名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
04月

コロナ ウクライナ 憂鬱な毎日がつづいています。井上和延

ロシアとウクライナ戦争 (その1)         2022年2月

どちらかが おおきな嘘をついている。 うそもこれだけ大きな嘘となると 人間と言う動物は動物の中でも 最も下等な動物のたぐいに入るのではないか、と思う。嘘というものは小さなものと思ってたし また嘘も方便と言う言葉もあるくらいだから 私は加害者でないとか 盗んでないとか 全く個々的なものと思っていた。しかし 今回の嘘は 天から下りたうそ、地球の深くから噴出したうそである。 これだけのスケールの大きい嘘をつける人は尊敬に値する対象物になってしまうのではないか。多くのロシアの人たちが彼等のボスに対し拍手 喝采を叫んでたのを TVでみると 皮肉な見方をすれば 私たちが 毎日見ているTVもすべてうそを見ているのではないかと思ってしまう。今後世界の人たちは なにが真実でなにがうそであるか 見分けがつかず総てに対して疑いすべてが嘘となるか、或いは すべてが真実となり、疑う事象がなくなりすべてが本当となるという二つに分かれてしまうのではないか。TVでは このうそをプロパガンダと云っている。手元にある3000ページにわたる研究社の英字辞典 プロパガンダ=組織的に行う宣伝、普及活動とある。虚の字はない。

(その2)

2022年2月14日からの ロシアがウクライナに侵略を始めた戦争は TVを見る限り悲惨というしかない。私を含めそれ以前に生まれた多くの日本の人たちは あのアメリカと戦った悲惨な戦争を思い出し又大本営発表を思い出したのでは と思う。ウクライナは当時の日本の姿とダブり、侵略したのは日本であるけれど ウクライナ市民の都市が破壊され 防空壕に身をひそめ空からの攻撃から身を守っている姿 先の戦争での都会での日本の姿である。都会だけではない、信州の田舎でも B25が飛んでき、空襲警報のサイレンがなり 国民学校1年生であった私もサイレンが鳴れば即帰宅となり、 防空壕へで勉強した覚えはない。更に 灯火管制がしかれ電灯の傘を黒い布で被い灯りの外へ漏れるのを防いだ。田舎でもこんな状況であったのであるから 生意気な言い方であるが 実際に戦った沖縄の人たちにとってはTVに映し出されるあの光景は見たくもないであろうとおもう。

 

(その3)

ウクライナは ひまわりの種 ひまわりの油の生産が世界一である。 ロシア兵士にひまわりの種をポケットに入れて置けと云ってウクライナ産のたねを渡した。あなたが戦死したらそこからきれいなひまわりが咲くでしょう。阪神大震災のときのひまわりの花  はるかのひまわりを思い出しました。 またソフィア ローレンの反戦映画 (ひまわり)を思い出しました。

更なるこのロシアの戦争は 日本の兵隊さんたちが降伏後 シベリヤ抑留され帰還した時の思い出と重なる。 私の父も昭和20年シベリヤ極東へ捕虜となり抑留され、昭和18年から24年末まで内地にいない。漸く24年11月に興安丸で舞鶴に帰還。 その後の抑留時代のシベリヤの話しは子供の私には 面白かった。

〇 当時の東のはずれのシベリヤも日本と同様かなり貧しかったのであろう 腕時計や金めのものはロシア兵にとられたこと。 極東シベリア方面の人々の教育程度低く時計も読めない人もいたという

〇 人数を数えるのにひとりひとり数えた事。タテとヨコに並んでいるのだから 掛け算で判るのにだ

〇 23年ごろの 日本の人たちは 食べ物に苦労している事 或いはシベリヤ物語の映画見たこと(シベリアの大地は 河と森 果てしもなく・・)の歌も日本語で捕虜の間で 流行った事戦後日本で流行った (異国の丘の歌)シベリアで歌われていた事はしらず。

〇 日本へ帰還した際  チョコレート入りビスケット沢山、枕代わりにしたという大きなパン、子供たちへのおみやげ。なけなしの労賃で買ってきたそうであった。昭和22,3年ごろの日本は 食料不足であったという情報が ささやかれ 貧困状態にあるとシベリアで聞いていた。まだまだ多くの話しあるが 今回のロシアーウクライナ侵略戦争は 私を当時の小学生に戻した。80過ぎにこんないやな思い出をを書かせたロシア罪深しである。

 

(その4)ここで一服の清涼剤 いい話です        (2022年3月)

春の甲子園選抜高校野球 福島県 会津只見町(人口約3000人ぐらい)の会津只見高校出場まさかあの小さな町の只見高校が まさか甲子園へ と思った人は沢山いたと思うが選抜され 大垣市の日大高校と戦った。勿論 負けとなったが 甲子園へバスでやって来た応援団の年配の人の言葉がよかった。『初めてみる甲子園 しかも おらが町の高校 うれしくて 恐らく涙がでて野球は見れないだろう。』 甲子園にはいつも 場外のエピソード甲子園、がある。

 

 

2022.4.11富士山展望の石割山登山、 山本信夫

今でも富士山は3合目位まで雪で真っ白である。

巷では、コロナとウクライナで大騒ぎ、悪いけど、もう疫病とか暴挙には限界、ウンザリだ。

山中湖にきて、道路上にはないが雪魂が処々で見受けられる。富士の崇高な山容を仰ぎ見ようと、石割山に登ることを思い立った。今年の初登山であるが、天候にも体調にも恵まれ、いい山行となった。今年も山に恵まれそうな予感かな。

 

データ 石割山標高 1413m   上り105分(3300歩) 下り75分(4600歩)

 

 

写真

  • 山中湖から富士山を望む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割山登山口 403段の階段の始まり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割の大岩をご神体とする石割神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割山頂上から富士、山中湖を望む