名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

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前田・宮口・三山
10月

三菱一号館美術館「イスラエル博物館所蔵:印象派・光の系譜」鑑賞記 、山本 雅晴

1年4ヶ月振りに国内の美術展に出かけてきた。イスラエルとの国交樹立70年を記念して、表題の展覧会が企画された。今までに国内の美術展にイスラエルからの美術作品はほとんど来ていないので初来日の作品が多く、内容も充実していて楽しい時間を過ごすことができた。平日の昼頃でJRも美術館も空いていた。

 

  • コロー(1796~1875)は近代風景画の先駆けとして多数の作品を残し、世界各国の美術館に収蔵されている。何故かルーヴル美術館に130点もある。今回小品ではあるが繊細で静謐な作品6点が展示されていた。
  • ドービニー(1817~1878)は風景画家でやや色調は暗いが、戸外での観察を重視しブーダン(1824~98)らとともに次世代の印象派の画家の先導的役割を果たした。アトリエ舟を作りセーヌ河の舟の上で作品を描くこともあった。モネはこれをマネした。横長のハイビジョン型の作品が多い。今回3点展示。
  • モネ(1840~1926)はピサロ(1830~1903)、ルノワール(1841~1919)、シスレー(1839~99)らとともに印象派を立上げ絵画の近代化に寄与した。本展示会にはモネの作品は「睡蓮の池」「ジヴェルニーの娘たち(麦藁)」「エトルタ」の3点あり日本初公開である。
  • セザンヌ(1839~1906) 初期は陰鬱で一般受けのしない独自の画風の作品で、今回2点展示。その後ピサロの指導を受け、印象派の明るい色調を取り入れた独自の画風を確立した。今回3点の彼らしい優品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロー「舟の上の釣り人」1872,43x65cm       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドービニー「花咲くリンゴの木」1862,27x41cm  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モネ [エトルタ、アヴァルの崖] 1885,66x92cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                 

 

 

セザンヌ「湾曲した道にある樹」1882,60x73

  • ゴーガン(1848~1903) の人格・芸術表現はなかなか小生には理解できないが、一度見ると忘れられない何かがある。今回、初期から晩年にいたる5点の重要な作品も展示されていた。タヒチで描いた「ウパウパ(炎の踊り)」は1987年に東京と愛知県美術館で開催された「ゴーギャン展」にも展示されていて鑑賞した記憶がある。他の4点は初来日と思われる。
  • ゴッホ(1853~90) の作品は3点あり、うち2点は2年前の上野の森美術館の展覧会で見た。今回「プロヴァンスの収穫期」が初来日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「ウパウパ(炎の踊り)」1891,72x92

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「犬のいる風景」1903,74x93

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「アニエールの公園の入り口」1887,55x67

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」1888,51x60

  • ピサロの優品が5点、ルノワールは7点あったがあまり良い作品ではなかった。画像の添付は割愛します。

 

以上、来日した最近のこの種の美術展としては見ごたえがありよかった!

氷結の活火山 浅間山登山、山本信夫

10月21日、念願の浅間山に登った。恐らくは今年最後の山であろう。

20日に阿蘇山の噴火が報じられた。(日本の活火山は、全国99座(他に北方領土に11座)あり。活火山には、噴火レベルとして、1「活火山であることに留意」、2「火口周辺規制(火口から1km以内立入禁止)」、3「入山規制」、4,5(省略)の5段階ある。また火山の活動度として、A、B、Cの3段階に分類され、浅間山は阿蘇山と共に活発なAランクに属している。

浅間山には,2000年11月11日に初登頂しているが、当時は噴火レベルが2であったので、臨時的に頂上とされた、外輪山の黒斑山(2404m)までであった。その後2回登るチャンスを得たが、頂上には達せず。今年もレベル2であったが、8月6日にやっとレベル1に変更され、火口近くの前掛山(2524m)まで接近できることとなった。(浅間山最高地点は火口壁にある釜山2568m) 今月17日に初冠雪したことを知っていたが、いつレベル2に戻さるか分からないので、冬装備に変更し、急ぎ登山を決行することとした。

朝7時前に登山口(天狗温泉)出発、雪の状態、風の強さを心配したが、正午過ぎに頂上に到着、充分に頂上を満喫し、無事下山できた。

 

データ 浅間山 2568m  上り 5時間 12300歩  下り 4時間 19000歩

出発点~頂上    距離往復 13km   高さ 1100m

 

 

写真 ① 頂上標識 ここまで来ないと本山(釜山)の様子分からず

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ② 頂上すぐ下に噴火防護用シェルター2基あり

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ③ 本山(釜山)への登行禁止通告

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ④ 火山館 浅間山活火山の資料等設置 トイレあり(有料)

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ⑤ 外輪山と湯の平

レインボーブリッジからお台場へのウオーキング、山本信夫

10月14日、現役時代の同業団体からの誘いがあり、東京湾を横断するレインボーブリッジからお台場を10名でウオーキングすることとなった。同橋にはその下を船で通ったことはあったが、その上を歩いて渡ったりしたことはなかったので、欲求に負けて参加。橋の歩道は約3km、渡るとお台場の名所巡り、最後には予想外のビール乾杯があった。

(データ: 時間  170分  17800歩)

写真① レインボーブリッジ全景

 

写真② レインボープロムナード(ブリッジの外端の歩道)

 

写真③ 車道とゆりかもめ

 

写真④ 北側風景

 

写真⑤ 自由の女神像(台場)

 

初秋の男体山登山、山本 信夫

県を跨ぐ旅行ができるようになり、10月4日、日光の男体山(百名山)に登った。

男体山は、1998年10月9日に初登頂し、その後、昨年10月5日2回目登頂を目指したが、天候悪化でやむなく5合目で退避せざるを得ず、今回はそのリベンジということ。

体力も持久力も衰えたが、順調に登行でき、昼前に登頂でき、普通は半時間程度の滞在が1時間程度頂上で撮影、見学できた。ただ天気が良すぎて遠くがかすみ、富士山を見つけられなかったのは残念。帰路は疲れが加算するので、事故、怪我が起こりやすく用心、用心で、ほぼ登りと同時間かけて、やっと下山できた。極めて満足感あり。

 

データ 男体山 2486m  上り 4時間 5500歩  下り 3時間50分 9300歩

                 出会った登山者 上下共 7,8名  頂上 10名ほど

 

写真1 頂上での、突き刺さる大剣

写真2 頂上での 二荒山大神像

写真3 頂上標識

写真4 頂上から中禅寺湖を望む

写真5 帰路 金精峠からみた男体山