名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
2021年

コロナブルーと近場散歩の花探し その8 樹の花/三山

小生、1日平均8,000歩の歩きを続けてほぼ20年になります。毎日8,000歩を歩き続けると、成人病の発症率は一般の人に比べ圧倒的に下がるといわれています。小生、80才を過ぎた現在も元気で、毎年受診の健康診断での血液検査、尿検査の数値は、ともに良好です。小生、歩く時は「2回排気1回吸気法」の呼吸をしながら歩きます。「フーフー、ハ、フーフー、ハ、フーフー、ハ」と排気2回、吸気1回を繰り返します。2回の排気では口をすぼめ、お腹に力を入れて、肺の中の空気を全部吐き出す積りで行います。十分な排気が行われると、吸気ではそれだけ新鮮な空気が肺に入り込みます。常に新鮮な空気が肺に確保されれば、長時間の歩きや上り坂の歩きでも疲れることはありません。この疲れないことで歩きが永く続けられてきたのかも知れません。小生、今ではこの呼吸法が習慣化し、短い距離の歩きでも歩き出してしばらくすると自然に、この呼吸法になっています。

さて、今回は樹の花です。写真1はノウゼンカズラの花です。この樹は蔓性で、坂川近くの住宅の塀にオレンジ色、ラッパ型の花を咲かせています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真2はブラシノキです。ブラシのように見えるのが雄しべだそうです。我が家から新坂川沿いで坂川に向かう道筋のお家にあります。写真の右側に新坂川、流山電鉄が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真3はヤマボウシです。住宅街の庭木として植えられていました。この樹の花のように見えるのは花ではなく苞で、4枚の苞が花弁のように美しく咲き乱れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真4はアブチロンです。坂川沿いの住宅の塀に、提灯型の赤い花を咲かせています。写真の左側に坂川が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真5は古くから日本人に親しまれてきたフジです。本土寺の藤棚を4月26日撮ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真6はユキヤナギです。細い枝に小さな白色の花をびっしり咲かせ、木全体が雪が積もったように小さな花で覆われています。この写真のユキヤナギの並木は根木内城跡の最南端道路脇にあり、写真右側は境界の小川、左側はお壕を経て、城跡の山に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真7はムクゲです。東漸寺近くの住宅街に咲いていました。この花は夏の花で、幹も枝もまっすぐ伸ばし、長い期間次々と花を咲かせていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

コロナブルーと近場散歩の花探し その7 ナノハナ、ツツジ、サツキ /三山

小生の散歩コースのもう一つに江戸川土手道歩きがあります。江戸川は、茨城県五霞町で利根川から分流されたのち、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都を流れ、東京湾に流れ込んでいます。長さは約55キロ、松戸付近の川幅は400~500メートルです。小生の家から歩いて45分で江戸川へ、土手道歩き30分、帰路45分の2時間の二等辺三角形歩きコースです。歩く距離は11キロ程でしょうか。江戸川土手道は幅広く、市民の散歩、サイクリングに利用できるようによく整備されています。河川敷には多くのサッカー場、野球場が設置されており、休日にはプレーする子供たちと応援する親たちで賑わっています。春になると、ナノハナが咲き江戸川土手が一面黄色に染まります(写真1,写真2)。写真1の左上部に土手道が続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真2はつくばエクスプレスと江戸川との交差点でのナノハナです。土手道は一旦下りトンネルを抜け、上って元の高さに戻ります。後方につくばエクスプレスの鉄橋が見えます。ナノハナベルトは小生の歩く道を含め4~5キロ続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナノハナは江戸川の他多くの場所で見ることができますが、ここでは坂川のナノハナとハナモモのコラボレーションを紹介します(写真3)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツツジとサツキは大変よく似てて、その識別は大変難しいです。ネットで調べると、その見分け方は、①花の大きさ。②葉の特徴、③開花時期の違いで見るのだそうです。

ツツジ:①6センチ前後、②5センチ、幅1センチ、ふわふわの毛が生えている、③4月頃から5月頃

サツキ:①4センチ前後、②2.5センチ、光沢がある、③5月頃から6月頃

以下の写真は、上記見分け方を参考にしてツツジ、サツキと決めていますが、誤りがあるかも知れません。

写真4は東福寺近くの住宅街一角にある公園のツツジです。白、ピンクの花が混在してきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真5は坂川の水源地である野々下水辺公園のツツジです。前方はピンク、後方は白いツツジが咲いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真6は東福寺のサツキです。東福寺の境内は小高い所にあり、その西と北の壁面、150メートルほどに多くのサツキが植えられており、毎年きれいな花を見せてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真7は国道6号線(水戸街道)筋にある寺院の前庭に咲くサツキです。観賞用に強い刈込をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

コロナブルーと近場散歩の花探し その6 草の花   、三山

小生の散歩コースの一つに坂川土手道歩きがあります。坂川は、江戸川の支川の一つで、千葉県流山市の下総台地を源とし、柏市、松戸市を流れ、江戸川に合流しています。長さは約15キロ、川幅は50~60メートルです。印旛沼、坂川の汚染対策として北千葉導水路が設置され、利根川の水が22キロ埋設配管で流山市の野々下水辺公園まで送られ、ここで地表に出て坂川に合流しています。このように、水源が利根川ですので坂川の水はきれいです。

写真1ムラサキカタバミは坂川土手に幅1メートル、距離50~60メートルに亘り咲いています。この写真は4月30日の撮影ですが7月上旬まで長い期間咲いています。坂川土手には、その他ムラサキツメクサ、ドクダミ、ヤクシソウ、ヒガンバナなど草の花を多く見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真2はヒルザキツキミソウです。花図鑑ではこの花は観賞用に導入されたものが野生化して道端などで咲いているのをよく見かけるとの説明がありますが、この写真も旧水戸街道の道路脇で撮ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真3は昔から薬草として知られるドクダミです。この写真は人家の裏庭に咲いていたもので、下からマツバギクが顔を覗かせています。ドクダミは20世紀の森公園、坂川土手などで広い地域の群生を見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真4はオシロイバナです。この写真は小生の住むマンション近くの道路端空き地に咲いていたものです。この花は夕方4時頃から開き、翌朝9時頃に閉じる不思議な花で、夕方の散歩での撮影です。この写真はピンク色の花ですが、白いオシロイバナも見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真5はナガミヒナゲシです。小金城跡近くのテニスコートと道路間の空き地に群生して花を咲かせています。この花は、散歩道の道端や空き地でも多く見かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真6はホリホックです。直立する草姿から「立葵」の和名もあります。JR貨物線ガード下の空き地に咲いていたものです。この写真は6月1日撮影されたもので、7月末でも咲き続けている夏の花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の草の花は全て春~夏に咲くのに対し、秋に咲くのが写真7ヒガンバナです。昨年9月30日江戸川、坂川合流地点近くの小さな林で撮ったものです。ヒガンバナは坂川の河川敷、畑の畦道などでも見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

名工大在学時の綱島教授の講義 To Please His Wife (妻を喜ばすために) について、鈴木直久

毎回のように昔話が多く恐縮です。    鈴木直久
何となくトーマス・ハーディのTo Please His Wife (妻を喜ばすために) を、そして関連して綱島教授のことを思い出したので、少し調べてみたら、次のような文章が見つかりました。

http://www.maiguch.sakura.ne.jp/ALL-FILES/ENGLISH-PAGE/MISCELLANEOUS/html-hardy-to-please-his-wife/to-please-his-wife-E-&-J-intro-20201201-WEB.html

愚生が1957年4月から1961年3月まで學部教育を受けた名古屋工業大学は,第二次世界大戦後,旧制・名古屋工業専門学校を基に教育改革法に基づいて創設された,いわゆる新制度大学のひとつで,當時は教官も施設も未だ満足にほど遠いものでした。退屈な授業の中の例外の一つは,綱島康煕(やすてる)教授の英語の講義であって,彼は自信と情熱を持って,トーマス・ハーディの『妻を喜ばせるために』(1891)について教へ,文章の解釈だけでなく,この偉大作家の経歴と,『ダーバヴィル家のテス』を含む他の作品についても話して下さいました。この作品は高校の教科書に断片的に含まれてゐたサマセット・モームやロバート・ルイス・スティーブンソンなどの他の英語の小説と比較して,非常に難しかったことを覺へてゐます。綱島康煕教授の「トーマス・ハーディとメルストック合唱隊」と題する論文を最近見付けて懐かしく拜讀,ハーディの著作のみならず生涯についても書かれてゐて,60年遅れの復習をさせて頂きまた。
書いた方はわたしたちよりわずか二年先輩ですが、旧仮名遣いで旧漢字が混じっている文章ですから、意外な感じがします。
それはともかくわたしも当時全く同感でした。『妻を喜ばすために』はハーディの短篇作品中最も有名であり、傑作だと思いますから、それが収められている新潮文庫の短編集は現在なお書棚の奥深くにあります。
綱島教授が使用されたテキストには、他に『「憂鬱な軽騎兵』と『呪われた腕』の二篇が収められていたと記憶します。後年それらを含めて多くの短篇を、そして最終的には代表する長編『ダーバヴィル家のテス』も読みました。
また先年読んで感心したモームの代表作の一つ『お菓子とビール』は、無名時代のハーディと当時の妻が主人公のモデルとして取り上げられています。
本題に戻ると、『妻を喜ばすために』は短い作品ですし、大抵の公立図書館のハーディの短篇集のなかにあると思いますので、一読して名工大時代を思い出してみてはいかがでしょうか。(完)

コロナブルーと近場散歩の花探し その5 花ショウブとアヤメ科の花々 、三山

花ショウブ、アヤメ、カキツバタの3っは見た目がよく似ていて、よく間違います。その見分け方について、ネットで調べたところ、①花びらの付け根、②育つ場所、③咲く時期の3条件をよく観察して決めるのだそうです。即ち、

ハナショウブ:①黄色  ②水辺  ③6月~7月中旬

アヤメ    :①網目状 ②陸地  ③5月中旬~下旬

カキツバタ :①白い筋 ②水の中 ③5月中旬

写真1、2はハナショウブです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真1は5月24日本土寺で、写真2は6月7日に同じく本土寺で撮影したものです。6月7日が花のピーク時期で、見頃は6月中旬まででした。今年のハナショウブの咲く時期は例年より相当早かったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真3はアヤメ、これは4月28日東福寺近くの道路脇空き地で撮ったもの、これも例年より早咲きです。アヤメは小生の散歩道でも個人宅の庭、お花畑、道路脇などで見ることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真4はカキツバタ、5月9日水元公園の池で撮ったものです。水元公園は東京都葛飾区の公園で、電車、バスで往復し、公園内を散歩しました。小生の近場散歩道ではカキツバタを見ることはできませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

写真5はキショウブです。キショウブはアヤメ科で外来種だそうです。これは根木内城跡公園のお壕端に群生していました。根木内城は1462年高城氏により築城された山城で、写真の奥に小高い山がありその頂部に廓跡があります。このキショウブ群生地は城跡の最東端にあり人家が迫っています。この公園内を歩いてぐるりと回ると約千歩です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真6はジャーマンアイリスで同じくアヤメ科、上と下の花弁の色が異なるのが特徴です。市街地外れの畑の畦道に植えられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真7はグラジオラス、これもアヤメ科で、豊富な花色が美しい。小金城跡近くのお花畑に植えられていました。

以上

2021年 富士登山日記、  山本 信夫

コロナワクチン接種後4週間経過。もう巣ごもりも忍耐の限界、辛抱できず、好天の続くのを確認し、9回目の富士登山を決行。

7月21日

今回は 吉田口から入山(昨年は全面禁止、前回は 富士宮口から)。 以前から富士山の山小屋は、狭く、食事悪く、値段高い、で有名。このコロナ禍で、どこも環境を整えたようだが、おかげで料金はかなり(3割?)上がっていた。今回泊まった太子館(8合目)では、当日十数人程度の登山者しか居なかったが、念のためコロナを警戒して、個室をとった。

 7月22日

朝2時ヘッドランプを点けて出発、いつもならここらから行列だが、今回はだれもいない。 途中9合目でご来光を拝む 。 頂上には 5時48分着。 まずは 頂上標識「富士山山頂浅間大社奥宮」の前で 撮影。 ついで奥社にて記帳。 この名簿から年末に「富士山高齢登拝者番付」が公表される。 前回は118番だったが、果たして今年は二桁になれるか。 頂上の富士山銀座にも人出少ない。 意外にも 欧米系外国人が多い、全体的には3割くらいか(中国韓国系は皆無)。これら外国人はどこからやってきたのだろうか?。

7時過ぎ下山開始。 下山専用道はブルドーザー道を兼ねた砂利道のみで、頂上から下山するのは初めて。 急勾配で危険、他人がほこりを巻き上げつつ追い越して行くのでマスク必着、しんどい。やっとこさ 14時20分 5合目に帰着できた。

 

データ  上り  実高度 1450m   時間 9時間30分   歩数 13300歩

下り        1450m       7時間20分       20700歩

 

写真説明

  • 六合目案内表示 (山中湖を望む)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 小屋夕食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 9合目にてご来光を拝む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 富士山頂上浅間大社奥宮の標識

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 富士山噴火口 (奥は剣ヶ峰)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナブルーと近場散歩の花探し その4 庭の花、花壇   ーーー三山

バラとともに特に花探しに熱中したのは庭の花です。庭の花が最も咲き誇るのは4月中旬から5月中旬です。

小生の散歩コースの一つとして根木内城跡周遊があります。その往復路の旧水戸街道筋に小金交番があり、その前庭に一坪ほどの花壇があります(写真1)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この花壇は小生一番のお気に入りです。花壇横の小さな立て札に「この花壇はボランティアが管理しています」とあり、もう一つの立て札に花の名称が記されていました。それによると前部の紅、黄色、紫の花はパンジー・ビオラ、左上部の白い花はノースボール、右上部の黄色の花はムルチコーレ、さらに上部の紫色の花はカワラナデシコだそうです。
もう一つのお気に入りは、新松戸住宅街にある家の前庭です(写真2)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花図鑑と小金交番前花壇の花名を参考にしながら、この花壇の花名を推定してみました。一番手前の黄色、紫の花はパンジー・ビオラ、右手前の白色・紅の花はペチュニア、中央部と右奥の白い花はノースボール、さらに中央部奥の白紫の花はペチュニア、中央左の赤い花はゼラニウム、右奥黄色の花はユリオプスデージーと思われます。

その他、素晴らしい花壇は個人住宅の数か所、Iマンション、Nマンション、二十世紀森の公園などにあります。

花壇とともに多くの鉢植え花や庭植え花が住み家やお店の周囲、道路わきに花を咲かせています。小生のお気に入り鉢植え花、庭植え花を紹介していきます。

先ずはマーガレット(写真3)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この花は通常白色の花としてよく見かける花ですが、この鉢植え花は白とピンクの花が混在し、より美しく見せています。

次にキンセンカ(写真4)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鉢植えでは花弁の多い八重咲きと一重咲きの小輪種が混在して花を咲かせています。

ネモフィラ(写真5)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉢いっぱいに澄んだ空色の花を咲かせています。

マツバギク(写真6)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鉢植え花は上から垂れ下がるように咲いています。金属光沢のある花が美しい。

ボタン(写真7)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは庭植えの花です。大輪の華麗な花が美しい。

本ページの花名の多くは花素人の小生が花図鑑と照らし合わせて決めているので誤りがあると思います。誤りをお気づきの方は正しい花名をお教えください。

以上

コロナブルーと近場散歩の花探し その3 サクラ、ハナモモ 、三山

小生の住む松戸市新松戸は40年前に農地から開発されたニュータウンで、数年で6万人の街になりました(松戸市全体50万人)。小生はその第1期生としてここに移住し、40年間住み付いています。この街の大型マンションの多くはサクラが植えられており、小生の住むマンション(557世帯)も中庭、周囲にソメイヨシノ、ヤマザクラが20本ほど植えられています(写真1)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当マンションでは毎年サクラのシーズンに「桜祭り」が開催され、住民同士飲み交わし楽しんできましたが、昨年、今年とコロナ禍により中止となっています。 歩いて20分の所にあるNマンションはヤエザクラが綺麗です(写真2)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの周囲を30本のヤエザクラが取り囲んでいます。そのほか、Tマンション、Iマンションやこの街の中央公園のソメイヨシノも見事です。

この街近く新坂川沿いに馬橋さくら道があります。1キロサクラ並木が続いており、ソメイヨシノを中心に、ヤマザクラ、オオシマザクラ(写真3)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小ぶりのシダレザクラなどが見られます。歩いて40分の所の小金原さくら通りはソメイヨシノのサクラ並木が1.3キロ続いています(写真4)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここのサクラは植栽から50年を過ぎていて少し元気がなくなっています。また近くの二つの寺院、本土寺、東漸寺でも見事なサクラを見ることができます。ここでは本土寺の山門通りを取り上げました(写真5)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクラと同時期に咲く花にハナモモがあります。歩いて1時間の野々下水辺公園ではハナモモとサクラのコラボレーションを見せてくれました(写真6)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いて20分坂川沿いにハナモモ通りがあります。小ぶりのピンク、白、紅のハナモモが800メートル続いています。ここではピンクを取り上げました(写真7)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

マロニエの花の思い出、鈴木直久

コロナ禍のなか、徒然なるままに、好きなマロニエの花の思い出について書いてみようと思い立った。

マロニエは日本の固有種のトチノキに似ているから、セイヨウトチノキとも呼ばれる樹木である。バルカン半島からトルコにかけての森林地帯が、原産地とされている。フランス語でマロニエと呼ばれる語感が、非常に魅力的である。セイヨウトチノキでは話にならないだろう。わたしの場合、若いころの憧れのパリのシャンゼリゼ通りのマロニエ並木とイメージが結びついて、実際に見るよりも先に名前を記憶してしまった。

ただし、 過去に5月、6月および7月の三回パリを訪れたが、いずも開花期を過ぎていたから、花を見ることはできなかった。

パリのマロニエ(白) ネットからの転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリのマロニエ(赤) ネットからの転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の外国旅行は、1976年(アメリカ独立200周年の年)5月のアメリカ出張であった。その時に五大湖の一つ、エリー湖畔の都市エリー市を訪れた。

レンタカーで偶々郊外の住宅街の見事な並木通りを走っているときに、上司がマロニエだと教えてくれた。しかし、開花期を過ぎていたために花を見ることができず残念な思いをした。

 

初めてマロニエの花を見たのはロンドン市内だった。1994年5月上旬にヨーロッパを旅行した。最初の宿泊地ロンドンに着いた翌朝、ホテルの近くを散歩したときその大木が白い花を付けていた。

しかし特別の感動はなかった。元々格別美しい花ではない。そのマロニエという語感と上向きに付いた白い花とドーム状の樹形とが、周囲の風景とがうまくマッチして、独特の魅力が生まれるのだと思う。

市内観光に出てバッキンガム宮殿の前で衛兵の交代を見物したとき、前の広場にアカバナマロニエ(ベニバナトチノキ)の大木が満開だった。しかし、赤いマロニエにはロマンが感じられない。やはり白い花がふさわしいという観念がそのときに定着した。

その旅行の後半に南ドイツに行き、ノイシュヴァンシュタイン城の麓の町フュッセンのホテルで昼食をしたが、ホテルの前に素晴らしい樹形をして、上向きに白い花が沢山咲いているマロニエの大木があった。それがこれまでに見た最も立派な開花しているマロニエである。

退職後最初に旅行した外国はカナダだった。思いがけないことにオンタリオ州議事堂の敷地に、白い花を付けたマロニエの大木が、何本か立っていたから、懐かしかった。同じ日に訪れたナイヤガラの滝の下流にあるナイヤガラ・オン・ザ・レイクという由緒ある街にも咲いていた。

2006年(モーツアルト生誕250周年)、中欧を旅行したとき、プラハ城とカレル橋の袂にマロニエが咲き誇っていたからうれしかった。

ウィーンではシェーンブルン宮殿の敷地内とその外側の並木道でアカバナマロニエの花が満開だった。

それが外国でのマロニエの見納めとなった。

ところで、この原稿を書くにあたって、マロニエについてネットで少し調べてみた。そして廣野 郁夫という人の、続・樹の散歩道という一連のブログのなかに、「170 銀座のマロニ通りのトチノキ仲間たちの樹幹がやや奇妙な外観となっている理由」(2014年10月)という奇妙な表題?の文章が見つかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

氏は徹底的に現地調査をしてその理由を明らかにしたばかりか、日本のマロニエの状況まで広く調査されており、感心した。ブログには著者として氏名を記されているだけだが、検索してみたら、(独)森林総合研究所林木育種センター 北海道育種場長であることが分かった。専門家なのである。

氏の調査結果は次のような結論になる。

日本固有のトチノキと、交雑種のベニバナトチノキ(セイヨウトチノキと米国南部原産のアカバナトチノキの種間雑種)の両方が、特に規則性はなく混植されていることを確認したということで、セイヨウトチノキ(本来のマロニエ)は植栽されていない(2014年8月)。

したがって、マロニエ通りという名称は厳密にいうと正しくない。

マロニエ通りは銀座二丁目交差点を東西に貫く通りである。わたしの最後の勤務地は銀座一丁目だったし、マロニエ通りがあることをすでに知っていたから、一度だけ歩いてみた。アカバナマロニエの花を見た記憶は残っているが、特に魅力のある通りではなかった。

ところで「マロニエの木陰」という古い歌謡曲がある。昭和時代前半の人気歌手松島歌子の最大のヒット曲だから、わたしと同世代の諸兄のなかにはご存じの方もあるだろう。作られたのは昭和12年だから、わたしが生まれる前である。

そんな昔に曲の歌詞を書いた坂口 淳は、日本にはほとんどなかったはずの何処のマロニエの木陰にいたのか、そして松島歌子は何処のマロニエをイメージしながらこの曲を歌い続けたのだろうと不思議に思うが、歌謡曲の世界でそれを詮索するのは野暮というものだろう。

詩の内容はともかくとして、和製タンゴのリズムが子気味良く、松島歌子の独特の声と節回しが魅力的な名曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=9yWcaQJSFyc

マロニエについての追加情報:廣野 郁夫氏のブログからの情報

セイヨウトチノキは在来種のトチノキによく似て花色も同様であり、特に魅力となる個性があるわけでもないことから、実生苗が安く手に入るトチノキに代えて入手しにくいセイヨウトチノキを積極的に植栽する理由は一般にはないと考えられる。

結果として、セイヨウトチノキの植栽例は植物園や一部の公園などに限られていて、需要もほとんどないと思われ、苗木が販売されていることも確認できない。

普通の感覚では、よく似たトチノキとセイヨウトチノキを街路樹に混植することはあり得ない。

これに対して、ベニバナトチノキは紅色の花色がきれいで、トチノキと混植すれば二色の花色を楽しんでもらうことができる。

トチノキはふつう実生繁殖した苗が利用されるのに対して、ベニバナトチノキは国内ではトチノキの台木に接ぎ木して増殖した苗木が利用されている。接ぎ木としている理由は、日本の気候に適合した台木を利用した方が抵抗力があること、ベニバナトチノキの実生繁殖は一般的ではないことが理由となっているようであり、さらに少々高めの接ぎ木をすれば、育種期間を大幅に短縮することもできる。

セイヨウトチノキは日本のトチノキと外観が似た樹種であるが、花色もトチノキ風で、ベニバナトチノキのように花色の個性が特にないため、国内ではこれを積極的に利用する理由がなく、植栽例は極めて少ない。トチノキの街路樹が多くみられる北海道内でも、セイヨウトチノキの街路樹は岩見沢市に数本あるのみ(北海道立利業試験場)という。

筑波実験植物園には、トチノキ、セイヨウトチノキ、ベニバナトチノキの3種が植栽されていて、トチノキ以外はどちらも接ぎ木増殖されたものが植栽されている。

セイヨウトチノキは新宿御苑と日比谷公園にも植栽があるが、いずれも株立ち状に分岐した変則的なもので、実生か接ぎ木か判別できない。

残念ながら、氏は外国、特にパリの育種と植栽事情までは確認しておられない。

以上

ばらの花によせて(三山さんの散歩写真)、井上和延

名工大D38ブログ旧友三山さんのブログを読みまた見て 思い出したことです。

バラの花の展示会のようなすばらしい写真に接し、またまた昔のことを思い出しました。

私の近所の家にも写真のような バラのフェンスの家があり 五月になると様々な色のバラが咲き毎日楽しませてもらっており、更に私の生まれ故郷 長野県中野市にバラ公園なるところがあり2,3度訪問、この写真に見られるようなバラの花が広い敷地に沢山ありました。英国のバラ スペインのバラ等々あり

(バラの世界)の広さ感じました。 バラは西洋 茨(いばら)は日本、総ての花は百日草かコスモスと全く 花に音痴な私には野ばらの1種である いばら(うばら)はどんなものかわかりません。 伊勢物語にうばらが出て来(広辞苑)、明冶の石上露子の甘い詩 ゆきずりのわが小板橋ではじまる(わが小板橋)に(うばら)がでてきます。さらに写真のようなバラは 中国、韓国、日本にはなく したがって漢字も無くやはり ローズ、ロザ、ロゼで南国のもの いつ頃から日本に来たのか カルメンの真紅のバラのオペラ等から考えてみてやはり戦後日本に来たのかもしれません。(う)と(い)を取り除いて単に(薔薇)となったのは、またこの西洋のローズがバラという名前になった訳は? このバラの写真を見て今まで気にも留めなかったことに気ずいた次第。

写真家浅井慎平さんのエッセイに (薔薇の憂鬱) という一文が日経新聞にありました。(H16年)なかなか 鋭くしゃれたエッセイです。 先ず冒頭 君は薔薇の憂鬱という字が書けるか。これは教養のハードルの一つだ、と友人の雑誌の編集者。 それを云うなら先ずバラのゆーうつが読めるかどうかだろうと云ったら そんなのは話にならぬと言われ、それなら薔薇の憂鬱を理解できるかどうかだ。こんな書き出しで憂鬱とは一体なんだとなる。しかし私の憂鬱はこの4文字は一生書けないであろうということ。 さらに こんな厄介な漢字をつけられた薔薇も私以上にユーウツではないかであった。また憂鬱もユーウツではないのか。三山さんの数ある薔薇の写真を見て またしてもユーウツなる駄文となった。

(PS)戦後 バラを主題にした歌多くある。 映画より歌で有名になった米国映画(薔薇の刺青) 日本では戦後間もないころの歌謡曲 近江俊郎の 南の国スペインの・・(南のばら) 近くでは(百万本のばら) (バラが咲いた) 陽水の歌の歌詞に出てくる バラの花びら噛むと恋がかなう・・ いずれにしても 歌謡曲の世界では 薔薇は憂鬱でない。