くに用件があったので、ついでに散策してみた。さすが大阪のシンボル地だけあって、きちんと整備が行き届いている。花壇、ロータリー、噴水もある。休日のせいでもあるか、多めの人々がほとんどマスク着用し華やかヤ。旗を持った旅行会社のグループ、修学旅行と思われる学童たちも幾組かいる。

東京で例えれば、日比谷公園、新宿御苑などに近いかナ、ただ違うのは城に近づくと20メートルほどの高度差があり、トレーニング等には向いてるナと思える。

花壇ちかくの芝生に寝っ転がって缶ビールでも飲んでみたい、そんな一日が過ごせた。

 

写真① 大阪行きの新幹線から、もう初雪は消解

 

  ② 森ノ宮入口路付近からの大阪城

 

  ③ 大阪城公園の噴水ロータリー付近

 

 

  ④ 公園の西の外堀付近、官庁街

 

 

⑤ 大阪城正面

画家、カラヴァッジョについてーーーー前田和男

画家カラヴァッジョについては、絵を描く人、描かなくても美術に興味があり、美術館を訪れる人は一度は耳にした画家ではないだろうか。

私も、退職後、船橋の水彩画教室で習い始めてから美術館に通い始め、自分のデッサン、着色の色使い等の手本にしようと思い立った。

2001年に東京都庭園美術館で開催された「光りの影の巨匠ーバロック絵画の先駆者たち  カラヴァッジョ展」行って衝撃を受けたというのが実感であった。普通は2-3枚の絵ハガキを買うのが恒例の鑑賞方法であったが、この時は、初めてガイドブックを購入した。この時は、カタログで「エマオの晩餐」が絶唱されたいた。(注:この絵は、後日、家族でミラノへ行った時”ブレラ美術館”で再会した。)

その後、業務で2-3度ミラノに出張で訪れた時に、ミラノ大聖堂の南徒歩5分ほどの近くにあるアンブロジアーナ美術館で「果物かご」という彼の勇逸の静物画を観た。初期の作品ということで以降の彼の画風からすると信じられない絵であった。ただ、彼が描いた「果物かごを持つ少年」の果物も写実的な素晴らしい静物を描いてあるがーーー。

果物かご

最近、「カラヴァッジョ」について出版された書籍が浦安市図書館で借りることが出来たので読んだ。550ページもあり借りて持って帰るのも重い本であった。(注:価格も5,600円)

 

私は、その後、家族旅行でウイーンでウイーン美術史博物館、ロンドンでナショナル・ギャラリー、パリでルーヴル美術館、ローマでボルゲーゼ美術館、フィレンツェでウフイツイ美術館、ミラノでブレラ美術館、ナポリでピオ・モンテ・デラ・ミゼリコリディア聖堂でとカラヴァッジョの名画を追い求めて来ました。