名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山
2021年

国境の島(壱岐、対馬)を訪ねて、 山本信夫  

日本国は島国なので、どこでも国境と言えるかもしれない。若い頃から最端ての地に憧れ、ロマンを感じ、礼文島、小笠原母島、波照間島、与那国島など東西南北の端を訪れているが、最後に残しておいたアジア大陸との接点、壱岐、対馬に行ってきた(12月2-4日)。島に行く手段として、フェリーとかジェットフォイルで行き、帰りは久々(YS-11以来)のプロペラ機に乗れたことは、大変嬉しくワクワクすることであった。

対馬は人口約3万人だが、一昨年までは50㎞先の隣国から1時間ほどで、年70万人以上やってきて、隣国の植民地やと言われながらも、どっぷりその恩恵に浴してきたが、今は全く皆無。全島民生活保護状態で、なにしろ大変だとのこと。このようなコロナ禍による影響の他、自然環境、歴史など多くを教えられ、感動の連続で旅を楽しむことができた。

写真① 壱岐 一支国博物館 特別史跡「原の辻遺跡」を一望、黒川紀章設計

 

 

写真② 対馬 五つの鳥居の奥に和多都美神社

 

 

写真③ 対馬 展望台から水平線のすぐ上に陸影(韓国)見ゆ

 

 

写真④ 対馬 小茂田浜神社前 日露戦争時の砲弾

 

 

写真⑤ 対馬 対馬→福岡35分飛んだプロペラ機

 

三菱一号館美術館「イスラエル博物館所蔵:印象派・光の系譜」鑑賞記 、山本 雅晴

1年4ヶ月振りに国内の美術展に出かけてきた。イスラエルとの国交樹立70年を記念して、表題の展覧会が企画された。今までに国内の美術展にイスラエルからの美術作品はほとんど来ていないので初来日の作品が多く、内容も充実していて楽しい時間を過ごすことができた。平日の昼頃でJRも美術館も空いていた。

 

  • コロー(1796~1875)は近代風景画の先駆けとして多数の作品を残し、世界各国の美術館に収蔵されている。何故かルーヴル美術館に130点もある。今回小品ではあるが繊細で静謐な作品6点が展示されていた。
  • ドービニー(1817~1878)は風景画家でやや色調は暗いが、戸外での観察を重視しブーダン(1824~98)らとともに次世代の印象派の画家の先導的役割を果たした。アトリエ舟を作りセーヌ河の舟の上で作品を描くこともあった。モネはこれをマネした。横長のハイビジョン型の作品が多い。今回3点展示。
  • モネ(1840~1926)はピサロ(1830~1903)、ルノワール(1841~1919)、シスレー(1839~99)らとともに印象派を立上げ絵画の近代化に寄与した。本展示会にはモネの作品は「睡蓮の池」「ジヴェルニーの娘たち(麦藁)」「エトルタ」の3点あり日本初公開である。
  • セザンヌ(1839~1906) 初期は陰鬱で一般受けのしない独自の画風の作品で、今回2点展示。その後ピサロの指導を受け、印象派の明るい色調を取り入れた独自の画風を確立した。今回3点の彼らしい優品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロー「舟の上の釣り人」1872,43x65cm       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドービニー「花咲くリンゴの木」1862,27x41cm  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モネ [エトルタ、アヴァルの崖] 1885,66x92cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                 

 

 

セザンヌ「湾曲した道にある樹」1882,60x73

  • ゴーガン(1848~1903) の人格・芸術表現はなかなか小生には理解できないが、一度見ると忘れられない何かがある。今回、初期から晩年にいたる5点の重要な作品も展示されていた。タヒチで描いた「ウパウパ(炎の踊り)」は1987年に東京と愛知県美術館で開催された「ゴーギャン展」にも展示されていて鑑賞した記憶がある。他の4点は初来日と思われる。
  • ゴッホ(1853~90) の作品は3点あり、うち2点は2年前の上野の森美術館の展覧会で見た。今回「プロヴァンスの収穫期」が初来日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「ウパウパ(炎の踊り)」1891,72x92

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーガン「犬のいる風景」1903,74x93

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「アニエールの公園の入り口」1887,55x67

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」1888,51x60

  • ピサロの優品が5点、ルノワールは7点あったがあまり良い作品ではなかった。画像の添付は割愛します。

 

以上、来日した最近のこの種の美術展としては見ごたえがありよかった!

氷結の活火山 浅間山登山、山本信夫

10月21日、念願の浅間山に登った。恐らくは今年最後の山であろう。

20日に阿蘇山の噴火が報じられた。(日本の活火山は、全国99座(他に北方領土に11座)あり。活火山には、噴火レベルとして、1「活火山であることに留意」、2「火口周辺規制(火口から1km以内立入禁止)」、3「入山規制」、4,5(省略)の5段階ある。また火山の活動度として、A、B、Cの3段階に分類され、浅間山は阿蘇山と共に活発なAランクに属している。

浅間山には,2000年11月11日に初登頂しているが、当時は噴火レベルが2であったので、臨時的に頂上とされた、外輪山の黒斑山(2404m)までであった。その後2回登るチャンスを得たが、頂上には達せず。今年もレベル2であったが、8月6日にやっとレベル1に変更され、火口近くの前掛山(2524m)まで接近できることとなった。(浅間山最高地点は火口壁にある釜山2568m) 今月17日に初冠雪したことを知っていたが、いつレベル2に戻さるか分からないので、冬装備に変更し、急ぎ登山を決行することとした。

朝7時前に登山口(天狗温泉)出発、雪の状態、風の強さを心配したが、正午過ぎに頂上に到着、充分に頂上を満喫し、無事下山できた。

 

データ 浅間山 2568m  上り 5時間 12300歩  下り 4時間 19000歩

出発点~頂上    距離往復 13km   高さ 1100m

 

 

写真 ① 頂上標識 ここまで来ないと本山(釜山)の様子分からず

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ② 頂上すぐ下に噴火防護用シェルター2基あり

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ③ 本山(釜山)への登行禁止通告

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ④ 火山館 浅間山活火山の資料等設置 トイレあり(有料)

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 ⑤ 外輪山と湯の平

レインボーブリッジからお台場へのウオーキング、山本信夫

10月14日、現役時代の同業団体からの誘いがあり、東京湾を横断するレインボーブリッジからお台場を10名でウオーキングすることとなった。同橋にはその下を船で通ったことはあったが、その上を歩いて渡ったりしたことはなかったので、欲求に負けて参加。橋の歩道は約3km、渡るとお台場の名所巡り、最後には予想外のビール乾杯があった。

(データ: 時間  170分  17800歩)

写真① レインボーブリッジ全景

 

写真② レインボープロムナード(ブリッジの外端の歩道)

 

写真③ 車道とゆりかもめ

 

写真④ 北側風景

 

写真⑤ 自由の女神像(台場)

 

初秋の男体山登山、山本 信夫

県を跨ぐ旅行ができるようになり、10月4日、日光の男体山(百名山)に登った。

男体山は、1998年10月9日に初登頂し、その後、昨年10月5日2回目登頂を目指したが、天候悪化でやむなく5合目で退避せざるを得ず、今回はそのリベンジということ。

体力も持久力も衰えたが、順調に登行でき、昼前に登頂でき、普通は半時間程度の滞在が1時間程度頂上で撮影、見学できた。ただ天気が良すぎて遠くがかすみ、富士山を見つけられなかったのは残念。帰路は疲れが加算するので、事故、怪我が起こりやすく用心、用心で、ほぼ登りと同時間かけて、やっと下山できた。極めて満足感あり。

 

データ 男体山 2486m  上り 4時間 5500歩  下り 3時間50分 9300歩

                 出会った登山者 上下共 7,8名  頂上 10名ほど

 

写真1 頂上での、突き刺さる大剣

写真2 頂上での 二荒山大神像

写真3 頂上標識

写真4 頂上から中禅寺湖を望む

写真5 帰路 金精峠からみた男体山

ブログへの国別訪問者リスト

「名工大D38同窓会」へ御訪問ありがとうございます。今回、セキュリティ強化の為に、ホームページのアドレスにセキュリティのSを追加しました。「https://meikoudai-d38.com」となりました。パソコン、タブレット、スマホ等でアドレスを保存されている方は、ご訂正お願いします。ホームページより更新のご案内を受け取っている方は、新規アドレスを起動して保存し直してください。   前田和男

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ホームページはWordPressで作成していますが、プラグインで統計情報をいろいろと分析して頂いています。訪問者数は毎日、サイドバーに表示されていますが、全世界の国別の訪問者を集計されたものを下記に抽出しました。ブログ内の写真を閲覧するだけでは、各国の言語は必要ありませんが、プラグインにある自動翻訳ソフトをブログ最上段に追加した為か世界各国の皆さんが訪問して下さっているようです。

他国語言語をサイドバーに追加した2020/01/05から2021/09/06までの各国からの訪問者は次の通りです。

D38HP国別の訪問者数
 

コロナブルーと近場散歩の花探し その10 紅葉(こうよう) 、三山

小生の寺院巡り散歩には下記の三つのコースがあり、各コースとも1週間にほぼ1度歩いています。

  • わが家 → 東漸寺 → 本土寺 → 小金城址 → わが家 歩き時間:1時間25分
  • わが家 → 東漸寺 → 根木内城址→ 本土寺 → 小金城址 → わが家 歩き時間:2時間
  • わが家 → 東福寺 → わが家 歩き時間:1時間

東漸寺、本土寺は週2回、東福寺は週1回訪ねているわけですが、3寺院とも古い歴史と広大な敷地があります。3寺の沿革と名物の花を紹介します。

東漸寺:浄土宗、1481年愚底運公上人により創建、モミジが有名、花はソメイヨシノ、シダレサクラ、アジサイなど。

本土寺:日蓮宗、1277年日蓮の弟子日朗により創建、アジサイ、モミジが有名、その他花はハナショウブ、ソメイヨシノ、フジ、ハスなど。

東福寺:真言宗、814年弘法大師空海により創建、サツキが有名、その他花はヤエザクラ、アジサイ、フジ、ボタンなど。

さて、今回のテーマは本シリーズ最後となる紅葉(こうよう)です。花探しならぬ紅葉探しです。当地の

紅葉のピークは11月下旬から12月上旬でかなり遅いです。写真1は東漸寺第1門前のモミジです。

この道をまっすぐ行くと第2門、第3門を経て本堂に達します。第1門から本堂までの150メートル、この道の左右にはモミジの木々が並び、鮮やかに紅葉しています。

写真2は同じく東漸寺の鐘楼付近のモミジです。写真右が鐘楼、左が寺務所の建物です。

 写真3は同じく東漸寺の墓地奥にある大イチョウの黄葉です。

 写真4は本土寺山門周辺のモミジです。右手の建物は豪華な山門です。

21世紀森の公園南地域「つどいの広場」には小川に沿って250メートルのモミジ並木があります。この並木の広場側と山側にそれぞれ道があり、モミジの前景と後景を見ることができます。モミジの見頃時期にはこの両道を歩きます。こうして撮った写真のうち、小生のお気に入りの写真3点、写真5、写真6、写真7を紹介します。

 

 

 これにて「コロナブルーと近場散歩の花探し」シリーズは終わりとなりました。前田和男様には長い期間、小生の拙い文書・写真を上手にご編集いただき、本ホームページにアップロードしていただきましたこと、心より感謝申し上げます。また、花写真選び、花名探し、花写真の提供など惜しみなく協力してくれた妻・蕙にも謝意を表します。

永らくのご高覧ありがとうございました。

以上

コロナ禍の “ 呟  き ”、矢 田  明

 新型のコロナが発生したと耳にしたのは確か2019年12月、中国武漢でSARS、MARSにもまさる重篤な新型肺炎が蔓延しつつあるとのことであった。その内容は秘密にされたためにたかが風邪の一種、時間がたてばすぐに収まるよとの受け止めに終始した結果、感染は拡大し今や手の打ちようもなくなって来ている。この約二年間マスク、手洗い、3密防止、酒の提供禁止、不要不急の外出自粛、リモート勤務,人流 抑制等々ストレスの高まりは想像に絶するほどである。つい人に当たり、要らぬ抗争から人の和・輪をも危なくしようとしている。そんなコロナ禍のなかの日頃の鬱憤、不平、不満をまとめて見ました。以下、私の“呟 き” を聞いてください。 

志村けんの死を悼む

 志村けんの死はあまりにも突然の出来事であり驚き以外の何物でもないと思うと同時にコロナウイルスの怖さを知らしめるものであった。大ファンとは言えないまでも国民的英雄である彼に対して陰ながら哀悼の意を捧げたいと思う。

 「バカ殿の大のフアンじゃないけれど志村けんの死悼みて止まぬ」

「“おいコロナ”おまえはなんと憎き奴 殿を殺すは大バカ者ぞ」

 この一件以来、知らず知らずに次の言葉が口からついて出るようになった。

「挨拶は“ご無事でしたかお大事に”コロナウイルス迫り来たれば」

 

感染していないかな?

 感染を防止するための手洗い消毒、マスク着用、3密防止の徹底を行っているといえどもやはり感染が怖い。慢性疾患を有する身としては常時観察が欠かせない。

「ウイルスに罹れば吾はイチコロよ肺の機能の弱きにあれば」

「朝一の水のうまさにほっとするコロナ感染無きを知り得て」

「コロナ禍に今朝の体調確かむる味噌汁の味匂いもよろし」

  幸いにして、味覚、臭覚に異常はなさそうである。今日も頑張ろう。

 

家族との日々

 感染防止のための3密防止、不要不急の外出自粛は親、子、孫であっても守らなければならない。普段なにごともなく会っていたものが会えなくなる寂しさは尋常ではなく、つい「呟き」となって出てしまう。

 「正月は孫に会えると躍る胸夢を砕きしコロナよお前」

「孫等来ず老いふたりでの静かなる普段のままの正月ひと日」

 「久々に孫・子の来しも屋外に五メートル離れ顔見せしのみ」

「感染を気遣う孫は近づかずスマホ使いて元気かと聞く」

 「孫来ない五月連休所在なし自転車駆りて憂さを晴らせり」

 

飲み会

 退職後は人と会う機会がめっきり少なくなったが、旧友、縁あって知り合えた友らとの交わりは老後に楽しみを与えてくれている。このささやかなの楽しみを奪うコロナは憎きものとして我を呟かせる。

 「飲み会の楽しみ奪うコロナ禍よ今日も独りし酒酌みおりぬ」

「久し振りちょっとイッパイどうですか否誘えないコロナ禍なれば」

「何時になるコロナ感染収まりて一杯飲みて騒ぐる時は」

 楽しく飲んで語らえる日が早く来ることを願って止まない。“きっと来る”しばらく静かに待つとしよう。

 

D38会

 D38会は昨年関東地区で開催される予定であったが残念ながらコロナ禍のため延期となった。その代償と言っては失礼だが前田さんの骨折りによりリモート会議(ZOOM)をすることになった。新しい技法による懇親もまた「楽しきものなり」と日頃の鬱憤を晴らしている。なお、私事ですが不要不急の外出自粛につき孫等との接点維持に利用させてもらっており感謝しております。

 「五年来温めて来しクラス会コロナ禍ありて苦渋の延期」

「巣ごもりの八十路の男集まりて慣れぬ手つきでZOOMに挑む」

「ズームへとアクセスすればなんとまあ懐かしき顔皆元気なり」

 

自然を愉しむ

 コロナ禍に関係なく春はやって来る、森の緑も鮮やかである。自然の営みに従うこともまた大事かと思っている。そこでこんな呟きが出てきた。

 

「春ですね気分一新靴を買うこころ晴れ晴れ巣ごもり解きて」

「巣ごもりで濁りし肺の奥底へみどりの空気どんと入れたり」

「梅雨晴れ間コロナ恐怖もなんのそのちょっとそこまでペダル漕ぎたり」

 春の楽しみはなんと言っても花、その美しさに見惚れ、こころを癒してくれる。

されどその楽しみも人出、人の流れがあってこそである。つい「呟き」が出る。

 花咲けどコロナ恐怖に客は来ず桜花びら寂しげに見ゆ」

「桜見は人混み避けて自粛せり小庭にひとり芝桜観る」

「コロナ禍の蔓延なるも菜の花は風に揺られて楽しげにいる」

「医療者に感謝示すや紫陽花の透き通るよに鮮やかなる青」

 

社会生活

コロナウイルスが蔓延すればつい外出をひかえ、巣ごもり生活を送ることになる。

必然的に人との付き合いが疎遠となり、孤立、孤独な生活を余儀なくされてしまう。

人との交わりの楽しさ、大切さを噛みしめている。

 「触れ合って大きく育つ人の輪もコロナ禍ありて思い任せず」

「コロナ禍に新聞チラシ少なくて朝の愉しみ奪われおりぬ」

「新聞にわが名を探す人のいる感染なしと応えやりたし」

「コロナ禍に春の最中の巣ごもりよ断捨離進むゴミ三袋」

 

 外出自粛、巣ごもりが高じてくると運動不足からか食欲不振となって気力まで失せてくる。その解消にと1時間余りの散歩を日課としている。

  私の居住する近辺はまだまだ田畑が多く自然に恵まれている。ある日、散歩中に異様なる風景に出合った。

 「秋晴れの刈田にカラス餌探すしかと保てるソーシャルディスタンス」

 

カラスもコロナが怖いか? 社会的距離をしっかり守っている。「ましてや人間においておや」と言うべきか。見習うべきことなり。

 

コロナ感染の防止はまずはウイルスに近寄らないことである。どんなに注意していても身近にはウヨウヨとしている。こんなことを考えて見てはどうだろうか。

 「窓からのコロナウイルスお断りアマビエ貼りて“不許入室”」

 

安全安心な世の中を

 コロナ禍が一日も早く収束して、安全・安心な世の中になることを願いたい。

そのための国民の社会的義務、責務の遵守は当然のこととして、感染防止のための 政府による科学技術の開発と促進、確固たる政策の立案、実行を切に願いたい。

「安穏に生きる平和のありがたさ許してならじコロナ蔓延」

「孫が来てぱっと明るく賑やかに巣ごもる部屋にバラが咲いたよ」

 

 家庭の平和、家族との楽しき日々、それはあまりにも平凡すぎて当たり前のことと思っていたかも知れない。その有難みを今になってつくづく感じるのは私ばかりではなかろう。早く収束してほしいものである。

皆さんも、心に貯まった鬱憤をパアツと吐き出してみましょう。

 

以下の句を参考に思うところを吟じてください。

     「呟く日 記憶の欠片(かけら)つないでる」

2020 滋賀県芸術文化祭 冠句部門の 特選 として採択されました。)

 (註) 冠句は、上5の詠題(「呟く日」)に対し中7、下5をつけて575とする。

 おわり

2年振りのハイビスカス

2年前に、鉢を大きなものに取替、土を入れ替えて、毎日水やりを続けたが昨年は咲かなかった。

今年の春に数個の蕾が出てきたが、小鳥に食われて、残念な目に遭った。8月に入り、数個の蕾が見えたのでネットを張り、小鳥の襲撃を避けた。

漸く、今朝(8月31日)、2輪が咲いた。あと10個ほど蕾が見えたので、今年の夏は労力が報いられたと思い、朝夕の水やりに精を出している。コロナ禍の外出自粛の小さな慰みである。

今後2-3日毎にどんどん開花するので毎朝が楽しみである。

陽が良く当たる東側のベランダに持ってきたら2ヶ月振りに咲いた。これが今年最後の開花となるだろう。

11月13日

最後の1輪が今朝咲いた  2021/09/21

 

今朝は雨だが咲いた   2021/09/18

 

今朝は2輪  2021/09/17

 

2021/09/15

 

2021/09/11

 

2021/09/10

 

今朝は2輪   2021/09/07

 

2021/09/06

 

2021/09/03

 

2輪咲いた  2021/08/31

コロナブルーと近場散歩の花探し その9 21世紀森の公園の花 /三山

我が家から歩いて約50分の所に21世紀森の公園があります。この公園は、千駄堀池を中心に昔からある湿地帯や森林を生かした自然を尊重した公園で、面積51ヘクタール(東京ドーム11個分)の広さがあります。公園には平地だけではなく山道を含め、縦横に散策路が設けられています。山道は丸太階段で歩きやすくなっています。小生、この公園内の散歩が好きで、週に1度はこの公園を訪ね、山道を中心に1時間20分かけて公園内をぐるりと歩き回ります。浅い山登り気分を味わいながら、森林浴を楽しみます。この公園でも四季の花々を見ることができます。写真1は庭園広場に咲くパンジーです(5月7日撮影)。手前に黄色、中央奥にブルー、左奥に白のパンジーが見えます。季節ごとにラベンダー、サルビア、ハナキャベツなどが植え替えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真2はお花畑のヒナゲシです。やさしい色合いがお花畑を引き立たせています。この花は中国史上三大美女の一人の名「虞美人」が当てられ、虞美人草ともいわれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真3は同じくお花畑に植栽されたヤグルマギクです。白と青の花の対比が美しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真4はクリムソンクローバーです。この花は細い茎の先にローソクを灯したような愛らしい濃赤色の花穂がつき、下から上に向かって咲いていくそうです。別名でストロベリーキャンドルともいいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この公園の中央部、千駄堀池の畔に管理センタービルがあります。今年5月、このビル内で花の展示会が開催されていました。その中から、小生のお気に入りのお花2点を紹介します。まず、写真5のカーネーションです。ポピュラーな花ですが、清楚な美しさに魅かれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、写真6のシンビジュウムの仲間3鉢です。中央の鉢にはこの花の正式名称;デンドロビュームシーマリーの名札があります。左、右の花の正式名称はわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理センタービル入口付近に花壇ボックスが並んであり、季節ごとに花が植えられています、写真7は6月11日撮影した花壇ボックスに咲くペチュニアです。この花はピンクですが、黄色、白色のペチュニアもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上