名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山

2022.8.8-9 霧嵐の富士登山     山本 信夫

今年は予定より早く梅雨も明け、富士登山を計画したが天候に恵まれず、とうとう1か月後の8月8日に決行することとした。今回は表道(富士宮口)から登る。登山者の3割がこちらから登るが、今回は女性達、子供たちが多く、外国人は少なかった。

別途写真①は、出発点(水が塚駐車場)からのものだが、富士の山頂付近に冠雲があり、これには全くの予想外の悪夢。翌日はこの雲(霧と風の嵐)に悩まされることとなった。

注:新しいパソコンにはまだ画像処理のソフトを入れていないので山本さんの写真をそのまま添付します。すこし画像が大きいので画素数が多く、パソコンによっては重くなって写真が全部現れるのに時間が掛かるでしょう。管理人)

写真① 麓より富士を仰ぐ、頂上に冠雲、予想外の悪夢

 

② 元祖7合山口山荘

 

③ 日の出前の朝焼け

 

④ あらしに中のご来光

 

⑤ 今回山行での、 山爺の唯一の写真

 

秋田と山形への初夏小旅行記、山本信夫

6月5日、実母の故郷、秋田と隣の山形に旅した。久しぶりに右の鳥海山の雄姿を仰ぎ見ることができ、大感激。従兄弟たちと何十年ぶりかの会食もでき、大満足。

翌6日は、あいにくの雨だったが、羽黒山に行った(3度目)。出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山の総称で、羽黒山は「現在の山」、月山は「過去の山」、湯殿山は「未来の山」とされ、羽黒山山頂にはそれらの三神合祭殿が祀られている。 なお帰りの飛行機は大揺れに揺れ、怖い限りであった。

写真1 鳥海山の雄姿 私の百名山の百番目の山

写真2   出羽三山の大鳥居

 

写真3   出羽山頂上にある三神合祭殿

 

写真4   杉並木の中にひっそり立つ国宝五重塔

2022.4.11富士山展望の石割山登山、 山本信夫

今でも富士山は3合目位まで雪で真っ白である。

巷では、コロナとウクライナで大騒ぎ、悪いけど、もう疫病とか暴挙には限界、ウンザリだ。

山中湖にきて、道路上にはないが雪魂が処々で見受けられる。富士の崇高な山容を仰ぎ見ようと、石割山に登ることを思い立った。今年の初登山であるが、天候にも体調にも恵まれ、いい山行となった。今年も山に恵まれそうな予感かな。

 

データ 石割山標高 1413m   上り105分(3300歩) 下り75分(4600歩)

 

 

写真

  • 山中湖から富士山を望む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割山登山口 403段の階段の始まり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割の大岩をご神体とする石割神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 石割山頂上から富士、山中湖を望む

「富士サン、いませんかー」 町田市内から見える富士山探索の記、 山本 信夫

今年の年賀状で「結局、自分の人生で残ったものは、山登りだけでした」と付記しました。

その山登りで、最も期待することは、均整のとれた美景と壮大な容姿を有する富士山にでくわすことです。

テレビなどでは、ドンと富士山を配した東京の画面が、よく見られます。わが町田市は、その東京と富士山との中間にあるので、以前から町田からも富士山が見えるのではないか、と思っていました。そこで昨年春ころから、西方向の山々に注視してきましたが前山(丹沢山系)すら出てきません。気候上安定した有雪期になって、やっと写真①が撮れました。

写真②、③のように山頂部分(9合目以上)だけにすぎませんが、それでも徒歩圏内の富士山そのものに違いなく、満足することにしました。

(別途、ネット調査では市内で、南町田グランベリーや小山田緑地などで富士山が見られるとのことですが、自分で確認してませんので、ここに掲載することは避けました。)

 

写真① 自宅から徒歩10分程度の丘から。当時は前山の丹沢山の積雪と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真② 1月24日 横浜市との境界近くの丘の広場から撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真③ 1月31日 市内の成瀬駅前ハイツから撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真④ ③の富士山頂上のクラウン(王冠)部分。

国境の島(壱岐、対馬)を訪ねて、 山本信夫  

日本国は島国なので、どこでも国境と言えるかもしれない。若い頃から最端ての地に憧れ、ロマンを感じ、礼文島、小笠原母島、波照間島、与那国島など東西南北の端を訪れているが、最後に残しておいたアジア大陸との接点、壱岐、対馬に行ってきた(12月2-4日)。島に行く手段として、フェリーとかジェットフォイルで行き、帰りは久々(YS-11以来)のプロペラ機に乗れたことは、大変嬉しくワクワクすることであった。

対馬は人口約3万人だが、一昨年までは50㎞先の隣国から1時間ほどで、年70万人以上やってきて、隣国の植民地やと言われながらも、どっぷりその恩恵に浴してきたが、今は全く皆無。全島民生活保護状態で、なにしろ大変だとのこと。このようなコロナ禍による影響の他、自然環境、歴史など多くを教えられ、感動の連続で旅を楽しむことができた。

写真① 壱岐 一支国博物館 特別史跡「原の辻遺跡」を一望、黒川紀章設計

 

 

写真② 対馬 五つの鳥居の奥に和多都美神社

 

 

写真③ 対馬 展望台から水平線のすぐ上に陸影(韓国)見ゆ

 

 

写真④ 対馬 小茂田浜神社前 日露戦争時の砲弾

 

 

写真⑤ 対馬 対馬→福岡35分飛んだプロペラ機

 

氷結の活火山 浅間山登山、山本信夫

10月21日、念願の浅間山に登った。恐らくは今年最後の山であろう。

20日に阿蘇山の噴火が報じられた。(日本の活火山は、全国99座(他に北方領土に11座)あり。活火山には、噴火レベルとして、1「活火山であることに留意」、2「火口周辺規制(火口から1km以内立入禁止)」、3「入山規制」、4,5(省略)の5段階ある。また火山の活動度として、A、B、Cの3段階に分類され、浅間山は阿蘇山と共に活発なAランクに属している。

浅間山には,2000年11月11日に初登頂しているが、当時は噴火レベルが2であったので、臨時的に頂上とされた、外輪山の黒斑山(2404m)までであった。その後2回登るチャンスを得たが、頂上には達せず。今年もレベル2であったが、8月6日にやっとレベル1に変更され、火口近くの前掛山(2524m)まで接近できることとなった。(浅間山最高地点は火口壁にある釜山2568m) 今月17日に初冠雪したことを知っていたが、いつレベル2に戻さるか分からないので、冬装備に変更し、急ぎ登山を決行することとした。

朝7時前に登山口(天狗温泉)出発、雪の状態、風の強さを心配したが、正午過ぎに頂上に到着、充分に頂上を満喫し、無事下山できた。

 

データ 浅間山 2568m  上り 5時間 12300歩  下り 4時間 19000歩

出発点~頂上    距離往復 13km   高さ 1100m

 

 

写真 ① 頂上標識 ここまで来ないと本山(釜山)の様子分からず

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ② 頂上すぐ下に噴火防護用シェルター2基あり

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ③ 本山(釜山)への登行禁止通告

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ④ 火山館 浅間山活火山の資料等設置 トイレあり(有料)

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ⑤ 外輪山と湯の平

レインボーブリッジからお台場へのウオーキング、山本信夫

10月14日、現役時代の同業団体からの誘いがあり、東京湾を横断するレインボーブリッジからお台場を10名でウオーキングすることとなった。同橋にはその下を船で通ったことはあったが、その上を歩いて渡ったりしたことはなかったので、欲求に負けて参加。橋の歩道は約3km、渡るとお台場の名所巡り、最後には予想外のビール乾杯があった。

(データ: 時間  170分  17800歩)

写真① レインボーブリッジ全景

 

写真② レインボープロムナード(ブリッジの外端の歩道)

 

写真③ 車道とゆりかもめ

 

写真④ 北側風景

 

写真⑤ 自由の女神像(台場)

 

初秋の男体山登山、山本 信夫

県を跨ぐ旅行ができるようになり、10月4日、日光の男体山(百名山)に登った。

男体山は、1998年10月9日に初登頂し、その後、昨年10月5日2回目登頂を目指したが、天候悪化でやむなく5合目で退避せざるを得ず、今回はそのリベンジということ。

体力も持久力も衰えたが、順調に登行でき、昼前に登頂でき、普通は半時間程度の滞在が1時間程度頂上で撮影、見学できた。ただ天気が良すぎて遠くがかすみ、富士山を見つけられなかったのは残念。帰路は疲れが加算するので、事故、怪我が起こりやすく用心、用心で、ほぼ登りと同時間かけて、やっと下山できた。極めて満足感あり。

 

データ 男体山 2486m  上り 4時間 5500歩  下り 3時間50分 9300歩

                 出会った登山者 上下共 7,8名  頂上 10名ほど

 

写真1 頂上での、突き刺さる大剣

写真2 頂上での 二荒山大神像

写真3 頂上標識

写真4 頂上から中禅寺湖を望む

写真5 帰路 金精峠からみた男体山

2021年 富士登山日記、  山本 信夫

コロナワクチン接種後4週間経過。もう巣ごもりも忍耐の限界、辛抱できず、好天の続くのを確認し、9回目の富士登山を決行。

7月21日

今回は 吉田口から入山(昨年は全面禁止、前回は 富士宮口から)。 以前から富士山の山小屋は、狭く、食事悪く、値段高い、で有名。このコロナ禍で、どこも環境を整えたようだが、おかげで料金はかなり(3割?)上がっていた。今回泊まった太子館(8合目)では、当日十数人程度の登山者しか居なかったが、念のためコロナを警戒して、個室をとった。

 7月22日

朝2時ヘッドランプを点けて出発、いつもならここらから行列だが、今回はだれもいない。 途中9合目でご来光を拝む 。 頂上には 5時48分着。 まずは 頂上標識「富士山山頂浅間大社奥宮」の前で 撮影。 ついで奥社にて記帳。 この名簿から年末に「富士山高齢登拝者番付」が公表される。 前回は118番だったが、果たして今年は二桁になれるか。 頂上の富士山銀座にも人出少ない。 意外にも 欧米系外国人が多い、全体的には3割くらいか(中国韓国系は皆無)。これら外国人はどこからやってきたのだろうか?。

7時過ぎ下山開始。 下山専用道はブルドーザー道を兼ねた砂利道のみで、頂上から下山するのは初めて。 急勾配で危険、他人がほこりを巻き上げつつ追い越して行くのでマスク必着、しんどい。やっとこさ 14時20分 5合目に帰着できた。

 

データ  上り  実高度 1450m   時間 9時間30分   歩数 13300歩

下り        1450m       7時間20分       20700歩

 

写真説明

  • 六合目案内表示 (山中湖を望む)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 小屋夕食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 9合目にてご来光を拝む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 富士山頂上浅間大社奥宮の標識

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 富士山噴火口 (奥は剣ヶ峰)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥日光慕情写真、山本信夫

Go To なんとかで、東京除外が解除されたのを機会に奥日光を訪れた。当日、天気は小雨のち曇りであったので主目的の男体山登山は5合目で打ち切り、奥日光観光に転換。当地では処々において大型バスで修学旅行と思われるマスク集団と遭遇。今回の費用は現地クーポンを含め、ほぼ半額ですみ、よって大変心豊かなトラベルとなった。

1 湯の滝

2 竜頭ヶ滝

3 華厳の滝

4 湯ノ湖

5 真っ赤でない淡い紅葉