名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山

尾瀬探訪  平坦地でも運動量、健康量は稼げるのか、 山本信夫

10月27-28日、もうシーズンオフで空いてきた尾瀬に行ってきた。山のトップ(頂上)を目指さない登山は久しぶりだ。

まず戸倉から鳩待峠(1591m)まで小型バスで上る。鳩待峠は至仏山(2228m)登山の他、数回きているが、今回その頂上あたりで大きい建物が建設中であった。

鳩待峠10時20分発、尾瀬ケ原の西の玄関口の山の鼻(1400m)まで3,3kmを下る。そのほとんど木道が敷かれているが、前日の雨で用心肝要。山の鼻11時35分着。写真②のように、前日までに降った雪が残っている。昼食を取り、上田代あたりまで散策しつつカメラ撮影。有料トイレを済ませ、山の鼻13時発、鳩待峠14時10分着(5300歩)。

つまり、1日目の運動量は、約8kmで約15000歩となったが、戸倉の旅館では、温泉に浸り、夕食では飲食とも、通常の倍くらいの食欲であり、熟睡もできた。

結局は、平坦地であっても(山の頂に達せずとも)運動量は稼げるし、健康量も得られることが証明された。

写真① 鳩待峠休憩所 この向かいに大きい建物建設中

写真➁ 山の鼻 残雪あり

写真③ 尾瀬ケ原の草紅葉と、奥には燧ケ岳

 

写真④ 尾瀬ケ原からみた至仏山

数年後に第2のウクライナにならないか(台湾訪問記)、山本信夫

台湾旅行は、玉山(新高山 にいたかやま 3952m)登山のときと、全土観光と2度訪問している。かって日本の支配地であったが、今ではその経済活動も成長性も日本を追い越している(韓国も同様)。

中国の動きが微妙なので、表題のようなことが起きる前に、台湾に行っておこうということになった。台湾では、今回も、日本、日本人に対して好意的に接してくれているのをよく感じる。我々を案内してくれたガイドにいろいろ質問したが、対中国については出来なかったし、出来ても明確な回答はないだろう。ただ徴兵制は例外なくかなり厳しく、若者の不良化するヒマがないとも言っていた。

道中、昼1回、夜1回の自由食事があったが、料金は日本のほぼ2倍程度以上とられ、逆にいえば日本の弱体化、落ちぶれ化が、身に染みて解った次第。

写真①  九ふん  かって金鉱でにぎわったが

 

 

写真②    十ふん  天燈上げ

 

 

写真③    中正紀念堂

 

 

写真④    故宮博物院 収蔵70万 かって紫禁城にあったもの

 

 

写真⑤    忠列嗣  衛兵交代セレモニー

 

 

230723-24 富士登山 、山本信夫

7月23-24日。夏の年中行事である富士登山をした。

今年の富士山は、報道などによれば、登山数が20万人以上と言われており、確かに山小屋の予約も取りにくかった。

今回の登山コースは、登山人数の増加を考え、表道(富士宮口)往復とした。

1日目、2日目共に、天候には恵まれ(過ぎるくらい)、雨、霧、風なく、心配すべきは、こちらサイド、体力がもつか、の1点のみ。

夏休みに入っているので子供連れが多い、外国人も多く30%以上か。

2日目、早朝3時に元祖7合目の小屋を、ヘッドランプ点けて出発。やっぱりペースがかなり落ちてきている。他人に抜かれるのに、何の抵抗も無くなった。

周囲の星群、街の明かりの群など綺麗。7時35分やっとこさ頂上に到達。浅間神社奥社に参拝、11回目の記帳をする。

そこから剣が峰が、こんなにはっきりと綺麗のは初めて、というように見える。以前そこまで登り頂上標識前の写真を撮るのに並び、その順番が来るのに、1時間以上待たされた苦い経験があるので、そこの写真撮影はあっさりと断念した。

9時下山開始。登りは辛抱すればなんとか進めるが、下りは使う筋肉が違うので登りのようにはいかない。滑る、けつまぐ、尻もち等々。

やっとこさ6合目まで下山できた、そして16時発のシャトルバスに乗れた。

昨日、今日、身体とくに脚部の筋肉痛は、半端でない、今まで経験したことがないほど。でも不思議と、嬉しいイタミだ。

写真① 浅間神社頂上奥社

写真②   日の出 4時  3200m地点

写真③   9合5勺地点(あと30分で頂上)

写真④   頂上地点から剣が峰を望む

写真⑤   頂上より下界を望む、右に小屋、左に宝永火山、白いのは残雪

2023.6.1  D38会昼食会開催 、山本信夫

以前は毎夏開催されていたD38会昼食会は、コロナ禍の影響で中断を余儀なくされてきたが、今般再開されることとなった。(幹事 三上雅敏氏)
以前に開催していた八重洲の飲み屋は全てコロナで潰れてしまったそうで、今回は東京駅二階のこじゃれた風の飲み屋。

14時5分、まずは生ビールで乾杯‼ ビール一巡して、赤ワイン、白ワイン、、、、その後はもうよく覚えてない。なにしろ飲み放題などは4年ぶりで、盆と正月が一緒に来たよう、笑顔がはじけ、声が段々大きくなる。

話題は次第に、この秋実施されるであろう、D38会全体会に集約されてきて、16時すぎ、なんとなく流れ解散と相成り候。

ちょっと飲みすぎたきらいはあるが、充実した一日を過ごすことができた。

写真①  三山さん、前田さん

写真②  大見さん 山本(雅)さん

写真③  東京駅内部

写真④  東京駅外部

黒糖焼酎の島、奄美大島を訪れる、 山本信夫

管理人より

山本雅さん、山本信さんからいろいろと紀行文を投稿して頂いています。私も最近出不精になり両氏の紀行文を楽しく読んでいます。同窓の皆さんも両氏ほどの旅行はしていなくても、近辺の散策時の風景等写真中心で結構ですのでご投稿くだされば管理人として励みになります。尚、同窓の皆様で出不精の方にはZOOMミーティングも行っているので是非ご参加ください。尚、昨夜のZOOMミーティングで数人より今年の秋に名古屋で同期会開催の要望がありました。今後、幹事の山田さんから、何らかのアクションがあると思います。

管理人 前田和男

国内の離島は、北は礼文、利尻、南は与那国島、小笠原、などほとんどすみ、残りは隠岐と奄美大島だけとなった。3年以上コロナでうずうずしてきたが、一応収まったとして、奄美大島にいくことにした。

南国の酒といえば焼酎だが、原料はいも、麦が主体だと思う。ところが奄美大島では黒糖焼酎が有名のようだ。

5月16日焼酎工場の見学があったが、そこも黒糖焼酎をつくっていた。見学後、試飲会があった。日本酒、ワインなどの試飲は有料または無料で幾度となく経験したが、今回のは、ちょっと違っていた。20種以上の品種で、つぎ放題、飲み放題、割放題。すべて無料。30分もすると酔っ払い状態でフラフラ。気分は凄くイイので、最後には、「高倉」(30度)と「浜千鳥の詩」(40度)を、大変気分よく買う羽目となった次第。困ったものだ、、、

 

写真① 黒糖焼酎工場(奄美大島酒造)内部

 

写真②   同試飲会

 

写真③   奄美十景あやまる岬 見えてるのは太平洋、後ろは東シナ海

 

写真④   カヌートレーニング

 

写真⑤   赤い花 (デイゴ)

2023.4.17  春の諏訪湖散策   山本信夫

東京から登山に行くとなると、北アルプス、中央アルプス、南アルプスなど、いずれでも諏訪湖付近を通過することとなる。で、何度も来たし、宿泊もした。

今回は某会の総会があり、懇親会のあと、ゴルフと観光に分かれて楽しんだ次第。①の写真は、大月方面から甲斐に入ったあたりから見える富士山で、一般的には、あまり見かけないポーズ?であろう。

写真1は、大月方面から甲斐に入ったあたりから見える富士山

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写真2 宿泊ホテルから見える諏訪湖

 

写真3   八釼神社 御神渡りを見極める神事を守り伝えている

 

写真4   貞松院 高島藩初代藩主夫人と松平忠輝の菩提寺

写真5   松平忠輝(徳川家康の六男)の墓

写真6   「諏訪五蔵」甲州街道沿いの5軒の酒蔵(試飲あり)

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写真7   車窓からの甲斐駒ヶ岳の雄姿

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38年ぶり八丈島再訪、八丈富士登山、  山本信夫

1984年4月に八丈島に旅したが、この10月27日に再度訪れた。38年ぶりだが、全く変わってないナ、と感じた。昼食をとるため食堂を探したが、ラーメン屋もカレー店も見つからない、コンビニもないのには驚いた。町役場の近くでスーパーをやっと見つけたが、物価が本土の2割増し程度だろうか。だが、レンタカーの店員の話だと、コロナ中から現在まで来島者は途切れなく多く、ホクホク状態とのこと、意外な感じであった。

今回来島の第1の目的は、八丈富士に登ること(前回は悪天で登山できなかった)。それを無事達することができ、残った時間で観光地を巡ることもできた。

八丈富士の独特の特徴は、登山口から頂上付近まで、約1400段の階段を登ることと、頂上部が直径400mの火口を一周できるお鉢巡りができることである。幸いにも天候に恵まれ、360°雲のかけらもなし。もしかしたら本物の富士山が見えるかもと思い、北方向を凝視してみたが、、、、、、。

 

データ 高さ 854m  (伊豆諸島最高峰)

上り  92分  2640歩

下り  70分  3920歩

休憩  40分

写真

八丈富士頂上の標識

頂上部から町内を望む、背後は三原山

登山道の階段道

 

登龍峠から八丈富士、八丈小島、底土港などを望む

 

大坂トンネル前から八丈富士を望む

 

名古の展望台から。太平洋に向かって断崖絶壁

70年ぶりの大阪城公園の散策して      山本信夫

四国片田舎の中学から修学旅行で初めて訪れた大阪城、その後大阪には何度も来たし、就職して8年間暮らしたが、大阪城は遠く眺めるだけで、近づくことはなかった。

10月2日、近くに用件があったので、ついでに散策してみた。さすが大阪のシンボル地だけあって、きちんと整備が行き届いている。花壇、ロータリー、噴水もある。休日のせいでもあるか、多めの人々がほとんどマスク着用し華やかヤ。旗を持った旅行会社のグループ、修学旅行と思われる学童たちも幾組かいる。

東京で例えれば、日比谷公園、新宿御苑などに近いかナ、ただ違うのは城に近づくと20メートルほどの高度差があり、トレーニング等には向いてるナと思える。

花壇ちかくの芝生に寝っ転がって缶ビールでも飲んでみたい、そんな一日が過ごせた。

 

写真① 大阪行きの新幹線から、もう初雪は消解

 

  ② 森ノ宮入口路付近からの大阪城

 

  ③ 大阪城公園の噴水ロータリー付近

 

 

  ④ 公園の西の外堀付近、官庁街

 

 

⑤ 大阪城正面

2022.8.8-9 霧嵐の富士登山     山本 信夫

今年は予定より早く梅雨も明け、富士登山を計画したが天候に恵まれず、とうとう1か月後の8月8日に決行することとした。今回は表道(富士宮口)から登る。登山者の3割がこちらから登るが、今回は女性達、子供たちが多く、外国人は少なかった。

別途写真①は、出発点(水が塚駐車場)からのものだが、富士の山頂付近に冠雲があり、これには全くの予想外の悪夢。翌日はこの雲(霧と風の嵐)に悩まされることとなった。

注:新しいパソコンにはまだ画像処理のソフトを入れていないので山本さんの写真をそのまま添付します。すこし画像が大きいので画素数が多く、パソコンによっては重くなって写真が全部現れるのに時間が掛かるでしょう。管理人)

写真① 麓より富士を仰ぐ、頂上に冠雲、予想外の悪夢

 

② 元祖7合山口山荘

 

③ 日の出前の朝焼け

 

④ あらしに中のご来光

 

⑤ 今回山行での、 山爺の唯一の写真

 

秋田と山形への初夏小旅行記、山本信夫

6月5日、実母の故郷、秋田と隣の山形に旅した。久しぶりに右の鳥海山の雄姿を仰ぎ見ることができ、大感激。従兄弟たちと何十年ぶりかの会食もでき、大満足。

翌6日は、あいにくの雨だったが、羽黒山に行った(3度目)。出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山の総称で、羽黒山は「現在の山」、月山は「過去の山」、湯殿山は「未来の山」とされ、羽黒山山頂にはそれらの三神合祭殿が祀られている。 なお帰りの飛行機は大揺れに揺れ、怖い限りであった。

写真1 鳥海山の雄姿 私の百名山の百番目の山

写真2   出羽三山の大鳥居

 

写真3   出羽山頂上にある三神合祭殿

 

写真4   杉並木の中にひっそり立つ国宝五重塔