名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
08月

2022.8.8-9 霧嵐の富士登山     山本 信夫

今年は予定より早く梅雨も明け、富士登山を計画したが天候に恵まれず、とうとう1か月後の8月8日に決行することとした。今回は表道(富士宮口)から登る。登山者の3割がこちらから登るが、今回は女性達、子供たちが多く、外国人は少なかった。

別途写真①は、出発点(水が塚駐車場)からのものだが、富士の山頂付近に冠雲があり、これには全くの予想外の悪夢。翌日はこの雲(霧と風の嵐)に悩まされることとなった。

注:新しいパソコンにはまだ画像処理のソフトを入れていないので山本さんの写真をそのまま添付します。すこし画像が大きいので画素数が多く、パソコンによっては重くなって写真が全部現れるのに時間が掛かるでしょう。管理人)

写真① 麓より富士を仰ぐ、頂上に冠雲、予想外の悪夢

 

② 元祖7合山口山荘

 

③ 日の出前の朝焼け

 

④ あらしに中のご来光

 

⑤ 今回山行での、 山爺の唯一の写真

 

佐藤陽子の死、鈴木直久

昨8月1日の新聞とネットが、彼女が7月19日に死去したことを伝えた。まだ72歳で死因は肝臓がんだった。

彼女は版画家の池田満寿夫と実質的には夫婦でおしどり夫婦として知られた。わたしは愛知県知多半島にある工場に勤務していたときに、その二人が一組の講師の文化講演会を聴いたことがある。その印象があまりにも鮮明に記憶に残っているので、そのことを書いておきたい。池田満寿夫は本業の版画に加えて、1977年に『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞して、当時人気絶頂だった。

その彼が講演会で選んだテーマが作陶だったから意外だった。知多半島は常滑焼の産地だから、そのことと関係があったのかもしれない。皿を作るために粘土をこねる苦労を飽きもせずに語った。それなりに面白かったが、わたしとしてはできれば版画の話を聞きたかった。

感銘を受けたのは続いて聴いた佐藤の歌唱だった。曲目は『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」だった。写真で分かるように彼女は日本人歌手としてはまれな立派な体格である。その歌唱が会場に響き渡った。それが忘れられない最高の「ある晴れた日に」である。

なお、彼女の前夫が元外務官僚で退官後外交評論家として活動した岡本行夫であることを、佐藤の死と関連して知った。彼もまだ74歳で若かったのに、2020年に新型コロナウイルス感染症で死去した。