インターネット「ウィキペディア」などで入手した情報と小生が見た絵画をもとに簡単にまとめてみた。
1.「ミモザ」とはフサアカシア、銀葉アカシアなどのマメ科アカシア風の植物の俗称。原産地はオーストラリア、そこからヨーロッパへの伝播と栽培の経緯:
①原産地:オーストラリアであると考えられている。オーストラリア、アフリカ、アジア、アメリカの太平洋地域に約1,350種が分布しており、そのうち1,000種がオーストラリアで発見されている。
②ヨーロッパへいつごろ誰が持ってきたかは不明だが英国人がオーストラリを植民地にしており、そこから18世紀後半から19世紀前半ごろに、気候温暖なコートダジュールに別荘を構えた英国人が庭木として栽培を開始したといわれている。成長が早く5~15mくらいの木で早春に木全体に鮮やかな黄色の花を咲かせる。
③ミモザなどはコートダジュール地方では2月下旬から3月初旬が最盛期で春の祭典に利用される。
A.ニースの花祭り・カーニバル写真①:800年以上前からカーニバルの歴史があるらしいが、飾り立てた山車(フロート)を登場させたのは1873年からとのこと。毎年約2週間で100万人以上の観客が来るこの地方最大の春祭り。観覧料金は座席有で約3000円。
B.マンドリュー・ラ・ナプールのミモザ祭り:ニースとほぼ同じ時期にミモザの山車・パレード。近くにタネロン山というミモザの大産地があり祭りに10トンくらいのミモザを使うとのこと。近くの「高速道の沿線のミモザ」写真②
C.マントンのレモン祭り写真③:ニースの祭りとほぼ同時期にレモン・オレンジを山車やオブジェに使った祭りがイタリアとの国境の町で80年くらい前から開催されている。祭りの期間中に約130トンの柑橘類を使用とのこと。
今回のツアーではA.とC.の祭りを鑑賞した。いずれの会場もテロ対策のため入場時の持ち物検査があり、入場に時間を要した。天候もよく一度は見る価値があると感じた!
④ミモザの日本への伝播と普及:小生はわからない。切り花は少量販売されているが、価格は2~3倍くらい?
2.「ミモザ」の描画と作品
①海外:あまり調査はしていないが、調査した画家と絵画の主なものは次のようである。
A.アンリ・マティス:「ニースの花祭り」1923年、写真④・・類似の絵画は何枚かある。ミモザの直接的表現はないが、間違いなくあるものと思う。マティスは1919年から亡くなる1954年までニース近辺に住んだ。
「カラ-・アイリスとミモザ」1913年、写真⑤。「青いドレスの女」1937年、写真⑥・・女性の頭部の上の黄色いものがミモザ。「ミモザ」1949年、写真⑦・・コラージュで図案化、真ん中の黄色いのがミモザ。
B.ピエール・ボナール:ボナールはカンヌの北のル・カネの住居兼アトリエのボスケ荘に1939年から亡くなる1947年まで住み、ミモザを描いた風景画を数点残している。「ミモザのある階段」1940年、写真⑧・・これもそのうちの一点である。
C.モイーズ・キスリング:ポーランドのクラコフから19歳でパリに出てきたエコール・ド・パリ世代で若くして成功した画家の一人です。人望があり画家仲間からも慕われた。マルセーユから東に約30kmに
別荘兼アトリエを構え、色鮮やかで独特のマティエールのヌード画、風景画はフランス、アメリカ、日本でも人気がある。はっきりミモザとわかる絵を二十数枚描いている。「ミモザの花束」1946年、写真⑨・・
「ミモザの花」1952年、写真⑩・・なお、「モイーズ・キスリング展」は東京庭園美術館で開催中。~7/9
②日本:小生、日本の画家でミモザを描いた絵は知りません。誰か知っている人がいたら教えてください。
ミモザの色鮮やかな花は陽光の乏しい英国・東欧・北フランスの人に好まれる。南仏のセザンヌは描かなかった。
山本さんは今年の3月にミモザの花の最盛期に南仏を旅行されたので、この花の印象が余程強かったのでしょう。確かにその地方の風景によくマッチする花だと思います。
ぼくが住んでいるマンションの近くにある家の前庭にもこの木が1本植えられているので、毎年買物の途中にこの花を見ています。
ご承知のように、最盛期には木全体が黄色の塊りのように見えるので、屋外の画題になりにくいような気がします。
山本さんのブログには、ボナールの「ミモザのある階段」(ポーラ美術館)が紹介されていますが、画風から判断してもこの画家が最も見事にこの花を描いているような気がします。他に「地中海の庭(ポーラ美術館)や「ミモザの見えるアトリエ」(ポンピドゥーセンター)などがよく知られているようです。