名工大 D38 同窓会

名工大 D38 同窓会のホームページは、卒業後50年目の同窓会を記念して作成しました。

 管理者     
前田・宮口・三山

掛け算のみによる素数確定方法と合成数の素因数分解法、 竹崎

竹崎さんのオリジナル原稿は、表はWordでうまく編集されています。WordPressのテキスト文章では、意図した表になっているか、ちょっと心配です。明日、PDFファイルに変換して見れるようにします。(管理人)

 

Abstruct

I have found that prime factorization and prime decision of integer can be done solely by multiplication (hereinafter called “Prime Factorization by multiplication”). I have found that all prime numbers originally existing at some numerical range between 2 and an integer 2R in a multiplication table made of the products of each of the integers

from 2 to R with each of the integers from 2 to an. In this multiplication table (from 2×2 to R×an there appear without any exception all composite numbers originally existing at the range between 4 and 2R, while integers not appearing at the range between 4 and 2R are all prime numbers originally existing at the range between 4 and 2R.

With respect to prime factorization, it goes without saying that any composite number appearing in the multiplication table is a product of known multiplier and multiplicand, which means that both of multiplier and multiplicand are factors of the composite number. These factors of the composite number are automatically factorized into a product of prime numbers by tracing back to its multiplier and multiplicand until each of the multiplier and multiplicand reaches respective prime numbers by use of the multiplication table.

 

はじめのはじめ

名工大D38同総会ホームページに2018年12月21日「古典と素数のひとり旅」と題したエッセイを掲載して戴きましたが、その中で素数についての我流の素数判定法が一応纏まりましたので、ここに掲載させて頂きます。前回にも述べましたが、頭の体操・ボケ防止のつもりで、昨年頃から始めたのが素数でしたので、整数論を勉強した者でもなく、他の数学を再学習した者でもない私が、算術の知識位で到達したのが我流の素数判定法です。ただこの我流の素数判定法が今日までに誰かによって考え出されているか否かを文末に挙げた素数関係の書籍多数を調べましたが、いずれにも見つけることがなかったので、ここに発表させて頂きたいと思います。

はじめに

 

ある説明には、「与えられた自然数が素数かどうか判定するには、その与えられた自然数の平方根以下の素数で割り切れるかどうかを調べれば判定できることになります。これが素数判定の基本です。それには、素数リストが必要で・・・数値が大きくなればなるほど素数リストを作るのは大変な作業となります。150桁の数になってくると、コンピュピュータでもそう簡単に素数判定はできません。」とあります。因みに、雑誌「Newton」(㈱ニュートンオプレス社発行2017年8月号37頁)には、600桁の整数を割り算をして余りが出るか否かを確認するには、たとえスーパーコンピュータを使ったとしても年程度かかるとみられているとある。

このように既知の素数を用いて、それより大きい、判定したい自然数を割り算で行う素数判定法は膨大な時間を要すると言われるので、現在の素数算出方法は、古代ギリシャの学者レラトステネス(紀元前276年頃~紀元前194年頃)によって発見された「レラトステネスの篩」と称されている、比較的に小さな整数の連続する数列(例えば1~100)の中から素数だけを抜き出す素数算出方法をコンピュータによって、巨大な整数の連続する数列に適用しているに過ぎません。つまり、2000年以上経った現在でも「レラトステネスの篩」に勝る方法は見付っていません。

ここで、「レラトステネスの篩」による素数判定法について例を挙げて簡単に紹介します。

 

  1. 自然数を(表に)並べ、1は素数でないので初めに1を除外し、次に2を残して次々に2の倍数を消去する。
  2. 2の次に残った数で一番小さい3を残して次々に3の倍数を消去する。
  3. 3の次に残った数で一番小さい5を残して次々に5の倍数を消去する。4は2の倍数なので既に消去されている。このようにして、既に消去されている数を飛ばして残っている最小の数nを残して次々にその数nの倍数を消去する。この作業を繰り返して、表の最後の自然数Nまで行う。
  4. こうして表に残った数が2~Nまでの全て素数である。

以下は「レラトステネスの篩」による素数判定法であり、Nが100までの数の中に存在する素数を判定した例である。赤色で表示した2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97が素数である。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60
61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80
81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100

≪ここでちょっとコヒーブレイク≫

巨大な素数を発見した者には、いろいろな研究所や機関から高額の懸賞金が付与されるとのことです。例えば、下記のとおりです。

Great Internet Mersenne Prime Search (GIMPS) では、彼らの無料ソフトウェアを入手し計算機上で実行してくれる参加者が、1億桁未満のメルセンヌ素数のいずれかを発見する毎に、3000米ドルの懸賞金を渡すと提示している。

電子フロンティア財団 (EFF) では大きな素数の新記録に対する懸賞金を何部門か提示している[3]。1億桁以上の素数を最初に発見した者に与えられる予定の電子フロンティア財団からの懸賞金150,000米ドルに対し、GIMPS では賞金を参加者と分配する方向で調整中である。

100万桁を越える素数が1999年に発見されたときの懸賞金は50,000米ドルであった[4]。1000万桁を超える素数が2008年に発見されたときの懸賞金は100,000米ドルであり、さらに電子フロンティア財団からCooperative Computing Award賞が授与された[3]。この業績は Time 誌が選ぶ「2008年 Top Invention」の29番目として紹介された[5]。1億桁を越える素数の発見と10億桁を超える素数の発見に対する懸賞金はまだ提示されたままである[3]。ちなみに50,000米ドルと100,000米ドルの懸賞金の受賞者は両方ともGIMPSの参加者である。(巨大な素数の一覧 – Wikipedia – ウィキペディア

また、RAS研究所(http://www.rsa.com/)は、ある種の巨大な自然数の因数分解が成功した場合は、最高20万ドルの懸賞金を出すとあります。(発行所オライリージャパン/オーム社2008年12月10日発行「プライムナンバーズ」248頁)

 

我流の素数判定法

 

「レラトステネスの篩」による素数判定法よりももっと簡単な方法はないかと考えて、発想の転換をして、素数確定を掛け算のみで行う方法(以下、「掛け算素数確定法」と仮称する)を思いつきました。「レラトステネスの篩」ではできなかった整数の素因数分解も、この「掛け算素数確定法」では、整数の素数判定と同時に整数の素因数分解も、その副産物として機械的に行うことができます。その上、素数リストなるものは一切不要です。一言でいえば、現行の素数判定法は判定したい数が素数であるか否かを判定する方法であるのに対して、「掛け算素数確定法」は自然数の数列の任意の範囲に存在する全ての自然数を対象として、その範囲内の全ての自然数の内、すべての合成数を一挙に確定し、その範囲内に合成数として出現しなかった数が全て素数である訳で、いわば間接的素数判定法です。自然数の集合は素数の集合と合成数の集合とから構成されているので、所望範囲内の自然数の内、漏れなく全ての合成数が確定できれば、自ずと残りの自然数は、全て素数となることになる。従って、「掛け算素数確定法」は掛け算だけで実行できます。このように任意の自然数N以下の自然数の中に存在する全ての素数を一度に確定することができる。同様に、所望の範囲内にある自然数N即ち、自然数N1≦自然数N≦自然数N2の範囲内にある自然数Nが素数なのか合成数なのかを確定できます。この掛け算素数確定法は、九九算を所定の自然数まで相互に掛け合わせて合成数表を作成し、その表に存在しない自然数は全て素数となる。この表により、この表に存在する全ては合成数であり、しかも既に乗数と被乗数とが既知なので、機械的に合成数の素因数分解ができる。

なお、この「掛け算素数確定法」では、素数確定を行うには、奇数の自然数だけを掛け算の対象とすれば、掛け算の回数が半分になり計算負荷が少なくなる。勿論、その表に存在する奇数合成数も上記と同様に素因数分解が機械的にできる。

 

ここで、一つ見落としてはならないことは、上記のようにして作成した合成数が漏れなく全て網羅されている範囲は、連続する自然数(2,3,4,5,6,7・・・・N)を対象とした場合は2N以下となり、また、奇数の自然数(3,5,7,9,11・・・・N)を対象とした場合は3N以下となるということです。

このことを直感的に理解して戴くために、小学2年生から習う九九算で説明します。九九算で出てくる合成数は、最小の合成数4~最大の合成数81までですが、自然数4~自然数81までの全ての合成数が出ている訳ではい。例えば、合成数80、22など多くの合成数が出てこない。全ての合成数が出ている範囲は9×2=18までです。ここで、九九算を例にして、その理由を説明すると、2の段では2×2=4、2×3=6、2×4=8、2×5=10、2×6=12、2×7=18、2×8=16、2×9=18、3の段では積だけを表示すると、6、9、12、15、18、21、24、27、以下、九九算の結果を表で表示する。

 

乗数

被乗数

2 3 4 5 6 7 8 9
2 4 6 8 10 12 14 16 18
3 6 9 12 15 18 21 24 27
4 8 12 16 20 24 28 32 36
5 10 15 20 25 30 35 40 45
6 12 18 24 30 36 42 48 54
7 14 21 28 35 42 49 56 63
8 16 24 32 40 48 56 64 72
9 18 27 36 45 54 63 72 81

(表中、対角線右上に存在する赤字で表示した全数字は、対角線左下に存在する全数字と全く同一であり、ここでは不要な数字である。自然数iとjの積は、i×j=j×iの関係にあるから。)

 

上表で明らかなように、九九算では8×8=64個の合成数が出現するが、4から81までの全ての合成数が出現する訳ではない。合成数が自然数列のなかで連続して出現するのは、4~18までの範囲(2×2~2R)である。即ち、上表で青字で表示した4、6、8、9、10、12、14、15、16、18までである。そこで、4~18までの範囲に出現していない自然数は、5、7、11、13、17であり、これら自然数は合成数でないので、全て素数である。

もう一つ見逃してはならないことは、上表で青字で表示した4、6、8、9、10、12、14、15、16、18までの合成数を九九算で出すには、被乗数iは2~9までであるが、乗数jは2~4までで必要かつ十分であると言うことである。

これを一般化して言うと、任意の自然数2Nまでの全ての合成数と全ての素数を確定するには、被乗数iとして2~Nまでの自然数と乗数jとして2~L(に最も近い自然数L(L)までの自然数との積を計算すればよいことになる。これを九九算による合成数と素数の求め方で言うと、に最も近い自然数L(L)は、N=9なので、33×1.4142≒4となり、乗数jは2~4となる。つまり、被乗数iは2~9で、乗数jは2~4までの積を求めればよいことになる。

エクセルの計算ソフトでは一度には計算できない巨大な自然数までの全素数と全合成数についても同様に行える。例えば、4~2×までの全ての合成数と全ての素数を求めたい場合は、乗数jは2~=までで、被乗数iは2~までの積を求めればよいことになる。

しかも、最も強調したいのは、この掛け算素数確定法が従前の割り算等による素数判定法に比べて決定的に有利な点は、たった一度だけ巨大な自然数まで被乗数iと乗数jとの積を計算してしまい、その結果(電子データまたは印刷データ)を公開すれば、従前の割り算等による素数判定法のように、各自が何度も何度も同じような計算(割り算)をしなくて済むことになる。

 

以下に、九九算よりはもう少し大きい自然数までの掛け算素数確定法の実例を挙げながら、上記直感的理解を少し纏めてみたいと思います。ただし、エクセルを使用するため巨大な数を扱っていません。

≪ここでちょっとコヒーブレイク≫

九九算と言えば、1×1から始まって9×9で終わるが、ところ変われば品代わるではないが、英米では12×12まである。インドでは20×20で終わるが、地方によっては99×99 まで習うところもあるようです。ところで、日本では平安時代から九九算があったが、今とは逆の順に「九九八十一、八九(ハツク)七十二…」の順に唱えたようです。江戸時代から今の順になったようです。

1. 連続する自然数を対象とした「掛け算素数確定方法」

自然数iと自然数jとの積をPijと表示することにする。ここでiは連続する自然数(1を除く)2,3,4,5,6,7,・・・・Nとし、jも連続する自然数(1を除く)2,3,4,5,6,7,・・・・Nとする。因みに、九九算は、iを連続する自然数(1を除く)2,3,4,5,6,7,8,9とし、jを連続する自然数(1を除く)2,3,4,5,6,7,8,9とすると、Pijで表示することが表示できる。

エクセルで、被乗数iを列に2,3,4,5,6,7,・・・・Nと配置し、乗数jを行に2,3,4,5,6,7,・・・・Nと配置して、九九算のように掛け算した各積Pij=i×jを記載する。エクセルを使用すれば容易に積Pij=i×jの表が作成される。この表中の全ての積Pijには4~2Nまでの全ての合成数がふくまれている。自然数は、素数の集合と合成数の集合とから構成されているので、2から任意の自然数2Nまでの全合成数(表中に表示された全ての積Pij)が算出されれば、表中に出現していない他の全ての自然数は素数であることが確定する。

 

つまり、この表中の4~2Nまでの全ての合成数Pijに含まれていない4から2Nまでの自然数は全てが素数となる。

 

同様に、任意の自然数範囲(N1~N2まで)の全ての合成数Pijを含む表を作成すれば、この表に含まれていない自然数は素数P(N1≦P≦N2)と確定する。

 

2. 奇数のみの自然数を対象とした掛け算のみによる素数確定方法と合成数の素因数分解法

 

素数は奇数であるので、奇数のみの自然数を対象とした「掛け算素数確定法」によれば、計算回数を、上記連続する自然数を対象とした素数確定方法の二分の一にすることができる。

 

積Pij=i×j と表示する。   iもjも隣接する奇数の自然数(1を除く)とする。

 

エクセルで、被乗数i(3,5、7、9、・・・・奇数の)を列に配置し、乗数j(3,5、7、9、・・・・奇数の)を行に配置して、九九算のように掛け算した各積Pij=i×jを記載する。エクセルを使用すれば容易に積Pij=i×jの表が作成される。

任意の奇数の自然数3までの全ての合成数と全ての素数を確定するには、被乗数3~までの自然数と乗数3~Lに最も近い奇数の自然数L(L))までの奇数自然数との積を計算すればよいことになる。

この表中の全ての積Pijには9~3までの全ての奇数の合成数がふくまれている。奇数の自然数は、素数の集合と奇数の合成数の集合とから構成されているので、9から任意の奇数の自然数3までの全奇数合成数が確定すれば、その全奇数合成数に出てこない奇数は、9から任意の奇数の自然数3以下の全素数であることが確定する。

 

つまり、この表中の9~3までの全ての奇数合成数Pijに含まれていない9~3までの自然数は全てが素数となる。

同様に、任意の奇数自然数Na~奇数自然数Nbまでの全ての合成数Pijを含む表を作成すれば、この表に含まれていない自然数(奇数)は素数P(Na≦P≦Nb)と確定する。

≪ここでちょっとコヒーブレイク≫

素数が発見されて以来約2600年間も実用面では素数は何の役にも立たず、数学の遊びに過ぎないと考えられていたようであるが、数学研究面では、遊びどころではなく、現代数学に至るまで数学発展の原動力を与え続けている。整数を研究する歴史の中で、ゼータ関数と呼ばれる関数が発見され素数分布の研究を始めとした解析的整数論における重要な研究対象であり、数論や力学系の研究を初め数学や物理学の様々な分野で用いられているゼータ関数と呼ばれる一連の関数のうち、最も歴史的に古いものである。リーマンのゼータ関数とも呼ばれる。

ところで、現代生活の実用面では、1977年に発明されたRSA暗号に巨大な素数が利用され、今日使用されている、例えば、通信販売の取引に不可欠な暗号となっている。一般にはインターネットで情報を暗号化してその情報を送り、受け取った側がその暗号化された情報をもとの情報に戻すという暗号化情報のやり取りにRSA暗号が使用されている。(雑誌「Newton」(㈱ニュートンオプレス社発行2017年8月号37頁))や(RSA暗号 – Wikipedia

ただし、「RSA暗号は、安全性が素因数分解問題と同値であると期待されている暗号方式であるが、本当に両者が同値であるかどうかについては分かっていない。」ともある。

3. 連続する自然数を対象とした「掛け算素数確定方法」の一例

一休みしたところで本論に戻ります。さて、表1で水色で表示した数は、2~50までの合成数の全てである。なお、対角線右上部に赤色で表示した数は、掛け算ab=baの関係から対角線左下部の数と重複しているので、不要である。

【表1】25×25までの九九算拡張法による素数確定例と合成数の素因数分解例

既に述べたように、任意の自然数2Nまでの全ての合成数と全ての素数を確定するには、被乗数2~Nまでの自然数と乗数2~L(に最も近い自然数L(L)までの自然数との積を計算すればよいから、2~50までに存在する素数と合成数の素因数分解とを求めるためには、N=25を上式に代入すれば、乗数L=7(L=5≒5×1.4142≒7)と被乗数2~25までの全積Pij(i=2、3,4,5・・・25、 j=2、3,4,5,6,7)で求められることになる。因みに、表1中で乗数8~25までの右側の表は不要だということになる。

従って、表中青字の数字だけが2~50までに存在する素数と合成数の素因数分解とを求めるために必要な全積Pijである。

 

【1】2~50までの合成数と素数の算出

表1で青色表示の合成数を小さい数(4)から最大合成数(50)まで順に並び替える。抜けている数が素数。なお、青色表示の全ての合成数の並び替えには、エクセルの「並び替え」機能(昇順)を使用すれば一瞬でできる。下表のように50までの合成数の数列の場合は、どの数が抜けているかは、目視でも簡単に判るが、巨大な数までの合成数列になると大変な作業になる。小さい数から大きい数に(昇順に)並んだ数列のn番目の数をとすると、―の場合に、が素数となる。下表でも明らかなように、例えば、合成数24-22=2であり、24と22とに挟まれた23(22+1=23)が素数である。 同様に44-42=2であり、44と42とに挟まれた43(42+1=43)が素数である。以下全て同様である。

合成数     4   6   8 9 10   12   14 15 16   18   20
素数 2 3   5   7       11   13       17   19  
合成数 21 22   24 25 26 27 28   30   32 33 34 35 36   38 39
素数     23           29   31           37    
合成数 40   42   44 45 46   48 49 50                
素数   41   43       47                      

 

2】表1の合成数を素因数分解する方法

表1の合成数は被乗数i×乗数jの数の積であるから同表を順次たどれば素数同士の積、つまり素因数分解が機械的にできる。          

≪例1≫合成数391=被乗数(i)23×乗数(j)17

≪例2≫合成数306=被乗数(i)18×乗数(j)17=被乗数(i)3×乗数(j)6×乗数(j)17=2×32×17

≪例3≫合成数529=被乗数(i)23×乗数(j)32

≪例4≫合成数339=被乗数(i)21×乗数(j)19=被乗数(i)3×乗数(j)7×乗数(j)19=3×7×19

≪ここでちょっとコヒーブレイク≫

素数が発見されて以来約2600年経っても未だに素数の出現法則は発見されていない。つまり、任意の素数N=f(n) ここでn=1,2,3,4・・・・の自然数列のような関数は未発見です。数学者オイラーが考え出した素数生成式f(n) = − n + 41があるが、自然数nが41未満(n)までは全ての素数がこの式で生成されるが、41以上では生成されない場合(合成数である)がある。因みにn=41では、f(n) = − n + 41=となり、合成数となる。更にさまざまな数学者がいろいろな素数生成式を考案しているが、いずれも、nがある自然数以上になると素数が生成されなくなる。

このように今日までに未だ素数の完全な関数関係または法則性は発見されていないが、現在でも、その発見のために多くの数学者や一般人が挑戦しているからこそ、新しい数学が突然のように出現しつつ、数学は発展し、自然科学、社会科学など多くの分野に貢献しているのではないでしょうか。

なお、参考のために、「素数に法則はあるのか? – 偉人たちが挑戦した素数の数式化」(https://analytics-notty.tech/is-there-a-law-for-prime-numbers/)をご紹介します。

≪結論≫

  • 素数が登場する順番に法則はない。
  • 歴史上の偉人達が素数の数式化に挑戦してきたが、未だに成功していない。
  • メルセンヌ数は今後の素数の発見に役立つと期待されている。
  • 今後の素数分野の研究に期待!

 

 

4. 奇数のみの自然数を対象とした素数確定方法

【表2】奇数i×奇数jの積Pi*jの部分表(i=3,5,7,9,~199 j=3,5,7,9,~35)

ここで、9~597までに存在する全素数を確定するためには、奇数被乗数i=3,5,7,9,~199までで、奇数乗数jの最大数L=となるので、奇数乗数jの最大数Lは23までで十分となる。

 

 

 

【例1】105~203までの奇数合成数と素数の算出

 

表2から105~203までの奇数合成数(表中水色で表示した数)を小さい数(105)から最大合成数(203)まで順に並び替える。抜けている数が素数(下表に赤字で表示)。

奇数合成数の場合も、抜けている素数を抜き出すのは、エクセルの「並び替え」機能(昇順)を使用して合成数の数列を作成し、小さい数から大きい数に(昇順に)並んだ数列のn番目の数をとすると、――の場合には、が素数とが存在する。下表で確認すると、例えば、合成数111-105=6であるから、この二つの合成数の間に、107(=105+2)と109(=105+4)の2個の素数が存在する。

 

【例2】 501~561までの奇数合成数と素数の算出

表2から501~561までの奇数合成数(表中黄緑色で表示した数)を小さい数(501)から最大合成数(561)まで順に並び替える。抜けている数が素数(下表に赤字で表示)。

 

 

【奇数合成数の素因数分解の例】

(1)    表2から例えば5103=被乗数(i)189*乗数(j)27=被乗数(i)21*乗数(j)9*乗数(j)27

=被乗数(i)3*乗数(j)7*乗数(j)9*被乗数(i)9*乗数(j)3=36*7となることが明らか

(2)    同様に、表2から5363=被乗数(i)173*乗数(j)31=173*31となることが明らか

 

あとがき

上記に述べました「掛け算素数確定法」は合成数を確定することにより間接的に素数を確定することができると同時に合成数の素因数分解も機械的にできることになります。

これに対して、コンピュータの発展により現行の素数判定方法としては、原始的なギリシャ時代に考案された「レラトステネスの篩」による素数判定法によっています。しかしこの方法では合成数の素因数分解ができません。素因数分解は依然として目的の数Nを直接割り算をして余りがゼロであれば、合成数であり、素因数分解ができることになり、余りがあれば、その数Nは素数となる基本的素数判定法と同じ手法です。判定せんとする自然数一個毎に、素数リストを使用して小さい素数から順次大きい素数で次々と割り算を繰り返し続けることが不可欠です。素数リストと言っても、素数リストに記載されている最後の既発見素数がなくなれば、それより大きい未知の素数は自分で見つけ出して行かなければならないことになります。これは更に大変な作業となる。

これに対して「掛け算素数確定法」が上記現行の二つの素数判定方法に比べて、より簡単な方法であると素人ながら考えています。そう言うことになれば、自然数同士の掛け算をした積Pij=i×jの表を電子データとしておけば、随時使用することができるので、いろいろに活用できるのではないかと考えられます。また、そのデータを公表しておけば、利用者が同じことを繰り返す必要がなく有意と考えます。100桁、1000桁の数を対象とするには、当然大型コンピュータのによらなければならないとは思います。

 

※「掛け算素数確定法」が新しい確定方法か否かの調査のために参考にした書籍等

 

①「数学・まだこんなことがわからない」講談社2004年09月発行

②「素数の不思議」講談社1994年08月発行

③「数学・まだこんなことがわからない」講談社1990年11月発行

④「Newton 2017年8月号」東京:ニュートン プレス2017年08月発行

⑤「プライムナンバーズ」オライリー・ジャパンオーム社2008年10月発行

⑥「素数入門」講談社2002年10月発行

⑦「素数物語」東京:岩波書店2019年03月発行

⑧「素因数分解と素数判定」エスアイビー・アクセス星雲社(発売)2004年03月発行

⑨「暗号の整数論」講談社2009年03月発行

⑩「素数入門」講談社2002年10月発行

⑪ その他に、検索語「素数」、「素因数分解」、「素数判定」、「レラトステネスの篩」、

「ゼータ関数」、「RSA暗号」、「素数法則」、「リーマン予想」としてネット調査多数実施

 

以上

「平成」最後の投稿、新元号「令和」について、竹崎さん

昨日のアップロードは私のミスで1ページ分のみでした。ここに再度アップロードし直します。(管理人)

新元号「令和」の拠典となった万葉集の梅の花の歌序梅花の歌三十二首の紹介

平成31年4月29日

竹崎南登士

 

はじめに

前田さんに依頼されて万葉集について何となく筆を執ることになりました。5月1日から新元号「令和」が古来元号考案に当たって初めて国書である万葉集を拠典したと報道されていることは申し上げるまでもありません。令和は、「れいわ」と読むとされましたが、前田さんの言うように、「りょうわ」とも読めるわけで、後者の方が発声上流れが良さそうです。昭和も大正も古来可成りの元号にも「・・ょう・・」の音が含まれています。

さて、万葉集の研究をしている訳では全くなく、唯ひたすら諸説にとらわれることなく万葉集の歌だけを勝手な解釈で鑑賞している私にとって、前田さんからの依頼に答えられるとは到底思いませんが、「令和」に関する部分を少し掘り下げてご紹介と言うよりも調査報告を試みたいと思います。

 

梅花(うめのはな)の歌三十二首の序の時代

時は、天平二年(730年)正月十三日。大宰帥(和名:だざいのそち/だざいのそつ。大宰府の長官)であった大伴旅人の邸宅に集って、梅の花を愛でる宴が催された。梅は大陸からもたらされ、当時はまだ珍しい花木であったらしい。その宴を「梅花の宴」と呼び、『万葉集巻五』に収録された。ところで、この時代は、言うまでもなく、奈良時代(712年~797)の初期と言える。奈良時代の主な出来事と言えば、以下のとおり。

712年 太安万侶(おおのやすまろ)により「古事記」が編集

721年 舎人親王(とねりしんのう)により「日本書記」が編集

723年 三世一身法が制定

727年 渤海使(ぼっかいし:当時の満州・朝鮮半島にある国家からの使い)が初来日

734年 遣唐使の井真成、長安で没す

740年 藤原博嗣の乱が勃発。12月、聖武天皇、恭仁京の建設を開始

741年 国分寺建立の詔が発布

743年 大仏造立の詔が発布

752年 東大寺大仏の開眼供養が行われる

753年 日本の依頼を受け、唐より鑑真が来日

757年 橘奈良麻呂の変が勃発

758年 孝謙天皇が譲位し、淳仁天皇が即位。藤原仲麻呂、「恵美押勝」の名を賜る

764年9月、恵美押勝の乱が勃発。

764年10月、淳仁天皇を廃して淡路に配流し、孝謙上皇が重祚して称徳天皇となる

769年 宇佐八幡宮神託事件が起こり、和気清麻呂(わけのきよまろ)が大隅国に流される

770年 称徳天皇が崩御し、道鏡が下野薬師寺別当に左遷される

781年 桓武天皇が即位

784年 長岡京へ遷都

785年 長岡京建設の責任者であった藤原種継が暗殺され、桓武天皇弟早良親王が流罪となる

788年 最澄が比叡山に延暦寺を建立

794年 平安京へ遷都

797年 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される

 

梅花の宴が催された太宰府とは

大宝律令(701年)によって、九州の大宰府は政府機関として確立したが、他の大宰は廃止され、後に一般的に「大宰府」と言えば九州のそれを指すとされている。

外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅)と三島(壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。

軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。

外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の博多湾)の沿岸に置かれた。

長官は大宰帥(だざいのそち)といい従三位相当官、大納言・中納言クラスの政府高官が兼ねていたが、平安時代には親王が任命されて実際には赴任しないケースが大半となり、次席である大宰権帥が実際の政務を取り仕切った(ただし、大臣経験者が左遷された場合、実務権限はない)。帥・権帥の任期は5年であった。また、この頃は、唐宋商船との私貿易の中心となった。

北部九州六国から徴発された西海道の仕丁は、太宰府に集結させられた。そのうち400人前後が太宰府官人の事力(じりき)となり、あるいは主船司等に配属された(『延喜式』民部下)。このほか観世音寺の造営のための駆使丁としても使役された(『続日本紀』和銅2年(709年)2月戊子条)。

面積は約25万4000平方メートル、甲子園の約6.4倍である。

主な建物として政庁、学校、蔵司、税司、薬司、匠司、修理器仗所、客館、兵馬所、主厨司、主船所、警固所、大野城司、貢上染物所、作紙などがあったとされる。しかし、遺跡が確認されたものは少ない。

因みに、大宝律令(701年)以前には、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する大宰(おほ みこともち)と言う役職、いわば地方行政長官が置かれていたが、大宝律令(701年)でこれらは廃止され九州の大宰府だけが政府機関として確立された。

梅花(うめのはな)の宴で詠われた歌三十二首并せて序

初めにも説明したように、梅は大陸からもたらされ、当時はまだ珍しい花木であったという状況を念頭に置いて、催された「梅花の宴」の歌を鑑賞するのがいいのではないかと思う。現在の我々には、梅の花はさほど感動を覚えるものではない程のものであり、その感覚で「梅花の宴」の歌を評価しない方がいいのではないかと思う。

梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序】
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令(れい)月(げつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものにめらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡(たん)然(ぜん)と自ら放(ひしきまま)にし、快然と自ら足る。若し翰(かん)苑(えん)にあらずは、何を以ちてか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇(へん)を紀(しる)す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠(たんえい)を成すべし。
(注:令(れい)月(げつ)には、1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰 (かしん) 令月」、2 陰暦2月の異称の

二つの意味がるが、ここでは前者の意味で用いられているのは明らか。)

 

≪序の内容≫

天平二年(730年)正月十三日に、大宰帥(和名:だざいのそち/だざいのそつ。大宰府の長官)の大伴旅人の邸宅に集まって、宴会を開く。時に、初春の好き月令(れい)月(げつ))にして、空気はよく風は爽やかに(和(やはら)ぎ)、梅は鏡の前の美女が装う白粉(おしろい)のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞い、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれが満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしえと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。
この漢詩風の一文は、梅花の歌三十二首の前につけられた序で、おそらくは山上憶良の作かとされている。
この後つづく三十二首の歌は、三十二人が八人ずつ四群に分かれて八首ずつ順に詠んだものであり、各々円座で回し詠みしたものとなっている。
後の世の連歌の原型とも取れる(連歌と違いここでは一人が一首を詠んでいますが)ような共同作業的雰囲気も感じられ、当時の筑紫歌壇の華やかさが最もよく感じられる一群の歌と言える。
この序だけの紹介では、新聞などに紹介されているかと思うので、この際、この「梅花の宴」の歌全首32首を以下に挙げておきます。

 

巻五(八一五) 詠み人 大弐紀卿(だいにきのまへつきみ)
    正月(むつき)立ち春の来らばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽しきを経(へ)め

(正月になって新春がやってきたならこのように梅の寿を招いて楽しき日を過ごそう。)

 

巻五(八一六) 詠み人 少弐小野大夫(せうにをののだいぶ)
梅の花今咲ける如(ごと)散り過ぎずわが家(へ)の園にありこせぬかも

(梅の花は今咲いているように散り過ぎることなくわが家の庭にも咲いてほしいものよ)

巻五(八一七) 詠み人 少弐粟田大夫(せうにあはたのだいぶ)は粟田人上(あはたのひとかみ)のこと。

梅の花咲きたる園の青柳(あおやぎ)は蘰(かづら)にすべく成りにけらずや

梅の花の咲いている庭には青柳もまた蘰にほどよくなっていることだ。)青柳は「シザレヤナギ」。

 

巻五(八一八) 詠み人 山上憶良(筑前守山上大夫(つくしのみちのくのかみやまのうへのだいぶ)

春さればまづ咲く庭の梅の花独り見つつや春(はる)日暮(ひくら)さむ

(春になるとまず最初に咲く梅の花をわたしひとりで見て春の日を過ごすなどどうして出来ようか)

 

巻五(八一九) 詠み人 大伴三依(おほとものみより)

世の中は恋繁(しげ)(しげ)しゑや、かくしあらば梅の花にも成らましものを

 

(世の中は恋に苦しむことが多いこと。それならいっそ梅の花にでもなってしま

いたいものです。)

巻五(八二〇) 詠み人 葛井大成(筑後守葛井大夫(つくしのみちのしりのかみふぢゐ

のだいぶ))

梅の花今盛りなり思ふどち插(かざ)頭(し)(かざし)にしてな今盛りなり

(梅の花は今が盛りだ親しき人々よ頭髪に挿して飾ろう。今が盛りだ。)

 

巻五(八二一) 詠み人 笠沙弥(かさのさみ)で、沙弥満誓(さみのまんせい)のこと

青柳(あをやなぎ)、梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし

(青柳を折り梅をかざして酒を飲んだその後はもう散ってしまっても満足だ。)

巻五(八二二) 詠み人 大伴旅人
    わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも

 

わが家の庭に梅の花が散る。はるか遠い天より雪が流れて来るよ。)

以上、大弐紀卿の巻五(八一五)の歌からこの旅人の巻五(八二二)の歌までの八首が第

一集団の歌となっている。巻五(八二三)から第二集団の歌に続きます。

巻五(八二三) 詠み人 大監伴氏百代(ばんしのももよ)で、大伴百代(おほとものももよ)のこと。
    梅の花散(ち)らくは何処(いづく)、しかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ

(梅の花が散っているのは何処だろう。それにしてもこの城の山には雪が降り続いている。)

巻五(八二四) 詠み人 少監阿氏奥島(せうげんあしのおきしま)

    梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林に鶯鳴くも

(梅の花の散るのを惜しんでわが庭の竹の林に鶯が鳴いている。)

巻五(八二五) 詠み人 少監土氏百村(せうげんとしのももむら)
    梅の花咲きたる庭の青柳を蘰(かづら)にしつつ遊び暮さな

(梅の花が咲いている庭の青柳を蘰にして一日を遊び暮らそう。)

巻五(八二六) 詠み人 大典史氏大原(だいてんししのおほはら)

    うち靡(なび)く春の柳とわが宿の梅の花とを如何にか分かむ

(うち靡く春の柳とわが屋の梅の花と、どちらが優れているかどのように判断しよう。)

巻五(八二七) 詠み人 山氏若麿(さんしのわかまろ)」で、「山口若麿(やまぐちのわかまろ)」のこと。
    春されば木末隠(こぬれがく)れて鶯そ鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづえ)に

(春になれば梢に隠れて鶯が鳴き移るようです。梅の下枝のほうに…)

 

巻五(八二八) 詠み人 大判事丹氏麿(だいはんじたんしのまろ)

人(ひと)毎(ごと)に折り插頭(かざ)しつつ遊べどもいや愛(め)づらしき梅の花かも

(皆それぞれに折りかざしつつ遊ぶけれど、なお愛すべき梅の花よ。)

 

巻五(八二九) 詠み人 薬師張氏福子(くすりしちやうしのふくし)

梅の花咲きて散りなば桜花継て咲くべくなりにてあらず

(梅の花が咲いて散ってしまったなら桜の花が継いで咲きそうになっているではないか)

 

巻五(八三〇) 詠み人 筑前介佐氏子首(すけさしのこおびと)

万代(よるづよ)に年は来(き)経(ふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし

(万年の年を経るとも梅の花は絶えることなく咲き続けるがよい。)

以上、ここまでが第二集団の八首の歌。次に第三集団の歌に続く。

巻五(八三一) 詠み人 壱岐守板氏安麿(いきのかみはんしやすまろ)

春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝なくに

(春になってなるほどよく咲いた梅の花よ。君を思うと夜も眠れないよ。)

この歌は第三集団の最初の一首。

 

巻五(八三二) 詠み人 神司荒氏稲布(かむづかさこうしのいなしき)

梅の花折りてかざせる諸人(もろびと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽(たの)しくあるべし

(梅の花を折りかざして遊ぶ人々は今日一日が楽しいことでしょう。)

 

巻五(八三三) 詠み人 大令史野氏宿奈麿(だいりやうしやしのすくなまろ)

毎年(としのは)(に春の来らばかくしこそ梅を插頭(かざ)して楽しく飲まめ
(年ごとに春がめぐり来ればこのように梅をかざして楽しく酒を飲もう。)

 

巻五(八三四) 詠み人 少令史田氏肥人(せうりやうしでんしのうまひと)

 

梅の花今盛りなり百(もも)鳥(どり)の声の恋(こほ)しき春来たるらし
(梅の花は今が盛りだ鳥々たちの声も恋しい春がやって来るらしい)

 

巻五(八三五) 詠み人 薬師高氏義通(かうしのぎつう)高句麗系の渡来人か

 

春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びにあひ見つるかも
(春になったなら逢おうと思っていた梅の花に今日の宴の席で逢えたことだな

 

巻五(八三六) 詠み人 陰陽師礒氏法麿(おんやうしぎしののりまろ)

 

梅の花手(た)折(を)り插(か)頭(ざ)して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり

(梅の花を手折りかざして遊んでいても飽きることない日は今日なのだなあ。)

 

巻五(八三七) 詠み人 算師志氏大道(さんしししのおほみち)で志紀大道(しきのおほみち)のこと。「算師(さんし)」は、計数の官。

春の野に鳴くや鶯懐(なつ)けむとわが家(へ)の園に梅が花咲く
(春の野に鳴くよ鶯。その鶯を引き寄せようと我が家の庭に梅が花を咲かせている。)

 

巻五(八三八) 詠み人 大隅目榎氏鉢麿(おほすみのさくわんかしのはちまろ)
「目(さくわん)」は四等官。

    梅の花散り乱(まが)ひたる岡傍(び)には鶯鳴くも春かた設(ま)けて

(梅の花の散り乱れる岡には鶯が鳴いているよ。春の気配濃く。)

以上、第三集団の八人の最後の歌でした。続いて、第四集団の歌に続きます。

巻五(八三九) 詠み人 筑前目田氏真神(でんしのまかみ)

    春の野に霧り立ち渡り降る雪と人の見るまで梅の花散る

(春の野に一面に立ち渡って降る雪かと人が思うほどに梅の花が散っているなあ。)

この歌は第四集団の最初の一首。

巻五(八四〇) 詠み人 壱岐(いき)目村氏彼方(そんしのをちかた)

    春柳(はるやなご)蘰(かづら)に折りし、梅の花、誰(たれ)か浮べし酒杯(さかづき)の上(へ)に

(春柳を蘰にしようと折ったことだ。梅の花も誰かが浮かべているよ。酒杯の上に。)

 

巻五(八四一) 詠み人 対馬(つしまの)目高氏老(かうしのおゆ)で高向村主老(たかむこのすぐりおゆ)のこと。

    鶯の声(おと)聞くなへに、梅の花、吾家(わぎへ)の園に、咲きて散る見ゆ
(鶯の声を聞くのにつれて、梅の花が我が家の庭に咲いては散ってゆくのが見える。)

 

巻五(八四二) 詠み人 薩摩(さつまの)目高氏海人(あまひと)

    わが宿の梅の下枝(しつえ)(しつえ)に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ
(わが家の梅の下枝に遊びながら鶯が鳴いている。梅の散るのを惜しんで。)

巻五(八四三) 詠み人 土師氏御道(はにししのみみち)

 

    梅の花折り插頭(かざ)しつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ
(梅の花を折りかざしながら人々の遊ぶのを見ると奈良の都での宴のことが思い出さる。)

 

巻五(八四四) 詠み人 小野氏国堅(くにかた)で門部石足(かどべのいはたり)のこと。
    妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも乱(まが)ふ梅の花かも
(恋しい人の家に雪が降っているのかと見紛うほどに散り乱れる梅の花。)

 

巻五(八四五) 詠み人 筑前掾門氏石足(じやうもんしのいはたり)

 

鶯の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため

(鶯が開花を待ちわびていた梅の花は散らずにあってほしいものだ。恋い慕う子らのため。)

巻五(八四六) 詠み人 小野氏淡理(たもり)で小野田守(おののたもり)のこと

 

   霞立つ長き春日(はるひ)を插頭(かざ)せれどいや懐しき梅の花かも
(霞の立つ春の日を一日かざしつづけてもなお恋しい梅の花だ。)

以上、大伴旅人たちが「梅花の宴」で詠んだ三十二首のでした。

 

 

おわりに

今日の我々にとっては、梅の花など全国どでもあちこちに早春には見られ、全く珍しい花木ではないので、「梅花の宴」で詠んだ三十二首にこれと言ってさほどの感銘を受けるものではないかと思います。万葉集のなかでも大きな評価を受けているようでもなさそうであります。しかし、梅の花に殆ど目にかかることがない程、非常に珍しい花木を我が邸宅で見事に咲きほこる様子をあるじはもとより、一堂に会した高貴の人々だけが持っていた感性が歌を詠ませた背景はそれとなく想像の域にあるように思います。後の古今集や新古今集などに影響を与えたとも言われているである。しかし、「梅花の宴」で詠んだ三十二首からも窺えるように、万葉集の歌は、後の古今集や新古今集の歌に比べて、本当にありのままを詠っている素朴さが感じられます。万葉の歌には、一語一語の裏に包含され、万人が個々の経験で共有する深遠な情感を引き出すような言葉の組合せや使い方はされていないので、言葉の組合せ・選択により初めて醸し出される身震いを覚えるような情感を覚えないが、それでいて何よりも素朴なところが万葉の歌の新鮮な魅力ではないかと思います。

少々長い報告となり申し訳ありませんでした。

前田さんが私に求めた万葉集についてのご要望は、もっと別のところにあったとすれば、またの機会に譲らせて戴くとし、今回はこれで勘弁願います。

最後になりましたが、報告書作成にあたって、梅の花の歌序と梅花の歌三十二首を抜粋などさせて戴いた「万葉集入門」(http://manyou.plabot.michikusa.jp/index.html)の制作等の方々に謝意を表します。

以上

古典と素数のひとり旅、竹﨑南登士

この竹崎さんの投稿で12月6日の忘年会で、ホームページへの投稿を依頼した全てが原稿が揃い皆さんにご披露しました。あと山本雅さんの名古屋美術館に関するその2があります。3-4日後にアップロードします。このように皆さんの投稿を受け、管理人として後1-2年頑張る勇気が出てきました。他の同窓の皆さんの何でも結構、同窓の皆さんにご披露する近況のご報告をお待ちしています。特に、同窓の皆さんの近くにある写真と3-4行の説明で近況をお届け頂けるのが待ち遠しいです。(管理人)

はじめに

名工大 D38 同窓会 のホームページに投稿を前田さんから頼まれて、その旨を同ホームページ上に公表されてしまったからには、逃げるに逃げられなくなり、仕方なく筆を執る羽目になりました。12月6日(木)のD38昼食忘年会で話した近況報告に少し毛をはやした程度のことを述べるにして、勘弁願います。

 

古典への郷愁の旅

懐旧の遥か彼方となってしました高校時代に教わった古典、中でも特に詩歌のなかで強烈な感銘を受け鮮明に印象に残っているものが幾つかあった。しかし、それ以来、今日まで忙殺の会社生活の中で葬り去られていた古典への回帰は、昨年に始まった。やり残しの念に駆り立てられ、生あるうちに日本人としてのアイデンティティーと言うと可成り大袈裟だが日本人として何かを噛み締めておきたかった。そうかと言って、古典を極めたり、研究したりする積りは毛頭ない。そんな能力もないし、時間もないし、今日までに古典研究家によって研究されてきた膨大な研究成果は無数に出版されている。そういう研究成果などを読む積りもない。専ら、唯ひたすら感銘を受ける古典を堪能するだけである。意味の分からない単語や文については調べてるだけに止めてみた。現代語訳を読むとそれに情景や情感が固定されてしまい、自分の描く想像の世界が阻害されてしまうことを嫌ったからである。古典に接する場合、これが一番懸念されるからである。

丁度、ある小説を読む前に、その映画を先に見てしまうと、その後でその小説を読むと、どうしても映画の印象が優先され、自分の想像の世界がほとんど湧い出てこないのに似ているからである。特に、散文でなく、韻文である詩歌は正にそうである。詩歌の素晴らしさがかき消されてしまうからである。詩歌程、読む人の育ってきた幼少の頃の環境や日本人がなんとなく共有する日本の原風景への郷愁は人によって、受ける印象や創造の情景や情感が著しく異なる。同じ詩歌を読んでも、十人十色の想像の世界が出現し、それを鑑賞し感銘を受けたり、そうでなかったりするものでしょう。詩歌は特にその当時の時代の人に共有する視覚的・精神的なバックグラウンドがあってこそ初めて、短い文書で多くの情景や情感を人に伝える芸術と言えるだろう。詩歌を構成している個々の単語の一つ一つがバックグラウンドの情景や情感を含んでおり、それがあって初めて詩歌が芸術として鑑賞され評価されていると言えるのでしょう。数少ない数語の単語の一語一語の独立したそれぞれの意味以上のものが、その組み合わせ、しかも、絶妙な組み合わせ・配置によって初めて名歌となる芸術と言うことではないでしょうか。しかも、面白いことに、個々の単語の一つ一つのバックグラウンドを形成している一人一人持つ情景や情感が個人個人によって微妙に異なっていることである。だからこそ先入観無しで読むのが楽しい。自分の想像の情景や情感の世界に耽られる。

そこで、何の説明もせず、ここに私の好きな、またよく知られている和歌・俳句を二、三挙げて、私の古典への郷愁の一人旅の物語を終える。

 

見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ     (新古今和歌集 藤原定家)

 

山路来て何やらゆかしすみれ草    (野ざらし紀行;松尾芭蕉)

 

石山の石より白し秋の風    (奥の細道;松尾芭蕉)

 

閑さや岩にしみ入蝉の声    (奥の細道;松尾芭蕉)

 

 

素数への無謀な一人旅

頭の体操・ボケ防止のつもりで、昨年頃から始めたのが素数である。素数が発見されておよそ2600年経っているが、素数がどういう順序で出現するかは、いまだに解決されていない。如何なる法則に従って出現するかは皆目予測がつかない。テレビで見た、うろ覚えのことだが、19世紀頃、ロシアの或る数学者が素数の出現法則に熱中する余り、頭がおかしくなって不審な死を遂げたということである。素数の出現法則を解明するには、もしかして現存しない全く新しい数学の誕生を待たなければならないかも知れない。逆に、素数の出現法則を解明しようとしている内に、これまでにもそうであったように、全く新しい数学が発見されるかもしれない。それが10年先なのか、100年先なのか、もしかして素数の出現法則なるものは全く存在しないのかもしれない。

素数の出現法則を解明しようとするのは、頭の体操どころの話ではないことは誰の目にも明白なことで、そこで頭の体操にしているのは、どうもどの本を見ても紹介されていない素数の判定方法である。本に紹介されている素数判定法(或る数Xが素数であるか否かを判定する方法)は、ご存知のように、Xを既知の素数3、7、11、13、・・・・で順次割り算を続行し割り切れなければ、Xは素数であると判定される。しかし、この方法は、言うまでもなくXが大きな数になれば成る程、ものすごい回数の割り算を実行しなければならないことになる。或る数Xが素数であるか否かは、ものすごい回数の割り算を繰り返すのであるが、そのものすごい回数の割り算を繰り返したにもかかわらず、素数でない場合の方が圧倒的に多いと来ているから始末に負えない。最初から素数でないと分かっている自然数は、1の位の数が0、2、4、5、6、8、であることは言うまでもないので、自然数の中で、1の位の数が1、3、7、9のいずれかである自然数(それでも合成数が殆どで稀に素数が含まれる)についてだけ、割り算を繰り返して行けばよいから、自然数の40%を対象にすればいいことになる。しかし、それでも或る数Xを割り算する場合、一般にはその数X以下の素数を確定しておかなければならない。自然数列の中で、途中の素数を確定しないままにして、その先の数の素数判定はできないことになる。割り算による素数判定法は最少の素数から順に次々と大きい素数を確定していかなければならない。150桁の数になってくると、コンピュピュータでもそう簡単に素数判定はできないと言われている(https://math-jp.net/2017/03/10/how-to-find-a-prime-number/)。近年は、素数判定計算にはコンピューターでのアルゴリズムの研究が進んでいるようである。

上記のように、素数判定は専ら割り算である。

そこで、ふと思いついたのは、小学生低学年で暗記させられる九九算である。九九算の積の中には、一切素数はないということである。それなら九九算をどんどん大きな数に拡張して行って出てくる全ての積には、素数は一つもないと言うことである。それもそのはずである。自然数は、素数と合成数(素数同士の積:合成数は素数の積に素因数分解できる数)とから構成されているから、自然数同士の積は全て合成数となる。

と言うことなので、調べたい数が素数であるかないかを判定するには、割り算でなくて、掛け算だけで素数判定ができることになる。しかも、ある数Xまでの全素数が一挙に確定することになる。つまり、ある数Xまでの九九算の拡張によって、得られた積である合成数に現れてこない数は全て素数なのである。ある数Xまでの全ての素数が一挙に判明されることになる。しかも、ある数Xまでの九九算の拡張によって、得られた積はXを超える積は不要である。例えば、1000までの九九算の拡張によって、得られる積の総数は999×999=998001個の数になるが、2~1000までに存在する全素数を確定するには、得られる積の内、1000以下のものだけであればよい。エクセルで計算すれば数秒で1000までの積が得られる。この積を小さい数(2×2=4)から大きい数(1000)の順(昇順)にエクセルで並び替えすれば、その全積にない数が全て素数となる。従来の割り算による素数判定法に比べて、掛け算による素数判定法(素数に関する多くの書物を調べたが一切紹介されていないので、自流のものと思っているが確信は未だない)は格段に計算速度が速い。

現在は、桁数の大きい数Xまでの自然数について、パソコンで掛け算による自流の素数判定法を実証計算に取り掛かっているが、先ずは、エクセルの計算ソフトで挑戦しているが、エクセル自体を殆ど使ったことがない初心者なので、その習得が前途を遮っていると言ったところが私の近況です。エクセルでの計算には限界がありそうなので、別の計算ソフトを探すか、気力があれば計算ソフトのプログラミングを自分で作成するかですが、そこまでの気力はない。

 

関心ある方へ

 

現在は巨大素数の発見競争に関心が向いているらしく、現在までに発見されている最大素数は下記表のあるように、23,249,425桁数の「277232917 − 1」(2進法表示)とされている。決して、この最大素数までの全素数が発見された訳ではない。参考までに、巨大素数の発見競争関連のサイトを挙げます。

上位5位の大きな素数(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E3%81%AA%E7%B4%A0%E6%95%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

順位 素数の式 発見日 桁数
1 277232917 − 1 2017年12月26日 23,249,425
2 274207281 − 1 2016年1月7日 22,338,618
3 257885161 − 1 2013年1月25日 17,425,170
4 243112609 − 1 2008年8月23日 12,978,189
5 242643801 − 1 2009年4月12日 12,837,064

懸賞金

Great Internet Mersenne Prime Search (GIMPS) では、彼らの無料ソフトウェアを入手し計算機上で実行してくれる参加者が、1億桁未満のメルセンヌ素数のいずれかを発見する毎に、3000米ドルの懸賞金を渡すと提示している。

電子フロンティア財団 (EFF) では大きな素数の新記録に対する懸賞金を何部門か提示している[3]。1億桁以上の素数を最初に発見した者に与えられる予定の電子フロンティア財団からの懸賞金150,000米ドルに対し、GIMPS では賞金を参加者と分配する方向で調整中である。

100万桁を越える素数が1999年に発見されたときの懸賞金は50,000米ドルであった[4]。1000万桁を超える素数が2008年に発見されたときの懸賞金は100,000米ドルであり、さらに電子フロンティア財団からCooperative Computing Award賞が授与された[3]。この業績は Time 誌が選ぶ「2008年 Top Invention」の29番目として紹介された[5]。1億桁を越える素数の発見と10億桁を超える素数の発見に対する懸賞金はまだ提示されたままである[3]。ちなみに50,000米ドルと100,000米ドルの懸賞金の受賞者は両方ともGIMPSの参加者である。

 

【補足説明:竹﨑】

≪巨大素数の発見競争は、メルセンヌ数(2n − 1)と言う特殊な分類に属する自然数のグループの中に存在する素数だけを対象としたものであり、この分類に属する自然数の中の素数はアルゴリズム上計算しやすいからでる。自然数のその他の分類としては、カレン数、ウッダル数、シェルピンスキー数、リーゼル数、プロス数などがあるが、いずれもこれらの分類に分類される自然数だけを対象として、巨大な素数を発見しようとしていると言うことです。これらの分類に属する自然数が全て素数ということではなく、下記のようにメルセンヌ数に分類される自然数でも合成数(下記で黒字の数)が多く、素数(下記で赤字の数)はそれほど多くない。

(注:竹﨑)

 

メルセンヌ数(メルセンヌすう、: Mersenne number)とは、2の冪よりも 1 小さい自然数、すなわち 2n − 1(n は自然数)の形の自然数のことである。これを Mn で表すことが多い。2進数表記では、n 桁の 11⋯11 となる。

1, 3, 7, 15, 31, 63, 127, 255, 511, 1023, 2047, 4095, 8191, 16383, 32767, 65535, …(オンライン整数列大辞典の数列 A000225から初項 0 を除いたもの。太字素数、素数を除いたメルセンヌ数はオンライン整数列大辞典の数列 A135972を参照)

Mn = 2n − 1 が素数ならば n もまた素数であるが、逆は成立しない (M11 = 2047 = 23 × 89)。素数であるメルセンヌ数をメルセンヌ素数(メルセンヌそすう、: Mersenne prime)という。

 

あとがき

素数はこの辺で卒業し、深入りは禁物。それが賢明と思う。もともと、ボケ防止の頭の体操が目的だったのだから。素数の出現法則は、はじめにも述べたように、素数が発見されておよそ2500年経っているが、いまだに発見されていない。素数の出現法則が解明されれば、素数判定法は不要になる。素数の根源的解明には興味はあるが、手を出す素養もない。興味は失せないが卒業とするのが賢明と心得た次第。

古典は万葉集と新古今集とを行きつ戻りつ気ままに今後もお付き合いと行きたい。

以上

                              2018年12月21日  竹崎記