名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
東海道五十三次、徒歩で完走ーご報告(その3)---三山

東海道五十三次、徒歩で完走ーご報告(その3)---三山

4月17日(月) 午前:曇り、午後:雨

月輪池の一里塚~10.1km~大津宿~10.7km~京三条大橋

6:50アーバンホテル草津出発、JR草津駅より電車で瀬田駅へ、瀬田駅前で簡単な準備体操後7:35出発、7:40月輪池の一里塚で東海道に入る。西南に進んでいくと瀬田川の支流、高瀬川沿いの檜山神社境内の桜(写真38)も見ごろである。さらに進むと街道は西南から西方向に替わり、瀬田唐橋(写真39)に至る。ここの桜は散ってしまっており、1kmも離れていない檜山神社境内の桜に比べ不思議である。瀬田唐橋を過ぎると街道は北方向に替わり、右手に瀬田川、次に琵琶湖(写真40)を見ながらの歩きになる。途中、鳥居川の一里塚跡を通過するが、見逃した。街道は膳所響忍寺からまた西方向となり、膳所城北総門跡(写真41)を過ぎて、9:40義仲寺(写真42)に到着。ここで休憩を兼ねて内部を見学した(有料)。義仲寺は木曽義仲の墓(写真43)があり、芭蕉の墓、句碑もある。芭蕉は自らの遺言により敬愛した義仲を祀る義仲寺に葬られた。義仲寺見学中、大学の同級生、鈴木直久君に電話した。20~30分後に大津宿に着くと。彼は大津宿街道筋のマンションに居を構えており、昨晩できればお会いしたいと申し入れ、彼の快諾を得ていた。

9:45義仲寺出発。北に向け歩くと、まもなく大津宿に入る。

下記は写真38から写真43です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【大津宿】

東海道53番目、最後の宿場。琵琶湖の湖上交通や陸路の要衝であり近江商人の町として栄えた。宿場数は街道一といわれ、宿場規模も広大であった。
町並:東西16町51間、南北36町19間 家数:3650軒(本陣2、脇本陣1、旅籠71) 人数:14892人(男7306、女7586)

10:05街道上で鈴木君ご夫妻と再会する。ご夫人とは49年ぶりの再会である。ご夫妻は、49年前小生の結婚式出席のため高松まで来てくれた。まず感謝の挨拶をし、よもやま話をし、彼のマンションを背景に鈴木君と小生の写真(写真44)、ご夫妻の写真(写真45)を撮る。
10:20出発。鈴木君が大津宿を同行して道案内してくれるという。二人でしばらく西に向け歩くと、「露国皇太子遭難之地」碑(写真46)がある。明治24年訪日中のロシア皇太子を斬りつけた事件の現場である。大津宿街並み(写真47)を見ながら進み、札ノ辻(高札場跡)で左折し南方向に転回する。建物は残っていないが本陣跡の標識(写真48)がある。旧逢坂山隧道(旧東海道本線トンネル)が右に見える所で、東海道は国道1号線と合流する。ここで鈴木君と別れる。鈴木君、詳しい案内ありがとう。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び一人になって国道1号線を南に向け歩く。ほどなく右手に逢坂山関所跡の碑(写真49)が見える所で、道は大きく曲折し西方向に向かう。国道1号線を2km程歩いた所で旧道に移り、旧道をひたすら西に進む。
11:50京阪四宮駅近くのコンビニで幕の内弁当とビールで昼食。この頃から雨が降り出す。昼食後、上下の雨具を着る。
12:25雨の中、コンビニを出発。旧道を西へ進む。1.5km程歩き、東海道本線のガード下を通って左側の道を進む。この旧道は急に狭くなっており、この狭い道が続く。やがて山に向かってのきつい坂道となり、雨の中、苦しみながら歩く。
13:30日ノ岡峠着。ここで小休止。水分補給。
13:35日ノ岡峠出発。京三条大橋までもうすぐだ。最後の歩きとなる。日ノ岡峠から細い下り道を歩いていくと、やがて府道143号線と合流し太い下り道となり、京三条大橋へと心が急ぐ。坂を下って東海道は左にカーブする。南禅寺境内の木々が見える。都ホテル(写真50)の前を通り、坂本龍馬お龍結婚式場跡(写真51)を過ぎるとまもなく三条大橋だ。三条大橋沿いの高山彦九郎正之像(写真52)が見える。
14:25京三条大橋到着。遂にやりました。一人で静かに喜びをかみしめる。通行人に写真を撮ってもらう。大橋の東側(写真53)と西側(写真54)で。
その後、三条大橋から阪急河原町まで歩き、阪急で大阪市内に向かう。大阪市内のレストランで、姉夫妻、妹夫妻と合流し、ごちそうになる。その後、新大阪から新幹線で東京経由新松戸自宅に帰着したのは、23:30であった。

(本日の行程:6時間50分、万歩計:42460、歩行距離※:32.5km)
(※:万歩計の計測値、宿から出発点まで、終点から阪急河原町まで、阪急河原町~大阪市内レストラン~大阪駅~新大阪~東京駅~新松戸駅~自宅までの全ての歩数を含む)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

  • 鈴木直久 より:

     旧東海道の完全踏破おめでとう。
     三山さんが旧東海道を歩いていることは知っておりましたが、何分にも長い距離ですから、実際に完歩できるのかと少々危惧しておりました。ですから私が住むマンションの前で元気な姿に再会できて、本当にうれしく思います。ただ一緒に食事をする時間をとれなかったことが残念でした。
     今回の一連の報告だけを読んでも、千葉県の自宅を出発してわずか2泊3泊で鈴鹿峠の三重県側の坂下宿から京都三条大橋までの5宿6区間を歩き、さらに大阪まで移動して姉妹夫妻と一緒に会食してから帰宅したのですから、恐るべき健脚振りと体力です。彼は昔から人一倍の努力家でしたから、その並外れた気力と継続力が体力と合わさって旧東街道を一人で踏破するという快挙が達成されたのだと思います。
     些細なことで恐縮ですが、1点注意を喚起させていただきますと、私の家内と49年ぶりに再会したとありますが、実際には、私が退職して当地に転宅する直前の2002年4月、彼、もう一人の旧友および私の三夫婦が一緒に食事をして以来ですから丁度15年振りということになります。

  • 山本信夫 より:

    1,2,3楽しみに見させていただきました。
    9連休、漫然と過ごして当然ですが、以前、四国88か所歩き遍路完歩され、関心、感心、しきりでした。が、今回も完歩本当におめでとうございます。山本信夫