名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
安曇野の秋

安曇野の秋

これを書く前に先ず季節の変わり目について書きたい

 冬から春、春から夏への変わり目は比較的わかりやすく もう春ですね、とか暑くなりました、夏ですね、とか自信をもって云えるのであるが、どうも夏から秋への変わり目は難しい。

 わきあがる雲はまだまだ夏の入道雲なのに、今までのようにどんどんと空に向かってのびてゆかず途中で崩れてしまう。また日中は猛暑なのに朝晩は涼しい風が吹く。しかし夕立が来て雷がごろごろ鳴りこれだけ見ればまだ夏である。山を見れば春は一斉に若緑にかわり雪の山は残雪を残している。しかし秋は、山はまだ黒々とした緑、アルプスの峰々も色づかない。しかし、なかなか小さい秋みつけたとはいかないが、なんとなく秋の気配を感じるのです。月おくれのお盆が終わるともう秋だと、昔から云われていますが、なかなか(秋になりましたね)とは言えないのである。近所の人との挨拶も(暑いですね、でも朝晩は涼しくなりましたね。)で夏なのか秋になったのかあいまいな挨拶となる。

 しかし、まだまだ夏の残暑が続こうが、また涼しくなろうが今日から秋だと、心のなかに決めているのが越中八尾のおわら風の盆である。これが始まると私の夏の終わり秋の始まりである。三味線と胡弓とあのかん高い越中おわら節を聴き、つぎつぎと西の横丁或は東の横の通りから出てくるあの踊り手の集団を見ていると秋なのである。(笛や太鼓にさそわれて 山の祭りに来てみれば・・・・風吹きゃ木の葉の音ばかり)昔の歌であるが、越中八尾の風の盆は、まさにこの歌の感じである。私の心の中は 忍び込む秋 淋しくなってゆく秋、を感じるのです。 

 さて安曇野の田舎の秋は、まずうるさいぐらいの蛙の鳴き声が、いつの間にか こおろぎの鳴き声にかわる。また いつの間にか とんぼが空を飛んでるのに気づく。しかしアルプスの山も、近くの里山もまた田んぼも夏と変わりはない。初秋のはじまりである。そして中ごろ稲刈りがはじまり田畑の荒くれ土がむき出しになると いつの間にか アルプスの山が動く。遠くに見えた深い緑の山が、少し赤みを帯びだんだんこちらに近づいて来る。中秋か。とんぼは数を増し私の手にも止まるほどになり、薄かった赤い色が真っ赤になる。いつの間にか すごい数の赤とんぼが空に舞っている。 

 この23日寒いなと思っていたら、近くの里山に初雪があり、緑色だった筈の山が いつのまにか紅葉が手の届くところまで来ているのです。10月末の頃です。晩秋と云っていいのでしようか。やがて庭の木の葉につく露が白くなり、霜が降り二十四節気の一つ霜降となる。庭の木の蜘蛛の糸が氷の糸となり冬の到来となります。安曇野の秋の変わりかたはすべて いつの間にか秋なのです。

(追記)  このあたりには写真家、画家の人多く アルプスの残雪がなくなるころ仕事納め、アルプスに初雪があり紅葉が始まると仕事はじめとなるそうです。

辺秋一雁の聲 露は今夜より白し(杜甫)

シベリヤからの白鳥の飛来もこのころ、梓川の本流 犀川に来ます。

(井上 和延 2016/11/6)

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コメント

  • 鈴木直久 より:

    上記コメントの文章表現は適切でありませんでした。次のように修正させていただきます。

    安曇野の季節の移り変わりがこのように微妙なものであり、かつそれを敏感に感じ取る井上さんの感性に驚きます。

    引用された句を調べて月夜憶舎弟の一部であることを知りました。自称杜甫フアンなので恥ずかしく思います。

  • 鈴木直久 より:

    安曇野の季節の移り変わりがこのように微妙なものであることに驚きます。
    引用された杜甫の句が月夜憶舎弟の一節であることが分かりませんでした。杜甫フアンとして恥かしく思います。

  • meikoudai-D38 より:

    井上さんから安曇野の秋が投稿されました。
    この写真は、特に紅葉が山を背景に映えていますね。

    前田 記