名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山

中国の漢字と日本の漢字、井上和延

その1

日本の高校生が 日中交流を目的で中国への修学旅行をしたときの話です(阿辻哲次 遊々漢字学から)。      一行がバスに乗ってお別れのとき、日本の生徒が窓から 紙に(手紙)と書いて向うの生徒に見せた。(手紙だすよ)の別れの言葉であったが 向うの生徒はあわてて走ってどこからかトイレットペーパーを持ってきて日本の生徒に渡した。日本語の手紙は中国ではトイレットペーパー(チリ紙)のことを云うのだそうだ。そこではじめて両国の漢字の大きな差を知ったそうである。中国の生徒も日本の生徒も 真の修学旅行をし 真の友情を知ったと思いました。こんな話をするのは 前にも書いたが武漢コロナのときの話しがあったからである。武漢加油 (頑張れ武漢) 僧 鑑真の言葉 (山川異城 同月同天)につながるものである。文字は異なれど意志は通じ合えるものと思ったからである。

しかし 我々は漢字は中国から来たものであるから 意味は同じ、通じるものと思っていたが 必ずしも正しくないとしらなければならない。

例えば 我愛老婆 不用勉強 我想去上海 走る 我想吃餃子 告訴 

老婆は(妻)であり不用勉強は無理するなであり 我想去は上海へ行きたい 去は行くの意で、吃は食べる 告訴は単に伝えるである。まだ沢山 日本と中国の漢字の意味が全然違うもの沢山ありである。武漢コロナの(武漢加油)が思わぬ方向に発展した。年をとっても知らぬ事沢山あり、まだ死ねず。

 

その2

日本の文字 即ちひらがなとカタカナは非常によく練られた優秀な文字で 系統的、数学的である。母音 (あいうえお) 子音 (あ)(か さ た な は ま や ら わ)が 縦と横の列に並び ぴったりと合わされている。またカタカナは明治時代に出来たと思うが ABC・の外国の文字の言葉が日本に入って来た為 対応できるもうひとつの字が必要になりカタカナが出来 先の(あかさたな・・)に合わせてつくられた。次第に外国語の頻度があがり 便利になり一般化した。(私の推量です)このような観点から見ると 中国は漢字一つ?で総てを賄うと云う事に自ずと無理が生じてこないだろうかと よそ事 内政干渉になるが疑問がわく。ましては世界は狭くなり言葉も世界的になっているし ABCの字も沢山使われるようになってきているからである。例えば スポーツニュース 中国語では体育新聞、その他 外国の国 フィリピン ブラジル アルゼンチン・・ 更に私の疑問は 化学用語や物質名ベンゼン トルエン ポリエチレン 塩化ビニル・・どういう漢字だろうか。又世界の統計上の諸要素。都市名等。

昔の漢字は意味を推量できたが、今の中国の簡略字は意味をはかり知る事不可能である。例えば 白⇒白・・国 ⇒国・・ 京⇒京・・ 春⇒春・・等々(PCにこの略字ないため書けず)25~26年前 台湾に出張したことがあり 小さな餃子の店に入ったら 小学生の女の子が隅のテーブルで一生懸命漢字の練習をしていた。覗いて驚いたことがある。 我々の戦前の難しい漢字の書き取りの宿題?をやっていた。 聴く。大學。聲。櫻。 今も台湾では私の拝見したものと一緒か。

上海、広東は漢字だけれど 北京と違うものだろうか。

日本のカタカナの導入は先見の明ありと思うが。これにより日本人は表現が楽になり エネルギーを他の分野につぎ込めたのではないだろうか? もしカタカナがなかったらと思うと(漢字だけ、ハングルだけ)現代人は非常に苦労したのではあるまいか。また中国の人は漢字の書き方忘れた時どうするのだろうか?例えば (貯蔵) ややこしいから 貯ぞうと書いてしまう、 私なんぞはこの類。

30年ほど前 中国重慶のGF工業の (孫)デレクターが 唐詩300選なる本を送ってくれた。中国の市販本である。 私が日本での送別の会食で王維の

(謂城の長雨 軽塵を潤す、客舎青々・・)と送別の詩をうたったら帰られてから送ってくれたものである。その詩の中には沢山の日本でよく知られてる漢詩があった。しかし残念ことに先に述べたとおり略字が多かった。なかなか読めずである。

折角の名詩も味気がなくなる。

先ず日本でよく知られてる漢詩 いただいた本中のものと比較してみる。

国破れて山河あり、城春にして草木深し、時に感じては花にも涙を潅ぎ 

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

国破山河在 城春草木深 感花潅泪 恨別□□心  □の中の字略字 読めず。

杜甫の詩 涼州詩  葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す 

酔うて沙場に臥す 君笑う勿れ 古来征戦幾人か回る   

美酒夜光杯 欲琵琶馬上催 酔笑 古来征□□□回 

まだまだ 沢山あるが 長いことはよくなし。私の話が間違ってるかもしれず。

中国通のかた教えてください。

またまた余計なつぎ足しです

(付記) 受験用暗記  なくようぐいす平安京(794年)こういった表現は中国語では出来ぬのでは ついでに わすれてくれな唐亡ぶ(907年)

中国は 世界の学習到達度世界一ですから 私は 馬鹿をいってると思われるかも。

上記 到達度とは世界の15歳の生徒の平均得点の国際比較のデータ(2019年)

科学的応用力590点⇒世界一 読解力555点⇒世界一 数学的応用力591点⇒世界一 日本は 5位 15位 5位 気になるのは 中国のマカオも3部門

すべて3位 香港 9位 4位 4位 ここは素直な気持ちでこの数字を見よう。

(コロナ下の2020年11月  記)

 

清少納言と紫式部のうた 百人一首より 、井上和延

 今年の正月はわが家恒例の百人一首の『かるたとり』をした。 都会からの孫娘のたっての要望である。私が詠み手 家内、娘組と孫娘(11歳)との対抗戦である。 彼女は何故か小学校でこれを教わりまたたくまに上の句 下の句の歌数十首を覚え 自信たっぷりであった。当然二人組はやられ 彼女の勝。その時の彼女の得意然とした顔が目に残った。 話はかるたとりのことではない。清少納言の歌と紫式部の歌が 心にひっかかった。

夜をこめて鳥の空ねをはかるとも、世に逢坂の関はゆるさじ    清少納言

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな 紫式部

この二首のうち 式部の歌は直ぐ理解できるが少納言の歌は難解でわからない。それもその筈この夜をこめての歌の意味は、昔高校二年の時習った中国の故事(孟嘗君客を好む、鶏鳴狗盗)の故事を知らないと判らない。鳥の鳴き声を真似をされても、ここは逢坂の関 孟嘗君のにわとりの函谷関ではない。だから関所の門は開くことはないのです。来ても無駄ですよ である。これで思い出すのはやはり ときの帝の中宮 定子と清少納言とのやりとりの故事である。(香炉峰の雪やいかに) 清少納言は即座に簾をかかげ 峰の雪を見せた。中宮も才女であれば少納言もそれに劣らぬ才女。

遺愛寺の鐘は枕を欹てて聞き、香炉峰の雪は簾を掲げてみる。  白居易

さて紫式部も長編 源氏物語 を書いた大変な才女である。中国 唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇が頭にあったのだろうが、清少納言はその上を行ってたのではあるまいか。唐の貴族文化にあこがれていたのではとも思う。枕草子 以外の31文字の和歌にも難解なものを書くくらいだからである。しかし (めぐりあひて)の 紫式部の歌のほうが我々凡人にはよく理解でき身近である。

さて現実に戻ろう、もし清少納言と紫式部のふたりの才女が花嫁候補になったらどちらを選ぶか?。

また会社で採用するならば どちらを優先的に採用するか

米国大統領選挙の時 (もしビールを飲むとすれば誰と一緒に飲みたいですか)と云う質問 以前にこのブログに書いたが もし先の二人の才女だったら どちらを誘うか?

思わぬ方向へ話は飛んだが 老々の身の今では 時すでに遅し馬鹿な夢を追ったにすぎず。

暇になるとろくな事しか考えずの典型であり、老人閑居して・・の典型的パターンである。

(‘19年 ’20年 コロナ下の今年も 同じことのくりかえし)私の不忘のための作文から

(2021年 正月記)

カッコー鳥のはなし、2018年5月の日記より、井上

鳥の話が、鈴木さん、前田さんと続いたので、私の、忘備録の中からカッコー鳥の話を取り出し投稿したいと思います。

 我が家のまわりには さすが安曇野 いろいろな鳥がやって来る。電柱、電線にとまり、朝早くから啼きだす。 やまばと、せきれい、シジュウカラ・・秋にはムクドリ、コガラ ・・・  その中でカッコーが一番気になる。啼き声はもちろんだが それ以上に気になるのは 我が家のそばに来てカッコー、カッコーと啼く日である。こちらへ来て1,2年は気がつかなかったが 毎年決まって5月25日になるとやって来て電線の上でカッコー、カッコーである。 12年経った今でも 決まって5月25日にやって来る。

従って 毎年この25日が近くなると 気になり今年はやって来て啼くだろうかと心配になる。

そして今年(2018)も5月25日に来てくれた。カッコー、カッコー ひと安心である。

俵 万智の短歌集のタイトルに サラダ記念日というのがあるが、私にとっての5月25日は 以来 カッコー記念日となった。 

この味がいいねと 君が言ったから 7月6日はサラダ記念日

カッコーが毎年この日に啼くから 5月25日は カッコー記念日

さらに2019年 令和元年の今年も カッコーが来てくれた。 令和元年5月26日 令和 初のカッコーの啼く声を聞くことができた。1日ずれたが。26日の朝6時半 畑で枝豆を植えているとき すぐそばの電線で啼いた。1日の誤差である。 とにかくこの事象は私にとっては不思議でならない。よくもまあ10年あまりのの長きにわたって 正確さを保ち 同じ場所で 同じ声で啼く。 カッコーと云う鳥は鳥の仲間ではあまり 評判の良くない鳥であると聞く。しかし私にとっては非常にいとおしく、あの啼き声は心のなかに沁みこんでいる。

                        以上 安曇野からの便りです。

 

 

D38同窓会所感、井上和延

平成29年の名工大工業化学科の大イベントがおわりました。 今回は多くの人の希望で信州安曇野となり山田幹事さんの努力で松本、白馬となり10月16,17日実現しました。

総勢23名の希望者となり 悪天候にもめげず楽しく学生時代にプレイバック、更に17日は 白馬八方尾根、八方池までの登山組 八方ケルンまで行き オリンピックの大シャンツェへの登山?組 それに 栂池までのハイキング組と皆それぞれに自主的に楽しみました。 この大きな田舎に来られ雨と霧に覆われたアルプスに対し恨みひとつなく終わったこと、先ず地元の田舎に住むものとして感謝です。名工大時代名古屋はおおいなる西部ならぬ大いなる田舎と呼ばれましたがそれから比較するとこの安曇野、白馬は真の田舎であり松本のお城も真のお城コンクリートの塊ではありません。まさに今回は人造の合成物ではなくまた天候までも真のものを体験しました。

前日、福田さんからは(お前よくこんな田舎に住んでるなあ)、近藤さんからは名古屋から松本まで2時間 其の5分の一の距離の白馬まで2時間 (いやあ、遠かった)、また翌日のお昼のおにぎりまでホテルで頼むという事象、レストランがあちこちにあるというのに、冬なればオーストラリアの外人でにぎわい都会よりもっとしゃれた店があるのに。日本の真の田舎を体験しただけでも勉強になったのではないかと、あとになって思いました。

わたくしは前半第一ケルンまで昔福田、大見 有路 佐々木さんたちと滑り降りた滑降コースを見て午後は矢田さんも加わり オリンピックの笠井 船木等が活躍した大ジャンプ台へ行きリフトとエレベータで 車がマッチ箱ぐらいにしか見えないてっぺんまでゆきました。この日はさすがに京都を土中(地球の中心)と思ってるかの福田氏も 懐かしく思ったのでしょう、この大いなる田舎に感動してました。また矢田さんは初めてのジャンプ台のスケールのお大きさに驚き、かの福田氏の説明を熱心に聴き静かでした。これから長野の善光寺さんへゆき、殊勝にもお参りして翌日金沢へ行くという 人生行脚してるようでした。

他の組の人はどうでしたか。雄大なアルプスを見られず残念でしたが、もう一度チャレンジしたい気分になりませんでしたか?。山の好きな人は何回もチャレンジしたいと 普通思うものですが。今月の日経新聞に 非常におもしろい記事ありました。米国での大統領選の時必ず(もしビールを飲むなら一緒にだれと一番飲みたいですか?)という質問を選挙民に聞くそうです。 一番多かったのはトランプさん 二番、三番はサンダースとクリントトン 次はブッシュであったと報じてました。この質問は名質問です、通用範囲 誠に広い。高校であればスキーの仲間であり 名工大はこの23人の仲間 それに共に苦労した会社の15,6人の仲間(毎年一回の会)私の一番一緒にビールを飲みたい仲間です。

今回は考えようによっては天気が悪く残念かも知れませんが、今の我々にいくら時間等、もろもろに余裕があっても 物事はそう順調に行くものではないことを教えられ或は学んだ事。そのように考えれば 価値のある旅であったと思います。幹事の山田さん、ご苦労でもまた機会をつくって下さい。そのときは20プラス参加したくてたまらなかった佐々木、三山、生信さん是非参加してください。今回の旅は3人も一緒だった23人の会であったのです。

(2017/10/19    井上記)

八方尾根登山のグループの写真(とりあえず、小林さんから管理人に届いた写真を掲載します。小サイズの写真はクリックすれば拡大されます。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

安曇野の秋

これを書く前に先ず季節の変わり目について書きたい

 冬から春、春から夏への変わり目は比較的わかりやすく もう春ですね、とか暑くなりました、夏ですね、とか自信をもって云えるのであるが、どうも夏から秋への変わり目は難しい。

 わきあがる雲はまだまだ夏の入道雲なのに、今までのようにどんどんと空に向かってのびてゆかず途中で崩れてしまう。また日中は猛暑なのに朝晩は涼しい風が吹く。しかし夕立が来て雷がごろごろ鳴りこれだけ見ればまだ夏である。山を見れば春は一斉に若緑にかわり雪の山は残雪を残している。しかし秋は、山はまだ黒々とした緑、アルプスの峰々も色づかない。しかし、なかなか小さい秋みつけたとはいかないが、なんとなく秋の気配を感じるのです。月おくれのお盆が終わるともう秋だと、昔から云われていますが、なかなか(秋になりましたね)とは言えないのである。近所の人との挨拶も(暑いですね、でも朝晩は涼しくなりましたね。)で夏なのか秋になったのかあいまいな挨拶となる。

 しかし、まだまだ夏の残暑が続こうが、また涼しくなろうが今日から秋だと、心のなかに決めているのが越中八尾のおわら風の盆である。これが始まると私の夏の終わり秋の始まりである。三味線と胡弓とあのかん高い越中おわら節を聴き、つぎつぎと西の横丁或は東の横の通りから出てくるあの踊り手の集団を見ていると秋なのである。(笛や太鼓にさそわれて 山の祭りに来てみれば・・・・風吹きゃ木の葉の音ばかり)昔の歌であるが、越中八尾の風の盆は、まさにこの歌の感じである。私の心の中は 忍び込む秋 淋しくなってゆく秋、を感じるのです。 

 さて安曇野の田舎の秋は、まずうるさいぐらいの蛙の鳴き声が、いつの間にか こおろぎの鳴き声にかわる。また いつの間にか とんぼが空を飛んでるのに気づく。しかしアルプスの山も、近くの里山もまた田んぼも夏と変わりはない。初秋のはじまりである。そして中ごろ稲刈りがはじまり田畑の荒くれ土がむき出しになると いつの間にか アルプスの山が動く。遠くに見えた深い緑の山が、少し赤みを帯びだんだんこちらに近づいて来る。中秋か。とんぼは数を増し私の手にも止まるほどになり、薄かった赤い色が真っ赤になる。いつの間にか すごい数の赤とんぼが空に舞っている。 

 この23日寒いなと思っていたら、近くの里山に初雪があり、緑色だった筈の山が いつのまにか紅葉が手の届くところまで来ているのです。10月末の頃です。晩秋と云っていいのでしようか。やがて庭の木の葉につく露が白くなり、霜が降り二十四節気の一つ霜降となる。庭の木の蜘蛛の糸が氷の糸となり冬の到来となります。安曇野の秋の変わりかたはすべて いつの間にか秋なのです。

(追記)  このあたりには写真家、画家の人多く アルプスの残雪がなくなるころ仕事納め、アルプスに初雪があり紅葉が始まると仕事はじめとなるそうです。

辺秋一雁の聲 露は今夜より白し(杜甫)

シベリヤからの白鳥の飛来もこのころ、梓川の本流 犀川に来ます。

(井上 和延 2016/11/6)

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安曇野の春  啄木の日記と私(井上)の日記

寒かった冬が過ぎ、漸く暖かい春になり、わが東京組も桜見ゴルフも終りました。雪を頂くアルプスを毎日眺めている井上さんの安曇野の春を伺いたくて投稿を依頼しました。井上さんから、自分の古いエッセーだが安曇野の春を書いたものがあり、また、啄木の日記にも安曇野の春が書かれていると紹介があり、下記の投稿がありました。皆さんも季節の移り変わり健康にご注意ください。投稿をお待ちしています。(管理人)

 

啄木の日記

2011年の天声人語に啄木の日記の一節があった。

渋民村の皐月は1年の中で最も楽しい時である。天下の春を集めてそしてそれを北方に送り出してやる時である。

以前渋民へゆき その景色を眺めるとすぐ眼の前に岩手山、東の遠くに姫神山が見えるだけ ゆるやかな平野、丘陵が青森まで続き海を超え北海道まで行くだろうと実感としてわいてくる。それに較べ我が故郷信州はどうか。春を運ぼうとしても直ぐに山にぶつかり谷間に入ってしまう。安曇野の春は北の大町、白馬村,小谷村まで運んで終わりで日本海の糸魚川まで届かない。信州の南の入り口、馬籠峠迄やってきた都からの春は山深い谷の続く木曾の谷に入り終わりである。信州で一番先に春がやってくる天竜川の桜の春は、川をさかのぼって諏訪湖で霧ヶ峰、八ヶ岳にぶつかって終わってしまう。信州の春は皆 夜明け前で さよなら してしまうのです。

春の突進(安曇野の春)         井上 和延    2013年5月19日

五月のゴールデンウイークを過ぎるとここ安曇野は一気に春になる。春が一気に押し寄せると言った方がいい。ついこの間までは櫻が満開となってたものの、あたりの田んぼは荒くれの土むきだしであり、まわりの低い里山は茶色の枯れた色をしていた。田園などとはどうみても呼べるものではない。アルプスはまだ雪を豊富にかぶり、槍ヶ岳に源を発する犀川(やがて千曲川となる)へ注ぐ支流の穂高川、烏川、高瀬川の流れ、水量は少なかった。要するに春は名のみのの歌の感じである。

それがどうだろう、この休みが過ぎ田んぼに水が入り暑さを感じるようになったと思った瞬間?あたりは一変した。アルプスの山は北は白馬から五龍、鹿島槍、爺が岳、南の燕、常念、蝶ガ岳まで山肌が見え出し、まわりの里山は一気に若草色となり萌え出る緑となっていた。川は山からの雪解けの水がごんごんと流れ出し畑はきれいに耕され、田んぼは水を一杯にしてきらきらひかり、夕方はかえるの鳴き声でうるさい。梅、さくらの満開はこの景色、現象に較べればささいなもの、春の玄関先でのちょっとした挨拶にしか見えずである。しかしながら今年はすべてが遅いのが気になっている。梅、さくらの挨拶は昨年に較べ10日から15日ぐらいおそく、昨年4月18、19日ごろ来た つばめ は5月19日の今日もいない。毎年5月25日にきまって鳴く かっこう は今年は何時来て電線の上で鳴くのだろうか。

やはり季節は一気に押し寄せるのではなく少しずつゆっくりと来るのがいいのだろうか。私の性格とはまったく逆に少しずつ少しずつがいいのだろうか。ちょっと心配になってきた。

PS

5月22日  朝9時ごろ かっこうが来たらしい。丁度1年ぶり、遠くでの鳴き声を聞く事ができた。やって来てくれたかという感じであるが、つばめは何処へいってるのだろうか。

かっこうのほうは確実に電線にとまり鳴いてる姿を見たのは5月末であった。つばめはまだこの付近にはいない。昨年はうるさいほど飛び回っていたのに。

常念岳と蝶が岳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安曇野のシンボル 常念岳(2857m)と蝶が岳(2664m)

安曇野の冬 

今冬の安曇野は非常に寒い。 木曽路はすべて山の中である とは夜明け前の小説の書き出しの部分であるが 安曇野はすべて冷蔵庫の中である と言いたいような寒さである。 明け方の最低気温は氷点下8℃ 氷点下4,5℃は普通である。日中は3℃、寒いときはマイナスである。雪が田畑に積もっているときは比較的暖かいものと言われているが気休めでしかない。更に晴れるであろう朝がた10時ごろまでは濃い霧がたちこめ先が見えなくなる。地面に雪があってもそれより上の地表部分は冷えてることになる。要するに雪より地表の空気はつめたいのである。この間スキーに野沢へ行ってきたがここはいつもの通り霧が立ちこめ今年もかと妙に納得してしまうのだが 平地安曇野のしかも真冬の霧はなにか新鮮で珍しい。予報では放射冷却とか言ってるが 本当の放射冷却とはこのことを言うのであり簡単に難しい言葉を使ってほしくないし経験したことありやと言いたくなる。
ただ気になることは今年は豪雪地帯の飯山、野沢のスキー場あたりに雪がなく屋根に20センチほどあるのみ。通常なら1メートルもの雪があり、その中に人家が埋もれているのに今冬はないのである。ただ寒いだけ。
安曇平では温暖化という言葉は通じない。 もうすぐ2月、24節気のはじめの立春である。春が近いのであるが真っ白い雪をかぶったアルプス常念岳 蝶ガ岳が見える見晴らしのいい土手に大きな碑が立っている。 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯・・・・の碑である。安曇野は春が来ても寒いのです。

平成28年1月10日(井上 記 2016/01/31投稿)

安曇野の冬1

近くから大町白馬方面のアルプス 左から爺が岳、鹿島槍、五竜岳、唐松岳、白馬です。

安曇野の冬2

失敗作 早春賦の碑 曇っていて山見えず。

井上さんの年賀状

あけましておめでとうございます
新しい年を迎え皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。         平成28年  元旦
待望の北陸新幹線が昨年完成。私にとって海と山のある富山、金沢は大変魅力の場所。それが1時間余りで結ばれました。早速昨年暮れに初めての新幹線に試乗。特に帰りの新幹線が印象深く心に残りました。18時の金沢発長野まで各駅停車白鷹(はくたか?)。窓の外は真っ暗でしたが旅の情緒一杯感じさせてくれました。町や村の灯りがちらほら見えたり富山へ近づくと急に灯りが多くなり都市に近づいたなとわかるのです。更にこのちらほらの灯りと駅に止まる度に音楽が流れそれが妙にマッチするのです。チゴイネルワイゼンの編曲なのか妙に物悲しい。駅に着くのが待ち遠しいというか、早く着かぬかとなるのです。金沢を出て高岡、富山、黒部宇奈月、そして糸魚川、上越妙高、最後は信州の飯山で終わり長野。駅に着いたら途端に信濃の国のメロディに変わってしまいました。降りなくちゃ。ちらほら見えた灯りと物悲しいメロディと心に沁みた北陸新幹線〈はくたか〉でした。やはり日本海は悲しみ本線です。

(井上 記 2016/01/31投稿)

先の投稿記事、算数への補足

皆様

お元気ですか・

井上です。ごぶさたしていて申し訳ありません。 4月にちょっと急遽入院するはめになりましたが、対応がよかったので、事なきを得て20日ぐらいで退院して今は後遺症なしで元に戻りました。詳細は6月の同窓会でお話しいたしましょう。 今は畑に精をだしています。

さて、宮口さんの投稿記事へのコメントですが、こんな訳でブログ見るのが遅くなった次第。例の算数ですがちょっと解説します。
1の位の数が同じで10のくらいの数がたして10になる場合にしか適用できません。例 67×47=3149  7×7=49 6×4=24 この24に1の位の7をたして31。これをならべてください。もう一つの方は これと逆 1の位の数がたして10 10のくらいの数が同じ場合です。例 36×34=1224

社会人になっても役だったとはお客さんと酒を飲んで意気投合した時の意です。

それでは京都で。

安曇野だよりー信州の雛祭り

都会では24節気の 桃の節句 啓蟄 彼岸も終了しましたが わが信州の北国ではこれから雛祭り4月3日 端午の節句6月5日となります。最近都会の風習が入り3月 5月にやる家も増えてきてお雛様は3月から4月まで飾りこいのぼりは5月から6月の初めまで泳ぎ 少々疲れ気味です。雪の中での桃の節句 虫などまだ土の中で眠ってるのに啓蟄 梅も咲かないのにお彼岸 早すぎなのです。やはりゆっくりと季節にそっての行事が大切と思ってますが。

さて話しは私の小学校の4年の頃の話です。私の生まれた長野県下高井郡中野町(現中野市)の雛祭り中野ひな市のはなしとなります。  毎年4月1日から3日までおこなわれ今とちがって私の子供時代はにぎやかで町の人、近郊の村の人も沢山遊びにきた。香具師(やし)(やし)がたちいろいろな祭りの子供の喜びそうなものを道路に沿ってテントをならべ(灯りをつけましょぼんぼりに・・)の童謡とともに掛け声もにぎやかに売っていた。

そのひとつに今でも忘れてない香具師のテントがあり不思議にも黒板を使いチョークで算数を教えていた。そのテントの黒板にくぎづけになった。小学校4年生の頃で算数の掛け算に夢中のときであった。36×34は1224と2,3秒でそのおじさんは黒板に答えをだした。67×63は4221とこれもすばやく出た。どうやって答えを出すかというと6に1を加え7、7と6をかけて42あとは下のけた7と3をかけ21、これを並べれば良いというものであった。魔法か魔術にかかったみたいで不思議でならなかった。このやり方がこの本(冊子)にかいてある。さあ買った買ったである。欲しくて仕方なかったがそんなお金もなく家に戻った。どうしてなのかと考える前にこんな早くて便利な算数の解き方があるのかとその香具師のおじさんに感心したことを覚えている。

ついでにもうひとつ、43×63は2709である。これも2,3秒で出た。この算数が私にとって中学、高校、大学、それに会社にいても非常に役にたった。特に社会人の会社時代はいろんな意味で役立った。一人の香具師のおじさんの算数がこれほどまでに役に立つとは思いもよらずでありあの中野町のひな祭りひな市が立ったおかげである。香具師は暴力団の資金源であやつっているからすべてだめとかで、世間では香具師のテントがなくなったが私にとっては残念でしかたなし。今も感謝している。懐かしいひな祭りと(うれしい雛祭り)の童謡と中野のひな市の香具師の算数の妙な組み合わせである。

2015/03/26       井上